「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『生活知と科学知』

2009年07月04日 | Science
『生活知と科学知』(奈良由美子・伊勢田哲治・編著、放送大学教育振興会)

  新しい時代を感じさせる放送大学のテキストである。従来から放送大学には科学史や科学哲学を中心とした科学論的な授業があったように思うが、本書は科学論の内容を超えた「科学コミュニケーション」を扱っている。とはいえ、一般的な意味での―本書の第8章「科学技術コミュニケーション」に示されているような―「科学コミュニケーション」にとどまらず、生活知と科学知とを対置させることで、新たな時代の科学の営みを多方面から模索しているように思われる。クリティカルシンキング(批判的思考法)やメディアリテラシーといった時代的な要請にかなったものや、市民的パトロネージ(「かつて国王や貴族が自分の好きな科学者のパトロンとなって研究を支援したように、市民が自分の興味や関心に基づいて、自分の選んだ科学者のパトロン」となり援助を行うこと)やリスクガバナンス(政策立案者、専門家、市民などが各々主体的にリスクに関わる意思決定を行うこと)などの市民参加の視点も重視されていて、ひじょうに斬新な印象を受ける。
  個人的には「ローカルな知識の活用」に一章が割かれていて、本書に対する好感度をさらに上げた。科学知はいわばグローバルな知識であるが、環境問題を考える上では、むしろその土地に根ざしたローカルな知識を重視することが多い。ここでは保全生態学や自然再生事業を例にとって、ローカルな知識の活用の実情を述べるとともに、今後の課題として取り上げている。また、誤解を解いてもらい一から学んだこともある。「生活における科学知の利用」として「サイエンスショップの取り組み」が述べられている。この「サイエンスショップ」とは、恥ずかしいことに科学博物館などの売店で科学的な商品を売買することだと勝手に思い込んでいた。ところが、この章の執筆者である平川秀幸さんによると「日常生活や地域社会の問題解決に関する市民からの相談や依頼に基づいて、大学の学生や教員が調査・研究・専門的アドバイスを行う」ことが「サイエンスショップ」であるという。売店(ショップ)というよりはワークショップ(仕事場、研究会)に近いイメージで捉えるべきだった。欠如モデル(一般市民は科学技術の理解が欠如した存在であり、専門家が市民を教え込むとする)に基づいたPUS(一般市民の科学理解)的科学リテラシーの限界を打開する意味で、平川さんはサイエンスショップに期待を寄せているように思われる。自分を含めたサイエンス・コミュニケータと呼ばれる人たちは、今後サイエンスショップの活動にも積極的に関与していく必要性があるように思う。
  『カソウケンへようこそ』『恋する天才科学者』の著者である内田麻理香さんも2つの章を執筆し、自らの家事や育児の経験、テレビ番組への出演を踏まえて「科学リテラシーは生活リテラシーである」と説いている。われわれは科学リテラシーの重要性を認めながらも、生活リテラシーとの間に一線を画している。しかし、料理などの日常生活を通じて、内田さんは両者の溝を埋めようとしている。内田さんの実践は、科学に縁遠いとされる人たちにとって、まさしく科学リテラシーであろう。科学コミュニケーションの目的は、結局のところ科学リテラシーと生活リテラシーとの融合であると思う。本書(放送大学の授業)は斬新な科学コミュニケーションのテキストであると書いたが、科学リテラシーの入門書として捉えることも可能だろう。幅広い領域をカバーしながらも、網羅的な記述であることは否めないが、大学のテキストである以上はやむを得ないことである。しかし、参考文献も豊富に記載されているので、本書を起点にして学びの輪を広げていくことが期待できる。ただ、本書は放送大学のテキストであるため、かなり限られた人しか目にしないのではないかと危惧する。本書と同等の書籍が一般書として出版されることも期待したい。

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