イマカガミ

こころにうつりゆくよしなしごとを・・・

やっとのことで

2005-07-25 07:26:23 | 
ジョン・ハル著「フィナンシャル・エンジニアリング第5版」を読む。
1100ページくらいありました。
本業の合間にちょこちょこと読むこと2ヶ月弱。
大学の図書館で借りたのだけれど、教職員扱いで3ヶ月間、
9月まで借りられるのだ。

この本、計算が微妙に違っていたり、コメントが変なことがある。
原著の問題か、翻訳の問題か。両方かな。
例えば、単位が違うものの大小や優劣を議論していることがあったり(たぶん原文)、
文章の説明は意味を成さず、計算を見て初めて意味がわかるとか(たぶん翻訳)。
おかしいと思ったときには自分なりにきちんと定式化しなおすと
最終的には同じ結論を得る。

それからこの本では基本的に、
具体例で一般論を展開しようとしているのだけれど、
それは私のような背景の人間にはすこぶるわかりにくい。
文字式で書かないと数式の意味が取りにくいではないか。
他にも数式の取り扱い方が洗練されていない印象を受ける。
例えば、同じ文字で違う量を表していたり。
なんなのだろね。

何かの体系は、揺籃期を経て成熟期に達する。
金融工学の場合、揺籃期は1970年代。
つまりさまざまな金融商品の値付けの枠組みはこのころに出来上がったようだ。
もちろん解析的に厳密に値付けができるものは限られていて、
ほとんど全ての場合において数値的な方法が必要になる。
そして現在は成熟期に達していて、
より誤差の小さい値付けを考えたり、
より個別の顧客の要望に沿った複雑な機構の商品(つまり流動性の低い)を
考えたりする、という段階に達している。
そのために必要なパラメータを市場から読み取る方法を磨いたり、
シミュレーションの方法を改善したりしている。
一方、確率論的手法は金融という領域から外へ出ようとしているように見える。
例えば、企業の事業のリスク管理の枠組みなど。
これは当然のことで、今後社会や企業の行動に確率過程を踏まえた考察が
現れるのではないだろうか。

ところで、私は、揺籃期にある理論を考えるのが好きだ。
曖昧模糊としたものを数式で定式化していくのは楽しい。
それに、(一般的には共有されないだろうけれど)
「基本原理があればあとは計算するだけ、改善するだけ」と思うからだ。
(もちろん、計算可能性は非常に重要です。はい。)
一方でこれは混沌に目鼻を開けてしまう試みでもある。
揺籃期を過ぎたとき、理論に携わっている人は
研究テーマを求めて応用やさまざまな場合への適用を考えざるを得ないのだけれど、
あまりぞっとしない。
状況は違うけれど、これは私が最近の素粒子物理の研究について思うことと
相通じるところがある。

自分で投資理論を作っていたころは楽しかったけれど、
金融工学を勉強したことでその趣味に目鼻を開けてしまった気がする。
金融工学や弦理論に限らず、
いろいろな理論が揺籃期にあった1970年代はさぞ楽しかっただろうと
思うこともある。
今揺籃期にある分野というのは何があるのだろうか。

(この記事、何か書き漏らしたことがある気もするけれど、
ま、いいか。)
ところでこの本の著者の名前、先頭に「キム」をつけると(略)。

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2 コメント

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研究者はどうなる? ()
2005-07-29 00:40:26
こんばんは。帰宅後にふと英徳クンのブログをみたら、おもしろい事書いてあったのでつい反応しちゃいました。



僕も英徳クンの意見に賛成だな。僕が思うに、数学とか物理とか、もしくは金融の一般原理とか「一般性」とかUniversalityみたいな部分の理論ってなかなかないよね。どの分野見てもそんな気がする。あとは、「多様性」を追求する学問(生物、化学、ナノテク、シミュレーション)もしくは関連事業(バイオ、製薬、化学)とか、そういうのは大学なり企業なり続いていくんだろうけど、素粒子をやっていた人間にはちょっとね、という分野が多いよね。



多様性を追求する研究者は今後も一定数世の中に必要になるのだろうけど、はじめに書いたような学問の大学研究者、企業研究者ってこれからどんどんなくなっていくような気がしてならないです。素粒子とか数学をやってた人間にはおもしろくない時代になっていくような気がしてちょっとさびしい気分。



ちょっとセンチメンタルになってしまいました。茶々入れて悪いね。
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いえいえ ()
2005-07-29 14:43:30
コメントは大歓迎です。

そもそもblogというのは双方向的なものらしいですし。



今の状況では、

還元主義的にアプローチできるような

未知の領域というのはちょっと考えただけでは

思いつかないですね。

仮にそういうのを見つけたとしても、

おそらく原理的な部分で楽しめる期間は

昔に比べてどんどん短くなっていくと思います。

追いつく者はいつでも速いというのが

自然科学の常なのですが。



次々に領域を開拓し続けていくか、

あるいは得意な領域にとどまって各論に入っていくか。

どちらの方向もそれなりの苦労がありそうですが、

短期的に社会的存在意義が認められやすいのは

後者のタイプの研究者でしょうか。
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