岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

米博での「わらぐろ写真展」

2007-04-02 11:47:36 | まちづくり


現在、米博物館で行われている「わらぐろ写真展」。

先日の3月24・25両日の「わらぐろ野外写真展」が天候不順で客足が伸びなかったので、引き続きこちらでリレー写真展となりました。
期間は4月8日(日)まで。

この長い廊下の一番奥で「ひなまつり」を同じく8日までやっているので、それまでは廊下での雑巾がけ(Z-1)は出来ません。

旧宇和町小模型、Ⅲ。

2007-04-02 11:20:43 | 建見楽学


かつての宇和町小学校には、運動場が三面もあった。

この校舎群に囲まれた第二運動場で運動会などが行われていた。
第一運動場は左側に見える第一校舎に平行した細長い空間が、その左側にあって遊具などが置かれていた。
右側に見える第三、第四校舎の向こう側に、最も広い第三運動場があって、現在の鉄筋校舎はそこに建てられた。
従って、この木造校舎群が解体あるいは移築撤去されて、その跡が現在の運動場。
旧第一運動場プラス第二運動場プラス校舎跡地の広さ。

この宇和町小学校の保存運動があったのは昭和末期だったが、この全容がもしあのまま残っていたら、今頃は重要文化財だったに違いない。
歴史に“もし”はナンセンスだが、それでも仮にそうなっていたら、道後温泉本館と同じく、現役の重要文化財として学校施設としても最高の教育効果があったに違いない。

因みに、中央に見えている長い渡り廊下が俗に「百間(ひゃっけん)廊下」と呼ばれていたもので、現在の雑巾がけレースの行われる第一校舎の長い廊下のことと間違う方も居て、困りモノである。

旧宇和町小模型、Ⅱ。

2007-04-02 11:00:46 | 建見楽学


全体模型がこのように置かれているが、「Z-1(ジーワン)」と呼ばれる雑巾がけで有名になった長い廊下の第一校舎に較べ、その上段奥にあって、しかもこの模型は最も奥の教室に置かれているので、あまりここまで足を運ぶ人は少ないかも知れない。
この模型が置かれている「第二校舎」というのは、この模型では右から二番目、中央の本館と右側の第一校舎(米博)にはさまれた建物だった。

旧宇和町小の模型。

2007-04-02 10:54:37 | 建見楽学


この本館の玄関入り口右側に「平和の像」があったことになる。
本館に入ると、その奥に講堂が続いていた。

この模型は、移築保存の際にかつての全容が分かるよう製作され、現在は移築された第二校舎(米博物館の上段)奥の教室に置かれている。

宇和町小の変遷。

2007-04-02 10:37:32 | ノスタルジー


宇和町小学校に今も残る「平和の像」。
乗松巌氏の製作だったか。

かつては、この像のバックに洋風の木造二階建て本館が建っていたが、現在の鉄筋校舎を新築する際に取り壊された。
後方に写っている移築校舎は、第一校舎(米博物館)と第二校舎、講堂のみ。

宇和町小の桜、Ⅱ。

2007-04-02 10:30:51 | Weblog


宇和町小学校の桜。

この石垣は230メートルにも及び、1万1千坪の校地を擁する宇和町小の知られざる誇り。
昭和9年に完成した宇和町小学校は、当時の名町長にしてクリスチャンだった故清水判三郎氏の苦心の賜物(たまもの)。

春はやっぱり桜です。

2007-04-02 09:48:20 | 季節感


ここ数日の陽気で、宇和盆地の桜も一気に咲き始めました。写真は3月31日の宇和町小学校でのワンショット。
向こうに見えるのは、移築保存されいてる旧宇和町小学校(現米博物館)。
四月となり、毎月替えているテンプレート(プロフィール)の小窓写真も、ひな飾りから桜です。