「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

“大河科学小説”の醍醐味―『「物質」から「生命」へ』

2010年02月28日 | Science
☆『「物質」から「生命」へ』(鈴木理・著、学研教育出版)☆

  懐かしさを感じさせる本である。ページを飾る多数の記録写真がモノクロであることも一役かっているが、子どもの頃から学生時代に目や耳にしてきた科学者たちが次々と登場するからだ。1922年(大正11年)のアインシュタインの来日から始まり、1953年(昭和28年)のワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見へと向けて話は進む。それは「物質」の科学が「生命」の科学へと転換していく歴史である。
  ふつうの科学史ならば登場人物はほとんど欧米人ばかりだが、この本では日本人科学者の役割を軸として物語が進んでいく。例えば、湯川秀樹・朝永振一郎と並んで日本の理論物理学を開拓した坂田昌一の名前を久しぶりに目にした。日本の分子生物学の創世記を築いた渡辺格の名前も懐かしい思いだ。仁科芳雄も重要なキーパーソンとしてたびたび登場する。仁科がサイクロトロンの建設など日本の科学界で大きな役割を果たしたことは知っていたが、彼が生物の研究にも目を向けていたことを知り、認識を新たにした。
  さらに著者の筆は当時の時代背景にまで及び、関連する書籍や映画の紹介は本書で名脇役を演じている。アインシュタインの来日からワトソン・クリックの発見にいたる30年間は第二次世界大戦―日本にとっては太平洋戦争―をはさんだ戦争の時代でもあった。科学者たちは否応なしに戦争の災禍に巻き込まれ、科学自体の発展も―それを「発展」と呼ぶならば―戦争と密接に関係していた。本書でも科学技術の戦争や兵器への利用にページを割き、ときには戦史的な記録にまで話が及ぶ。
  実はその戦史がまた別の懐かしさを呼び起こす。子どもの頃、なぜか日本海軍(太平洋戦争の海戦)の戦史に夢中になっていた時期があった。イギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズの名前と写真などは、当時のワクワクした気持ちを思い出させてくれる。もちろん子ども心に軍国主義を礼賛していたわけではない。どちらかといえば女系的な雰囲気のなかで育ちながらも、男の子の本能のようなものが戦史への興味へと向かわせたのかもしれない(余談ながら、例えば男の子を戦争ごっこと、女の子を人形ごっこと結び付けるような“本能仮説”の真偽は定かではないと思っているので、自分の場合も保留の域を出ない)。
  さまざまな国の、さまざまな分野の科学者がさまざまな研究を行いながらも、それぞれの研究は知らず知らずのうちに網の目のように結び合い、やがて「生命」の科学へと収束していく。一見無関係なエピソードがメインテーマに結び付いていくように、小説のプロットを追う楽しさが本書の醍醐味である。もちろん、この本で紹介されているのは壮大な物語のあらすじにすぎないが、大河小説を読破せずに読んだ気にさせてくれる、といっては著者に失礼だろうか。
  本書は『大人の科学マガジン』(残念ながら読んだことはない)の連載に書き下ろしの最終章を加えたものである。最終章では生命情報科学への期待と一昨年ノーベル物理学賞を受賞した日本人の三氏(益川、小林、南部、ただし南部氏は現在アメリカ国籍)について触れている。昨今、科学はあまりに見返りを期待されすぎている。しかし、三氏の研究に実用的な見返りは期待できない。それでも業績は偉大であると著者はいう。「科学は人間の文化の重要な一要素であり、その見返りは長期にわたって意外な形で現れる」からだ。
  昨年の事業仕訳で「どうして2番ではいけないのか」の詰問に対して、ノーベル賞受賞科学者たちが“直談判”したとして大きくニュースに取り上げられた。彼らの真意については様々な憶測もされている。思うに科学を聖域扱いすることも妥当だとはいえないが、科学に拙速な実用性を求めることも大きな誤りであろう。科学を文化として捉えるならば、科学の裾野は広くしておくべきである。文化を痩せ細らせることは、結局はその国の元気を失わせ、歯止めのない衰退への道へと追い込んでいくように思えてならない。
  科学はロマンである。しかし、ロマンもまた政治に翻弄され、社会の流れと無関係ではありえない。科学者たちは自らのロマンを求めながらも、自らを押し流そうとする流れと闘ってきた。自分もまた能力を省みず科学のロマンを求めながら、一方でそういった科学者たちの生きざまに興味を持ち続けてきた。この本に懐かしさを覚えるのは、そんな思いを追体験させてくれたからかもしれない。
  

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ささやかな贅沢―《長さのスケ... | トップ | 真摯な愛情―『ニワトリ 愛を... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Science」カテゴリの最新記事