岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

旧魚成小講堂-Ⅲ

2007-04-06 10:11:36 | 建見楽学


北側の妻面を見たところ。
壁面はスタッコ壁と呼ばれる、昭和初期に流行した左官仕上げ。
この建物が建てられたのは昭和10(1935)年。

旧魚成小講堂-Ⅱ

2007-04-06 10:07:34 | 建見楽学


既に青ペンキのスレート屋根やサッシュ窓になって、講堂としての重厚さは面目を無くしているが、それでもよく眺めればチラホラと当時の雰囲気は想像出来る。

外壁のアーチ装飾などは、先ごろこのブログでもアップした旧野村警察署武徳殿(昭和9年築)に酷似している。
何より、丁度時期的に桜が満開だったが、学校にふさわしい取り合わせではある。

旧魚成小の講堂。

2007-04-06 09:57:09 | 建見楽学


5日、西予市城川町魚成(うおなし)にある「旧魚成小学校講堂」を訪ねた。

現在は「M.Y繊維」という縫製工場になっている。
昭和42年に今の魚成小学校の場所に新築移転するまでは、ここに学び舎があり、講堂だけが姿を変えて残されている。

初物参上。

2007-04-03 08:24:22 | 季節感


昨日、我が家の裏の竹やぶで、筍(たけのこ)発見。早速掘ってみたところをパチリ。
例年に無く早いお出まし。いつもなら、五月連休前、早くても四月の半ば。

この辺り宇和盆地は肱川の最上流部で、我が家のある山田地区付近では標高230メートルくらいなので、この時期に筍が顔を出すのはちょっと記憶に無い。温暖化の影響か。
1日の日曜には、山へ“わらび採り”に出かけ、30分余りでそれこそ売るほどにゲット。その場所はヒノキの新立ちの所で、二度下刈りをしていて、こんなに見つけやすいのは久しぶり。
ともかく山菜の美味い季節となった。今日は好物が食べられる。

米博での「わらぐろ写真展」

2007-04-02 11:47:36 | まちづくり


現在、米博物館で行われている「わらぐろ写真展」。

先日の3月24・25両日の「わらぐろ野外写真展」が天候不順で客足が伸びなかったので、引き続きこちらでリレー写真展となりました。
期間は4月8日(日)まで。

この長い廊下の一番奥で「ひなまつり」を同じく8日までやっているので、それまでは廊下での雑巾がけ(Z-1)は出来ません。

旧宇和町小模型、Ⅲ。

2007-04-02 11:20:43 | 建見楽学


かつての宇和町小学校には、運動場が三面もあった。

この校舎群に囲まれた第二運動場で運動会などが行われていた。
第一運動場は左側に見える第一校舎に平行した細長い空間が、その左側にあって遊具などが置かれていた。
右側に見える第三、第四校舎の向こう側に、最も広い第三運動場があって、現在の鉄筋校舎はそこに建てられた。
従って、この木造校舎群が解体あるいは移築撤去されて、その跡が現在の運動場。
旧第一運動場プラス第二運動場プラス校舎跡地の広さ。

この宇和町小学校の保存運動があったのは昭和末期だったが、この全容がもしあのまま残っていたら、今頃は重要文化財だったに違いない。
歴史に“もし”はナンセンスだが、それでも仮にそうなっていたら、道後温泉本館と同じく、現役の重要文化財として学校施設としても最高の教育効果があったに違いない。

因みに、中央に見えている長い渡り廊下が俗に「百間(ひゃっけん)廊下」と呼ばれていたもので、現在の雑巾がけレースの行われる第一校舎の長い廊下のことと間違う方も居て、困りモノである。

旧宇和町小模型、Ⅱ。

2007-04-02 11:00:46 | 建見楽学


全体模型がこのように置かれているが、「Z-1(ジーワン)」と呼ばれる雑巾がけで有名になった長い廊下の第一校舎に較べ、その上段奥にあって、しかもこの模型は最も奥の教室に置かれているので、あまりここまで足を運ぶ人は少ないかも知れない。
この模型が置かれている「第二校舎」というのは、この模型では右から二番目、中央の本館と右側の第一校舎(米博)にはさまれた建物だった。

旧宇和町小の模型。

2007-04-02 10:54:37 | 建見楽学


この本館の玄関入り口右側に「平和の像」があったことになる。
本館に入ると、その奥に講堂が続いていた。

この模型は、移築保存の際にかつての全容が分かるよう製作され、現在は移築された第二校舎(米博物館の上段)奥の教室に置かれている。