「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『魂のみなもとへ』

2008年06月19日 | Arts
『魂のみなもとへ』(谷川俊太郎、長谷川宏・著、朝日文庫)
  サブタイトルは「詩と哲学のデュオ」。谷川俊太郎さんの詩と、哲学者である長谷川宏さんの短い文章によるコラボレーション。30編中ちょっと気になった2編の谷川さんの詩と、長谷川さんの文章を短く引用する。



世界が私を愛してくれるので
―谷川俊太郎―

世界が私を愛してくれるので
(むごい仕方でまた時に
やさしい仕方で)
私はいつまでも孤りでいられる

私に始めてひとりのひとが与えられた時にも
私はただ世界の物音ばかりを聴いていた
私には単純な悲しみと喜びだけが明らかだ
私はいつも世界のものだから

空に樹にひとに
私は自らを投げかける
やがて世界の豊かさそのものとなるために

・・・・・・私はひとを呼ぶ
すると世界がふり向く
そして私がいなくなる


「世界からわたしにやってくる愛。わたしから世界へとむかう愛。目には見えないし、濃厚さや熱っぽさとは無縁の愛だが、その愛が信じられたら、そこから生きる力を得てくることができるだろう。では、信じられなかったら?信じられないわたしの孤独は深い。孤独を静かに耐えて、世界との愛が信じられるようになるのを待つしかないと思う。待つことも生きることだから。」(長谷川宏)



しぬまえにおじいさんのいったこと
―谷川俊太郎―

わたしは かじりかけのりんごをのこして
しんでゆく
いいのこすことは なにもない
よいことは つづくだろうし
わるいことは なくならぬだろうから
わたしには くちずさむうたがあったから
さびかかった かなづちもあったから
いうことなしだ

わたしの いちばんすきなひとに
つたえておくれ
わたしは むかしあなたをすきになって
いまも すきだと
あのよで つむことのできる
いちばんきれいな はなを
あなたに ささげると


「結構な死にかたとはなにか。・・・やや分析的にいうと、結構さの要因として、三つのことがあげられる。・・・一つは、老年で死を迎えること。しあわせな死は、やはり、おじいさんかおばあさんかの死だ。・・・要因の二つ目は、おじいさんが『いうことなし』の心境にあること。『いうことなし』といえるのは、自分の生涯と、自分の生きてきた世の中を肯定できるからだ。・・・要因の第三は、『あの世』へと思いが通っていること。・・・このおじいさんのようにあの世の美しい情景を思いうかべられるのならば。体があの世に行く前に、心のほうが自然にあの世へと歩を進めている。」(長谷川宏)

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