大系本を図書館から借りて『出雲国風土記』の巻末記に栞を挟んだままで放置していました 
延長した貸出期限もそろそろ切れそうなので、ようやく本日確認!
凡例を見ると、「原文は校訂したものを掲げた」となっていました。ちょっとガッカリ! ただ、脚注に、底本等の数値の相違に関する記述はありました。
枉北道 去北四里二百六十歩 至郡北堺朝酌渡渡八十歩
又 北一十里一百四十歩 至島根郡家
自郡家去北一十七里一百八十歩 至隠岐渡千酌駅家浜渡船
又 自郡家西一十五里八十歩 至郡西堺佐太橋
又 西八里二百歩 至秋鹿郡家
又 自郡家西一十五里一百歩 至郡西堺
又 西八里二百六十四歩 至楯縫郡家
又 自郡家西七里一百六十歩 至郡西堺
又 西一十四里二百二十歩 出雲郡家東辺 即入正西道也
総枉北道程 一百三里一百八十四歩之中 隠岐道一十七里一百八十歩
赤字で示した部分がデータとの相違箇所でした。
『出雲国風土記: 校訂・注釈編』は14日までおあずけ状態です

延長した貸出期限もそろそろ切れそうなので、ようやく本日確認!
凡例を見ると、「原文は校訂したものを掲げた」となっていました。ちょっとガッカリ! ただ、脚注に、底本等の数値の相違に関する記述はありました。
枉北道 去北四里二百六十歩 至郡北堺朝酌渡渡八十歩
又 北一十里一百四十歩 至島根郡家
自郡家去北一十七里一百八十歩 至隠岐渡千酌駅家浜渡船
又 自郡家西一十五里八十歩 至郡西堺佐太橋
又 西八里二百歩 至秋鹿郡家
又 自郡家西一十五里一百歩 至郡西堺
又 西八里二百六十四歩 至楯縫郡家
又 自郡家西七里一百六十歩 至郡西堺
又 西一十四里二百二十歩 出雲郡家東辺 即入正西道也
総枉北道程 一百三里一百八十四歩之中 隠岐道一十七里一百八十歩
赤字で示した部分がデータとの相違箇所でした。
『出雲国風土記: 校訂・注釈編』は14日までおあずけ状態です

