蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

高橋邦弘さんの記事を読んで(2)

2007-11-27 | '07 SOBA

蕎麦の世界は前回述べたように、「美味い蕎麦」なる観点からすれば、私には、後退しているように思えてならない。それでは、どうすればよいか。

高橋さんが、うまい玄ソバを求めて全国を行脚する以前に、長野の池田町でソバ栽培を行ったというが、その栽培を多くの人たちが行うことである。その際、何よりも大切なことは蕎麦の「味」の追求を第1にすることである。
ともすればありがちな、自分で栽培したから美味いなどという感情は排除し、冷徹に味を判断することである。また、専門家がいくら緻密に育種に取り組んでも、このソバの「味」を開発の中心に据えなければ少しの進歩も得られない。現在最高の品種とされている「常陸秋蕎麦」が、その原種となった金砂郷在来種よりも「香り」の観点で劣っているように。
私は、りんごの「ふじ」を好んで食すが、その開発者たちは「美味しい」りんごに至りつくまで、体調を崩すほど食べつくしたという。美味しい米の代表「コシヒカリ」は脆弱な倒伏耐性を持っていたにも関わらず、美味しい故に改良を重ね米の世界に確かな地位を築いているではないか。依然として、まだ倒伏し易いが。(コシヒカリの栽培が遅れ、それが広がりつつある私の地域では、倒伏している圃場の品種は、みなコシヒカリである。)
とにもかくにも、「美味い」という観点を開発の中心にしたソバの育種を行うことである。

蕎麦の世界で高橋さんが果たした役割は、多大である。私は、彼の功績として多くの弟子を育成したことなどが指摘されるが、最大の功績は全国を回り、美味い蕎麦を示し、とりわけ生産者達に美味いソバの栽培を促したことであると思う。これは、11月15日の記事の弟子屈町の事例からよくうかがわれる。
私はこの点は実に重要な意味を持っていると考えている。
蕎麦の世界の根本的変革は、美味い玄ソバを創ることしかないが、その1つの方向が育種であり、もう1つは、いい在来種を撤底的に選別し、しかも交雑しないように誠実に栽培し続けることだと思う。弟子屈町の例はこの後者の例である。おそらく、もう日本中で幾つしか残っていない本当にいい在来種を、その地域内だけで交雑しないように栽培を続けることの方が、一般的な意味の育種よりも有効なのかも知れない。もちろん、いい在来種は他のソバと交雑し、なくなりつつあるのが今の日本の現実ではあるが、私はより良い在来種の育成に期待をしたい。




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