玉川上水 花マップ

玉川上水沿いの主な野草の生育地図を作ります

玉川上水の野草と桜並木

2020-03-08 10:30:55 | その他

2020.3.8

玉川上水の野草と桜並木 - たまゆら草のこと -

高 槻 成 紀

 玉川上水は羽村から杉並までの30kmもの長さがあり、その表情も様々だが、私が小平に住んでいるため、どうしても小平周辺を歩くことが多い。その代表的な景観はコナラやクヌギの木があって武蔵野の雑木林を思わせる。

 

玉川上水の小平の景観

 

 ただ何と言っても上水沿いであるから細長く、雑木林というよりは細長い緑のベルトという印象である。そうではあるが、下に生えている植物は雑木林と共通で、低木ではウグイスカグラ、ムラサキシキブ、アオキなどが多い。草本ではヒメカンスゲ、タチツボスミレ、ヤブランなどをよく見るが、少し明るいところにはノカンゾウ、アキカラマツ、シラヤマギクなどもよくある。植物好きの私たちを喜ばせてくれるのは、そうした中にキンラン、シュンラン、フデリンドウ、アマナ、ヒトリシズカなど、本来山のコナラ林などにある野草だ。

 アマナやキクザキイチゲ、カタクリなどは林を覆う落葉樹が芽生える頃かそれより早いくらいの早春に芽を出しては花を咲かせ、上の木が葉を伸ばして林の屋根を閉じる頃にはもう光合成による生産物を地下部に蓄えて結実し、あとは来春まで休眠してしまう。その短命さから「spring ephemeral」というが、ephemeral(はかないこと)はeternal(永遠であること)の対語である。私は日本語としては「たまゆら」がふさわしいと思う。「たまゆら」とはもともとは勾玉が揺れた時に発する音のことで、漢字では「玉響」と書くが、私は「玉揺」の方がふさわしいと思う。そこからすぐに消えてゆくものという意味になったようだ。spring ephemeralの大和言葉は「春のたまゆら草」とするのはどうだろうか。

 

玉川上水に見られる「春のたまゆら草」

 

 枯葉色の地面から顔を出してはたまゆらに消えてゆくこれらの野草こそ雑木林の構成要素の中の構成要素で、人の攪乱があるとたくましい雑草類にその場を譲る形で消滅してきた。今、私たちの目の前に花を咲かせてくれているのは、そうして消えてきた仲間のうちの、数少ない生き残りである。

 光合成は水と光と二酸化炭素があれば有機物を合成する化学反応だから、適温、十分な光があれば植物は育つ。ただ最適な明るさは植物ごとに違う。また鉢栽培と違って野外では他の植物との競争がある。雑草類はこの点で圧倒的な強みを持つ。栄養の乏しい土壌でも、明るければ明るいほど成長し、開花期間が長く、種子を多産する。アマナのような植物はもともと競争を避け、他の競争相手が出てくる前に「前座」を務めては消えてゆくという生き方を採用した一群である。だから人による攪乱があれば勝敗は明らかである。

 そのことを思えば、アマナのような野草が自動車がビュンビュン走る道路のすぐ脇に生き延びているというのは奇跡のようなことといえる。この野草たちは、人が大陸から渡ってきたよりはるかに昔から毎春こうして芽を出し花を咲かせてきた。ひと春も休むことはなかった。私は「たまゆら草」に出会う時、この出会いはそういう奇跡の一つだと思い、「やあ、今年もありがとう」という気持ちで接している。

 

小金井の桜

 小平市の住民である私はそういう雑木林のような玉川上水に馴染んでんでいるのだが、時々他の場所まで足を伸ばしてみることがある。最近、小平の東に接する小金井に行ってみた。小金井は江戸時代から桜の名所として知られている。江戸の人は玉川上水を小金井の桜で知っていたといってよい。広重にいくつかの作品があり、桜並木が描かれている。

 

安藤広重 「小金井夕照」

 

 その伝統を引き継ぐ小金井市は玉川上水を桜並木と位置付けている、その結果、桜以外の樹木は伐採される。2018年に台風24号が暴風をもたらしたが、その時私は花マップの仲間に声をかけて玉川上水全体の倒木を調べた(こちら)。それでわかったことは倒木全体の3分の1が桜であり、小金井の桜の被害率が高かったということである。同じ強風でも樹木同士が接していれば、お互いが風を弱めることになるため被害が起きにくい。現に明治神宮では被害がなかった。玉川上水でも樹木の多い小平は被害率が低かった。これに対して小金井は倒木率が全体の7倍も高かった。

 小金井の桜は植栽し、並木に仕立てたものであり、人の管理下にある。したがって倒れれば植えればよいという考えはありうるかもしれない。その考えに立てば桜か雑木のどちらが大切かという議論になり、イチョウ並木やプラタナスの並木にコナラが生えてきたら、人が手をかけて植えた木は勝手に生えてきた木よりも価値が高いのだから雑木は伐ればよいということになる。花壇に植えた花と雑草の関係と同じである。小金井では玉川上水をそのように位置付けているということなのであろう。

 だが玉川上水の桜並木は街路樹とは違う。木の下に野草が生えていることを忘れてはならない。小金井の桜並木では他の樹種を伐採するために木はまばらであり、直射日光が当たる部分が多い。そうなれば雑木林の下に生える多くの野草は生き続けることはできず、特にアマナなどの「たまゆら草」は確実に消えてゆく。

 

小金井で見た無残な伐採

 私は小金井の玉川上水を見て驚かないではいられなかった。前から小金井の玉川上水は明るく桜が多いとは思っていたのだが、今回(2020年3月)訪れたとき、ケヤキの大きな木が軒並み伐採されていたのを見て私は心が痛んだ。根元を見ると玉川上水の壁に根を張り、特有の生え方をしている。切り株の直径は50cmほどはあったから、樹齢は優に100年を超えているはずだ。これらの木は私たちより早く生まれ、太平洋戦争も見てきたのだ。あるいは明治維新をも見ているかもしれない。それが21世紀になって無残にも伐り尽くされた。

 

小金井で見たケヤキの伐採痕(2020.3.5)

 

 こうした伐採は小金井の広い範囲に及んでいた。次の写真を見てもらおう。右岸の地表を見てもらいたい。ほとんど裸地になっている。こういうところには雑草でさえ入りにくい。風で種子散布をするタンポポやススキなどの種子が飛来し、一部のものがかろうじて発芽する程度であろう。玉川上水に多い、草原生の野草であるアキカラマツ、シラヤマギク、ツリガネニンジン、オカトラノオなども生育は絶望的である。ましてや雑木林の下に生えるナイーブな「たまゆら草」はこの直射日光の当たる環境では全く生育することはできない。

 

伐採された玉川上水の岸(2020.3.12)

桜の花見と野草

 伐痕(伐採された樹木の痕)をみると、切り口は新しく、多くの木は数カ月以内に伐採されたようだ。伐採はまさに今進められているのだ。

 私は伝統的な花見はよいことだと思う。人々が春の到来を喜び、桜を見ながら野外で集って楽しむのは素晴らしい伝統と言えるだろう。その自然を愛でるという精神からして、100歳以上の樹木を伐りつくすことは相反することにならないだろうか。

 玉川上水は、もともとの目的は江戸市民の生活水の確保であり、紛れもない生活に必要であった人工的な構造物である。小金井では花見を楽しんだが、そのほかのほとんどは水質管理のために草刈りをして維持された。しかし、戦後はむしろ緑地としての機能を持つようになり、木々が育ち、特に高度成長期に急速に失われていった武蔵野の雑木林のレヒュージアとして野草を保全する空間としての価値が高い。桜の花見という年に一度の行楽とは違い、四季折々の自然に接する喜びを楽しむ人の方がはるかにが多い。

 ただ、それでも私は小金井に桜並木があることは尊重したいと思う。というのは、部分的に上木を伐採することは草原的な野草の復活に有効であり、異なる樹木管理がなされていることが、全体として玉川上水に森林と草原の野草が生きる多様な環境を創成していると考えるからである。

 いずれにしても重要なのは「桜か雑木か」といった粗雑な議論ではなく、人も野草も小さな生き物も全て地球に共に生きる仲間であるという価値観にたち、そのような視点で玉川上水をいかに管理するかを考え、計画を立て、市民とともに実行してゆくことである。

 

玉川上水にとっての伐採

 私が懸念するのはこの桜優先型の「小金井方式」の管理が小金井の外側にまで拡大されはしないかということである。繰り返すが、もしそのようなことになれば、少なくとも数万年という長い時間を世代を引き継いできた森林生の野草の息の根をとめることになるのだ。著名な生物学者にして保全生物学者であるE.O.ウィルソンはアメリカによるアマゾンの熱帯林伐採を次のように表現した。

この行ないは、経済的な見地からすれば正当化されるのかもしれない。しかし、料理を作るための焚き付けとして、ルネサンス時代の絵画を使うのに似た行為であることにかわりはないのだ。

 小金井の玉川上水を桜の花見の場所にすることは構わない。それによって観光を盛んにするのも良いだろう。だが花は桜だけではないし、玉川上水はそのためにあるのではない。多様な植物が生育し、多様な楽しみ方をする人がたくさんいる。長い年月を生き伸びてきた野草を、桜の花見を目的に消滅させるという愚を他地域にまで拡大することは、私たちに続く世代に対してしてはならないことだと思う。

コメント
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