落武者の行方

09.02.02>>>迷走中?(since 04.09.13)

「背景をさぐる Vol.1」

2006-02-27 | art
GALLERY NATSUKA | "Something behind the work Vol.1"

ギャラリーなつかで3月4日まで開催中の、"背景をさぐる Vol.1"です。


圧倒的に目立っていたし、質も高いなと感じたのは小林浩さんの作品、"ポーカーフェイス"と"トップランナー"。
モチーフが人形(というよりぬいぐるみ)であるということからくる鮮烈な印象は勿論のこと、その質感や青のトーンのみで描かれたモアレ写真のような画法が面白い。これは虚像をもって実像を表すような、この作品が本物以上に本物らしくみえる大きな要因ではないでしょうか。

上出由紀さんの"ある休日"は、薄いレイヤーが重なった風景で若干心もとない印象を受けたのですが、制作意図を読んでなるほどと納得。
米満泰彦さんの"宮廷の庭師の花Ⅰ、Ⅱ"も花を接写したような手法でこれ自体は別に珍しくもなんともないのですが、大変丁寧かつ潔い感じで好印象でした。


ちなみになつかb.Pで開催されていた"諸富高広展"は、インスタレーションを得意とする作家の写真展示で今回は正直何がどうという感じは無かったのですが、都市を写すにあたってあのような残像写真があたかもその素顔を切り取っているように感じるのは、やはり都市が大きな加速度をもって変容しているからなのかな、と思ったりしました。

「life/art '05 part 4」

2006-02-26 | art
SHISEIDO GALLERY | "life/art '05"



資生堂アートギャラリーで開催されている、ライフ・スラッシュ・アートの'05、最終回になります。
昨年12月8日から今年3月26日までの比較的な長い期間を5つのタームに区切り、今村源、田中信行、金沢健一、中村政人、須田悦弘の5名が順に作品を見せていきます。

現在は中村政人。
「オンゴーイングな展示」ということで、会場はまるで設営中のような状態。
現に僕の前に入った方はすぐにUターンして出てしまい、僕も一瞬帰りそうになったり(まあ本当に設営中なら階段降りれるわけないんですが)。
1週間に1枚程度(あくまで目安)で絵画作品を仕上げていくようですが、会場自体もまだ出来上がっていなかったり(笑)

会場では制作の傍らで"美術と教育プロジェクト"のインタヴュービデオが流れており、僕が行った時は石山さん。このビデオは自由に変えられるということで、全部観ようとしたらどれだけ時間がかかるのやら、という感じ。

プロジェクトの本3冊、"美術と教育・一九九七"、"美術の教育・一九九九"、"美術に教育・二〇〇四"の販売もしていて、これは非常に興味深いので買い!と言いたいところでしたが、お金が無いのでまた今度…。
終了日あたりにどうなっているか観に行けると良いのですが。


須田さんの時って、あのまま会場からものが消えるだけだったり…花以外何もない常態になるのは知ってますが。まさか最後に増やさないってことは無いか。

櫻井美幸「盲亀の浮木」

2006-02-25 | art
GALLERY HONJOH、Gallery KAKU | Miyuki SAKURAI"blind turtle and floating wood"

ギャラリー本城とギャラリー覚の合同企画として、本日2月25日まで開催されている、櫻井美幸"盲亀の浮木"です。


油絵の素養が無いという事実を補って余りあるセンス。
そうしたものを久々にダイレクトに感じた展示。

一見してヨーロッパの若手アーティストのようなタッチの作品は、決して投げかけられることの無い視線や冷めた風采・突き放すその表情、それは他者のみならず自己に対しても向けられているのかもしれないが、そうしたものに溢れており、意味深長なタイトルも手伝って作家である櫻井さんがどれだけの抑圧や葛藤の中にいるのかを想像せずにはいられないものとなっています。
個人的にそうした内省的であったり自己表現として真っ向勝負しているものもイヤではないですし、なにより単純にその物質的なクオリティ(それは技巧云々ではなくて)の高さに魅かれていたのでそれでよしとするところでした。

ところがスタッフのお話によると、苦悶に満ちたようなキャンバスの中の人々の表情に特に意味は無く、タイトルもあまり関係無いつかず離れずのものをつけている。ましてそれが自己の内面の表出ということは無い、と言い切っているのだそうです。ご本人。
そうなってくるとまた観方も違ってきて、そのシーンの設定や色使いなどのセンスが改めて際立ったものに感じられてきます。こうした一歩二歩ひいたスタンスをとる作家さんは最近多いですよね。
ただ、そうは言っても人間が描いている以上何かしら内面を投影しているのは当然の話。どうやら作品にあるような具体的な感情というよりも「素養が無いことによる自信の無さと、その代わり確固たる自分を持っているという自信」というような極端なまでに相反する二極で激しく振れる感情がかたちになっているようです。
なるほど。


以前本城で開かれた個展を見逃した身としては作品数も多く嬉しい機会となりました。
先に本城、その後覚に伺ったのですが、覚を出るときスタッフに「とてもよかったです。単純にビジュアルとして…」というようなことをお伝えしたら此方が驚くようなガッツポーズで喜んでくださって(笑)、作家本人としてもビジュアル勝負というところがあるためか「そういう評価は作家もとても喜ぶと思います。」と仰ってました。
彼女が自分の武器をこれからさらにどのようにして磨いていくのか。楽しみにしています。
(青年の表情はピカイチです。たまりません、個人的に。DMの"地上から少しだけ浮いたところ"だとか…)

「佐藤允展」

2006-02-24 | art
GALLERY KOYANAGI | Special Exhibition"Ataru SATO"

ギャラリー小柳で2月28日まで開催されている、特別展示"佐藤允展"です。


後ほどアップする(であろう…)鬼頭+プラット展と併せて、既に2回観に行っているのですが、1度目に偶然作家さんが在廊していてお話をちょっと聞いたり。

まず、ひょえ~なのが彼の19という年齢。
19、19、19…。ついにきました、10代。貸画廊ならともかく、小柳で。。溜息。


作品は、ファイル内の1枚を除いて全て鉛筆によるかなり細かいドローイング。作風は簡単に言うとグロ系、全く受け付けられない人もいるようなもので涼しげな本人の風貌とは何かギャップがあるな、というのが第一印象でした。しかし話を聞いてみると本人が好きなのは実はもっとシンプルなもので、杉本さん(博司)の写真なんかにも魅かれているんだそうです。「格別こういう作風で描きたい」と思っているわけでもなくうまれ出たもの。

ここまでだと、まだ創作の方向性も何も決まっていない不安な感じがしなくもないです(決まっていなくても良いのですが)。
が、そこから先が面白く、本人曰く「勉強全くできなかったんですよ、あはは」ということで、ファイリングされた作品たちはテスト中に用紙の裏にえがかれたものや、プリントの裏に描かれたものなど。そう、誰でも一度はやったことがあるであろういわゆるラクガキなんですが、既にその時点で気合の入り方が違っていて、今の作品に繋がっているんだなとなんだか感心。当時の癖なのか、新作である展示作品も藁半紙に描かれており「なんか、変な安い記念館みたいですけど、そのあたりはさすが小柳さんで飾ってみると…」とのこと(笑)
さらには作品について説明しろと言われても無理ということで、あそこにあるのはただひたすら吐き出されたもの、何故こういった絵を描いているのか本人にもわからない様子すらあったりします。

こうしたことを聞いていくと、最初に感じた彼と作品の間のギャップのようなものにも妙に納得してしまい、きっと本人すら理解し得ない自身の本質の一部がああいったものとしてアウトプットされているんだろうなぁ、と感じました。
だって、ラクガキしているときってほぼ無意識ですもんね。
その他、「入院時に幻覚をみながら描いたものが2点ある」とか「3つで(一応)連作になっていて、2つにはおちんちんが何故か知らないけど入っていて可愛く描けた」とか、色々な意味で相当奥深そうな人に感じられました。冗談ではなく。

「次はどんなの描こうかな~」
と楽しげに言っていましたが、どんなものになるのかこちらとしては今から気になって仕方がありません。
期待。

函館

2006-02-24 | Weblog
に行っていましたが、びっくりなくらいネタがありません…。
函館山の夜景くらい。。

温泉と食の旅でした。


今日明日くらいから記事をこそこそと書き始めますので宜しくお願いします。






お金無いのに男前豆腐なんて買うんじゃなかった…。