明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

大祭司イエス様

2013年11月08日 22時01分48秒 | キリスト教
新共同訳聖書【ヘブライ人への手紙 4章14~16節】

14節 「さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。

15節 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

16節 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」


旧約時代、神を礼拝し、神に近づくためには、祭司という仲介者なしにはできなかった。大祭司はそうした制度のトップに立つ存在です。仲介者である大祭司の存在なしには、私たちが神の前に来ることも、立つことも、近づいて親しくなることも不可能なのです。

15節、天において偉大な大祭司となられたイエス様は、「あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」とある。これは、『信仰を揺るがすような試練のすべてを経験された』という意味だそうです。イエス様は、神の御子でありながらこの地上にお生まれになられ、罪は何ひとつ犯されなかったが、罪に陥れて神から私たちを引き離そうとする悪魔の誘惑、私たちが受ける試練のすべてを経験された。

私たちには試練に屈しやすい弱さがあるけど、試練がいかに強いものであり、私たちはいかにそれに弱いかを、イエス様はよく理解しておられる。ご自分も同じように、私たちのレベル以上に比べられないほどの試練を受けられたからです。罪は犯されなかったが、試練や誘惑の力に私たちが耐えられないことをよくご存じなんだ。

15節の「同情する」という言葉は、「共に苦しむ」という意味を持っている。他者の苦しみの中に自らも入り込み、その苦しみを自分の苦しみとして背負う、という意味です。

私たちは痛みを経験して初めて人の痛みを理解できる。でも、全ての点において経験し、理解はできない。私は隣人の苦しみどころか、自分の苦しみすら背負えないと感じる…。でも、私の全てを知っていて、私が抱えている苦しみを全て経験されたイエス様が寄り添っておられると思うと、平安が与えられる。

天の御座におられる大祭司イエス様は、私たちが、誘惑に陥ることなく、試練に押し潰されることなく、神の子どもとして生きる全ての必要な助けを与えようとしておられる。だから、その助けを受けるために、大胆に確信をもってイエス様に信頼しながら生きていきたい。

♪讃美歌332「主はいのちを」♪




日本語の歌詞はこちら→http://www.geocities.jp/asakusa_kyokai/song332.html

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ありがとうございます。

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknownさんへ (広輝)
2013-11-15 18:49:41
コメントありがとうございます。
共感して下さって嬉しいです。
イエス様が神と人の間を完全にとりなす大祭司になって下さったからこそ、僕たちは平安を感じることができるんですよね。。
感謝でいっぱいです。。
讃美歌も聴いて下さってありがとうございます♪
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アーメン!! (Unknown)
2013-11-11 12:52:36
本当にその通りですね。アーメンと唱和します。特に”平安”とはどんなものなのかがよく分かりました。多くの方々が之を読んで平安を得られますようにと願います。
画像とともに讃美歌を楽しみました。
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