ビーチで日の出を!朝日気持ちいいなぁ~
朝ごはん スイカジュースさっ!
今日は「エクバラム遺跡」と「チチェンイッツア遺跡」観光も本格的になるよ。
7:30出発!
「エクバラム遺跡」へ 車で2時間!
離れていてあまり人がいかない遺跡なんだって。
他にはみることのできない漆喰の彫刻があって行きがいのある遺跡。
移動中は『アラオ塾』の講義が本当に楽しみ(「松下村塾」にちなんで敬意を込めてこう呼びます(^^)v)
今日は歴史的な背景のお話…
大航海時代それは15C中ごろから17Cごろまで続いた
ヨーロッパ人によるアジア、アメリカなどへの海外進出。
ヨーロッパはルネサンスによって科学や地理学が進歩し、羅針盤も伝来。
外洋に耐えられる頑丈な船も建造されて、海外進出への技術的なハードルはクリアされていました。
初期の航海は難破、敵からの襲撃、疫病などで生還率は20%にみたない。
しかし、開拓するたびに国土が加えられ利益も莫大。
健康と不屈の精神、そして幸運に恵まれれば…
一夜にして王侯貴族と匹敵するくらいの名声と富がころがりこむ。
こうした“早い者勝ち”の機運が人々の心を駆り立て、
ポルトガルとスペインを中心に大ブームが吹き荒れるようになりました。
では、スペインやポルトガルがどういう国だったかといことですが…
この二か国は当時できたてのホヤホヤ。
この国があるイベリア半島は8C初め以来イスラム勢力の支配下にありました。
フランスとの国境地帯に住むキリスト教徒たちが少しずつイスラム勢力から領土を奪い取って…
これをレコンキスタ、再征服運動といいましたが、この戦いで生まれたのがこの両国。
イベリア半島で最後のイスラム教国グラナダがスペインによって滅亡したのが1492年。
コロンブスがスペインの援助でアメリカに到達したのと同じ年ですから、
イスラム教徒と戦争しながら大航海を援助していたというわけですから…
この時期のスペイン、ポルトガルには猛烈な領土拡大の意欲があった―
もっと、もっと広く、遠くって感じでしょうか。
イスラム教徒と戦うなかで養われたキリスト教を広げようという宗教的な熱意も背景にあったようです。
さらに、両国は王室の権力を強化するために財源を求めていた…
海に囲まれたイベリア半島だから、海上貿易に目をつける。
当時一番もうかるのは香辛料。同じ銀の重さで取引されてたというから驚きです。
このころのヨーロッパ人は香辛料なしではすまない食生活になっていたのです。
(腐りかけた干し肉にコショウをかけると臭みがみごとに消える!)
ポルトガル、スペインが香辛料貿易をしようとしたときには
地中海はイスラムやイタリア商人が独占していた。
なので別のルートでインドに到達する方法を探すことになったのです。
また、マルコ・ポーロの「東方見聞録」が大いに読まれてアジアへの関心も高まっていました。
大航海時代の先駆けとなったのはポルトガルのエンリケ王子。
国として航海に保護を与えることをしました。ポルトガルは東周りでインド航路を探索。
そして、1488年アフリカ最南端に最初に到達したのがディアス。
嵐にもまれているうちに最南端をまわっていたらしいです。
ポルトガルが実際にインドに到達するのはこの10年後。ガマです。
ヨーロッパとアジアのゆがんだ関係がこのときから始まったんですね…
このとき、スペインはどうしていたか…
実はポルトガルに後れをとってインド航路を開拓できない状態でした。
スペインがアフリカを廻ってインドを目指すのは難しい状況です。
ここで登場するのがコロンブス。
ちょうどイタリアのトスカネリという人が「地球球体説」を唱えていて、
コロンブスは大西洋を渡ればインドに到達できるという可能性に賛成意見をもらっている。
レコンキスタを終了させ、余裕のできたスペインがコロンブスの計画を受け入れます。
約2か月、西へ西へ航海は続きます。
そして、小さな島を発見して上陸。現在のサン・サルバドル島です。
とにかく、コロンブス一行はここをスペインの領土と宣言します。
コロンブスはここをインドの一部ないしは周辺と信じて疑っていなかったようです。
コロンブス以後、たくさんの探検家がアメリカに向かいました。
ポルトガルのカブラル。嵐にまきこまれ大西洋を横断して着いたのが現在のブラジル。
次にイタリア生まれのアメリゴ・ヴェスボッチ。この人が航海者たちの記録を検証して…
アメリカがアジアでないことを論証します。
そして1519年、スペインのコルテス。船をつくり人夫を雇い、地中海から出航します。
キューバで船を直したり水を積み込んだりして、インドを目指してメキシコにやってきました。
(キューバ、ハバナ市内にスペイン風の古い建物が多く残るらしいですが、メキシコにやってくる前に、給付を受けるなど、メキシコや南米から銀や金を積んでいった中継地点だったそうです。)
コルテスはペルーを征服したピサロといとこ同士だそうです。
コルテスの成功を聞いたピサロが同じ方法で船を作り、ペルーに出かけていったとか。
10:05 「エクバラム遺跡」に着きました!ひっそりとお土産屋さんもあります。
エク=黒い バラム=ジャガー の意味。(なんだかカッコイイなぁ)
600~900年に栄えた街で、12C以降は新しい建設もやめて経済や文化、宗教も衰退していったそうです。
チケットだよ!
このマヤアーチをくぐると…(修復だよ)
「球戯場」 メソアメリカには必ずある。
東西に壁、ゴムボールをラケットで打ち合う。“太陽と月がとまらないように…”
また、長老会などで意見がまとまらないとき「戦争しよう」「反対ー」とか。
ボールを打ち合い、その勝敗を神様の意見とするなど、スポーツじゃなくってセレモニー的な働き。
幅170mの堂々たる風格。(目の前にすると圧巻だよ!)
中央の階段は椅子にしてた。ここに民衆を集めて演説したらしい。
音響効果を高めるために東西を囲んで声や太鼓を響かせたんだって。
ガジガジガジってしてるのは「大地の神様の口」
羽の大天使ミカエル。ここでは大王か神さま。(ほぼオリジナル!)
でも、今となって振り返ってみると…ど~も違和感。気取った感じなんやよなー・・・
他の遺跡ってすごく自由で生き生きしててファニーなのに…これは後からスペインがとっつけたんと違うんかなーってひそかに思った。
大地の神さま ジャガー
唐草模様は豊穣のシンボル。
巻貝は女性の子宮の象徴
当然こちらは男性の象徴
当時は豊穣と子孫繁栄は現在以上に重要な課題だったんですもの。
見て…この階段…登ってきたんだよー 高さ30m
彫刻に見惚れながら、ふと周囲に振り返ると…雰囲気ある景色が広がってた。
oh~ワンコ!キャワユイねー 階段でお昼寝だねぇ。
ひっそり可憐に…
のびやかに野性的に…なんて名なのかなぁ??
ポップな名札だね!
セイバの木 ヘビメタやなぁ
エントランスの床に張ってあったタイルだよ!
ハアブ暦
1年が365日の暦で、0 から19 の20日間と名前のついた18ヶ月の組み合わせで360日
更に1年の最後の不吉な日とされるワイェブ5日間を加えて1年365日を構成します。
古代マヤの占いができるサイト♪♪ やってみるもよし
私の誕生月は 「Chen」 だそうです・・・
エクバラムを後にしま~す!
マヤの人は身体の上にポンと頭がのったような感じで背も高くはありません。
現在も土壁の家も多く残ります。
12:20 お昼のレストラン到着です! 民族衣装ステキだなぁ。
シルバーのペンダントトップを作れます。
太陽のカッコよかったな。
アルファベット⇒マヤ文字へ 変換!してね。
ビュッフェスタイルだったよ。フルーツはスイカOnlyで選択。。。
Paper Flower みたいだね。
こんな風に運ぶんだぁ!! ニッコリしてくれてかわいいなー
お土産コーナーで遊ぶ!
ジーザスAll いちおし商品みたいで、4色くらい色違いで押してた。
13:55 マヤ最大の複合都市「チチェンイッツア遺跡」に到着。
チ=口 チェン=井戸・池 イッツア=部族の名前(水の魔術師)
“池のそばに住み始めたイッツア族”
6~8C・10~12Cに繁栄したとのこと。
チケットだよ!
世界遺産の碑かな??
この遺跡はもうこんな魅力的なお土産屋さんが延々と続くよ。
キョロキョロしちゃう(^^)v
シトロク神殿 ドラゴンの頭つき(雨の神様 竜神)だよ。
高僧の館で、内部はお墓・納骨堂。
カラコル(カタツムリ)天文台 円柱なんてオシャレだなー 現代の天文台と同じだよねー不思議。
4つの四角の穴の中にはらせん階段があって、東西南北にまた穴があいてる。
計8つの穴、そこから太陽光線をみる。それらを数学で解析して日食、月食を測ったそうです。
マヤ文明は天文学と一緒に数学がとても発達したそうですが…
天文学から得た資料を数値化して系統立て、整理するために数学は必須だったそうです。
0の概念を持ち、20進法。手足に10本ずつ指が、それが数える基準。
王様は民衆に食料を与えるため、天体観測を行い、具体的に見せるために春分、秋分の日、月の満ち欠けを予測し、10日くらい前からセレモニーを行う。
日食、月食を神の代理として予測してみせる。
そしてそれを目の当たりにした民衆は…“まさに神に違いない”と思うのでした。
イグレシア教会と尼僧院 スペイン人が後で名づけたらしいです。
チャーク神
雨の神様、農耕にとっても重要だもんね。長い鼻と大きな牙、T字の目が特徴。
カスティージョ(ククルカンのピラミッド) 高さ24m 底辺59m
ククルカンはマヤの最高の神様で羽のあるヘビの姿の神様です。
風をつかさどる、命の守護神らしいです。
先住民の世界観は3つ。 地下:ヘビ(ガラガラヘビ) 地上:ジャガー 天上:鳥(ケツアール)
ガラガラへびはしっぽに鈴をつけて音を出しますが、その鈴は脱皮ごとに増えていくようです。
ゆえにガラガラヘビはそのしっぽをみれば、年数がわかります。
当時の人は、時を測るものさしに執着していましたから、ガラガラヘビは時を測る生き物として
この上ない羨望を受けていたんですねー…なるほど!!です。
また、先住民はヘビの体の上に住んでいるという考え方ももっていたようです。
ヘビ=脱皮 メキシコの大地も脱皮。
乾季を脱皮して雨季を迎え、草木を宿す… 古代の神秘的な世界観です。
千本柱の円柱 建物を支えてたそうです。
チチェンイッツアのお母さん。お年は70歳だって!
3枚ハンカチ買いました!かわいいお花だね。
ホントは…ドレス欲しかったんだぁー
レリーフが残っています。ケツァルコアトル(ククルカン)の神様の顔
戦士の神殿
頂上にチャックモール像があります。半分横たわってのんきそうに空を見つめています。
が…この脱力系な感じとうらはらに
チャックモールのペタンとしたお腹の上にはイケニエの心臓が置かれたそうです…
自然をなだめるために人の心臓をささげるしかないって思ってたんだね。
もう一度カスティージョを振り返る!
91段×4面+頂上の1段=365日
春分と秋分の日の午後にはククルカンが舞い降りるよー
秋分の日は雨季ど真ん中だから…気を付けてねー(台無しかも…ってこと)
ビーナスの台座
ジャガーの口の中に顔。わかる??
セノーテ(泉のこと)自然に陥没してできた大切な生活用水。
川のないユカタン半島で唯一の安定した水源。
ここのセノーテは20mくらいの高さの絶壁に囲まれています。
池の中からはたくさんの奉納物が発見されてる。金や宝石、そしてドクロも…
イケニエを捧げて水が枯れないようにってしてたっていわれてるけど…
唯一大切な水源に死体ってヤダよねー
アラオさんいわく「きっとそんなことはなかっただろう」って方に賛成です!
セノーテのところのお店。気温40℃を超す暑さ…お水を購入。
カスティージョの写真とか…ありがちなエッチな地図とマグネット^^;
この偉大にして貴重な遺跡の空気感をみごとに壊してくれる…不適切なこんなグッズ…結構好き…
ジャガーの台座
鷲が人の心臓をつかんでる←本当のワシヅカミ
ソンパントゥリー(目玉のあるしゃれこうべ)
マヤの球技は娯楽じゃなく神様への祈りの儀式、そのためチームに勝ったチームの主将は、
大変な名誉を得て首を切られ神様へのお供え物となったというが…
これも本当は殺されるんじゃなく
そういう儀式だけでそのかわりにここにレリーフとして刻まれたいうのが、まっとうな説みたい…だってそんなことしてたら強くて立派な人がいなくなちゃうじゃんねー
腰抜けばっかになったら国の存亡にかかわるやんなぁ。
これが球戯場(マヤ圏で最大の広さ) 高さ8mの石の壁。長さ146m、幅36m。
両サイドの輪っかへ木のラケットでゴムボールを打ち込み!GOAL~~
東(太陽)チームvs西(月)チーム 男同士の本気の戦い!迫力やんなー
左は勝者(あるいは神官)、切り取った頭を左手に持ち、右の敗者の首からはドッピャーと血しぶきが!
飛び散る血しぶきは天への捧げもの、滴る流血は大地への捧げもの…そんなところでしょうか。
球戯場の内壁の部分に残されてるレリーフ。 16:10出発
18:02 メリダ到着 ソカロ広場 エアコンの室外機の熱風を想像してね…すごく蒸し暑いです。
ユカタン州の経済の中心。立派な庁舎や大聖堂があります。
では、どうしてここが政治や経済の中心となったんでしょう??
1800年の終わりから1900年の初めエネケンという植物をメリダを中心に栽培して大儲けしたそうです。
「サイザルアサ」(サイザルっていうのは輸出した港の名前)の袋を作ったそうです。
麻の袋に穀物を入れる。通気性もよく丈夫。袋やロープで世界中で大ブレイク!
当時メキシコしかつくってなくて“みどりの金”といわれたほど。
エネケンの寿命は22~23年。5,6年で大きくなってから1年に6,7枚切って加工する→エネケン財閥の誕生。
ただ、近年になってアメリカのケミカル会社がナイロンを開発、それ以降は没落していったそうです。
なんちゃってマイケルやよく見ると…カップル用のいす♪かわいいお子ちゃまが座ってましたぁ!
カテドラル
飾りのないシンプルな清貧をモットーにした教会。
地下にはお墓が…二次葬っていうんだって。
土葬の後骨になってからここに埋め直してもらう。名前が刻まれてるよ。
褐色のマリアさま
モンホテの家
1542年にメリダの街を作った人、この辺りのマヤの人たちを制圧しました。
自分の強さを誇示したかったのか…制圧したマヤの人たちを踏みつけてる。
こんなの玄関に飾れる感覚って……ありえへん。
さて、そのスペインの征服ですが、わずか500名くらいの兵士でやってきたスペイン人たちに
なぜいともたやすくやられてしまったんでしょうか…
武力の差、甲冑をまといサーベルを差し4本脚の馬にまたがって走ってくる。
その上に大砲や火縄銃でやられればひとたまりもないです。
当時4本足の一番大きな生き物といえばジャガー
馬なんてみたこともありませんから、恐ろしかったんですね…
それと、部族間への動揺作戦も。
アステカの中央高原では部族間の争いが絶えず、負ければイケニエ。
お互いが敵同士で憎み合っていました。
そこへつけこんだ、「我々の仲間になれば奪われた地権を与えよう」
アステカの人たちを殺し建物を壊していったのは実はスペインにのせられた先住民だったと。
もうひとつは、スペイン人がもってきた病気。ペスト、天然痘、チフス、はしか。
こっちにない菌に抵抗力がなくあっという間に感染。はからずも細菌兵器になったわけです。
子どもから親へ。献身的に子どもへ口移しに食事を与えて親世代が次々感染し広まっていったといわれています。
10年のうちに人口が1/10になったと。
そのあとスペインの勢力がマヤ圏にやってきます。
当時のマヤはもう衰退期になっていて→武力→征服→街づくり・・・というわけです。
18:30 EL CASTELLANO ホテルに到着。
ホテルにあった地図だよぉ Meridaってわかる??
19:30 夕食
ミネストローネ、ポーク、野菜、パスタ、レモンパイ
スープにいっぱいライムを絞るんだ。すっぱくておいしくなるぅ~Good
一緒のテーブルになったご夫婦とお話できましたぁ!(^^)!
なんだかこじんまり愛嬌のあるお部屋だったよ♪
ではでは、また明日ぁ~