我が家の戦時遺産 ⑦ 2008-08-17 04:56:11 | 戦時遺産 当時のままと思われるプレートには、検査年月日の刻印は無いが、製造所“株式会社福岡精工所”と使用機体“零式一号観測機一型”の文字。 « 我が家の戦時遺産 ⑥ | トップ | 日土小学校にて。 »
8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 DNA (のりすけ) 2008-08-20 00:05:24 休暇中にPCをいじっていた中、偶然、直司さんのグログを見つけました。私、直司さんとは民法上にいう一番遠い親戚にあたり、大洲N家のDNAを継承する者です。40年ほど前、まだガキだったころ、大分県BT市でお会いしただけですが、ご活躍はお聞きしていました。私も地理学なるものを専攻していたこともあり、町並みやらに交通機関に興味をもっておりこのブログを楽しみにしております。 返信する おやおや。 (オカザキ) 2008-08-21 08:19:15 のりすけ 様カキコミ有難うございます。40年ほど前、BT市、私が中学生の頃?ウーン想い出せない、済みません。でも、嬉しい限りです。DNAは結構大事です。そうですか、地理学専攻、町並みや交通機関。それはそれは。10月に第31回全国町並みゼミ卯之町大会がありますが、ご興味は?構わなければ下記までメールを下さい。 nokazaki@dokidoki.ne.jp 返信する うーん (のぶさん) 2008-08-23 21:52:31 凄いですね。岡崎さんのお父上は陸軍大尉だったのですね。フロートは海軍の通称「零観」のもの。大村は陸上機の飛行場ですから、どこか別の場所からお持ち帰りになったものと推察します。プレートがあるのも凄い。「何でこんなものが」と驚きです。よく持って帰りましたね。 現在、県内の教育委員会に「学校沿革史」「学校日誌」の存在と複写願いを出しています。かなりの教育委員会が快諾してくれましたが、学校日誌はほとんど現存せず、学校沿革史も松山周辺を除いて、現存していない学校が多いという結果でした。公開してくれないだけかもしれませんが。 西予市立岩城小学校も、予讃線工事や陸軍飛行場工事で兵隊が駐屯していたので、期待はしていたのですが、残念ながら現存しないとの回答でした。 返信する ご教示、感謝。 (オカザキ) 2008-08-24 23:13:37 そうですかぁ、通称“零観”ねぇ。確かに、水上飛行機だからホントどこから持って来たんだろう。よく聞いておけば良かったんだが。よその聞き取りより、まず我が家のことと反省しきりの今日この頃。石城小のこと、残念でした。それから日本の公文書保存のあり方には問題がありますネ。特に平成の合併だけでなく、余りにもこれまで明治この方、自治体の変更が多過ぎて、その都度多くの文書が失われた。 返信する こんにちは (のぶさん) 2008-08-25 12:52:09 岡崎さんのご尊父、陸軍大尉だったということは、恐らく別記の「独立歩兵第429大隊」の大隊長ではなかったかと推察します。軍歴表があれば転属などが正確に分かるのですが…。 返信する へえー。 (オカザキ) 2008-08-26 00:19:16 そこまで分かるとは流石にのぶさん。でも、軍歴表までは見つからないナー。 返信する フローとの現物! (大図鑑) 2009-11-12 09:24:04 模型誌で「日本機大図鑑」というタイトルで連載をしている者です。お持ちの零式観測機のフロートは将にそのものでして、残された銘板と共に貴重なる歴史遺産です。是非とも連載の中で採り上げてみたいものです。連絡方法をお教え下さい。 返信する 大図鑑さま (オカザキ) 2009-11-23 00:38:50 書き込みを頂き有難うございます。当方へのご連絡は、上記二段目のアドレスまで宜しくお願い致します。ここ数カ月、ブログ更新をしていない為、書き込みへの対応が遅れ、申し訳ありません。 返信する 規約違反等の連絡
カキコミ有難うございます。40年ほど前、BT市、私が中学生の頃?ウーン想い出せない、済みません。
でも、嬉しい限りです。DNAは結構大事です。
そうですか、地理学専攻、町並みや交通機関。それはそれは。10月に第31回全国町並みゼミ卯之町大会がありますが、ご興味は?
構わなければ下記までメールを下さい。
nokazaki@dokidoki.ne.jp
現在、県内の教育委員会に「学校沿革史」「学校日誌」の存在と複写願いを出しています。かなりの教育委員会が快諾してくれましたが、学校日誌はほとんど現存せず、学校沿革史も松山周辺を除いて、現存していない学校が多いという結果でした。公開してくれないだけかもしれませんが。
西予市立岩城小学校も、予讃線工事や陸軍飛行場工事で兵隊が駐屯していたので、期待はしていたのですが、残念ながら現存しないとの回答でした。
確かに、水上飛行機だからホントどこから持って来たんだろう。よく聞いておけば良かったんだが。
よその聞き取りより、まず我が家のことと反省しきりの今日この頃。
石城小のこと、残念でした。それから日本の公文書保存のあり方には問題がありますネ。特に平成の合併だけでなく、余りにもこれまで明治この方、自治体の変更が多過ぎて、その都度多くの文書が失われた。
でも、軍歴表までは見つからないナー。
お持ちの零式観測機のフロートは将にそのものでして、残された銘板と共に貴重なる歴史遺産です。
是非とも連載の中で採り上げてみたいものです。
連絡方法をお教え下さい。
当方へのご連絡は、上記二段目のアドレスまで宜しくお願い致します。
ここ数カ月、ブログ更新をしていない為、書き込みへの対応が遅れ、申し訳ありません。