絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

addio addioを訳してみよう〜

2018年01月19日 19時39分41秒 | Weblog
addio...addio...を訳してみたら
こんなふうに、なりました。



わたしたちの間に、微笑みは消えてしまい
ふたりで一緒に歩いていても
孤独を感じる。。。
ただ長い沈黙だけが残った。
その沈黙は、こう言おうとしている、、、
さよなら、さようなら、と。

わたしたちの愛は
まるで干からびた海水のように
ただの塩だけになり、
唇は渇き、もう愛の言葉を語りはしない。

わたしを見て!わたしを見て!
あなたはわかっている、
これが真実じゃないことを。
嘘なんでしょう!
わたしたちの愛が終わったなんて!

さよなら、さよなら
さようなら、さようなら〜


わたしを見て!わたしを見て!
わたしの話を聞いて!
行かないで!!
嘘なんでしょう!
(嘘じゃないなら)
どうして、あなたは泣いているの?
わたしたちはわかっているのに。
ほんとうは、まだ愛していることを。
ほんとうは、まだ愛し合っていることを。
それでも、別れていくのね。

さよなら、さよなら
さようなら、さようなら〜


と、こんなふうになりましたが、、、
いつも思うけど、
カンツォーネって、失恋💔の歌が多くて、
その歌を、目の前にまだ恋人がいるように歌う人と、終わってしまった恋の思い出の中にいる恋人に向かって歌う人がいます。
訴える感じだと、まだ一緒にいる想定?
しみじみバージョンなら、もう去ってしまった後の想定?
果たして、どっちの方がお好みでしょうか。

人それぞれで、解釈が違うので
面白いと思います。



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