「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

わたしの「政治・経済」入門―『理解しやすい政治・経済』

2015年01月13日 | Arts
☆『理解しやすい政治・経済』(松本保美・監修、文英堂)☆

  残念ながら、もう亡くなってしまったが、若いころから作家・北杜夫さんのファンだった。ご多聞にもれずというか、「どくとるマンボウ」シリーズから入ったが、純文学の作品も好きだった。その北さんが、こんなことを書いていたのをいまでも覚えている。自分には自然科学や人文科学の知識はそれなりにあるが、社会科学の知識が完全に抜け落ちている(言葉どおりの引用ではない)と。よく知られているように、斉藤茂吉(茂吉自身も医師だった)の次男として生まれ、旧制松本高校から東北大学医学部へ進み精神科医となり、そののち作家デビューした人である。自然や昆虫についても関心が深かった。そういった経緯もあるのか、「どくとるマンボウ」シリーズなどのエッセイを読んでいても、文学や科学のネタにくらべて、政治や経済についての話題はあまりなかったような気がする。
  北さんの、社会科学の知識が欠落しているという告白(?)を読んで、当時いたく感激してしまった。高校時代、「古文」と「政治・経済」が嫌いな科目の筆頭だった(ちなみに、「倫理・社会」の「倫理」は大好きだった―多分に教師の影響で)。大好きな北杜夫さんも政治や経済の知識がないと言っているのだから、自分も何ら恥じることはないと思った。いや、そもそも恥じるどころか、自然科学にくらべれば、政治や経済などというものはいつ変わるかわからず、そんなものを好きになる輩の気が知れないくらいに思っていた。いまになってみれば、自然科学を絶対視した傲慢な態度だった。
  年を経るにしたがって、あるいは科学を広い視野から見直すことに興味を持ちはじめて、さすがに傲慢な気持ちはなくなった。それと反比例するように、政治や経済について何も知らないことが恥ずかしくなってきた。ふつうにニュースを見ていても、知らないことが多すぎた。たとえば国会の運営について、たとえば円高と円安について、言葉は知っていても、その意味するところはまったく理解していなかった。ニュースなどで、科学技術の話題については科学評論家や大学教授をよんで解説をするのに、円高云々・株安云々については、なぜ解説もせずに、知っていて当然のように報道するのか。腹の立つ思いだった。しかし、このようなことは、社会人ならば知っていて当然のことなのだろう。つまり社会人失格である。
  社会人失格だからといって、太宰のように「恥の多い生涯」でしたなどと言って済ますわけにはいかない。日本国内を見ても、特定秘密保護法、集団的自衛権、アベノミクス、TPPなどなど、日本の将来を左右する問題が目白押しである。自分で賛否を判断するのにまず必要なのは、政治・経済に関する基礎知識であろう。また、科学技術や環境に関することを学ぶうえでも、当然のことながら、政治・経済の知識が不可欠であることを、最近(数年来というべきか)思い知らされている。
  本書は、帯に少々こわもての佐藤優氏の顔が載っているが、まぎれもなく高校「政治・経済」の学習参考書である。一般書にも政治や経済の入門書は少なくないだろうと思う。さらに特定分野に限れば、次々と入門書が出版されているのが現状だろう。しかしそれらは、良くも悪くも、著者の主義主張が反映されている場合が多いのではないかと思う。いま自分が必要としているのは、特定の「色」がついておらず、基本中の基本の知識が修得・参照できる入門書である。もちろん、本書が「無色」である保証はないが(佐藤優氏の帯に何らかの「色」を感じる人もいるかもしれないが)、他の学習参考書とくらべて、幅広い分野をわかりやすく解説してあると判断した。理科(「物理」・「化学」・「生物」・旧版の「地学」)の「理解しやすい」シリーズも良書であったので、その信頼感もあるかもしれない。
  通読するには時間を要するので、基本的には参照用として座右においておくことになるだろう。それでも、少しずつ「恥」を返上するのに役立てればと思っている。

  

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