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介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

刑事が来ました

2011-08-12 12:07:31 | 日記
8日(月)と9日(火)の両日、会社に刑事が尋ねてきました。
結論を先に書くと、捜査協力の為に会社敷地内を写している防犯カメラの画像確認と、画像のコピーの為です。
別に、私や会社が法に触れるような事をしたわけではありません。
しかし10年以上前に防犯広報の収録に協力した際には「ピーポー君」のグッズが頂けたのですが・・・今のところ、何も届きません。

それでは経緯を[事件は実際に起きておりますが、固有名詞や時刻などは誤魔化して書きます]
○事件のあらまし
 事件の種類:窃盗(車上荒らし)
 [被害者が自宅前の路上に駐車しておいたジャガーの窓ガラスが割られ、
  助手席から現金200万円と携帯が盗まれた]
 発生日時:8月8日
 犯行時刻:被害者は5:50~6:00と推測していた。
 犯行現場:具体的な住所はナイショ。だけど、警視庁管轄下だよ。

○8日
朝8時ごろに警察から電話が入る。受け答えをした社員から改めて私宛に電話が入る旨の言伝。
8時40分頃に「○○警察署刑事課の佐藤です。御社の防犯カメラの画像を確認したいので、今から伺いたいのですがご都合は如何でしょうか」と丁寧な問合せ電話が入ったので、いつでもokですよと返答。
電話では推定犯行時刻がAM5:50~6:00と言っていたので、操作方法をマニュアルで確認しながら推定犯行時刻10分前からの画像を再生すると・・・不審者が1名写っています!しかし、そのものは当社の敷地に入って来て建物の影に消えた後、約1分後に敷地から出て行きました。犯行現場付近には向かっておりません。
推定犯行時刻までの再生が終ると、同僚と2名で即座に不審者が消えた建物の影付近を見回りましたが、異常なし。
電話が有ってから約40分後に佐藤刑事が到着。
到着までに私が再生画面を見ていたが唯一の不審者は関係ない旨を話し、佐藤刑事の要請で改めて私と佐藤刑事の2名で等速で画像確認を開始。
佐藤刑事は『被害者の方は絶対に犯行時刻は犬を散歩させていた5:50以降だといっているのですが・・・おかしいですね。確かに不審者はこの1名だけですが、犯行現場には向かっていませんね。』と言うと共に、先程の不審者による被害が有るかどうかの確認をしたかと聞いてきたので、不審者に対する被害は無い旨を返答。
続いて、佐藤刑事が『被害者は非常に興奮して居りましたので勘違いも有るかもしれません。再生時間をモット前にして画像確認したいのですが、立会いは大丈夫ですか?』と言う事になり、何と4:30から再生開始。(1時間30分も見続けるの?やめてくれよ~)
流石に佐藤刑事もそこは判っており、今度は3倍速再生(それでも30分だよ~)。
途中で私は電話の応対で画面を見ていなかったのですが、刑事の目は犯人を見つけました。
電話の応対が終った私に佐藤刑事は画像解説を開始。
『録画時刻5:30:**~
 カメラBの左端から歩いてきて、カメラCに向かい、最後はカメラDから消えた犬を散歩させている方が被害者』
『5:35:**~
 カメラAの画面上部を左から右へ横切る白い靴が映っている。
 白い靴を履いた人物がカメラBとカメラCの間を何度も往復しています。
特にここ!何度も公道の様子を確認する為に十字路付近をウロチョロしていますよね。』
『5:38:** 
 ハイ、間もなくこの人物が画像から消えます』
(「着手」と呟いた後、秒数をカウント。30秒カウントして「逃走」と呟く)
『1分以上経過しても、どのカメラにも写っていませんね。公道を完全にカバーしているカメラB~E方向には逃げていないことは明らかです。』
(画像を2倍速で早送り)
『5:55:**
  被害者が戻ってきました。この後、被害に気付いて110番が入ります』
丁寧な解説が終ったので、私が『とりあえずこの方が非常に疑わしい容疑者ですね』というと、『いいえ、犯人で間違いありません』と佐藤刑事は断言。
4度目の再生(今度は5:35から)を開始し、報告書や交番に張る手配書に使う為に言って、持参したデジカメで画面を撮影。
翌日、再生画像を外部メディアにコピーしに来るといって帰りました。
さて、その日の夜、私が改めて犯行時刻から再生を開始した所、佐藤刑事が見落としているある事実を発見。序だから、容疑者の行動を時系列に纏めたメモを作っておきました。

○9日
昨日の騒動を画面再生をしながら社内で説明していると、佐藤刑事から『これから伺っても宜しいでしょうか』との電話。
律儀に昨日と同じ8:40頃に佐藤刑事が到着してので、データーコピーに必要な機材を接続。
コピーを開始する前に、昨日作成したメモを見ながら、佐藤刑事に私の推論を説明
『5:35:**
 カメラA画面右端から白い靴が消えて、カメラB画面左端に写るまでに約20秒。ここで窓ガラスを割る。』
『5:36:**
 ガラスを割った音で誰かが来ては困るので、十字路をウロチョロしている』
『5:38:**
 カメラB画面左端から姿が消えて、約15秒後にカメラAの画面上部を右から左へ駆け抜ける白い靴。この間に窃盗を実行』
これを聞いた佐藤刑事は驚いて、その5:38:**の場面を再生して、実際に画面を指し示して欲しいというので、喜んで再生。
佐藤刑事、携帯を取り出して「推測でしかなかった逃走方向が、カメラで確認できました」と、どこぞへTEL。
コピー時刻の範囲を『5:25:00~6:05:00』に指定して録画データーをコピー中に雑談が始まり、「あの後、周辺の(私設)防犯カメラを調べたけれど、僅かでも公道を写している物は何処にもなく、この録画データーが捜査での重要な証拠」「本庁捜査第×課から、データーの入手が出来たらその足で直ぐに持参する様に要請されている」と言う状況であることが判明。
画像データーをコピーしたDVDと私の書いたメモを持って佐藤刑事は帰っていきました。


しかし佐藤刑事、素人の私が口出すのもなんだけど・・・疑問があります。
1 確かに、このクソ暑い夏場にサングラスとマスクで顔を隠し、(多分薄地の)色の濃い長袖ジャバーを着て、軍手をしている人間を見たら、私も犯人だと思いますが、他に不審人物が写って居ないからと言って、この白い靴を履いた人を「被疑者」では無く「完全に犯人です!」と断言していいのかな~。
2 5:20分ごろにジョギングしている男性は犯行前の容疑者を見ている可能性が有るけれど、任意での事情徴収を現場で行なっていません。9日以降の録画データーを再生して、このジョギングをしている男性がホボ同時刻に通過しているのを私は確認しましたが、既に任意での事情聴取済みなの?
3 『車上荒らし』は突発的な犯行とは限らず、「機会があれば実行しよう」と思って数日に及ぶ下見が行なわれていることもあるのでは?会社の警備用カメラは2箇月を経過した録画データーは上書きされて消えていってしまいますよ!何日分ものデーターコピーの為に会社に長時間居られても困りますが、40分程度だけの録画データーだけでいいの?

介護していません

2011-08-11 18:47:39 | 日記
土曜日に父の所へ行ってきました。
今回、施設に居た時間は30分でした。しかし、実際に父と会っていた時間数は、いつもよりも少なく10分程度だと思います。

当日は色々と予定が詰まっていたので、家を出たのは9:15頃。
以前プログに出てきたお向かいに住む「遠い親戚・近くの小父さん」が、隣接する自分達(親の所有)の畑で捥いで来たキュウリを洗っていたので、一寸雑談。

施設には9:30頃に到着。入り口には靴が既に4足並んでいるので、いつもより(推定)面会者が多いようです。
2階に上がると、余計な事は考えずに父の部屋へ直行したのですが、父は部屋に居りません。時間から考えて食堂に居る可能性は低いので、『多分、トイレだろう』と言う事で母と二人でトイレ近くで所在無く待っていると、推測どおりに父がトイレから出てきました。
父に『部屋に戻る?、食堂に行く?それとも、エントランス前のテレビを見に行く?』と尋ねるとニヤニヤしているだけで、何も答えません。再度、『部屋に戻るの?』と尋ねると、スタコラと自分で部屋に移動開始。
部屋に戻ると、父は車椅子からベッドに自力で移動。父がベッドに移動すると母がトイレに行ってくると言って、部屋を出て行きました。
二人っきりなると、父が『ドアを開けろ』と言うので私は「?」状態。スライド式の部屋のドアは出入りの為に開いています。指指す先を目で追っていくと通路の窓を指しているので、とりあえず窓のところまで行ってカーテンを少しだけ開けて戻ると、「部屋に居ると天井しか見えないからつまらない。外が見えるからドアは開けておけ」と喜んでいます。
『あのね~、部屋の中の窓からも外の景色は見えますよ!それに今日は、部屋の窓に懸かっているカーテンは全て開いているのですがね~』と言いたいのを我慢して、『こっちの窓からも外が見えるから、退屈しのぎになるね~』とご機嫌取り。
なかなか母が戻らないので散歩の事を振ると、『田圃は遠いから』と言って外出拒否。元よりこんな暑い日に外出はさせませんが、『家に帰りたい』とも言うので、『田圃に行く方が家に帰るより近いよ。玄関を出たら、道なりに坂道を下れば田んぼに突っ込むから』と言い返すと、『道が分からないから田圃には行けない』と言い返す。でもね~ここはホボ町内ですよ。2番目の施設入っていた時には、田圃を通って、今入っている施設経由でワザと大回りして家まで散歩をしたのを忘れてしまったようです。この大回りの散歩をした後で夜に施設から脱走して隣町[元の職場]近くで立ち往生したのはそれ程前ではないのですがね~

やっと母が部屋に戻ってくると、大分時間が押してしまったので帰ることになりました。

施設を後にして、馴染みの薬局へ行くと、薬剤師の先生が私に手の出来物についての経過状況を聞いてきたので、医者からアレルギーだといわれた事を話すと、『ショウセキ膿胞症』と病名を言い当ててしまいました。
 [今週の月曜日に医者にそのことを話すと、この病名を知っているだけでも勉強している事が判る。医者でも、水虫と勘違いすることが多いといっていました]
薬局を後にして、次はお盆の準備の為に花屋まで1km。花屋での用事が済んだら、再び薬局方面に戻り、薬局の斜め前にあるスーパーでいつもの買い物。
自宅に戻って来たのは12時少し前。

午睡の後、午後4時からは母を自転車に乗せて墓掃除に。
慌しい1日でした。

アレルギー

2011-08-02 08:29:30 | 日記
今回は私が罹っている病気の事になります。
もしも例えば麻疹とか水疱瘡に罹っている状態を読むのは気分が悪となると感じる方は読まないほうが良いかもしれません。



覚悟を決めましたか?



では、書きます。



正月頃から手指の数本(腹の部分)に小さなしこりが幾つも出来ては治ると言うのを繰返しておりました。
しこりが出来てから治るまで状況は、そのときによって多少の違いはありますが
しこりが出来る⇒しこりの拡大⇒炎症(水ぶくれ)で大きく膨れ上がる⇒皮膚の硬質化⇒皮膚が白くなる⇒魚の目が取れた時の様に白くなった部分の一部が割れる⇒アカギレ状態⇒白くなっていた部分の皮膚が剥ける⇒一時的に治まる
凡そこのような感じです。
「炎症」の時に何かを強く当てたりすると多少痛く感じる程度で、痛くも痒くないのです。
ですから病院にも通わず、売薬すら買わずにいたのですが・・・6月に行なった定期健康診断で医師から『ヒフ科に罹って下さい』との治療指導。
まあ~6ヶ月も症状が継続しているので多少は不安に思っていましたから、7月の初めに会社の近くに有るヒフ科に行くと『アレルギーによる膿胞症だね』と言う事で2週間分の薬が出され、その薬を飲み始めてから1週間後には症状が再発することが無くなりました(出された薬はチャンと2週間の飲み続けましたよ)。

でも・・・先週の月曜日頃から両方の腕に赤発疹が広範囲に亙り出てきました。まるで赤痣か皮下出血かと思えるくらい真っ赤に染まり、痒い。事務作業で机に接している部分なので「アセモ?」と思っていたのですが、先週木曜日の夜から先に書いた指のしこりが再び出てきたので、昨日ヒフ科で相談すると、腕の発疹も含めて『アレルギー症状が起っている』との診断となりました。医者に拠れば、本人が訴えている部位以外にも発疹が単発で全身に出ております。

前回は2週間分の薬が処方されましたが、今回は血液検査のための採血と1週間分の薬。何故?と聞いたら、アレルギーの症状が前回よりも進んでいるので、2週間後の診療では危険だから1週間後とのことでした。

アレルギー反応は重度になると「ショックによる即死」OR「気道が炎症で腫上がり窒息死」となります。
医師の説明で納得は出来る半面、血液検査だけでアレルゲン[アレルギーの原因物質]が特定できるのかが不安です。

介護していません

2011-08-01 12:59:26 | 日記
予報では降水確率50%だったけれど、土曜日に父の所へ行ってきました。
今回も15分程度でした。何だか15分が定着しているような気がいたします。

7月は色々と有り5回あった日曜日の内、3回は会社に来ていたという事実と、土曜日は過ごし易い気温だったせいか非常に眠かったので、今回は父の所へは行かずに寝ていたかったというのが本音です。

さて、自室で惰眠を貪っていると母が起こしに来たので、仕方なく父のところへ。
9時45分ごろに施設へ着くと、いつぞやの27cm程度のスニーカーと一緒に26cm程度のスニーカーが玄関に有りました。施設の職員であれば、何度も玄関に靴を脱いだままにはし無いと思うので、やはり1階の入所者への面会人なのだと思います。

2階に上がるとエントランスに設置されている長椅子には3名の入所者の方が座られており、テレビを見ております。その横を通り過ぎて父を探しに部屋へ向かうと、部屋で寝ていました。私の姿を見ると「一人だけ出来たのか」と不満そう。少し遅れて母が到着したので『二人で来ないと暴れるでしょう』と言うと知らんぷり。
起きそうも無いのでさてどうした物かと思っていると「トイレにいく」と言うので、部屋の入り口に置いてある車椅子をベットの横まで持ってきて、あとは自力でさせようと見守っていたら、ベットに設置されている自動コールのセンサーが反応して職員が飛んできました。私たちが自力で靴を履かせたり、車椅子に乗り移ったりするようにさせているといったのですが、「素人ではカテーテルが抜けてしまうからダメです」との事。
職員の介助で車椅子へ乗り移ると、「薬の時間だから食堂に行きましょう」と言って当初の目的は無視されて運ばれていきます。「勝手に移動させられたのだから帰ろうか」と言う母を連れて食堂に私たちも遅れて移動。

今回の食堂は静かと表現するのは適切では有りませんが、騒がしくはありませんでした。大型液晶テレビは真正面からでしか見えないので、特定のテーブルにいる方のみがそれ程大きくない音量で何の番組かは不明ですが見ています。
入り口側から見て父の座るテーブルの1つ手前に座っているお婆さんが『お願いします。お願いします。』と連呼していますが、これに応えていると大変な目にあうかも知れないというのは私も経験済み(注)。

父が薬を飲み終わり、やりたい事も話す事も無い様なので『帰るよ』と言うと、「もう帰るのか?もっと居ろ」と催促。『雨が降るから早く帰らないとダメなんだよ』というと、納得したようでした。

(注)
全ての場合に当て嵌まる訳ではありませんが、次のような事があるのでその方の状況を知らない者は応えたり、職員・施設を批判してはいけないと考えます。
・ボケている為に、自分に対して必要なサービスが提供されていないと思っている。
 少し事例が異なりますが、最初の施設では見知らぬ入所者から挨拶されたので挨拶を返していたら、そのうち、その入所者は私を自分の身内だと勘違いして、「自分のところには話に来ない」「勝手に帰ろうとする」と暴れだしてしまいました。施設の職員からは「関係ない方とは話しをしないで下さい」との注意。
・元々、自分本位の生活をしており、自分以外の者の世話をしているのが不満なので呼びつけている。規則や決まり事は自分以外に適用されると考えていた方とも言える。
 こちらも多少事例が異なりますが、施設主宰のイベントで入所者と家族が別れて座っていると、可愛い孫が来たからと言って勝手に移動を開始する方がおります。

従姉

2011-07-26 09:09:44 | 日記
話しが大分横道に逸れた21日のプログの最後の方で、今回の7回忌で顔を合わせることが出来るかと期待していた従姉の夫ですが、なんと2年前に死んでいました。

最初、別の親戚から『ガンを患っており家で養生している』とは聞いてはいたので、菩提寺での七回忌法要には従姉とその子供だけが来ていたのはそのせいであろうと思っておりました。
しかし、10kmほど離れた墓に行くと、本来であれば『○○家』と書かれているべき墓石に『○○家 △△家』と2つの家が1つの墓に入っている状態。
以前『実家からは墓地を分けてもらえないので、ここに墓を建てさせてくれ』と話しを持ちかけた直ぐ後に、墓地所有者(注)の承諾もなく雑草が生い茂っている未分割地の一角を整地して、石屋に発注。偶々、その石屋は墓地所有者が誰であるのかを知っている方だったので、このなし崩し的な墓地横取り計画は頓挫しました。
ですので、多少の違和感は感じましたが『結局、本人と娘達(+その家族)で1つの墓に入る事になったんだ』と・・・目を墓石から墓誌へ移すと、2行彫られている。
そういえば、塔婆を建てようとしている時に従姉が「先月の分もあるから、古いのを処分しないと入らない」と言っていました。先月??墓誌をよく読むと、2行目の方は6月に死んだと書いてあります。享年50歳。従姉と旦那は高校の先輩後輩の関係でもありましたので、年齢もあっているような気がする。
隣にいた1つ年上の従兄も墓誌に気付いたようで、「あれって、旦那の名前?」と私に耳打ちしてきました。
この場で改めて関係者に尋ねるのは宜しく無いですし、私たちに沙汰がなかったのだから『知らんぷり』が礼儀だよねと言う事に。

墓参りが済み、次は『精進落とし』(あまりに美味しい物を食べた結果は昨日書いたとおりです)
施主の挨拶の中で初めて△△家の事が明かされました。
ガンは食道ガンで、心臓の近くに出来ていた為に手術不可能。抗がん剤は全て試したけれど、唯一効果があった抗がん剤は副作用が強すぎて、逆に寿命を縮めてしまうので使えない状態だったと。

2年前・・・複数の親戚から『遺族年金ってどうやればもらえるの』と聞かれたのは、このせいだったのかもしれません。

(注)
6/29に登場した「ユリの谷」に入所している伯母。
この墓地問題が生じた時はまだ元気でして、私の父が介護施設に入所しなければならないという段階や入所後も色々と助けてもらいました。

予定に反して

2011-07-25 08:18:08 | 日記
日曜日に父のところへ行きました。今回は15分。

土曜日は法事で美味しい物を沢山食べて体が驚いてしまったのか、帰宅後は直ぐに横になってしまいました。気力が湧かず、夕食と入浴をサッサと済ませると母を残したまま午後7時には既に布団の中へ。
翌日も体の調子がおかしいので、会社には行かない事にして朝寝をしていると、母が出かける支度を始めました。
まさかとは思いましたが、いつもの様に父の所へ行くから起きてくれと言うので、仕方なく自転車を漕いで父のところへ。軽い目眩(注)を覚えたので出来れば行きたくなかったです。

今回は施設に着いたときに女性3名の施設見学者(どのような立場の方なのかは存じません)が職員と話しており、1Fエントランスはとても賑やかでした。

2Fに上がり、母に『職員詰め所前のテレビでも見ていればいいのにね~』と小声で喋りながら2Fエントランスに近付くと、父に似た人はテレビを見ていましたが、父は居りませんでした。さて、何処を最初に見ようかと少し考えていると、食堂からトイレへ移動している入所者を介助していた男性職員の方が、「お父さんは、部屋の前の廊下にいますよ」と教えてくれましたので、通路を曲がって部屋の方へ。
確かに、このクソ暑い時に部屋の前で父が日向ぼっこをしております。それもワザとカーテンを開けて。流石にドテラは着ていませんが、節電が叫ばれている昨今、ワザワザ室温を上げる様な行動は困るので、早速、カーテンを閉めました。

父の方からは、日向ぼっこが出来なくなった不満以外には何も話す事がなかったようで、黙っているので、私が昨日の法事の事を喋ったのですが、「そんな親戚しらねえな~」と言うだけ。確かに、元気な頃から母方の親戚とは積極的に付き合おうとはして居りませんでした。それ以前に、自分の実の兄弟は基より小父小母やいとこの冠婚葬祭にも出席しようとはしないから、いつも私か母が手分けして最低限の親戚付合いをしてきました。なので、ボケではなく元より忘れているのかもしれません。
ボケと言えば、何度も出てくる今月死亡した父方の2名。今回も話の端に出てきたのですが、父は憶えていないようです。

お茶の時間が近付いていたので食堂に行こうといっても「昼飯には早い」と言って動こうとしないし、話す事柄もなく私も体がしんどいので、帰ることにしました。

1階に下りると、今度は男性のお客さんが玄関で職員と話しており、一寸通り難くなっておりました。

(注)
軽度のメニエール[症]を患っており、最初の発症から8年経過しています。
私は耳鳴りの症状は無いのですが、立って居られないほどの目眩をおこします。
この目眩ですが、本当にメニエールが発症した際の目眩と低血圧等の目眩は異なっており、これまでは明確に区別が付きましたが、前駆症状段階では私は区別が付きません。
一度、大丈夫だと高をくくって会社に来たら悪化してしまい、「メニエールは救急車を呼んで緊急入院」と教わっていたのに、多少歩けるのを幸いと目の前の都立病院には行ったら、救急指定なので歩ける程度だったら見ないとの事。仕方なく別の病院(内科医)で見てもらったら、「救急車を呼びなさい」と怒られました。

多分、介護しません

2011-07-21 11:23:38 | 日記
元々、両親の介護をしていないので、この題名はおかしいのですが・・・
今度の土曜日は伯父[母方。長兄]の七回忌があるために、父の所へは行けません。多分、日曜日は仕事が残っているので会社に行くと思います。
今日になって、父にその事を言っていなかった事に気付きました。暴れない事を祈っております。

さて、七回忌を迎える伯父ですが、大正10年頃の生まれなので従軍経験あり[退役時の階位は不明ですが、軍人恩給の受給者]。若い頃には夜勤明けで富士山に登山したり、旧制中学に通っていたときには東京から伊勢大神宮までの強行行軍を経験して居ると母から聞いております。更に従軍中には『お腹には○○さんの子供が』と言って実家で出産した女性が複数居たとか、数多居る女性の中から深窓の令嬢を選んだのだけど先方の親族は結婚を認めて居ないと言う事も何となく大人達の会話から知っておりました。
そんな伯父は、60歳の定年後も人材登録をしてバリバリと働いており、とても元気だったのですが・・・ある時、銭湯で引っくり返ってしまったことが原因で入院し、色々有って介護施設行き。
伯父には娘[私から見て従姉]が2名居るのですが、下の娘の旦那[農家の次男坊]が介護施設(特養)に何かコネがあるようで、直ぐに転入。下の娘夫婦から「入所費用はお父さんの年金+アルファ」と言って来たので預金通帳と印鑑を渡すと・・・勤め先がリストラを行った為に偶然にも夫婦共に失業状態。その後、原因は思い出せませんが伯母もその介護施設に入所する事となり、やはり年金で入所費用を支払うという申し出。伯父が死んだ後も2年くらいは伯母は施設に入っていましたが、その間に娘夫婦は自営業や農林水産業従事も含めて再就職をしていません。そして伯父が入所した当時、娘夫婦には小学6年生の息子が1名居りましたが、私立中学校へ進学して大学を卒業しています。

あえてとぼけますが、この間の約10年間の生活費は何処から沸いてきたのか不思議です。

そう言えば確か今回の伯父の一周忌の時だったと思いますが・・・その時には既に私の父は最初の介護施設に入所していたのですが、墓所から移動するマイクロバスの中でこの娘夫婦の旦那の方から『介護施設を探しているんだって?いい施設があるんだよ。死んだ爺さんが入っていた所知っているよね。年金証書と実印を貸してくれば、直ぐにでも入所できるように手配するから』と申し出がありました。その施設の詳しい場所は知りませんが『1時間に1本しかない電車に乗って2時間以上+駅からタクシーで1万円』と聞いておりましたから、私たちには遠方過ぎて通えないから断ったのですが・・・それ以降、その旦那と会ったのは1回きり(入所していた伯母が自宅に戻って来るので、自宅の改装が済んだ時)。

今回の七回忌には来るのかな~

今回は何だか話しが変な方向に進んでしまいましたね。

介護していません

2011-07-17 11:56:20 | 日記
昨日、いつもの様に父の所へ行ってきました。今回は15分でしたので、短いですね。

平日であれば朝の4時に起きて炊事や洗濯をしている私たちですが、土曜日や日曜日はどうしても起きるのが遅くなります。
ご多分にもれず、昨日も7時少し前に起きました。家を出たのが9時30分過ぎ。
前回、熱中症気味になったので、母には帽子を被らせました。

施設に着くと今回も先客が居り、入り口には男性向けのスニーカー(多分27cmは有ったと思う)が1足置いてあります。別に他の家族の方が居られようと構わないのですが、今まではこの時間帯に複数の家族が面会に来る事が少なかったので、どちらの入所者の関係者なのかな~と思っているだけです。以前だったら、ノートに「誰のところに」「どなたが」「何時から来て何時に帰った」が書いてあったのですが、色々と有った様で現在は単票による面会票をホルダーに入れて持ち歩くだけです。同じ介護生活とは言いませんが、他の入所者のご家族とも偶にはお話しをして、情報交換もしてみたいものです。[現在の施設が一番頻繁ですが、これまでに入所した3つの施設では家族同伴でのイベントが行なわれるので、機会が無い訳では有りません。ですが、何故に平日が多いのか??]

さて、話しが1F玄関内から一向に進まないので・・・2階に上がりましょう。
2階に上がると、日光を遮る為に全てのカーテンが閉じられておりました。全体に以前より薄暗いです。そうそう、施設の入り口にA4横で『当施設での節電方針』見たいなのが1枚貼ってありました。しげしげとは読んで言いませんが、そのせいかもしれません。
前回は2Fエントランスで父に出会ったので、偶然を期待してのですが居りません。節電を謳っているのに、エントランスに於いてあるテレビは誰も見ていないのに「ぶらり途中下車の旅」が流れています。
エントランスに居ないのであればとりあえず部屋に居るかどうかを確かめようと、私が先に部屋の様子を見に行くと、父が横になっています。私が「お母さんは直ぐ来るからね」と言うと、父は寝惚けているのか「来なくてもいい。帰せ」との返事。「それじゃ~本当に帰してしまうよ」と言って、部屋を出て廊下を歩いてくる母に向かって「お母さんにはもう合いたく無いから帰れって」と冗談で言うと、父は「かかあには会いたい」と急に頭の回線が繋がりました。
お茶の時間まで10分程度あったので、『起きろ』『起きない』『お茶はまだ入っていない』『お茶はまだ熱いかもしれないね』の軽い遣り取りをしている最中、急に父は「家に帰って好きにして居たいけれど、トタンで屋根を作ったから暑くって住んでいられないな~」と言い始めました。そこで、私が『今年は特に暑いから、叔父さんが死んだんだよ』と、先週書いた親戚の死亡を言うと、「誰が死んだんだ」と、先週の事をスッカリ忘れています。再び、隣の小父さんが91歳で死亡して、父の妹の旦那が80歳で死んだ事を伝えました。

お茶の時間になってもベットに横になったままで起き様としないので、『用がなければ帰るよ』と言うと、何か言いたそう。『夕方までここに居ればいいのだろうけど、ここで昼食は食べられないし、早く買い物に行かないと、暑くって倒れちゃうから帰るよ』と諭すように言うと、納得したのか「それじゃ~早く帰れ」と言ってくれたので、施設を後にしました。

介護していません

2011-07-11 12:13:00 | 日記
今回も土曜日に父の所へ行ってきました。面会時間は25分程度。

今回は暑さで色々おきてしまいました。
まず朝方の涼風に誘われて、4時前から畑で唸っている機械音を無視して8時まで寝ていました。その後、朝食と洗濯を済ませて家を出たのが10時ごろ。父が入所している施設を後にして買い物で約1時間。帰宅後、私も母も軽い熱中症になったようで、昼食後は後片付けをせずに17時ごろまで横になっておりました。

さて、いつもの様に父の状況報告。
私たちと同じ面会者かどうかは不明ですが、施設に着いたのがいつもよりも遅かったので玄関には靴が2足おいてありました。
2階に上がり部屋へ向かおうとすると、職員詰め所前にある広場見たいな所[用語としては適切では有りませんが「2Fエントランス」と書きます]に父が居ました。父が手招きをしているので母にその旨を言ったのですが、老眼の為か思い込みのためか、中々信じません。ようやく2メートル程度の距離になると母は父が居る事に初めて気付きました。
父に「部屋に行くの?食堂に戻るの?」と聞くと「ここに居る」というので、入所して初めて2Fエントランスで面会です。
他人の口から洩れるよりはと言う考えで、親族2名の死亡を父に伝えた所、割と落ち着いておりました。ボケ老人の常で、既に死んだ人間の話しと勘違いしたり、別の親戚の名前を挙げて「あいつが死んだのか~。わけぇ~な」と言うので、何度も訂正したので何とか理解したようですが、それでも忘れてしまうようで『誰が死んだって』と問い返してくる事が数度ありました。後々、記憶がハッキリした時が怖いです。

さて、2Fエントランスには長椅子とテレビが置いてあり、いつもであれば10名程度の入所者が長椅子に腰掛たり、テレビの前を車椅子で囲んでいるのですが、今日に限っては車椅子に乗った女性入所者2名がテレビ前に居るだけでした。二人の内の片方がテレビのリモコンを操作して『ぶらり途中下車の旅』に切り替えたら、もう一方(仮に東山様としましょう)が「今だったら『ぶらり旅』がやっているわよ」といって、再度リモコンを操作。何も画面が変わるわった訳ではないけれど、自分が変えてあげたと気分をよくして、その東山さんが私たちに近付いてきます。
以前、私たちの関係が偶に勘違いされると書きましたが、東山様は間違えずに「奥様ですが?」「お子さんですか?」と聞いてきました。その後、父に対して「お子さんは全部で何なんなのですが」と問うと、何を思ったのか父は『2名だ』といって、指を4本も立てました。すかさず、私たちは『一人だけなんですよ。どこに隠し子が居るの。そんな甲斐性が有ったら、連れて来たら』と情報修正。後で思いましたが、指の本数は別にして、全員が生きていれば私の下には5人いたはずなのですが、最初の4人は死産[母によると私の1つ下が1名。3つ下が2名。4つ下が1名]、最後の妹は10ヶ月だけ生存しましたので、確かに2名です。
外が暑いのと東山様が世知話をして来るので長椅子に腰掛けながら時間を過ごしていると、『ぶらり旅』(旅人は舞の海で、相鉄線の旅だったとおもいます)がエンドテロップを流しています。東山様が再びテレビに向かって行ったので、父に「今日は帰るよ」と言うと、多少名残惜しそうでしたが「あぁ~帰ってしまえ」との事。この後どうするのと聞くと、このままここでテレビを見ていると言うので、父のそのままにして施設を後にいたしました。

玄関に戻ると私たち以外の靴はなくなっておりましたので、1階の入所者の所に来た方なのかもしれません。
(職員通路を除いて、2Fエントランス前を通らないと他の階には行けない)

ところで、今回の親戚の不幸を伝える行為ですが、入所している施設によって考え方が真逆でした。
最初の施設では、『家で何かが起きた』『身内の誰それが死んだ』と言った近況報告は禁止でしたし、職員から伝わることはありませんでした。聞いた入所者が帰ろうとして無理な行動に出るのを防ぐ為だと説明されました。
2番目の施設では、『長期入所者は家の事を心配するから、当人には何でも話しておいてください』と言う方針。そのせいか、職員が変な情報(注1)を父に話すので、何度も脱走をして、原因は施設側にあると言うのに施設から嫌味[元気なようなので対処してくれませんか?]を言われました。
現在の施設では家族に任せる方針です。今のところ間違って家族(注2)や家の状況が伝わることもありません。

(注1)
 父は入院が決まった段階で趣味で飼っていた小鳥を放し、入所した後には『どうせ、お前達では世話をしてくれないから』と諦めて黒松やカエデの盆栽を親戚に渡す事を認めておりました。ところが、私たちの家に来たことも無い筈の職員が『立派な松を切ったんですってね』と言う物だから、本人曰く、50年前(結婚直前)に10万円もの大金で購入した地植えの松を勝手に切ったと怒り出して脱走。
 別のときの事も書けば、40年以上使い続けた自宅の雨戸は木造なので既にボロボロ状態でした。父が元気な頃には木っ端などを使って応急措置をしていたのですが、幾らなんでも限度だからアルミサッシに交換したのですが・・・その頃は脱走して自宅まで戻るだけの元気が有ったので、今よりも頻繁に散歩と称して日中は自宅につれてきておりました。交換が完了した時にも家まで連れて来て現物を見せて置きました。処がその日の夕刻、職員から家を改造していると言われて父は夜の脱走を決行。
(注2)
母のケアマネージャーが父の入所としている施設の職員なので、状況を自分の目で確かめた内容を適切に伝えてくれております。又、父の日々の状況も私たちに伝えてくれるので助かっております。

講習会

2011-07-08 12:02:18 | 日記
昨日は、3年毎に受講が義務付けられている危険物取扱者の講習会(13:00~17:00)に行ってきました。出席者は約300名。場所はオタクが多いと言われている東京の秋葉原。

講義の最後に効果測定試験(10分間。3択の10問)が行なわれるのですが、次のようなレベルの問題です。
 例題1 次の中で地震発生時の行動として誤っているのはどれか答えなさい
 (1) 元バルブの閉鎖、ポンプの停止を行う
 (2) 可燃性蒸気の流出を防ぎ、室内の窓、出入口等を開放し、換気に努める
 (3) 使用中のボイラーは再稼動させるのに時間が係るので、運転を継続させる
答えは3番です。
確かに冬場などはボイラーを止めてしまえば施設等の温度が下がり支障は出ますが、それは地震が収まった後に必要に応じて再稼動に努めれば良いのであり、危険物の流出等による火災を防止する方が緊急度が高いです。
 例題2 次のなかで正しいのはどれか答えなさい
 (1) 危険物施設の法定点検は3年に1回でよい
 (2) 危険物施設で従事する危険物の免許所持者が受ける法定講習は3年毎である
 (3) 地下タンク等の監視メーターを見るのは問題が発生した時だけでよい
答えは2番
この問題は免許所持者であればある程度常識ですし、本日の講習は3年毎の法定講習です。講師も『法定講習は3年ですが、法定点検は1年ですから。間違う人は居ませんよね』と講師が冗談半分で講義していました。

講義中も『ここが重要箇所』とか『テキスト××ページの△△は憶えておきましょう』と講師が教えてくれますし、テキストも参照可となっている効果測定試験。仮に半分寝ていても「危険物を取扱っている」と言う立場で考えれば答えられる内容です。(注)
私はテキストを見ずに約3分で解いた後に、改めてテキストで再確認を行ないましたが、時間が余ってしまいました。隣の席の方は最初からテキストと見比べて問題用紙にチェックをつけた後、解答用紙に転記していますが、やはり余裕で終っています[チラッと見たら、私と答えが一緒です]。

でも・・・こんなレベルの問題でも不合格(その場で追加講義を受講)になる方が毎回1~3%程度おります。
今朝、会社に着いてから同じ資格者にこの事を話したら『ジジ・ババが多いから、直ぐに忘れてしまうのかもしれないね~』と言っていましたが、この方々は何処で引っ掛かったのかいつも気になって仕方ありません。
若しかして、講義中はズッ~ト寝ていたのでしょうか?


(注)
私は、講義中に流されたビデオ(約20分)は別の機会があり6月に見ていたので、放映中は寝ていました。
講義も基本確認と言うよりも常識レベルが多いので、時々、講義とは直接関係の無い(試験範囲でもない)「過去の災害事例」を読んでいました。

またもや親戚が

2011-07-07 09:43:29 | 日記
ご近所の遠縁の親戚に続き、昨日は父方の叔父[父の義理の弟]が死亡いたしました。
教えてくれた従兄の話では、4日の夜に急に様態が悪くなり緊急入院したら、医師がその場で「覚悟はしておいて下さい」との宣言。医師の見立て通りに翌日5日には帰らぬ人となりました。

親戚内では「やはりここ数日の暑さが老体に悪いのではないか」との意見が多いです。そう考えると、体温調節機能を低下させてしまいましたが、室温がほぼ一定に保たれている介護施設に入所している父は運の良い方なのかもしれません。

高齢に為ると温度に対する感覚が緩慢に為り、熱中症(脱水症)に掛かり易くなります。又、この脱水症ですが、私が小学1年生の時に死亡した妹[乳児]の死亡原因です。

私の拙いプログを奇特にも読んでくださる皆様。
年齢に係わらず、医師から止められていないのであれば水分補給はこまめに行なってください。

親戚が先に・・・

2011-07-05 16:17:17 | 日記
先ほど、母から会社にいる私宛に電話が入りました。

今までの例だと、本人がケガ若しくは心臓発作(注1)を起こすか、父が暴れて施設から呼び出されたかでしたが、今回は親戚(注2)の死亡でした。不謹慎ながら、良かったです。
以前からボケ状態だとは聞いていましたが体調が悪いとは聞いておりませんでしたので、ここ数日の暑さのせいかもしれません。

父が入所している施設の理事長は町内の人ですし、入所者やデイサービスで通っている方の中にも町内の人が数名おりますので、不用意に父の耳に入るのが取りあえずの心配です。

(注1)
狭心症で死ぬ間際でした。
私に電話するくらいならば多少は大丈夫だと思って、救急車を呼ぶか目の前(2軒先)にいる甥夫婦[当人から見てです。農家なのでその時間は在宅]に頼んで病院に行くように言ったのですが、周りにバレると色々と面倒なことになるので私が帰るまで我慢していました。
結局、救急車を呼んだので「遠い親戚・近くの顔なじみ」である隣近所や義理の妹たちにバレ、『水臭い』とか、『どこの病院でいつ頃退院?』との大騒動(でも誰も見舞いには来ない)。我慢した分だけ損。
その後、ある筋から市長[以前書いた仮称「三井」家]の耳に達して、頼んでもいないのに緊急通報機器の貸与対象世帯です。
(注2)
4月30日のプログで書いた「遠い親戚・近くの小父さん」の父親です。
私から見て(父方の)曽祖父の妹の息子なので、父との関係は・・・従妹同士の子供だからハトコ??


介護していません

2011-07-03 11:23:39 | 日記
 今週も土曜日に父の所へ行ってきました。今回は約30分なので、最近では長い方でした。

 雲が厚く垂れ込めており気温がそれ程上がっていなかったので、今日は散歩に行けるかもしれないと母と話しながら9時15分頃に施設へ到着。ここ数回の実績から2階に上がるとそのまま部屋へ向かいましたが、今日は通路にも部屋にも居ません。途中でトイレの様子も見ておきましたが誰も使っていなかったので、珍しく食堂に居るのだと言う事になり、Uターン。食堂の入り口付近で手を振っている父を発見。

 職員の方が気を利かせて食堂入り口の直ぐ横(職員詰め所に最も近いテーブル)に席を用意してくださった上に、父にお茶(麦茶?)を入れたカップを置いていってくれました。しかし、本人の目の前で出されたのに父はカップは誰か別の人が飲んで置いていった物だと言って手を付けません。暫くするとお茶を出してくれた職員が今度は氷を入れて冷ましたコーヒーを父に出してくれました。
父から何も話しが出ないので、私が「水曜日の散歩はどうだった」と、施設のマイクロバスでショッピングモールまで出かけた件を尋ねると、「俺は外に出ていない」「病院に行ったのと間違っているだろう」との返事。母が「何か買ったのでしょう」と思い出させようとしても「俺は何も買わない」との返事。いつもだったら、会話が途切れたりかみ合わなくなった時に帰るのですが、出されたお茶もコーヒーも飲もうとしないのでコーヒーを勧めると、熱すぎて飲めないと。氷が入っているから溶けて水っぽくなるから今のうちだと再度薦めるとやっと飲み始めました。

 こんな遣り取りをしている食堂は相変らずにぎやかです。
 先ず当日のBGMは、日曜日の朝放送されているアニメのエンディングで歌われている中川祥子の『つよがり』が流れています(他にも曲は流れているのですが、知っていたのはこれだけ)。大正か昭和1ケタ台生まれの方にこの曲は向いているのでしょうか?どうも職員の趣味と勘繰ってしまいます。
 父との席が用意されるまでの間に、身長170センチぐらいの男性入所者がワゴンに乗せてある誰かのカップを持ってきてしまい、詰め所にいる職員が慌てて取り返しに出て行きました。父と同じく、目の前にあるカップは自分のではないと言っています。
 私たちの斜め前(食堂の入り口付近)では男性職員が「食堂のテレビは今日から地デジに変更したから、リモコンの操作を憶えてくれる人は居ないか」と、女性職員一人一人に声を掛けていますが「私、機械は苦手なの」と断られ続けています。結局、入所者を食堂に連れてきたヤマちゃんと言う方が操作方法を聞く事になったようです。
 今回用意された席の隣にあるテーブルには品の良い女性が座られておりますが、職員が「7月の花って何かな~。この本だと蓮も夏の花だけど7月じゃないですよね」と言って花の絵を書いてくれるように頼んでいるのですが、用意された色鉛筆の色数が少ないのと、見本として持ってきた本に描かれている花の構図が単純すぎると言っています。それでもやる事が無いためなのか、絵を描き始めたようです。
 父がやっとコーヒーを飲み始めた頃に、女性職員が『○○さん、危ないから椅子を持ち歩かないで』と言うのが聞こえたので振り返ると、先程他人のカップを持ってきてしまった男性入所者が椅子を杖代わりに私たちの方に向かってきます。職員に促されて一旦は自分の席に戻ったのですが、再び行動開始。車椅子に乗った男性入所者が邪魔をして前に進めないのがイラつくのか、それとも急かしているのか、しきりに椅子で床を叩いています。職員は気付かないか無視しているようで何も行動を起こしません。車椅子の障害がなくなると、季節の絵を描いている先程の女性入所者の脇に来ました。自分の持ってきた椅子をその女性の横に置こうとして、既に置けれている他の方の椅子を除けています。女性入所者からお小言があったので渋々戻し始めたと思ったら、反対側へ移動させていますよ。リモコンの操作説明を聞き終わったヤマちゃんが通りかかりましたが、スルーしています。メインキャラクター4名程度でもこんなに楽しい寸劇が見られるのは介護施設ならですね。多少の主観や記憶違いは有るでしょうが、決して私が話しを作っている訳ではありません。

 さて、コーヒーも飲み終わったし、賑やかな食堂に飽きたのか、父は部屋に戻ると言うので3人で部屋に向かいました。部屋に入ると、ベッドの横にはいつもの様に鉢植えは水のやりすぎで水没状態。それとは別に真新しい鉢植えが1個増えています。やはり買い物に出かけたのでしょうと証拠を指差すと緊張感の無い笑いを浮かべて「何がいつ起った事だか判らない」との事。病院に検査に行ったのも、買い物に出かけたのも、当人にすれば『昨日より前の昔』。私たち2人が来たのは『何週間も、何ヶ月も前』のようです。

 そうそう、部屋に戻って直ぐに事務員の方が部屋を訪ねてきました。理由は判りませんが、看護職員が1名減ったので、これまでは施設の職員同行で病院へ通っていたのですが、今後は車は施設で出すが家族同行で病院に通うようにして欲しいとの事。現在入所している施設では施設の車で施設と病院の間を送り迎えしてくださるので助かるのですが、それまでに入っていた施設は入所費用を稼ぐ為に家族が働いていようと、平日は介護状態の人間しか居ない状態であろうと、『ご家族でしょう。休めない訳が何処に有るのですか?』と言われてしまい、家族又は親族が車を用意して病院へ行かなければなりませんでしたので、このくらいの変更は苦ではありませんから、どうしても不都合な曜日を外してもらうと言う事で承諾致しました。

家に帰ってから気付いたのですが、当日のお散歩は一切話さず仕舞いでした。

そろそろヤバイです。

2011-06-29 11:24:37 | 日記
父のことではありません。

確か5年ほど前に自宅の玄関先で倒れて掛かり付けの病院に緊急入院をし、そのまま特養『ユリの谷』(当然に仮称です。実在していたら偶然の一致です)に入所している伯母が、そろそろではないかと言う状態です。

伯母は入所後、何度も病院に緊急入院をしていますが、その度に「生きて退院できませんよ」と言われては、前向きな治療が何も出来ないので2~3日後には退院するという状態を繰り返していたのですが、入退院を繰返す度にボケが進行して家族さえ認識できない状況でした。
それが数ヶ月前から急に意識がまともになり、家の事や親戚の事を気にし始めました。急に意識がハッキリしてきたと言う事が死期の近い証拠と言う事で施設の方も医師の方も『今の内に合わせたい人は呼んでおくように』と家族に言ってきたそうです。
6月14日に従姉の一人が車を出すと言う事なので母が行きましたが、それまではボケボケだったのが余りにもしっかりしているので悲しくなったと言っております。

介護していません

2011-06-28 12:39:06 | 日記
土曜日に父の所へ行ってきました。
今回は10分です。多分、最短記録だと思います。

いつもと同じく9時台に施設を訪れ、2階に上がり『さて何処にいるかな~』と探そうとしたら、職員が「お父さんは部屋で寝ていますよ」と教えて下さったので、部屋へ直行。
部屋に入ると父は横になっているだけだったので、私たちに直ぐに気付きましたが、起き上がる素振りは無く、私たちが話しかけても今日は反応が乏しく話す気も無い様なので、今回はサッサと退散。