屈斜路(くっしゃろ)は、アイヌ語で「沼の水が流れ出る口」。屈斜路湖から釧路川が流れ出します。
弟子屈(てしかが)は、アイヌ語で「岩盤が川を横切っているところの岸」。
この当りには縄文時代の遺跡が数多くあり、その子孫がアイヌ民族で、松浦武四郎も集落を記録しています。
【弟子屈町のアイヌ民俗資料館】
屈斜路湖の南岸にあります。
アイヌ民族の歴史や文化を伝える施設として、1982年に開館。400点以上の資料がある。
【エペレセッ 子熊のおり】
成長した子熊は、ナラの木などで組まれた高床式の檻に移されて大切に育てられる。
床の丸太を引き出して、熊は外に出す構造。
イオマンテは、育てた熊を殺し、魂であるカムイを神々の世界に送り返すアイヌの儀礼。
儀礼までの間、子熊を飼育する場所だね。
【ヌササン】
イオマンテの儀式を行う場所。
ヒグマの頭部を飾り、お酒や食事を捧げて、熊の魂であるカムイに神々の世界に帰ってもらう。
ここにアイヌコタンがあり、イオマンテが行われていたんだね。
【縄文時代の遺跡】
発掘調査では、今から7000年前の縄文早期の土器が見つかっており、紀元前3000年には屈斜路コタン遺跡が多数見つかっている。
【熊送之図】
【フクロウ祭り】
アイヌの人々の暮らしは、狩猟、漁労、採集を中心に展開された。
人々は信仰に厚く、自然界に神々の存在を信じ、中でも「コタンコロカムイ(シマフクロウ)はコタンの守り神として、最も尊い神様として祭られた。
【漁労や狩猟の道具】
【着る】
4月は、樹皮が和らぐ月。衣類の主要な材料となるオヒョウダモ(ニレ科)の樹皮を剥ぎ、厚司織を織る。
イラクサを叩いて繊維を柔らかくし、乾燥させて織った着物は体によくなじんだ。
文様は、ハルニレの糸などを用いて、襟、袖、裾の部分に多くつけた。魔除けの意味があった。
【食べる】
鮭の生身を凍らせておき、溶けたら食べる。シカや熊を食べる。
【住む】
カヤで葺いたチセ(家)。
【神々の森と動物たち】
屈斜路湖の湖畔に立地したアイヌ民族資料館。5000年以上前からこの土地に人々が住み、アイヌの人々の生活文化があった。
その様子を、コタンアイヌ民俗資料館で観ることができる。
正直、資料館では字が小さすぎて読む気になれないこともあります😅
アイヌの方の装飾品も素晴らしいですよね。ありがとうございました😊
ありがとうございます。
資料館では十分読めるのですが、覚えきれないというか、すぐに忘れてしまうので写真撮影可能な限り記録しています。後でサイズ変更出来るし。
この資料館は実物が身近に観れるし、屋外には実物があります。映像も10分程度で観れるし、よくできていると思いました。
アイヌは縄文人の子孫…そうなんですね〜‼️興味深いです。丁寧に紹介して下さり、ありがとうございました。
屈斜路湖は行ったことがありません。一度は行きたいと思うのですが、いつになることやら…。
屈斜路湖は、阿寒湖から近いですよ。
釧路まで、車で1時間半でした。
松浦武四郎著「近世蝦夷人物誌」を現代語に訳した「アイヌ人物誌」を読んでいます。
6回目の探検を終えて書き始めた書には、アイヌの人々の窮状が実名で書かれています。これを読んだ役人が対策をとり、感謝したことも記されています。