相変わらずお世話になっているトラフ建築設計事務所も参加している展覧会、ル・べインで開催中です。
是非どうぞ。
僕は行けるかどうかわかりませんが…。
江戸意匠/MAISTER MEETS DESIGNER Vol,01 に参加します。
江戸の伝統技術と心意気を現代に継承する名工と、道具達を日常生活のシーンに復活させたいと願う新進気鋭のデザイナー&クリエーターが取り組む正真正銘のMADE IN JAPANプロダクツ「江戸意匠」が誕生しました。ついにVOL,01商品発表展示会。開催決定!
江戸意匠 Vol,01「床の間から日常へ。」
3/20(tue)~3/25(sun) at Gallary le bain
是非どうぞ。
僕は行けるかどうかわかりませんが…。
江戸意匠/MAISTER MEETS DESIGNER Vol,01 に参加します。
江戸の伝統技術と心意気を現代に継承する名工と、道具達を日常生活のシーンに復活させたいと願う新進気鋭のデザイナー&クリエーターが取り組む正真正銘のMADE IN JAPANプロダクツ「江戸意匠」が誕生しました。ついにVOL,01商品発表展示会。開催決定!
江戸意匠 Vol,01「床の間から日常へ。」
3/20(tue)~3/25(sun) at Gallary le bain
富士宮にある(ちなみに、オウム真理教の総本部の跡地です)日本盲導犬総合センター。
行ってきました。
千葉学氏の設計です。
昨秋に完成。
とりあえず、色々なことを置いておいて、犬が、純粋に可愛い。
撮ったものからなんともないような写真を適当にピックアップ。
本当に適当…。
行ってきました。
千葉学氏の設計です。
昨秋に完成。
とりあえず、色々なことを置いておいて、犬が、純粋に可愛い。
撮ったものからなんともないような写真を適当にピックアップ。
本当に適当…。
こんばんは。
とてつもなくお久しぶりです。
実に4ヶ月ぶりの更新となりました。
何をしていたのか、というどうでも良いことには触れないことにします。
学業に精をだしていた、のです。
本人もこのブログの更新画面を開いたのが数ヶ月ぶりという有様ですから、皆さんには存在自体忘れられているような気もします。
が、カウントをみると検索サイトから辿り着いてくる方が予想以外に多く、案外カウントが多い。
書いても書かなくても、同じ・・・?
まあそんなことは置いておいて。
せっかく書いたのですから短くても何か記事を書きたいです。
復活予告だけして、また行方不明になることが多かったので・・・。
VANGI MUSEO | "Seiichi FURUYA : Aus den Fugen "
昔、とある書店で出会ってから心の片隅に住み着いて離れない古屋さんの写真、正確には、古屋さんの撮った妻クリスティーネの写真がヴァンジの企画展で展示されるということで、なんとしても、と行ってきました。
地元に近いんですけどね。ビュフェはこれまでに何度行ったかわかりません。
初めてこの写真を観た時はその背後にあるものを勿論知らなかったのですが、すぐさま、そしてゆっくりと、粘性の何か黒いものが僕に絡み付いてきたのを覚えています。
背景を識って観た今、そこにあるものは非情な程鮮明になって僕の前に提示され、また違う戸惑いを感じてしまいました。
写真は、その時を平等に切り取り保存します。
写真というものがマシンの単なる産物から人間の一種のフィルターとしての芸術へと昇華した今でも、根本は変わっていないと思いますが、ここに展示されるクリスティーネの「ポートレイト」として撮られた作品たちは皮肉な程にその「ドキュメント」としての色を濃く示しており、彼女が歩んだ道、選んだ選択、そしてその後を感じずにはいられませんでした。
彼女の笑顔も悲しんだ顔も、息子の寝顔も風景も。
ただ、そこにあるもののはずだったのに。
勿論家族にしか介入し得ないものがそこにはある。
リーフレットにも書かれていたような気もするが、これは彼らの中で今も続く極私的な対話。
それを敢えて我々第三者が目にし、感じることでその対話は何処へと向かっていくのか。
観に行ってよかったです。
とてつもなくお久しぶりです。
実に4ヶ月ぶりの更新となりました。
何をしていたのか、というどうでも良いことには触れないことにします。
学業に精をだしていた、のです。
本人もこのブログの更新画面を開いたのが数ヶ月ぶりという有様ですから、皆さんには存在自体忘れられているような気もします。
が、カウントをみると検索サイトから辿り着いてくる方が予想以外に多く、案外カウントが多い。
書いても書かなくても、同じ・・・?
まあそんなことは置いておいて。
せっかく書いたのですから短くても何か記事を書きたいです。
復活予告だけして、また行方不明になることが多かったので・・・。
VANGI MUSEO | "Seiichi FURUYA : Aus den Fugen "
昔、とある書店で出会ってから心の片隅に住み着いて離れない古屋さんの写真、正確には、古屋さんの撮った妻クリスティーネの写真がヴァンジの企画展で展示されるということで、なんとしても、と行ってきました。
地元に近いんですけどね。ビュフェはこれまでに何度行ったかわかりません。
初めてこの写真を観た時はその背後にあるものを勿論知らなかったのですが、すぐさま、そしてゆっくりと、粘性の何か黒いものが僕に絡み付いてきたのを覚えています。
背景を識って観た今、そこにあるものは非情な程鮮明になって僕の前に提示され、また違う戸惑いを感じてしまいました。
写真は、その時を平等に切り取り保存します。
写真というものがマシンの単なる産物から人間の一種のフィルターとしての芸術へと昇華した今でも、根本は変わっていないと思いますが、ここに展示されるクリスティーネの「ポートレイト」として撮られた作品たちは皮肉な程にその「ドキュメント」としての色を濃く示しており、彼女が歩んだ道、選んだ選択、そしてその後を感じずにはいられませんでした。
彼女の笑顔も悲しんだ顔も、息子の寝顔も風景も。
ただ、そこにあるもののはずだったのに。
勿論家族にしか介入し得ないものがそこにはある。
リーフレットにも書かれていたような気もするが、これは彼らの中で今も続く極私的な対話。
それを敢えて我々第三者が目にし、感じることでその対話は何処へと向かっていくのか。
観に行ってよかったです。