久慈川サイクリングロードの上流に山田川があり、終点からおよそ1km手前の沈下橋を渡ると、青蓮寺がある。
たまたま、ご住職がおられたので、お話しをうかがうことができました。
ここには、二孝女物語があります。
旅の途中で倒れた父親を尋ねて1200kmもの旅をした二人の娘の物語です。
娘さんたちは周囲の人が止めるのもきかず、しかもほとんどお金を持たずに旅に出たそうです。
途中、娘さんたちから話を聞いた人たちが、次から次へと人を紹介してくれて、常陸太田市までたどり着くことができたということです。
そんなことがあるのか信じられない幸運が連なっていて、まるで、映画に出てきそうな話です。
それにしても、見ず知らずの娘たちをやさしく援助してあげる、そういう時代があったのですね。
山田小学校のホームページから引用します。
「これは,今から200年も昔の江戸時代の話です。
豊後国(ぶんごのくに)臼杵藩(うすきはん)野津郷(のつのごう)泊村(とまりむら)(現大分県臼杵市野津町)の川野初衛門(かわのはつえもん)は,お寺参りの旅に出たまま7年も行方知れずになっていました。
実は,初衛門は旅の途中に東連寺村(とうれんじむら)(現常陸太田市東連地町)の青蓮寺(しょうれんじ)にたどり着いた時,病が重くなり歩くことができなくなってしまい,青蓮寺や地域の人たちが世話をしてくれていたのです。
そのような時,京都の西本願寺で青蓮寺の住職と豊後の善正寺(ぜんしょうじ)の住職が会って,初衛門が生きていることが分かりました。その話を聞いた初衛門の娘(ツユ22歳,トキ19歳)は,遠く300里(約1200キロメートル)離れた青蓮寺までお父さんを迎えに旅に出ました。
旅に出ると言っても,現在の旅行とは違い,船や歩いて2か月かけての旅です。まして,若い女性が2人なので命がけの旅でした。この姉妹に心を動かされた地域の人々だけでなく,水戸藩なども支援してくれました。そして,次の年の春に,無事にふるさと豊後国へ親子3人で帰りました。」
この話しが史実とわかったのは、平成17年でした。
それまで住職がいない寺で荒れていました。
父親から説得されて、この寺の住職を引き受けようか悩むご住職が寺を家族と訪ねました。
境内は雑草が繁茂し、荒れ放題でした。
寺に着くと、地元のご老人たちが涙を流しながら、ご住職たちの手を握りしめ、歓迎してくれたそうです。
田舎の寺に住むことに抵抗があった奥様の気持ちが変わった瞬間だとご住職はお話ししてくれました。
このような偶然からこの寺に住むことになったご住職を、これも偶然ですが、郷土史の研究家が訪ねてきます。
古文書の中に出ていたわずかな断片のような情報だったそうです。
これを聞いてご住職は、寺に残っていた古文書などを探しました。
そして、ついに、当時の手紙を発見し、この話しが本当にあったことが確認されたのでした。
この物語の発掘もいくつかの幸運が重なっていたのでした。
たまたま、ご住職がおられたので、お話しをうかがうことができました。
ここには、二孝女物語があります。
旅の途中で倒れた父親を尋ねて1200kmもの旅をした二人の娘の物語です。
娘さんたちは周囲の人が止めるのもきかず、しかもほとんどお金を持たずに旅に出たそうです。
途中、娘さんたちから話を聞いた人たちが、次から次へと人を紹介してくれて、常陸太田市までたどり着くことができたということです。
そんなことがあるのか信じられない幸運が連なっていて、まるで、映画に出てきそうな話です。
それにしても、見ず知らずの娘たちをやさしく援助してあげる、そういう時代があったのですね。
山田小学校のホームページから引用します。
「これは,今から200年も昔の江戸時代の話です。
豊後国(ぶんごのくに)臼杵藩(うすきはん)野津郷(のつのごう)泊村(とまりむら)(現大分県臼杵市野津町)の川野初衛門(かわのはつえもん)は,お寺参りの旅に出たまま7年も行方知れずになっていました。
実は,初衛門は旅の途中に東連寺村(とうれんじむら)(現常陸太田市東連地町)の青蓮寺(しょうれんじ)にたどり着いた時,病が重くなり歩くことができなくなってしまい,青蓮寺や地域の人たちが世話をしてくれていたのです。
そのような時,京都の西本願寺で青蓮寺の住職と豊後の善正寺(ぜんしょうじ)の住職が会って,初衛門が生きていることが分かりました。その話を聞いた初衛門の娘(ツユ22歳,トキ19歳)は,遠く300里(約1200キロメートル)離れた青蓮寺までお父さんを迎えに旅に出ました。
旅に出ると言っても,現在の旅行とは違い,船や歩いて2か月かけての旅です。まして,若い女性が2人なので命がけの旅でした。この姉妹に心を動かされた地域の人々だけでなく,水戸藩なども支援してくれました。そして,次の年の春に,無事にふるさと豊後国へ親子3人で帰りました。」
この話しが史実とわかったのは、平成17年でした。
それまで住職がいない寺で荒れていました。
父親から説得されて、この寺の住職を引き受けようか悩むご住職が寺を家族と訪ねました。
境内は雑草が繁茂し、荒れ放題でした。
寺に着くと、地元のご老人たちが涙を流しながら、ご住職たちの手を握りしめ、歓迎してくれたそうです。
田舎の寺に住むことに抵抗があった奥様の気持ちが変わった瞬間だとご住職はお話ししてくれました。
このような偶然からこの寺に住むことになったご住職を、これも偶然ですが、郷土史の研究家が訪ねてきます。
古文書の中に出ていたわずかな断片のような情報だったそうです。
これを聞いてご住職は、寺に残っていた古文書などを探しました。
そして、ついに、当時の手紙を発見し、この話しが本当にあったことが確認されたのでした。
この物語の発掘もいくつかの幸運が重なっていたのでした。
そんな昔話があったとは全然知りませんでした。
若い女性2人で父を探して往復600里。凄いですね。
その頃から日本は治安が良かったのですね。
江戸時代の時代劇を見たら盗賊、辻斬りなどたく
さん出てきますから。
立ち話ですこしの時間でうかがったものなので今度詳しく調べてみたいと思いました。途中、山賊に襲われた際に運良く木こりに助けてもらえたということです。娘さんたちの行動は多くの人の心を動かしたようです。帰りは、水戸藩が籠を用意して江戸まで送り、その後は臼杵藩が家まで送ってあげたとのことです。人の心には変わらないものがあるのですね。
昔、別のお寺で何気なく話しかけたら、面白いお話をうかがうことができました。
自転車のスタイルだと、相手はわざわざ自転車でここまで訪ねて来てくれたのだからという気持ちになるようです。自転車の御利益ですね。
これからも旅する時は、いろいろな人にドンドン話しかけてみたいと思います。