明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

神の恵み

2011年01月17日 12時15分15秒 | キリスト教
2011/1/16

ダニエル書3章19節~30節
「なぜ燃え盛る炉のなかに4人が」

19 ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。 

20 そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。 

21 彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。 

22 王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。 

23 シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。 

24 間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」 

25 王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」 

26 ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。 

27 総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。 

28 ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。 

29 わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」 

30 こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。 


ネブカドネツァル王は、自分の宗教によって国をひとつにまとめようとし、それに反抗したシャドラク、メシャク、アベド・ネゴは燃え盛る炉に投げ込まれた。

燃え盛る炉のなかにいた神の子のような姿をした4人目の者は、神の御使い(天使)、または、人間になられる前のキリストであると言われている。

燃え盛る炉のなかに神の御使いがいなくても、この三名を救うことができる。しかし神を信じる者は、必ず救われるという意味を人々に感じさせるために、神の御使いが燃え盛る炉のなかにおられた。つまり、インマヌエル(神は我々と共におられる)の神であるということを象徴している。

この三名は火の苦しみを全く感じなかった。このことは、人間は罪によって死ななければならない者であったが、キリストが人間の代わりに罪を背負い、十字架にはりつけになられたということにつながっていく。

救いとは、自分の力によるものではなく、神の恵みによる無償のプレゼントである。信仰も神から与えられる賜物である。もし救いが、罪深い人間の行いや信仰によるものであれば、常に移ろいやすいものに変わる。しかし救いが、神の恵みによるものであれば、常に確固たるものになる。このことに気付くことが大事。

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昨日の教会の説教はダニエル書でした。火の威力を通常の7倍にした燃え盛る炉を目の前にした三人は、すごく不安だったと思うんだよね。まさに死と対峙することだから。しかも兵士は焼き殺されるし。

でも神様を信じる心を決して曲げなかった三人。やっぱりこういう時って、神様の力が人間の中に働くんだろうな。そして神様に身を委ねることが大事なんだと感じた。

クリスチャンの救いは、全て神様の恵みによるもの。それを生きている時に知ることができた。だからこそ、どんなに苦しい人生であっても、神様に感謝して賛美していきたいな。これが人生の目的なんだ。

しるしがなくても、必ず神の国に行けるということを信じることが、本当の信仰だと思う。もちろん人間というのは、移ろいやすいもの。だからこそ、いつも神様を見上げていきたい、祈りを通して神様と交わっていきたい。

僕の病気は心拍停止、または、痰による窒息死で死亡すると言われている。しかも今のところは30代までの寿命だし。正直、怖い。想像もしたくない。でも死ぬときもインマヌエルの神がおられる。委ねていこう。弱いときにこそ、大いなる神の力が働くのだから。

人生の悲しみの時こそ、キリストの慰めは豊かなんだ。死の時もこの事情は変わらない。人の無力さがあらわになる時、キリストはただ一人立ち働いて下さり、豊かな祝福を注いで下さる。


「天国のイエス様はもう私たちを裁く方ではありません。私たちを救ってくださったお方なのですから、何一つ恐れることはありません。心配することはありません」 【ルター】

「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」  【ウエストミンスター小教理問答  第1問】


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永遠と一日

2011年01月16日 22時18分02秒 | 映画
映画「永遠と一日」

19世紀の詩人ソロモスについて研究している主人公アレクサンドロス(詩人)は、重病を患い、追憶に慕っている。

最愛の妻を亡くし、自分の妻と過ごしたかけがえのない海辺の家を、娘夫婦に売却される。自分の居場所さえ無くなり、大事な思い出の家を失い、余命わずかのアレクサンドロスは、孤独の中を彷徨っていた。旅に出ようと決意したが、何処へ行こうとも、新しい世界など見つけられそうもない年老いたアレクサンドロス。

そんな中、ギリシア系アルバニア人の難民の少年と出会う。家族を失い、生まれ故郷を捨てたが、海の向こうに新しい世界を夢見ることのできる少年。

2人とも居場所がないという点では共通している。

過去と現実が交錯する物語。冬の厳しい寒さと現実の閉塞感によって心を圧迫されるアレクサンドロスにとって、唯一の幸せは、妻と愛し合った夏の海辺の時間。アレクサンドロスの追憶の中で、幸せな過去のイメージが壮大に広がる。

また少年は、共に国境を超えるという命がけの旅をした親友セリムを亡くす。そして少年は、難民の仲間たちとフェリーで旅(密航)すると言う。

アレクサンドロスは少年を誘い、海辺の循環バスに乗る。コミュニストの青年、喧嘩をする恋人、弦楽科の音楽学生たち、そして詩人ソロモスが同乗する。この循環バスは、アレクサンドロスの魂の中を運転しているのだろうか。ソロモスは「人生は美しい。そう、人生は美しい」と言う。アレクサンドロスは、下車するソロモスに「明日の長さはどれくらいか」と尋ねるが答えは無い。

その後、少年は難民の子供たちと共に、フェリーで海の向こうの新しい世界へと旅立つ。

翌朝、懐かしい海辺の家で、アレクサンドロスは、昔と同じように親戚と妻アンナに再会する。アレクサンドロスがアンナに「明日の長さは?」と尋ねると、アンナは「永遠と一日」と答える。そしてアレクサンドロスはつぶやく。「詩人は死することはない。言葉で過去を連れ戻すからである。すべては真実で、真実を待っている」と。

まるで叙情詩が映画になったような作品だった。理屈ではなく、感じる映画だと思う。

ひとつひとつの言葉が美しい。ギリシアの青い海、静かに流れていく河、アルバニア国境付近の雪などの自然が作品をより美しくさせる。また、過去の光と現実の闇との対比がとても切なく感じられる。

詩人とは、自ら紡ぎ出す言葉によって時空を超え、過去や未来の人物たちと語り合うことのできる存在なのだろう。言葉はいつまでも消え去らない。

まるで永遠は一日のようで、一日は永遠のようだ。この逆説を随所に感じられた。まさにアレクサンドロスが妻アンナと過ごした至福の時間は、そういうものだったんだろうな。僕もアレクサンドロスのように、幸せな過去の壮大なイメージを忘れたくないと強く思った。

過去・現在・未来という時間の壁を打ち破った、この映画はすごい。
人間というものは、言葉を切符にして、時空を旅することができるのだろう。
だからこそ人生は美しいのかもしれない。

どれほど苦しい人生であろうとも、身近にある見えない幸せに気付くことができれば、その幸せはいつまでも人間の心に残るのだと思う。
たとえ忘れてしまうような泡沫の幸せでも、その人を形作っているんだよね。
この幸せこそが、暗い海の底に沈んだ日でも、青空を飛ぶことはできると人間に思わせてくれるんじゃないかな。

2

2011年01月15日 22時00分04秒 | 読書
【現代ヨーロッパの精神 (岩波現代文庫)/加藤 周一】

サルトル、ゴットフリード・ベン、フォースタ、シモーヌ・ヴェーユ、グレアム・グリーン、カール・バルトなど戦中や戦後に活躍した思想家を解説している本。 

ドイツの思想家を解説するところでは、単にナチス時代を批判するのではなく、なぜナチスがドイツ国民に支持されたのか冷静に分析し、すぐドイツから亡命したトーマス・マンなどの人物に目を向けるよりは、ドイツ国内でナチスを支持したり、または抵抗した人物たちに目が向けられている。 
ベンの思想の移り変わりの指摘がすごいなと思った。 

50年代の時点でシモーヌ・ヴェーユに注目した先見性はさすがだと思う。 

サルトルとカミュの論争の箇所では、共産主義を同一視するのではなく、ソ連の共産主義とフランスの共産主義の背景の違いを明確化して解説しているので、とても分かりやすかった。 

世界大戦を経験した戦後ヨーロッパの思想は現在も延長線上にあるので、この本を読むことで現代を少しは理解できると思う。 
いくら50年代に書かれた本だからとはいえ、古文書と見なしてはいけないだろう。
 
【死の壁(新潮社)/養老 孟司】

主に日本人の死をテーマに扱った作品。 

なぜ人を殺してはいけないのか? 
それは人間は、殺した相手を元通りに創り直すことができないからだと養老さんは言う。 
人間は蝿さえも生き返らすことはできないということを自覚すべきなんだなと思った。 

そして「私は死体を人間だと思うようにしている」と養老さんは言う。 
日本人は死人・死体を生者から切り離し、違う世界の住人だと認識している。 
でもこう考えてしまえば、死体を粗末に扱うことになるような気がする。 
また死体をモノだと見れば、能力の低い人や病人など社会的弱者さえもモノに見えてしまうのではないだろうか。 
だから養老さんの意見には自分の価値観を変えさせられた。 

人間の死亡率は100%。 
誰もが避けられないこの事実を、しっかりと認識していきたい。

1

2011年01月15日 21時54分54秒 | 読書
これから定期的に、読んだ本の簡単なレビューを載せていきます。
記録として残したいからね。


【教養としての「死」を考える(洋泉社)/鷲田 清一】

死をテーマに扱った散文的な内容。 

現代文明の発展により、死が医療従事者などテクノラートの介入で人為的・制度的なものになり、死の固有性が失われたことを指摘している。 

そして「人間は親が自分の子供だと認識したときに生まれ、自分を知っている人がいなくなったときに死ぬのだ」という言葉が印象に残った。 

逆に言い換えれば、人間というものは、人から忘れられたときは死と同じくらいの痛みを感じるのではないだろうか。 

とても読みやすいので、哲学が苦手な人にもオススメ。
 
【あすなろ物語(新潮社)/井上 靖】

「あすなろ物語/井上靖」を読んだ。 
井上靖の自伝的小説。 
鮎太という主人公の幼少期から壮年期の物語だ。 

明日は檜になろうと夢見ているが、永遠に檜になることができない木である翌檜(あすなろう)に登場人物たちを例えている。 

やっぱり翌檜のように檜、つまり理想の自分になりたいという志は人間には必要だと思う。 
たとえ永遠に理想の自分には辿り着けなくても、目指して行く事に意味があるのだ。 

誰もがこの作品の主人公に自分を投影することができるはずである。 

どんなに困難な時でも、どんなに迷い彷徨う時でも、今の自分に妥協することなく、自分らしくいることに甘えないで、さらなる高みの自分を目指して行きたいと感じた。

重き荷を負いて

2011年01月13日 16時55分36秒 | 作詩
♫BGM♫ 
重き荷を負いて/中島みゆき 
「掌の傷口を握るのが精一杯 
愛をひろう余裕もなく 泥をひろう余裕もなく 
ひび割れた唇は噛みしめるのが精一杯 
過去を語る余裕もなく 明日を語る余裕もなく 
がんばってから死にたいな がんばってから死にたいな  
ふり仰ぎ ふり仰ぎ そのつど転けながら 
重き荷を負いて 坂道を登りゆく者ひとつ 
重き荷は重く 坂道は果てもなく続くようだ」 

やっぱり「重き荷を負いて」は魂が揺さぶられる曲だと思う。 
倒れそうな僕の精神を力強く支えてくれる。 
昨日まで心が沈んでいたけど、浮き上がらせてくれた。 

ホント、がんばってから死にたいよ。 

それと、ちょっと久しぶりに作詩してみました♫ 
今回は3作品載せますね! 

ちなみにこれからは作詩した作品を練り直して、産経新聞の「朝の詩」というコーナーに投稿していこうかなと思っています。

今回の詩は、もう少し綺麗な言葉で書けたらよかったなぁ。 
風景描写が苦手だから、定期的に作り続けることが必要やね。 

都会に住んでいるから、もっとたくさん自然を感じていきたい☆ 

「あなた」 

会えなくてもあなたの気持ちが分かるよ 
きっと今ごろ寂しさで涙を流しているのかな 
だからあなたに会いたくてたまらなくなるの 

恋というのが私の名前 
一瞬という時間も  あなたがいれば  永遠に続くような気がする 
そんな泡沫の幸せが  私を形作るのよ 

いつか恋が愛に変わる日を夢見ているわ 

「忘れないで」 

人間の存在理由は 
いつも他人との関係で決まる 
だからひとりぼっちは寂しいね 

でも孤独だと言葉にしている時点では 
まだひとりじゃないってこと 
本当の孤独は言葉にすらできないから 

気が付けばいつも君がいてくれたね 

なぜ僕らは巡り逢うのだろう 
そしていつか別れが訪れる 

どうか僕を忘れないで 
君が思い出す限り 
僕という存在はいつまでも君の中にいる 

星屑のひとつになった僕は 
旅立つ前  君の心に種を蒔いた 
君が涙を流す夜が来る度 
そっと背中を照らす光を注いで 
君の心に花を咲かせよう 

「美しいとき」 

あと何度 色彩鮮やかな地球の風景を眺めることができるだろう 

朝起きる度 テラスで囁いてくれたすずめの鳴き声 
蒼く光る海の中に滲んでいった橙色の斜陽 
うららかな日和 まるで羊水のように包み込んでくれた風 
人に裏切られたとき 心に降り注いだ憎しみの時雨 
君との別れを受け止められず 偲んだ朧月夜 

命の終わりを覚悟した日から 
それまで何の変哲もない世界が変貌して見えたんだ 
幸せはこんなにも近くに存在しているのだろう 

聴こえない頑張れを  握った両手に込めて伝えてくれた君の思い 
今でも僕の身体に染み込んでいるよ 
短い時間さえ  君と過ごすだけで  永遠という甘さを感じられた 
たとえそれが泡沫の幸せだとしても 
今の僕を形作っている 

あぁどうして こんなに美しい日々が こんなに短いのか 
あぁせめて  もう一度だけ 愛する人々と桜が見たい 

この儚い生命が燃え尽きるまで 移ろう世界を眺めていたい 
いつか消え去る無常の美しい日々を 僕の魂に刻み込もう