(20)臼杵城遠望 2008-03-03 00:24:42 | 建見楽学 かつて、大友宗麟時代の丹生島城は、臼杵湾に突き出た要害の地であったが、現在では陸地化して市街地が広がっている。 大友時代、ポルトガルから入手した大砲「国崩し」が南から攻め込んだ島津の大軍に対し、轟音を放ったという。 櫓(やぐら)が二つ見えるが、江戸期稲葉氏時代の畳櫓(右側)と平成13年に復元された大門櫓。 稲葉氏は、関が原後に郡上八幡から移封され、明治維新まで5万石の大名として存続した。 « (19)ポルト蔵、その二 | トップ | (21)臼杵石仏 »