
浜松は、ステッキガールが有名だと東京の知人が言うので、街を探検したところ、古い飲み屋街にそれらしき店を見つけた。
客引きの老婆にたずねると「浜松がステッキガール発祥の地だ。今ならコンパニオンのことじゃ。」という。写真を撮ってよいかと聞くと、「何に使うのか」と鋭く詰問された。
繊維で栄えた昔、ステッキ持ちの金持ちの老人の話相手をしたらしい。
この写真を知人に見せたところ、娘がステッキを持っている点が変だという。また、老婆が昔、ステッキガールだったかどうかも知りたい、という。そんなこと、聞けるわけがない。
客引きの老婆にたずねると「浜松がステッキガール発祥の地だ。今ならコンパニオンのことじゃ。」という。写真を撮ってよいかと聞くと、「何に使うのか」と鋭く詰問された。
繊維で栄えた昔、ステッキ持ちの金持ちの老人の話相手をしたらしい。
この写真を知人に見せたところ、娘がステッキを持っている点が変だという。また、老婆が昔、ステッキガールだったかどうかも知りたい、という。そんなこと、聞けるわけがない。
又、ストリップ常設館もあり、殆どがしっかり見せてくれました。懐かしい思い出ですが、今はどうなっているでしょうか?
昭和30年代の浜松を覚えていらっしゃるのですか。
時代とともに、お店は変わっていきますね。
ステッキガールらしき名残は、この店しか確認できませんでした。
今で言う「お散歩クラブ」とか「パパ活アプリ」「ギャラ飲みアプリ」の女の子、もしくは暗黙に最後までお付き合いしてくれる温泉宿のコンパニオン、デリヘルの子 そういった類の女性を指すのかな、、、^_^
「復讐するは我(神)にあり」に浜松が出てきたのですね。
浜松のような基地の街では、駐留軍と接客婦の問題がありましたが、S31売春防止法成立後に赤線は消えた反面、S34もぐり売春としてのステッキガール組織を取り締まりに乗り出したと、市史に記されています。
写真の店は営業を続けていますので違うのでしょうが、そのような店は存在していたと思われます。