「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

【編集後再掲載】―『星の使者』

2020年05月24日 | Science
【編集後再掲載】☆『星の使者』(ピーター・シス・文・絵、原田勝・訳、徳間書店)☆

  ガリレオ・ガリレイの生涯を描いた絵本である。ガリレオは望遠鏡を自作し、月面のクレーターや太陽の黒点、さらには木星の四大衛星を発見した。コペルニクスの唱えた地動説を擁護し、最後は宗教裁判にかけられ有罪となったこともよく知られている。とくに「それでも地球は回っている」とつぶやいたとされるエピソードは、多くの人が知っているにちがいない。このエピソードの真偽はともかく、ガリレオという人物が語られるとき、そこにどんな意味が込められているのかがよくわかるように思う。それは、自らの目で科学的な真理を発見し、その信念を時の権力におもねることなく貫いたということである。
  さて、表表紙の見返しにはどこかの国の中世の都市と思われるようなシルエットが描かれていて、その小さな窓には望遠鏡を星空に向けている人が見える。一方、裏表紙の見返しも同じ構図なのだが、描かれている都市のシルエットは現代のものであるように見える。そして、そこでも小窓から星空に望遠鏡を向けている人が描かれている。また、ガリレオの少年時代のことが書かれているページでは、いろいろな遊びに興じている子どもたちの様子が明るく描かれているが、それを取り囲むように棺をかつぐ葬列や騎兵隊の姿が暗い色調で描かれている。文中では「ペスト」についても触れている。子どもたちが楽しく過ごしている一方で、その周囲の社会で起きていたことを表現しているように見える。ベッドで本を開いているコペルニクスと思われる人物の背後には死神が立っている。これなども、コペルニクスが死の直前まで地動説を発表しなかったことを象徴しているように思われる。ガリレオが亡くなった年にニュートンが生まれたことは、科学史ではけっこう有名な話である。しかし、ガリレオとシェイクスピアが同じ年に生まれたことは意外と知られていない。ガリレオの誕生が描かれているページ(着ぐるみに抱かれた何人もの赤ちゃんが描かれていて、このページの絵にも細工が施してあるが、その中の一人がガリレオであることは、見ればすぐわかる)にはシェイクスピアの言葉が引用されている―「身分のちがいなど恐れることはありません。高く生まれつく人もいれば、じぶんの力で高くまでのぼる人もあり、また押し上げられて高い身分になる人もいるのですから」―と。
  この絵本は『絵本は小さな美術館』(中川素子・著、平凡社新書)という本で知った。その著者である中川素子さんは、この絵本の著者であるピーター・シスは米ソの冷戦時代にチェコで生まれ、自由にものが言えないことを感じていたにちがいないと書いている。そんなピーター・シスだからこそ、時代を超えて信念を抜くことの重要さを訴えたかったのだろうと思う。ガリレオは、そのことを表現するためのモチーフだったのではないかということである。そう考えると、『星の使者』は天文や科学史の範疇に入る絵本というよりは、自由や信念の大切さを伝えようとするメッセージ性の強い絵本だといえるかもしれない。

  
 

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