エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて27年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

言葉というもの

2012-11-13 | 読書ノート


 Esperanta Mozaiko はエスペラントの発展がどのように進むか、伝統・習慣と論理性、ネオロギスモについて、など様々な面から論じる。「Iom pri Lingvaj Legxoj」など非常に興味深いが、ここにわかりやすくまとめるのは難しい。というわけで、他のところから断片的に。

 Vortaro estas momentfoto pri la lingvo sur ties evolua vojo.・・・オランダの有名な辞書編集者の言葉。

 エスペラントの論理性というとき、それは絶対的な論理性ではなく日常的な普通に使われる論理性である。誇張しすぎてはいけない。
 "La vojagxantoj staris sur la perono, atendante la vagonaron."・・・それは論理的に間違っていないか? まだ出発していないから "vojagxontoj" だろ?・・・いや、家を出たときにすでに旅行が始まっているんだから "vojagxantoj" でいいんだよ。そのとき彼らの目に飛び込んできたのは旅行鞄の宣伝であった。・・・"Via vojagxo komencigxas tie cxi!"

 文学の価値。
 ある集会でのこと。講演が始まっても会場が静かにならなかった。本売り場がまだ閉まっていなくて小声での売り買いや本を包む音、お金のやりとりなどが聞こえてくるのだ。そのとき誰かが言った "Forpelu la monsxangxistojn el la templo!" でみながどっと笑った。しかし、皆がなぜ笑うのか理解できない人もいた。
 これは聖書の中でのキリストの言葉である。集会場を「聖なる場所」にたとえて、この一文を使ったのだ。
 シェークスピア、ギリシャ神話などは言語・民族を超えて共通の財産である。エスペラント文学は独自にそういうものを持っているだろうか?
 Proverboj は民族語では何らかの物語と結びついて我々の身についていくが、エスペラントにはそれがない。Kredu mi Sinjorino! の章ごとのタイトルは全て Proverbo または何らかの引用文である。
 ザメンホフの詩・Fundamenta Krestmatio・アンデルセン・Faraono など、優れた文学を繰り返し読んで共通の財産にしていくことが必要である。

 エスペラントは学習するのがもっとも難しい言語である。なぜなら、全ての人に理解できるようにしなければならないからである。

   
写真はモンゴルの草原。いたるところがお花畑。
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