「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『時間の香り』

2008年07月26日 | Ecology
『時間の香り』(高砂香料工業株式会社広報室・編、八坂書房)
  高砂香料のPR誌に掲載された随筆から50編を選んで編まれたもので、様々な分野の方々による文字どおり香り豊かな随筆が楽しめる。香るのは著者たちの言の葉だけではなく、この本自体が本当に香るのである。表紙の扉の裏に「薔薇の香り」が仕組まれていて、本を開くとまずはバラの香りが出迎えてくれる。11年前(1997年)に買った当時に比べれば相当微弱にはなったが、いまだに香りを楽しむことができる。香料をマイクロカプセル化して本の付録にするなどのアイデアは以前からあったので、この仕組み自体はそう珍しいことではないのかもしれないが、この「薔薇の香り」の質はかなり高いような感じがする。扉の裏の説明にも書かれているように、やはり高砂香料の技術水準によるものなのだろうか。
  この本を買ったとき、すべてのエッセイを丁寧に読んだかどうかは記憶にない。しかし、今井通子さん(登山家)の「大自然の中の香り」と上野千鶴子さんの「菫の香水」の二編はいまだに記憶に残っていて、折にふれて思い返すことがある。無臭の世界である厳冬のヒマラヤでは胸元から臭ってくる自分の体臭がいとおしくなるという今井さんの話は、香りと臭いのパラドクスを思わせる。菫の香りに母親との確執を想う上野さんの話は、いかにも上野さんらしいと思うとともに、良くも悪くも家族との絆に関わる香りについて思い出させてくれる。今回少しばかり読み返してみて、もう一つ稲垣史生さん(時代考証家)の「雪の匂い」を思い出した。稲垣さんは自分と同じ地方の出身だが、雪に匂いを感じるというのは雪国生まれならではの感覚なのかもしれない。もっとも、読んでみるとわかるのだが、稲垣さんの感じた雪の匂いはもう少し生々しい匂いのような気がする。
  一般的に男性に比べて女性は匂いや香りに敏感なように思う。ちょうどこの本を買ったころからだろうか、意識的に(無意識的にはもっと以前から)アロマ関係のことに興味を持ちはじめた。そこであらためて気づいたことだが、アロマ業界は圧倒的に女性優位ということだ。その女性優位が本来的(生物学的)なものなのか、あるいは戦略的(社会構築的)なものなのか本当のところはよくわからないが、アロマや香りの話題に女性はよくのってくれるように思う。女性にもてたいと思ってアロマに関心をもったわけではないが、女性とコミュニケーションするときのツールの一つにはなるのかもしれない。
  そもそものきっかけは忘れてしまったが、当時付き合っていた女性にこの本のことを話したら自分も読んでみたいということで―本を借りるのも貸すのも嫌いな人間だと普段は公言しているのだが―彼女にはこの本を貸してあげた。たぶんそのころが幸せの絶頂だった。やがて時の移ろいとともに心も移ろったのか、自分の許を去っていった。住みはじめた街で二度目の夏祭りを迎えたころだった。大輪の花火は空虚な轟音のように思えた。テレビでは毒カレー事件が報じられていたが、自分とは切り離された世界のことにすぎなかった。結局、残ったものは香りだった。彼女がいつも身に付けていたフルーティーな甘い香り(言葉で特定できないのは残念だが)だけはずっと記憶に残っていて、しばらくの間は街角などでその香りに出会いドキッとさせられたものだった。そしてもう一つ、『時間の香り』のページに残された「薔薇の香り」とともに、言葉にはならず自分にしか見えない51編目のエッセイが残った(といってはロマンティックすぎるだろうか(笑))。まもなく10年目の夏祭りがくる。

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