介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

昔話ですが

2014-03-26 17:30:25 | 日記
前回のブログを書いていて思い出した事があります。
(この話題、過去に書いていないよね)

母死亡の経緯のところでも登場しますが、唯一私の記憶に残っている一番下の妹[注]が、母と同じく約40年前の冬に死にました。
 [注]
 母のいい加減な話しを信用すると、一番下の妹を含めて私には4人(時には5人)の弟妹が居た筈なのです。
  ・私と1歳違いで一人
  ・私と3歳違いくらいで一人
  ・その後に一人(母の話は、偶にここが双子になります)
  ・記憶に残っている妹
 とは言え、チャンと育たなかったから次々と弟妹が出来てたいただけだと思います。

で、この妹が激しい下痢と嘔吐による「脱水症」で死亡した日の夜。
私は居間に置かれた小さな棺おけをフタを何度も開けて、血の気の無い妹の顔を不思議そうに眺めておりました。
マダマダ子供ですから、死と言うものを理解していません。その頃どのように考えていたのかは今となっては定かではありませんが、「待っていれば、また動き出す」「魔法で生き返る」とでも思っていたのだと思います。

居間には父方と母方の祖母がコタツで寝ずの番をしています。
あまりに顔をのぞいている私に対して、父方の祖母は「仏さんが迷うから、そんなに顔を見に着ちゃダメだ。」と諭してくれました。
それに対して母方の祖母は「これが最後の別れなんだから、顔を忘れないようにシッカリと見て覚えておきな」と、私の行動を庇ってくれました。

一応、年齢の上では大人になっている今では、父方の祖母が言っていることも理解できますが、幼い私には父方の祖母が憎たらしく思えてしまいました。

仏法には「人を見て法を説け」と言う言葉があります。
前回書いた傷つく言葉にしても、これと同じことではないでしょうか?
遺族を励ます心算であっても、相手[遺族]の心理状態に合っていなければ傷つけてしまうのだと思います。
元同僚は家族の誰も気づかないうちに自宅の2階で寝ていた父親が死亡しており、その死亡に家族が気づいたのはお昼前だったということから、別の同僚が母親を亡くした時に「俺は父親の死に目に会えなかった。何度も危篤状態で会社を早退し、母親の死に目に会えただけでも恵まれている」と言って励ましていましたね。