私が子供の頃は、習い事と言ったらそろばんと習字くらいしかありませんでした。
都会には学習塾もあったのかも知れませんが、父の転勤で地方都市に住んでいた時期が圧倒的に多かったので...。
私も例に漏れず、この両方を習っていました。
どちらもたいしたところまでは行きませんでしたが、そろばんは道具を扱う面白さがあって好きでしたね...。
ただ、暗算は苦手でした。
あの、そろばんの珠を頭に描いてハジく、という作業にどうしても馴染めなかったのです。
電卓の時代になっても、そろばんは習い事として根強い人気がありますね。
昔と違うのは、将来のために技を身につけると言うより、能力開発としての側面がクローズアップされていることでしょう。
確かに指先を動かすのは脳にいいと言われているし、計算力をつけるためには有効なのかも知れません。
ただ、そろばんはあくまでも算数の世界までですよね。
数学はそろばんではできません。
さらに、誤解を恐れず言わせてもらえば、普通の計算力とも異なると思うのです。
恥ずかしながらそろばんでの割り算のやり方は忘れてしまいましたが、足し算や引き算にしてもかけ算にしても、計算の原理は筆算と同じですが、それが器械の操作で終わっている気がするんです。
うまく言えませんが、数の概念や計算の仕組みなどと関係なく、ただ道具を操っているだけなのではないか?と思うんです。
もちろん筆算でも、やっていることの意味がよくわからずに機械的に計算している子も少なくないと思うし、ある程度慣れてきたらそれでも構わないと思います。
たかが計算程度で時間をかけて考えるのもどうか...とも思います。
ただ、そろばんでの計算って、筆算以上に「考えなくてもできる」ように思うのですが...。
手の方が勝手に動いて答えが出てしまうというか...。
小学生で、1ケタ同士の足し算でもすぐに指を動かして、頭の中のそろばんで答を求める子がいます。
で、ときどき間違います。
その作業に頼らないと簡単な足し算もできないって、これって計算力があると言えるのでしょうか?
私は今、暗算は苦手ではありません。
どちらかと言うと速い方だと思います。
でも、頭の中にそろばんは存在しません。
自分なりの経験で、速く計算できる工夫をしているだけです。
念のため言っておきますが、そろばんの批判をしたいのではありません。
ただ、わからないので教えてほしいのです。
そろばんで養うことができる力って何なんでしょう?
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都会には学習塾もあったのかも知れませんが、父の転勤で地方都市に住んでいた時期が圧倒的に多かったので...。
私も例に漏れず、この両方を習っていました。
どちらもたいしたところまでは行きませんでしたが、そろばんは道具を扱う面白さがあって好きでしたね...。
ただ、暗算は苦手でした。
あの、そろばんの珠を頭に描いてハジく、という作業にどうしても馴染めなかったのです。
電卓の時代になっても、そろばんは習い事として根強い人気がありますね。
昔と違うのは、将来のために技を身につけると言うより、能力開発としての側面がクローズアップされていることでしょう。
確かに指先を動かすのは脳にいいと言われているし、計算力をつけるためには有効なのかも知れません。
ただ、そろばんはあくまでも算数の世界までですよね。
数学はそろばんではできません。
さらに、誤解を恐れず言わせてもらえば、普通の計算力とも異なると思うのです。
恥ずかしながらそろばんでの割り算のやり方は忘れてしまいましたが、足し算や引き算にしてもかけ算にしても、計算の原理は筆算と同じですが、それが器械の操作で終わっている気がするんです。
うまく言えませんが、数の概念や計算の仕組みなどと関係なく、ただ道具を操っているだけなのではないか?と思うんです。
もちろん筆算でも、やっていることの意味がよくわからずに機械的に計算している子も少なくないと思うし、ある程度慣れてきたらそれでも構わないと思います。
たかが計算程度で時間をかけて考えるのもどうか...とも思います。
ただ、そろばんでの計算って、筆算以上に「考えなくてもできる」ように思うのですが...。
手の方が勝手に動いて答えが出てしまうというか...。
小学生で、1ケタ同士の足し算でもすぐに指を動かして、頭の中のそろばんで答を求める子がいます。
で、ときどき間違います。
その作業に頼らないと簡単な足し算もできないって、これって計算力があると言えるのでしょうか?
私は今、暗算は苦手ではありません。
どちらかと言うと速い方だと思います。
でも、頭の中にそろばんは存在しません。
自分なりの経験で、速く計算できる工夫をしているだけです。
念のため言っておきますが、そろばんの批判をしたいのではありません。
ただ、わからないので教えてほしいのです。
そろばんで養うことができる力って何なんでしょう?
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そろばんも暗算も○段という子、何人か知ってますが、他の事に関してはイマイチだったような・・・?数字を珠に置き換えてイメージ操作するという、ひとつの計算方法ですよね。糸山先生は「芸事」と書いてましたが。
公文とそろばんって、お互いに反目しあってますよね。「あっちのやり方を修正するのにホント大変だった」と、やはりお互いに言い合ってるようです。
「どっちの料理ショー」に出て判断してもらいたいです。
この福田さん、毎回趣向を凝らしたコンサートを開いてくれます。今回はこの曲の基になった画家であり建築家・ハルトマンの絵をスクリーンに映し出しての演奏でした。
絵を見ながら音楽を聴くことによって、はっきりとしたイメージが頭の中に浮かぶのです。公園で子どもが遊んでる、市場の喧騒、墓地に吹く不気味な風・・・。
音楽と絵が一体化した「25周年記念コンサート」、この後は島根(出雲市)、京都(府民ホール)、岩手(北上)、石川(白山市)、5/27の山梨(身延町)まで続きます。
お近くの方、ぜひ一度、福田さんの演奏を聞きに行って下さいね!
http://www.pianist.jp/fukuda/
桐さん、すみません。宣伝になってしまいました。お許しください。
集中力、これは確かに養われそうですね。
習字って、いい加減な気持ちで書くとうまい人にはすぐ見抜かれてしまう...普段の字もきれいとは言えない私にとっては恐ろしいことです...。
「芸事」、なるほど、言い得て妙ですね。
そろばんvs公文の「どっちの料理ショー」、面白そうです。公文も器械を操作しているようなものだもんなぁ...。
宣伝、大いに利用してください。「展覧会の絵」大好きですよ。長野であれば、私も行きたいところです。