2011/1/16
ダニエル書3章19節~30節
「なぜ燃え盛る炉のなかに4人が」
19 ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。
20 そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。
21 彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。
22 王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。
23 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。
24 間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」
25 王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
26 ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。
27 総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。
28 ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。
29 わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」
30 こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。
ネブカドネツァル王は、自分の宗教によって国をひとつにまとめようとし、それに反抗したシャドラク、メシャク、アベド・ネゴは燃え盛る炉に投げ込まれた。
燃え盛る炉のなかにいた神の子のような姿をした4人目の者は、神の御使い(天使)、または、人間になられる前のキリストであると言われている。
燃え盛る炉のなかに神の御使いがいなくても、この三名を救うことができる。しかし神を信じる者は、必ず救われるという意味を人々に感じさせるために、神の御使いが燃え盛る炉のなかにおられた。つまり、インマヌエル(神は我々と共におられる)の神であるということを象徴している。
この三名は火の苦しみを全く感じなかった。このことは、人間は罪によって死ななければならない者であったが、キリストが人間の代わりに罪を背負い、十字架にはりつけになられたということにつながっていく。
救いとは、自分の力によるものではなく、神の恵みによる無償のプレゼントである。信仰も神から与えられる賜物である。もし救いが、罪深い人間の行いや信仰によるものであれば、常に移ろいやすいものに変わる。しかし救いが、神の恵みによるものであれば、常に確固たるものになる。このことに気付くことが大事。
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昨日の教会の説教はダニエル書でした。火の威力を通常の7倍にした燃え盛る炉を目の前にした三人は、すごく不安だったと思うんだよね。まさに死と対峙することだから。しかも兵士は焼き殺されるし。
でも神様を信じる心を決して曲げなかった三人。やっぱりこういう時って、神様の力が人間の中に働くんだろうな。そして神様に身を委ねることが大事なんだと感じた。
クリスチャンの救いは、全て神様の恵みによるもの。それを生きている時に知ることができた。だからこそ、どんなに苦しい人生であっても、神様に感謝して賛美していきたいな。これが人生の目的なんだ。
しるしがなくても、必ず神の国に行けるということを信じることが、本当の信仰だと思う。もちろん人間というのは、移ろいやすいもの。だからこそ、いつも神様を見上げていきたい、祈りを通して神様と交わっていきたい。
僕の病気は心拍停止、または、痰による窒息死で死亡すると言われている。しかも今のところは30代までの寿命だし。正直、怖い。想像もしたくない。でも死ぬときもインマヌエルの神がおられる。委ねていこう。弱いときにこそ、大いなる神の力が働くのだから。
人生の悲しみの時こそ、キリストの慰めは豊かなんだ。死の時もこの事情は変わらない。人の無力さがあらわになる時、キリストはただ一人立ち働いて下さり、豊かな祝福を注いで下さる。
「天国のイエス様はもう私たちを裁く方ではありません。私たちを救ってくださったお方なのですから、何一つ恐れることはありません。心配することはありません」 【ルター】
「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」 【ウエストミンスター小教理問答 第1問】
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ダニエル書3章19節~30節
「なぜ燃え盛る炉のなかに4人が」
19 ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。
20 そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。
21 彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。
22 王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。
23 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。
24 間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」
25 王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
26 ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。
27 総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。
28 ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。
29 わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」
30 こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。
ネブカドネツァル王は、自分の宗教によって国をひとつにまとめようとし、それに反抗したシャドラク、メシャク、アベド・ネゴは燃え盛る炉に投げ込まれた。
燃え盛る炉のなかにいた神の子のような姿をした4人目の者は、神の御使い(天使)、または、人間になられる前のキリストであると言われている。
燃え盛る炉のなかに神の御使いがいなくても、この三名を救うことができる。しかし神を信じる者は、必ず救われるという意味を人々に感じさせるために、神の御使いが燃え盛る炉のなかにおられた。つまり、インマヌエル(神は我々と共におられる)の神であるということを象徴している。
この三名は火の苦しみを全く感じなかった。このことは、人間は罪によって死ななければならない者であったが、キリストが人間の代わりに罪を背負い、十字架にはりつけになられたということにつながっていく。
救いとは、自分の力によるものではなく、神の恵みによる無償のプレゼントである。信仰も神から与えられる賜物である。もし救いが、罪深い人間の行いや信仰によるものであれば、常に移ろいやすいものに変わる。しかし救いが、神の恵みによるものであれば、常に確固たるものになる。このことに気付くことが大事。
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昨日の教会の説教はダニエル書でした。火の威力を通常の7倍にした燃え盛る炉を目の前にした三人は、すごく不安だったと思うんだよね。まさに死と対峙することだから。しかも兵士は焼き殺されるし。
でも神様を信じる心を決して曲げなかった三人。やっぱりこういう時って、神様の力が人間の中に働くんだろうな。そして神様に身を委ねることが大事なんだと感じた。
クリスチャンの救いは、全て神様の恵みによるもの。それを生きている時に知ることができた。だからこそ、どんなに苦しい人生であっても、神様に感謝して賛美していきたいな。これが人生の目的なんだ。
しるしがなくても、必ず神の国に行けるということを信じることが、本当の信仰だと思う。もちろん人間というのは、移ろいやすいもの。だからこそ、いつも神様を見上げていきたい、祈りを通して神様と交わっていきたい。
僕の病気は心拍停止、または、痰による窒息死で死亡すると言われている。しかも今のところは30代までの寿命だし。正直、怖い。想像もしたくない。でも死ぬときもインマヌエルの神がおられる。委ねていこう。弱いときにこそ、大いなる神の力が働くのだから。
人生の悲しみの時こそ、キリストの慰めは豊かなんだ。死の時もこの事情は変わらない。人の無力さがあらわになる時、キリストはただ一人立ち働いて下さり、豊かな祝福を注いで下さる。
「天国のイエス様はもう私たちを裁く方ではありません。私たちを救ってくださったお方なのですから、何一つ恐れることはありません。心配することはありません」 【ルター】
「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」 【ウエストミンスター小教理問答 第1問】
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