「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

物理学入門書を超えて―『原子・原子核・原子力』

2015年06月22日 | Science
☆『原子・原子核・原子力』(山本義隆・著、岩波書店)☆

  本書はまぎれもなく物理学の入門書である。力学の初歩からはじめて、原子・原子核物理学、さらにはその応用である原子力(原爆・原発)にいたる道すじを、論理的かつていねいに説明している。だからといって、物理学の教科書にありがちな、原子・原子核や原子力の説明が末尾のつけたしのように扱われている本ではない。理解に必要な物理学の知識を手際よく説明しながら、できるだけ早く原子・原子核・原子力の分野にたどりつこうとしているように見える。このような構成は、物理学全般を広くかつ正確に見通すことができなければ、作れるものではない。僭越ながら、著者の力量がうかがえるというものである。
  当然のことながら、数式もそれなりに出てくるが、数式自体はほとんど四則演算のレベルであり、けっしてむずかしいものではない。しかし、数式の意味を正確に理解しながら読み進めるのは、理系の人間であっても意外と骨が折れるかもしれない。評者(と言えるほどの人間ではないし、このブログも個人的な感想を記したものにすぎないのだが)も途中から、数式をある程度はしょって読んだことを告白しておく。ついでにいえば、数式を理解できなかったとしても、本書の主旨は十分に理解できると思う。
  本書のもう一つの特徴は、科学史・物理学史を踏まえた説明に、かなりのページを割いていることである。これまた入門書などにありがちな、本文や数式の無味乾燥を避けようとして、安易にエピソードを挿入しているたぐいの本とは異なる。本書の論旨を展開するうえで、研究や発見の歴史は大きな柱となっている。よく知られているように、著者は科学史・物理学史に関する重厚な著作を何冊も上梓している。個人的にもそのいくつかを所有しているが、その緻密な内容や分量には圧倒されるばかりだ。ここでも、著者の科学史・物理学史に対する造詣の深さがうかがい知れる。
  ずいぶん昔のことだが、中学・高校の理科で原子の構造くらいは簡単に習ったおぼえがある。しかし、相次ぐ教育課程の改変によって、理系の学生であっても原子の構造(原子が原子核と電子から成っており、原子核は陽子と中性子から成っている程度の知識)を知らない(あるいは、あやふやな)学生が少なくない。実際にこのような学生を目の当たりにすると愕然とさせられる。そんな若者が多数派のときにフクシマの事故はおこってしまった。彼らが政府やいわゆる専門家の意見を鵜呑みにしてしまうのは、その意味でしかたのないことなのかもしれない。
  本書の、著者の出発点もそこにあったようである。帯にもあるように、自分で考え、自分で判断し、自分で行動しなければ、民主主義など育つはずがない。本書は、著者の勤務先である駿台予備学校(いわゆる駿台予備校)での講演録がもとになっている。駿台予備校といえば難関といわれる有名大学への登竜門である。少なくとも難関有名大学に入学にしようとしている学生に対して、この程度のことは知っておいてほしいという著者の思いの発露なのだろう。
  しかし、講演録が書籍となって発売されたことで、著者の思いは一般の人々にも開かれることとなった。願わくは、数式にこだわることなく、多くの人が本書を手に取ってくれればと思う。知っているようで知らないことは多いものである。著者の説明で納得したことや、教えられたことは少なくなかった。たとえば、赤外線にあたっても日焼けしないのに、なぜ紫外線では日焼けをするのか。これは光の粒子性(光子仮説)から説明され、放射線の危険性に閾値がないことにもつながっている。また、核分裂にはもとの燃料とほぼ同じ質量の核分裂の破片(「死の灰」)が必ず残り、その破片は放射線を出し続けるため、だからこそ「死の灰」と呼ばれるということ。さらに、原発は海水を汲み上げて、それに熱を加え「温廃水」(電力会社は「温排水」としているという)として捨てられ、海を熱で汚染していること。もちろん「温廃水」は、薄められてはいるが放射線で汚染されている。これなどは、あまりマスコミでも取り上げられていないような気がする。
  マンハッタン計画はナチス・ドイツに先がけて原爆を造ることが目的だったとされるが、ドイツが降伏した1945年5月以降も続けられた。それはアメリカなどの連合国側が世界の覇権を握るための手段としたからである。そして、多くの科学者や技術者がマンハッタン計画にたずさわり、原爆の製造が最終目的であることを知らされていなかったという。また、それ以上に、何であれ目的の遂行に科学者たちは価値を見出していた。この事実は、現代においても大きな問題を投げかけているように思われる。多大な経費と資源と労力を投入された「モンスター・プロジェクト」は、ひとたび動き出したら止められないという事実もまた同様である。
  本書はまぎれもなく物理学の入門書であるが、たんなる物理学の入門書で終わってはいない。それは著者の思想的信条が含まれているからである。著者の山本義隆さんは、長年にわたり駿台予備校の「物理」講師をつとめている。山本さんが書いた予備校のテキストはけっしてやさしくないが、受験生に読み継がれているようである。また、科学史・物理学史に興味をもつものにとっては、先に書いたように、重厚な著作で知られる在野の科学史家である。さらに、われわれ以上の年代のものにとっては、全共闘の議長として知られている。1960年代の学生運動以降、あまり表だった社会運動はしていなかったように思うが、フクシマの事故以降、反原発を訴え続けている。
  著者の主張に異議を唱えるのはもちろん自由である。しかし、少なくとも、中立的な立場から本書を読んでおく必要はあるように思う。また、原発の問題を離れても、あるいは科学者や技術者でなかったとしても、本書は民主主義を考えるきっかけになるのではないかと思う。原発の再稼働を当然のように推進し、原発や武器の輸出を可能にし、さらには立憲主義さえも蔑にする現政権には強い憤りを感じる。最後に本書で紹介されているアインシュタインの言葉を記しておきたい。

  「国は人のために作られるのであって、人が国のために作られているのではない。これは科学についても同様に正しい。これらは、人間自身がもっとも高い人間の価値であると考える人々が昔から提言してきたことの定式化である。……私は国の最も重要な使命は個人を守ることであり、個人が創造的個性を展開することを可能にすることであると思う。国はわれわれの召使ある。われわれは国の奴隷であるべきではない。国がわれわれに軍務を強いる時、国はこのような原理を破っている。特にこのような任務の目的と効果は、他の国の人々を殺し、彼らの自由を侵害することだからである」(本書 p.111 より引用)

  

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 詩と漫画―『ドミトリーともき... | トップ | 巨大ウイルスが拓く生物学の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Science」カテゴリの最新記事