介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

介護していません

2011-06-21 15:42:21 | 日記
土曜日に父の所へ行ってきました。
今回は40分です。

予報では午後から降水確率50%でしたので、兎に角、午前中には行こうと言う事でいつもと同じく9時台に施設へ到着。
施設に入ると、ノロウイルス対策でもしたのか、僅かながら消毒薬みたいな臭いが感じられました。
2階に上がり、毎度の様に「父は日向ぼっこ」と決め付けて通路を進んだのですが、見当たりません。途中、トイレに1名入っているのが見えたので、トイレかな?と、部屋の前で待っていたのですが、戻ってきません。
まさか、あれほど嫌がっている食堂?と言う事で食堂を見に行くと、指定されたテーブルの前に居ました。
普通に父のところに近付いたのですが気付いていなかった様で、私たちが車椅子の左右に立つと驚き、「来たんだったら、声を掛けろ」との事。
偶々、お茶を配り始める時間だった様で、職員の方が父の目の前に紅茶(?)が入ったカップを置いてくれました。元気だった頃、父は熱めのお茶が好きだったのと、医師から水分を多めに取る様に指導があったので、母が飲むように声を掛けると「熱いから飲まない」。
父はつまらなそうに辺りを見回し始め、直ぐ近くの壁に貼られた今月の誕生日の方のリストに気付きました。6月は父の誕生月です。
何度も同じ事を書くことになりましたが、父は興味が無いのか今が何月であるかをスグに忘れてしまいますので、自分の名前が載っているのに驚いたようです。そして、さも当たり前の様に「知ってんべ~。××(屋号)の△△(あだ名)とは同じ日に生まれて、一緒に学校に通ったよな~」と昔を少し語りだしました。
幾らこの町で育ったとは言え、私はそんな事は知りませんし屋号もよく聞き取れませんでした。母は流石に何処の人を言っているのか理解しており、「××(屋号)の△△(あだ名)はもう死んでいるよ」と返答。
すると、父は「未だ若いから死ぬ訳は無いだろう」「俺と同い年の××(屋号)の△△(あだ名)だぞ」と反論。
それに対して母は「若かろうと年寄りであろうと、死ぬ時は年とは関係なく死ぬわよ。」
すると、父は再び話しを戻して「今月は俺の誕生日だな~。知ってんべ~。××(屋号)の△△(あだ名)とは同じ日に生まれて、一緒に学校に通ったよな~」が始まり、母が「若かろうと年寄りであろうと、死ぬ時は年とは関係なく死ぬわよ。」までを2回繰り返しました。

こんな遣り取りを3回もやっていれば熱いと言っていたお茶も冷めただろうと言う事で、母が再び飲むように催促すると「俺の見ていない間にさっき置いたのか?こんな冷めたお茶が飲めるか。」
今度は「誕生日」~「死ぬわよ」の繰り返しの中に「熱いから飲まないって行ったでしょ」「おれはそんなこといわねえ~」「水分補給しなければダメだから、お茶を飲まないとダメ」「無理に飲ませようとするなよ」が増えました。
そんな馬鹿みたいな遣り取りをしている食堂では、BGMとして加藤登紀子の歌う「知床旅情」等が流れている一方で、大型テレビの見ていたお婆さんがリモコンを操作して音量をドンドン上げています。
そんな中、私は前日までの寝不足のせいか気付くと目が擦っており、チョット食堂が騒がしく感じてイラついてきました。
目の痒みも段々と強くなって来ましたし、二人の性も無い遣り取りが落ち着いたようなので、一方的に帰る旨を宣告して施設を後にしました。

施設の外に出ると目の痒みが多少和らぎましたので、この時に目の痒みは僅かながら感じた消毒薬が原因ではないかと思い至り、買い物に行く序に目薬を購入するために掛かり付け薬局に寄りました。
自分では鏡を見ていなかったので気付かなかったのですが、薬剤師は私の顔を見てビックリ。目は充血し、顔も大分腫れていたそうです。
その後、体の数箇所に発疹が出て、日曜日は薬局が念の為にくれたサンプル品の軟膏を塗る1日となりました。
偶々、寝不足による体調不良だったせいだと思いますが、あの施設はどんな薬品を撒いたのか気になります。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿