「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

反アカデミズムの先駆者―『一戸直蔵』

2015年01月15日 | Science
☆『一戸直蔵』(中山茂・著、リブロポート)☆

  天文学は他の自然科学とくらべて、アマチュアが活躍する余地の大きい分野である。理論的な分野は専門的な物理や数学の修練が必要不可欠だろうが、観測的な分野では必ずしも理系の教育を受けていなくても、活躍している人は多いのではないだろうか。そういった理由もあるからなのか、日本の天文学の専門学会である日本天文学会も、アマチュアにとって(他の専門的な学会とくらべて)あまり敷居は高くないような気がする。
  小学校中学年のころ天文にめざめ、中学生のころは天文学者になるのが夢だった。そのころ、田舎の一介の中学生であったにもかかわらず、日本天文学会の会員(いわゆる「正会員」ではなかったのかもしれないが)だった時期がある。会報の『天文月報』を楽しみにしていたが、中学生の知識で理解できるはずもなかった。ただただ夢に酔っていたのである。Z項の発見で有名な木村栄博士が研究に熱中して日露戦争の開戦を知らなかったという逸話を聞き、社会と隔絶したところで、星を見ながら一生を終えることに憧れていたころでもあった。
  日本天文学会は初代会長の寺尾寿が中心となって創立されたことになっているが、本書によれば一戸直蔵の果たした役割がひじょうに大きかったという。それでは、一戸も天文に魅せられて天文学者になったのかといえば、そうではなかった。本来の志は哲学にあったが、当時はまだ貧困な状態にあった日本の天文学に世俗的な出世とは異なる活躍の場を見出していたようである。著者の中山茂さんは(一戸にとって)「天文学は仕事であり、コーリングであり、事業である。趣味ではない」と書いている。
  一戸は大学院を修了後、自費でアメリカへわたりアメリカの天文学を見聞し、自由な発想も学んだ。帰国した一戸の目には、日本の天文学が官僚的に見えたのだろう。私設天文台の設立にこだわったのも、そこに理由があったように思う。一戸は官僚的(「明治アカデミズム」)天文学の中核にあった寺尾寿とはことごとく対立し、麻布にあった東京天文台の移転計画で頂点に達した。寺尾たちは利便性の観点から三鷹への移転を推進しようとしたが、一戸は赤城山への移転を主張した。三鷹では遠からず光や塵埃の影響で観測ができなくなるし、新しい天文台は気象条件のよい高山に設置されるのが世界の趨勢であるというのが理由である。これもアメリカの天文学に肌で触れた一戸ならではといえそうである。
  結果的に天文台は三鷹への移転が決定した。1911年のことである。やはり中学生のころ、当時東京にいた兄に連れられて、初めて東京天文台(現・国立天文台三鷹キャンパス)を見学した。くわしいことは覚えていないが、すでにそのころには実質的な観測はほとんど行われていなかったように思う。一戸と寺尾の論争から百年も経ずして、天文学や観測技術の進展などもあったにせよ、三鷹の天文台は「光害」により観測(可視光による観測)が不可能になったことを思うと、一戸の慧眼に心服したいこころもちである。
  移転計画への反対により、一戸は公務員(東京帝大と東京天文台)の職を追われることとなった。報復人事である。野に下った一戸は、東京物理学校や青山学院などで天文学を講じながら、学術雑誌『現代之科学』を創刊した。いわば『ネイチャー』や『サイエンス』の日本版である。寺田寅彦や本多光太郎なども寄稿していたが、読者層の間口が広がらず経営的に行き詰まってしまった。結局、過労のなか、42歳の若さで世を去った。
  本書によれば、いまわれわれが持っている「アカデミズム」のイメージは、明治のころに形成された「明治アカデミズム」に端を発しているという。「明治アカデミズム」は上意下達の官僚的組織といえるだろうが、一戸はトップダウンではなくボトムアップの発想で科学(天文学)を推進しようとした。このような発想をする人物が明治期にいたこと自体、驚きである。しかし、その先駆性ゆえに一戸直蔵の名は忘れ去られてしまった。現在のサイエンス・コミュニケーションは、明らかに一戸の発想と軌を一にしている。ようやく時代が一戸に追いついてきたのである。
  偶然に一戸直蔵の名を知ったのは昨年のことである。そして、彼のことを調べてみてヒットしたのが本書である。驚いたのは、本書の著者が中山茂さんであったことだ。中山さんは東大で天文学を学んだあと、アメリカへ留学して「パラダイム」論で著名なクーンに師事し、科学史家に転じた。多くの業績があるにもかかわらず、長年東大講師の職にとどまり、定年直前にようやく助教授となった。このことについては、いろいろな憶測が流布しているようだ。「あとがき」で中山さん自身がふれているように一戸と似ているのかもしれない。さらに、ご自身のことについてもいずれ書くこともあるだろうとしているが(本書は1989年の出版)、一昨年(2013年)『一科学史家の自伝』として結実した。安価とはいいがたいが、いずれ読んでみたいものである。

  追記:本書を踏まえた上で、国立天文台の「一戸直蔵コーナー」の設置など、さらに新たな情報がここに紹介されている。「一戸直蔵コーナー」にもぜひ行ってみたい。

  

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