この映画が公開された1970年は「EXPO70」つまり大阪万博の年、高度成長の真最中で劇場映画を見た記憶が殆どなく、近年になってテレビで観た映画です。主演女優のソフィア・ローレンは1955年に{河の女}に出て、主題歌の「マンボ・バカーン」とかいうのを歌っていた…程度の記憶でそのまま忘れていました。
戦後六十年を経た今日でも我が国では中国残留孤児など、戦時中の古傷を清算出来ずに引きずっていますが、これは先の大戦にかかわったヨーロッパ諸国、特に敗戦国になったイタリアでもそれは同じだったようです。
ロシア戦線で生死不明になった夫アントニオを捜し求めてロシアヘ旅立ったジョバンナ
やっと探し当てたアントニオにはすでにロシア人の妻、マーシャと女の子がいました。アントニオは撤退中に寒さで意識不明となり、倒れているところをマーシャに助けられたのです。
マーシャはどこか愁いと寂しさが漂うような女性でしたが、ジョバンナと再会してから記憶を取り戻した夫の微妙な心の変化に気づきます。
もう自分のところへは帰って来ないかも知れない…という不安の中で、マーシャは夫を一時的にジョバンナのところへ送り出しますが、これは普通では出来ない心優しい勇気ある行動だったと思います。
ジョバンナと再会したアントニオは長い年月の流れがすべてを変えた事を悟ります。ジョバンナが息子ににアントニオという名をつけていたことが唯一の救いでした。
お互いに惹かれながらも妻子の待つロシアへ帰るアントニオと、夫や息子とイタリアで暮すジョバンナのミラノ駅での別れ…切ないラスト・シーンでした。
アントニオが命をかけた激戦地は、大輪の花を咲かせるひまわり畑になっていました。
帰ってきたアントニオをマーシャはどんな気持ちで、表情で迎えたのでしょうか。
アントニオはすべてを忘れてロシアの大地に根付いたのでしょうか。
あれからジョバンナと息子のアントニオは幸せに暮すことが出来たのでしょうか。
などと余分な心配の種は尽きませんが、きっと平安と幸が訪れただろうと思いたい…です。
監督のヴィトリオ・デ・シーカは{自転車泥棒」で敗戦国の悲哀をリアルに描きましたが、この作品も戦火によって非情に断ち切られた愛を感動的に捉えています。
ソフィア・ローレンは紛れもない1950年代のスターでした、でもこの映画では私たちの記憶にある華やかなイメージは消えて、内容にふさわしい落ちついた感じを漂わせていました。十五年という歳月は彼女を変えたのでしょうか。
この映画でも音楽が雰囲気を盛り上がるのに、効果を上げていましたが私の手元には、「ヘンリー・マンシーニの美しくスイートな名演集」として、「ムーン・リヴァー」「シャレード」などの映画音楽が収録されています。「ひまわり」は残念ながら入ってませんが、たまたまこの主題曲がロード・ダウン出来たのでPCで時々聴いています。
今までは描写や表現があまりに写実的すぎたことや、マカロニ・ウエスタンのイメージがあったりして、なんとなく敬遠してきたので今となっては、私が観た数少ないイタリア映画の一つ…でも大変感銘を受けた映画の一つになりました。
たそがれ
戦後六十年を経た今日でも我が国では中国残留孤児など、戦時中の古傷を清算出来ずに引きずっていますが、これは先の大戦にかかわったヨーロッパ諸国、特に敗戦国になったイタリアでもそれは同じだったようです。
ロシア戦線で生死不明になった夫アントニオを捜し求めてロシアヘ旅立ったジョバンナ
やっと探し当てたアントニオにはすでにロシア人の妻、マーシャと女の子がいました。アントニオは撤退中に寒さで意識不明となり、倒れているところをマーシャに助けられたのです。
マーシャはどこか愁いと寂しさが漂うような女性でしたが、ジョバンナと再会してから記憶を取り戻した夫の微妙な心の変化に気づきます。
もう自分のところへは帰って来ないかも知れない…という不安の中で、マーシャは夫を一時的にジョバンナのところへ送り出しますが、これは普通では出来ない心優しい勇気ある行動だったと思います。
ジョバンナと再会したアントニオは長い年月の流れがすべてを変えた事を悟ります。ジョバンナが息子ににアントニオという名をつけていたことが唯一の救いでした。
お互いに惹かれながらも妻子の待つロシアへ帰るアントニオと、夫や息子とイタリアで暮すジョバンナのミラノ駅での別れ…切ないラスト・シーンでした。
アントニオが命をかけた激戦地は、大輪の花を咲かせるひまわり畑になっていました。
帰ってきたアントニオをマーシャはどんな気持ちで、表情で迎えたのでしょうか。
アントニオはすべてを忘れてロシアの大地に根付いたのでしょうか。
あれからジョバンナと息子のアントニオは幸せに暮すことが出来たのでしょうか。
などと余分な心配の種は尽きませんが、きっと平安と幸が訪れただろうと思いたい…です。
監督のヴィトリオ・デ・シーカは{自転車泥棒」で敗戦国の悲哀をリアルに描きましたが、この作品も戦火によって非情に断ち切られた愛を感動的に捉えています。
ソフィア・ローレンは紛れもない1950年代のスターでした、でもこの映画では私たちの記憶にある華やかなイメージは消えて、内容にふさわしい落ちついた感じを漂わせていました。十五年という歳月は彼女を変えたのでしょうか。
この映画でも音楽が雰囲気を盛り上がるのに、効果を上げていましたが私の手元には、「ヘンリー・マンシーニの美しくスイートな名演集」として、「ムーン・リヴァー」「シャレード」などの映画音楽が収録されています。「ひまわり」は残念ながら入ってませんが、たまたまこの主題曲がロード・ダウン出来たのでPCで時々聴いています。
今までは描写や表現があまりに写実的すぎたことや、マカロニ・ウエスタンのイメージがあったりして、なんとなく敬遠してきたので今となっては、私が観た数少ないイタリア映画の一つ…でも大変感銘を受けた映画の一つになりました。
たそがれ
映画も音楽もほんとに素晴らしかったです。
S・ローレンは前はあまり良い印象を持ってませんでしたが、この映画で見直しました。
音楽家の一人です。
ウクライナのひまわり畑、
悲しくも切ないストリーを
音楽がやさしく流れる
この映画に関しては音楽なしには
語れません。
すばらしい音楽でした。
「ムーン・りヴァー」はヘップバーンのサントラもありますが、マンシーニのオーケストラのもいいですね。ストリングス演奏もきれいで、混声コーラスも気分が出て私のPCでも良く聞きます。
数え切れないほどの名曲の数々
ピンクパンサーや酒とバラの日々
なども名曲ではないでしょうか・・・。
70年代の多様化した音楽シーンに
欠かせない音楽家の一人です。
あの頃は年々生活が良くなっていくののが実感出来ましたね。映画は全然見れませんでしたが。
思い出の多い年でした。
『ひまわり』が上映されたのは、大阪万博の年だったのですね。
月の石を見るだけに1日。ソ連館だけで1日。といった具合で計10回も万博会場に赴きました。
若い日は疲れ知らずでしたね。今でも付近を通る時、あの太陽の塔を見ると懐かしい想いが込み上げてきます。
映画『ひまわり』も同じです。
くじらさんのデザイン落ち着いて良いですね。このデザインはアスカパパさん使っていられたの,あいたので早速使わせてもらいました。
これも期間限定で9月には変更予定ですが、くじらさんとダブらないように連絡しますからよろしくね。
ところでブログのデザインなのですがこちらに来てビックリして、また『ホッ』としました。何故なら私のブログのデザインの候補にこのデザインが有力候補だったのです(笑)かぶらなくて良かったですね。