玉川上水 花マップ

玉川上水沿いの主な野草の生育地図を作ります

2022年1月の観察会

2022-01-09 16:31:12 | シンポジウム
観察会を1月9日に予定していました。決めた時はコロナが大幅に少なくなったので楽観していたのですが、この1週間で15倍と急増しており、ちょっと気が重い感じでした。今回は最下流の浅間橋と決めていたので、小平からだと国分寺で乗り換えて吉祥寺、そこから井の頭線で富士見ヶ丘まで行きました。以前花マップの記録をしていた頃に何度かきたところです。行くとすでに数人が集まっておられました。雪は小平あたりと同じくらいか、むしろ少し多いくらいで、日陰にはしっかり残っていました。

日陰には雪が残っていました。

 さて、この場所は開渠部分の最下流となります。昭和の高度成長期に高速道路をつけて、ここより下流を暗渠化した、象徴的な場所だと思います。
 10時になって歩き始めましたが、この辺りは割合いい林があり、上水と柵の間も幅が広くて草本類も豊富にあります。樹木調査の結果でも大きな木が割合あることがわかりました。低木層にはトウネズミモチ、シラカシ、ヒサカキなどの常緑低木が多く、鳥の声もよく聞こえました。
大塚さんが
「あ、フユシャク!」
というので見たら、フェンスの擬木にフユシャクがいました。大塚さんは着目点がわかっているようです。それを見ていたら
「こっちにメス」
と、とてもガとは思えないような小さな塊を指差します。よく見ると確かに翅の退化したメスがいました。

ウスバフユシャク雄22.1.9(撮影大塚)

イチモンジフユナミシャク雌22.1.9(撮影大塚)

シロオビフユシャク雄22.1.9(撮影大塚)

シロオビフユシャク雌22.1.9(撮影大塚)

 植物についても大塚さんがたくさん説明をしてくださいました。印象的だったのは次の言葉です。
「ある生き物がいたらその周りの環境を観察するのが大事です。そうするとなぜこれがここにいるかわかるようになります」
私も同じ感覚を持っています。子供の頃から昆虫採集をしていたのですが、理屈はよう分からなくても体験的にあの虫を採ろうと思ったら、どういう場所に行けばいいかが身に染みついていました。後になって食草とか色々分かってくると、なぜそう感じていたかが納得できました。自然を総合的に見るとも言えるし、その生き物になって環境を評価するとも言えます。

 しばらく歩くとセンダンの実があり、ムクドリがきていました。しかも何本もありました。センダンは人には毒だということですが、鳥は代謝が違うのでしょうか。ただし大塚さんによれば、他の果実に比べたらあまり食べないそうです。
 ここには他にも数本のセンダンがありましたが、明るい部分なのでセンダンやヌルデなどのパイオニア植物がすぐに生えてくるそうです。
 フェンスの杭の上に鳥の糞がたくさんありました。
「センダンの実を食べにくる鳥が、その前に食べていた果実の種子を排泄するわけです。ヒヨドリの通過速度は30分だそうですからね。この柵の幅10 cmほどの横木の上にこれだけあるから、周りには相当数が落とされるわけです。でも草の中に落ちて仕舞えば、わかりません。それで私は小平霊園のセンダンの下で舗装されたところで毎週種子の回収をしました。ほうきとちり取りを持って行って掃いたものだから、<ご苦労様です>なんて挨拶されて<あ、どうも>なんて返事したりしてね」(笑)。

 玉川上水の脇に舗装された歩道があり、外側の道路との間に壁を作ってそこにモチノキなどの樹木と、低木をうえた緑のゾーンが作ってあります。交通量が多いので防音や排気ガスの抑制の効果を狙ったものと思われます。

 アオギリがあって色々話題が盛り上がりました。キヅタがあり、特徴の説明があり、つたとツルの違いなどを話しました。柵の杭の上にジャノヒゲかヤブランの種子を含んだ鳥の糞がありました。食べても栄養はなさそうですが、確かに食べているようです。

ヤブランの果実

 岩崎橋の近くに立派な看板があって、見ると昭和18年の写真がありました。この辺りは畑が広がっていたようで、まるで様変わりしたのがわかりました。黒木さんの話では幼稚園の頃、水がたくさんあって怖いようだったとのことでした。
 そこに新しくできた公園がありトイレがあったのでトイレ休憩とし、一休みしてから記念撮影をしました。


 その後兵庫橋まで歩きましたが、この辺りに来ると上水と柵の間に幅がなくなります。大きめのヤブツバキがあり、花が咲いていてメジロが来ていました。
大塚さんが
「メジロは甘いものが大好きでツバキの蜜を吸います。枝も鳥が止まりやすくなっています。ツバキの花に傷が残っているのはメジロの足の痕です」



もう少し行って兵庫橋に近づくと、左岸にはサクラ、右岸はススキの枯草があります。ナラなどの樹木も、低木もありません。こうなると鳥にとってはとても住みにくくなります。クズやセンニンソウなどが絡まっていました。

クズの果実(豆の鞘)

ウグイスが鳴いていました。
大塚さんが
「あれはササナキといって地なきです。私たちが来たので<ここは私の場所よ>って言っているのだと思います」
鳥の気持ちまでわかるのだなと感心しました。

ここでUターンするのでまとめのような話をしようと思いました。
「私たちは小金井の桜並木のために他の木を全部切ってしまったことに対して、そのやり方は拡大してもらいたくないという思い出伐採反対ということを前に出しているのですが、もう少し考えないといけないと思っています。ここにススキがありますが、こういうところにはワレモコウ、ツリガネニンジン、ノカンゾウ、オカトラノオ などの草原の野草が生えるはずです。これはこれで玉川上水の生物多様性を考える上では重要で、戦前の玉川上水ではこういう群落が多かったわけですから、これも守るべきです。小金井の桜の周囲にもこういう植物がありますが、管理が悪いためにクズやセイタカアワダチソウがはびこって抑えられています。かつて玉川上水周辺には農民が住んでいて、オカミの命令で草刈りをしていたのですが、今は農業をする人はいないので管理が難しいです。我々の運動は、現状では目に余る伐採抑止に力を入れざるを得ませんが、長期的には群落の多様性を尊重する必要があると思っています」


というような話をしていたら、ご老人が耳を傾けておられました。通りの邪魔をしてはいけないと思っていましたが、どうやら話に関心がありそうで通過するのではなさそうでした。後で分かったのですが、大塚さんのお知り合いで上野さんとおっしゃり、そのお話によれば、現役時代は公園関係のお仕事をしておられ、大量のサクラの植樹をしたが、水道局が切ってしまったとのことでした。私はサクラだけを植えて園芸的な管理はよくないと思いますが、共感したのは、水道局が玉川上水の価値を理解せず、トップの人の引継ぎが悪いために方針が伝えられないのが問題だという点でした。

上野さん(左端の自転車)のお話を聞く

上野さんのお話で興味深かったのは、昭和の30年代に久我山の公民館で地域民と東京都が話し合いをして、当時は牟礼橋まで暗渠化する計画があったが、住民の反対で阻止されたということです。私は歩きながら「なぜ浅間橋が最終点になったのだろう」と考えていたので、まさにそのこと(浅間橋よりも上流まで暗渠という計画)が現実味のあることだったことを知って驚きました。
 上野さんはその時も自転車のカゴにポリ袋を入れていましたが、玉川上水のゴミ拾いをしているのだそうです。業務として玉川上水の植生管理をしていたのですが、「退職をしたらおしまい」ではなく、そのことを人生の目的としておられるようでした。
大塚さんがいうには
「とにかく<上水愛>がすごいんです」
「ときどき強引なところもあるけどね」
「いや、本当に大事だと思うから頑固になれるんだと思うよ」
「最近はああいう頑固な大人がいなくなったもんなあ」
「そうね」
などと話しました。

思いがけず雪の杉並での観察会になりましたが、大塚さんのおかげで学ぶところがたくさんありました。12時を少し回ったところで解散にしました。大塚さん、ありがとうございました。




コメント
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