絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

素人音楽考

2006年02月07日 17時24分42秒 | 一絃琴
今日は10時から一絃琴の稽古の日だった。
11時過ぎに、稽古自体は終わったが、
この前の能楽堂の演奏会に行った話で長引き、
帰宅したら12時だった。


(以下、わたくしのごく個人的妄想です)
いろいろ考えたが、「伝承」とは名ばかりの今の一絃琴の実態である。
「伝承」とは何か?現在、古典芸能で伝承や伝統といわれているものの
大半は「血脈」つまり、血の伝統、幼い時より師匠(親または親族)から
『膨大な時間』を共にして、芸能とともに人間性も学ぶのである。
この『膨大な時間』というのをなくして、
軽軽と「伝承」「伝統」とは言わないのである。
理屈はいらない、果てしない繰り返しの中で、
おのずとエッセンスのようなものが、時の洗礼に耐えて
伝え引き継がれていくのである。

明治後半から、終戦後「文化財の指定」制度ができて
一絃琴奏者を文部省が発掘するまでの間に
隆盛を極めた時代のエッセンスがどこかに
置き忘れられたに違いない。
形にとらわれ、弦楽器の持つ特性も追求せず
なにか「高尚なもの」という大いなる勘違いのもとに
平成も18年の年月が過ぎたのである。

全く、勝手な感想を書いているが、
どこかに、人知れず、この琴の本来の姿を実現するような
そんな奏者がいてくれたら!
そんなことを空想する。

ちなみに、うちの先生のお琴は、
すぐそばで聞いていると、鳥肌が立つような、そんな音だ。
(調子の良いときは、ね)
演奏会では、よく、涙する人を見かける。
(先生はそんなつもりで弾いているわけではないようですが)
お琴がまるで「泣いている」ように感じるときがある。
他の奏者の方のもお聞きしますが、
うちの先生がバツグンにうまいようだ。
また、曲に対する理解も、他の人と比べものにならないくらい
深い。(他の人がひどすぎるとも言える)

でも……先生は、歌はあまり重視されていない。
だから、わたしは、だんだん難しくなってきて
歌も、非常に美しい旋律のものが多くなってきたのに
本当のところが、わからないのである……


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