「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

【編集後再掲載】―『天動説の絵本』

2020年05月24日 | Science
【編集後再掲載】☆『天動説の絵本』(安野光雅・著、福音館書店)☆

  「地動説」ではなく「天動説」の絵本である。ちょっと考えてみると、地球が太陽の周りを回っていることをわれわれが知っているのは、学校などで習ったからにすぎない。日常の生活では太陽が地球の周りを回っていると思うのが普通の感覚ではないだろうか。われわれは「地動説」を「知っている(理解している)」のではなく「信じている」にすぎないレベルなのかもしれない。地球が太陽の周りを回っていることを、子どもにうまく説明できる人は果たしてどれだけいるだろうか。
  この絵本は、「天動説」が信じられていた頃の人たちが、世界をどのように考えていたのかを描いている。天動説だけでなく占星術や魔法使いや錬金術なども出てくる。いまでは迷信や非科学的だとして退けられていることばかりである。しかし(余談ながら)占星術(文化や娯楽としての占星術をわたしは必ずしも否定しない)や錬金術を本気で信じている人はいまでもいるし、魔女狩りまがいのことはSNSなどで横行しているのだから、われわれも昔の人を笑えたものではないだろう。
  さて、天が動いていると信じられていた世界に、あるとき変わった人たちが現れて、地面は平坦なのではなく丸い(球体)のではないか、太陽や星が動くのではなく、地面の方が動いていると考えると、いろいろな事がうまく説明できるのではないかと思い始めた。その考えは様々な観測や実験で裏付けられ、いまわれわれが「科学」と呼んでいる営みへと発展していった。
  ところがわたしたちは、コペルニクスやガリレオや火刑に処されたブルーノなどの努力で形作られてきた「地動説」すなわち「科学」的世界観の中で生活しているにもかかわらず、その成果(誤解を恐れずに書けば「科学技術」)にばかり目を奪われて、科学という営みの本質も、科学に対する感動もすっかり忘れてしまっているように思う。その本質や感動の一端を、まさしく感動的に描いた絵本と言えるだろう。安野光雅さんは「解説とあとがき」で「この本は、もう地球儀というものを見、地球が丸いことを前もって知ってしまった子どもたちに、いま一度地動説の驚きと悲しみを感じてもらいたいと願ってかいたものです」と締めくくっている。
  『星の使者』同様、絵は精緻で情報量も多いように思われる。天使が地球に腰掛け太陽をロープで引っ張っている絵で始まり、太陽に腰掛けて地球を引っ張っている絵で終わっているが、なかなか象徴的である。1979年初版でいまも版を重ねているロングセラー絵本であるのもうなずける。

  


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