「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『物理学と神』

2008年07月25日 | Science
『物理学と神』(池内了・著、集英社新書)
  書店で立ち読みしたり書評を読んだりして、この本は実に興味深いと思って買ったにもかかわらず、逆に長い間ツンドク(積読)状態になっている本が少なくない。意を正して読まなければもったいないと思ってしまい、現実には来るはずのないそんな機会を待っているうちに時間が経ってしまうようだ。この『物理学と神』もそんな一冊だったが、たまたま自宅の本棚から手にとって読み始めたらやめられなくなってしまった。帰省する列車の中や介護の合間に読んだので、意を正して読む状況とはおよそ正反対だったが、一時でも現実を離れた世界に誘ってくれたという意味では、むしろ利に適った読み方になったのかもしれない。
  西欧起源の自然科学(自然哲学)は神が書いた自然という書物を読み解く営みであるとされる。ときどき科学と宗教とを単純な対立軸のように扱うことがあるが、自然科学の歴史は神の存在を抜きにしては語れないものだ。歴史的な経緯はおくとしても、自然界の精緻なしくみを知って、そこに神を見る人も少なくないにちがいない。一般的に無神論者と思われている科学者もまた、神に仮託して自らの科学観や世界観を語ろうとする。アインシュタインの「神はサイコロ遊びをしない」という有名な言葉も、確率論的な解釈をする量子論を批判することで、自らの物理学的な立場を明確に述べたとものといえるだろう。著者の池内さんによれば、量子論の創始者の一人であるハイゼンベルグは「サイコロ遊びが好きな神を受け入れればよい」という立場・解釈になるだろうという。アインシュタインは非決定論的な解釈を嫌ったわけだが、量子論で計算される確率は厳密に決定できるから、その意味では量子論もまた決定論であるとする池内さんの説明はなかなかおもしろく、説得的に感じた。
  理科離れ、なかでも物理離れ、物理嫌いが昨今話題になっている。その一方で、全体から見れば少人数なのかもしれないが、物理に熱い視線を送る人間がいるのもまた事実だ。しかし、物理大好き人間の中でも、物理学の中のどの分野にとくに興味を持っているのかは人によってちがうのだろうか。学部で物理学を専攻していたころ、周囲の友人たちに何とはなしに聞いてみたことがあるのだが、宇宙物理学、地球物理学、生物物理学に興味があってという答えは何度か耳にしたが、物理学のベーシックな分野―たとえば電磁気学や熱力学や量子力学―に興味があったから物理学科に入ったという学生はほとんどいなかったように思う。たまたま自分の周囲がそうだっただけなのかもしれない。
  それでは自分自身はどうだったのかと思い返してみると、宇宙や地球(とくに気象)や生物に関する物理学にも興味があったが、とくに熱力学的な世界観に魅せられていたように思う。ニュートン力学に代表されるような決定的で絶対的な物理学の性格にひかれる一方で、熱力学や統計力学のように非決定的で確率的な分野に物理学の自由なあり方を見ていたように思う。とくに「マクスウェルの悪魔」にひかれたのは、その証しといえるだろう。しかし、現実には確率論や統計学はおろか、基礎的な微積分学にも挫折するありさまで熱力学や統計力学を究めるのは夢のまた夢にすぎなかったし、その他の理由もあって、そうそうに物理学からは方向転換してしまった。それでも「三つ子の魂、百まで」というべきか「下手の横好き」というべきか(あるいは両方ともはずれているかもしれないが)「マクスウェルの悪魔」や「オルバースのパラドックス」、「カオス」や「フラクタル」といった言葉(いずれも物理学の自由さを表している概念のように思う)が散りばめられ、それに科学史的な味付けをされた本に出会うと、自分の中では一種の必読文献のようになってしまう。必読文献ゆえに襟を正して読もうなどと意識してしまい、結果的にツンドク状態へと陥ってしまうことになる。
  ところで、第六章で扱われている「人間原理の宇宙論」についてはほとんど何も知らなかった。「人間原理」とは、われわれ人間が存在する宇宙は、宇宙そのものを認識する人間を生み出しうるように基本定数がセットされているとする考え方である。たとえば、電子の質量は陽子の1800分の1だが、なぜそうなっているのかはよくわからない。しかし、かりに電子の質量が現在の3倍だったとすると、回りまわって(原子核の安定性や太陽内部の核反応の速度などを経て結果的に)人間は存在できないことになるという。その他の基本定数でも同様なことが示され、人間が生まれるように都合のよい値になっていることが証明されるというのである。いわば宇宙は神が創ったものというよりは、人間そのもののために宇宙が存在するという認識だといえるだろう。いずれ関連した本を読んでみたいと思っているが、今度は「必読文献」としないように心がけなければならない。そうでなくては、宇宙を知る前に、自分自身が宇宙から存在しなくなるかもしれない(と考えてしまう歳になりつつある)から。

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