玉川上水 花マップ

玉川上水沿いの主な野草の生育地図を作ります

5月中旬の記録

2020-05-20 01:22:22 | シンポジウム
5/13 長峰さん
昆虫が花に貼りついていたので比較的多くの訪花昆虫に出会えました。
こちら

5/13.14 安河内さん
タツナミソウ、レンリソウが見られました。大石さんによると珍しいものとのことですので、添付いたします。ヤセウツボも見られました。
ノイバラ、マユミ、エゴ、マルバウツギが満開です。クルミ、クワ、ニワトコ、エノキなどが実をつけています。ニリンソウ、ヒメオドリコソウの花がわずかに残っていました。

5/14 高槻
エゴノキ、マルバウツギ、ガマズミ、ノイバラなどが花盛りです。イボタノキ、ネズミモチなどが蕾をつけていました。「白い花の季節」になってきたようです。ウグイスカグラの赤い身が可愛らしくなっていました。

5/14 豊口さん
キンランはほぼ終わり、ギンランももうすぐ終わりそうでした。

5/15 小口さん
玉川上水沿いはマルバウツギ、ガマズミ、スイカズラなどの白い花が見事です。写真の番外編ではアカボシゴマダラの春型、オニグルミの葉を食べるクルミマルハバチの幼虫、小さなマドガアカガネサルハムシを玉川上水では初めて見つけました。

5/15-18 桜井さん
スイカズラは1週間前は咲いていなかったですが、一斉に咲きました。外来種のオオアマナ、トキワツユクサが増えて来てます。今年はアカネの繁殖が多数見られます。

5/18 牧田さん
すっかり初夏になって、春の野草はほとんど見かけなくなりました。
エゴノキやマルバウツギがたくさんの花をさかせて、楽しい気持ちになります。
ヤセウツボを見たのは初めてで、現地では何かわかりませんでした。葉らしきものがなく、色も緑がないなどから、どうも寄生植物かもしれないと思い、その方向で調べて行き当たりました。
マメ科に寄生するようですが、見つけた場所はマメ科が好きな明るい場所ではなかったような気がします。要注意外来生物に指定されていて、法面緑化に使われるマメ科に紛れて国内に入ってきたかと想像しています。
こちら
 
5/20 大塚さん
雨の後は、気温が低く花も寒そうでした。
ノイバラの花びらが濡れ、エゴノキ、イイギリの花も落ちていました。、マユミも、もう盛りを過ぎたようで季節の変わり目を感じました。
スイカズラの花が少しだけ香っていました。
ウツギ、ゴンズイ、イボタが見頃を迎えそうです。
ドクダミ、ヤマボウシ、ネズミモチの花も咲きだしていました。
ミズキやイヌザクラがもう実になっていました。
サンショウやキリの花は撮影する前にもう終わっていました。
キアシドクガが擬木に羽化していました。
たまにヒメジャノメが飛び出します。カタツムリも見られました。

5/20 大塚さん
ヤセウツボは、牟礼橋下流の緑道造成後に少数ですが、2年間出現しました。その後は見かけていません。荒地や改変した所にもでるそうです。ナンバンギセルは、ススキやミョウガの根元を見てみますが見たことはありません。小さいので見落としてる可能性もあります。ご報告を聞き、ヤセウツボのあった所をまた探してみたいです。

5/20 高槻
ナンバンギセルは高さ20cmくらいはあるし、赤い色なので、見落とすことはあまりないと思います。あるところにはいくらでもありますが、玉川上水では見ていません。ススキも玉川上水では細々と生き残っているという状態で、本来のススキ群落に比べれば貧弱ですから、ナンバンギセルも住みにくいと思います。

5/20 大塚さん
ナンバンギセルは昨年、9月に自然教育園で観察しました。80代の方のお話を伺ったことがありますが、上水では、ススキが茂りクツワムシなど鳴いていたそうです。私は上水でオケラやカンタンは聞いたことはあります。花では、岩崎橋のところで、サギソウが見られたと伺いました。東橋の農家の方には、(失礼ですが皆さん80代くらい)ヒバリの声が聞かれたと伺いました。江戸時代には、伐採や下草刈りは水を守るために禁止されていましたが、通水されていた頃は、水番が管理していたそうです。ナンバンギセルはあったか、屋根を葺いたはわかりませんが、ススキは茂った頃もあるようです。年配の方はそうした変わりようを見ていらしたので、昔の景色が懐かしい方が多いようです。伺った話ばかりで浅知恵です。長峰さま、他の皆様にも教えて頂けたら幸いです。

5/20 高槻
ススキはたくさんあったはずです。リーさんたちがお年寄りへインタビューしたり、話し合いの場を設けて作った「用水昔語り」という冊子の中に以下の記述があります。
p. 31:私達は毎年刈ってきれいにしていた。かやは相当生えていたから利用させてもらって草屋根にしてたんだよ。
p.149 :小川も砂川も昔は馬が多くて、やはり助郷なんかに結構出てたようです。

草屋根というのが茅葺き屋根だとすると、相当の茅場がなければできませんから、広い面積でススキ群落があったはずです。家畜がいたということは食料の草が必要でこれにも茅場が必要です。
太宰治が三鷹で自殺したのは昭和23年(1948年)ですが、その時の写真があり、ススキが写っています。他の写真でもススキが広がっています。
 1948年三鷹の玉川上水

そういう状態であればナンバンギセルは珍しくなかったと思います。

ついでながら
p.1:子供の頃は青梅街道から上にずっと野火止用水まで畑が伸びていて、そう3分の2が畑、3分の1が雑木林だった。

このことは玉川上水の周辺が畑と雑木林だったことを示唆します。その雑木林にニリンソウやカタクリ、アマナなどがあったはずで、玉川上水沿いは頻繁に草刈りされてススキ群落的な草本が多かったと思われます。しかしすぐ近くにあったから常に林になろうとする遷移が進んでいて、それを刈り取りによって林にならないようにしていたはずです。だから戦後刈り取りをやめて遷移が進み、雑木林に変化してゆくのですが、その時、雑木林の草本類が入り込み、元になった雑木林の方は宅地化などにより失われていきました。その変化が1960年代で、1964年の東京オリンピックの時代です。
 私が、玉川上水をレヒュージアというのはそういうイメージです。

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