働き方改革(^^)政府は推進しようとしています。
年間の残業時間や繁忙期の上限とか。
ブラック企業とかブラックバイトとか
ここ二、三年よく耳にしますが
私自身の経験を振り返ると?
世間では悪評高い消費者金融業界へ初めて就職したのが昭和56年。
今から36年前(^^)サラ金イコール悪。
就職したのは業界大手。今ではメガバンク系列の会社です。
昭和56年と言えば一般的な会社でも
まだ週休二日制の会社も少なく
残業は深夜、徹夜当たり前の上場会社は数多くある時代でしたが
サラ金と聞くと過酷な労働と思われますが?
私が入社した頃は新店舗オープンラッシュの始まりで私も例外なく新店舗に配属。
残業時間は月に20時間もありません。
早朝のティッシュ配布で月10時間
新店舗なので督促するほど顧客もなく
新規貸付ばっかり。だから営業終了すると締めをしてから、すぐ帰宅。
休みは月末最終土曜日以外の土曜日は休み。
日曜、祝日も休み(^^)
だからラクチン。それで給料は友達と比べても高い。入社は1月でしたが夏のボーナスは10万円少し、その年の冬は40万くらい頂きました(^^)
ティッシュ配布で 早朝出勤すると
店長が近くの喫茶店からモーニングセットの出前を取ってくれたり。
世間ではサラ金サラ金と言われてましたが
とても居心地が良かったのです。
でも?
それは小型店舗や新店舗。
よく年私は大型店舗へ異動となりました。
その店舗は業界でも最も融資残高、顧客数を持っていて、あの業界トップだった武富士も店舗視察に来たそうです。
大阪梅田の路地裏にあった、その店舗では
さすがに残業時間は半端なく深夜徹夜の訪問督促もしました。
でも?残業代は全て出て20歳そこそこの私の給料は驚きの金額。
え?ボーナスちゃうん?って感じでした。
が、やっばり体調不良に精神的にも疲弊し退職しちゃいました。
転職したのは家電量販店。
兵庫県発祥の関西では、そこそこ有名な会社。
今ではエディオンになりましたが( ̄▽ ̄)
この会社は休みはキッチリ取れましたが残業代は出ません。月30時間くらいは残業してました。
でもパワハラもなく休みはキッチリ取れました。
ブラックではなく限りなくホワイトに近いグレーってところでしょうか。
でも半年程で退職( ̄▽ ̄)
そして、やっばり給料の高い消費者金融へ。
以前から業界では労働環境がいいと聞いていた、大手消費者金融へ転職。
確かに
休みもキッチリ。残業も少なく管理部門でも月30時間の残業。
基本、債務者の自宅訪問はしませんでした。
主に電話で督促(^^)
訪問ばかりすると怒られるときもありました。
入社当時は隔週二日制の土曜日休みが、その後は完全週休二日制へ。
有給も取りやすく誕生月には有給を一日、絶対に取れる環境も。
年末には家族へボーナスが。
独身の社員は両親へ
既婚は奥様に現金書留でお金と社長の手紙。
毎年、慰安旅行はもちろん会社負担。
昭和の頃までは運動会も。
支店間のコミュニケーションもよくて
支店間の合同の飲み会もしょっ中(^^)
パワハラは全くありませんでした。
支店成績や月の目標は達成するための話し合いは緊張感はありましたが追求は厳しくありません。
その代わり人事考課、支店評価にはキッチリ跳ね返るので自ずと頑張らないと。
居心地は良かったので24年も続ける事が出来たと思います。
話は逸れましたが
サラ金サラ金と差別もされましたが
その会社が
昭和の頃から従業員が働く環境を整えていたのに
平成の現代、
あの電通にしろ大企業がブラックとなっていて
政府が、今頃になって働き方改革?
遅すぎ
企業はトップの考え方1つで文化はきまります。
私が2度目に勤めた消費者金融会社。
たまたま管理部門の食事会の席に支社長と創業者である社長が出席されたときのこと。
たまたま私と同僚の前に支社長と創業社長が座ったのです。
今でも覚えています。
支社長が社長に
『とにかく社員が辞めていきます。やはりサラ金イメージで親に反対されたり督促業務が嫌なのだそうです。』
その支社長の一言に社員は寂しそうな顔をされました。
支社長は『今、人事部に毎月、これくらいの社員証が返っています。』
人差し指と親指で社員証の厚さを表すと
『魅力がないんだ。消費者金融でも、ちゃんとしている会社にしないとなぁ。魅力を持たないと。会社として。』社長は、その一言を言ったあと
『君たち、今度、私の部屋に来ないか?』
思いもかけない一言。
私は遠慮したのですが隣にいた同僚は
『え?いいんですか?是非、行きたいです。』
と、まぁこんな会話も覚えています。
その同僚は翌日、本社の社長室へと本当に行って来たのです。
当時、全国400支店、融資残高も1500億円くらいだったかなぁ
会社としては大きい方だと思います。
世間では悪評高い消費者金融。
でも、ちゃんとした会社もあったんです。
当時、武富士さんやプロミスさんからは
『お宅の会社はいいですね。早く帰れて。』と言われたり。でも早く帰れるだけではないんだよー(^^)って心の中で思っていた昔々の話でした。
年間の残業時間や繁忙期の上限とか。
ブラック企業とかブラックバイトとか
ここ二、三年よく耳にしますが
私自身の経験を振り返ると?
世間では悪評高い消費者金融業界へ初めて就職したのが昭和56年。
今から36年前(^^)サラ金イコール悪。
就職したのは業界大手。今ではメガバンク系列の会社です。
昭和56年と言えば一般的な会社でも
まだ週休二日制の会社も少なく
残業は深夜、徹夜当たり前の上場会社は数多くある時代でしたが
サラ金と聞くと過酷な労働と思われますが?
私が入社した頃は新店舗オープンラッシュの始まりで私も例外なく新店舗に配属。
残業時間は月に20時間もありません。
早朝のティッシュ配布で月10時間
新店舗なので督促するほど顧客もなく
新規貸付ばっかり。だから営業終了すると締めをしてから、すぐ帰宅。
休みは月末最終土曜日以外の土曜日は休み。
日曜、祝日も休み(^^)
だからラクチン。それで給料は友達と比べても高い。入社は1月でしたが夏のボーナスは10万円少し、その年の冬は40万くらい頂きました(^^)
ティッシュ配布で 早朝出勤すると
店長が近くの喫茶店からモーニングセットの出前を取ってくれたり。
世間ではサラ金サラ金と言われてましたが
とても居心地が良かったのです。
でも?
それは小型店舗や新店舗。
よく年私は大型店舗へ異動となりました。
その店舗は業界でも最も融資残高、顧客数を持っていて、あの業界トップだった武富士も店舗視察に来たそうです。
大阪梅田の路地裏にあった、その店舗では
さすがに残業時間は半端なく深夜徹夜の訪問督促もしました。
でも?残業代は全て出て20歳そこそこの私の給料は驚きの金額。
え?ボーナスちゃうん?って感じでした。
が、やっばり体調不良に精神的にも疲弊し退職しちゃいました。
転職したのは家電量販店。
兵庫県発祥の関西では、そこそこ有名な会社。
今ではエディオンになりましたが( ̄▽ ̄)
この会社は休みはキッチリ取れましたが残業代は出ません。月30時間くらいは残業してました。
でもパワハラもなく休みはキッチリ取れました。
ブラックではなく限りなくホワイトに近いグレーってところでしょうか。
でも半年程で退職( ̄▽ ̄)
そして、やっばり給料の高い消費者金融へ。
以前から業界では労働環境がいいと聞いていた、大手消費者金融へ転職。
確かに
休みもキッチリ。残業も少なく管理部門でも月30時間の残業。
基本、債務者の自宅訪問はしませんでした。
主に電話で督促(^^)
訪問ばかりすると怒られるときもありました。
入社当時は隔週二日制の土曜日休みが、その後は完全週休二日制へ。
有給も取りやすく誕生月には有給を一日、絶対に取れる環境も。
年末には家族へボーナスが。
独身の社員は両親へ
既婚は奥様に現金書留でお金と社長の手紙。
毎年、慰安旅行はもちろん会社負担。
昭和の頃までは運動会も。
支店間のコミュニケーションもよくて
支店間の合同の飲み会もしょっ中(^^)
パワハラは全くありませんでした。
支店成績や月の目標は達成するための話し合いは緊張感はありましたが追求は厳しくありません。
その代わり人事考課、支店評価にはキッチリ跳ね返るので自ずと頑張らないと。
居心地は良かったので24年も続ける事が出来たと思います。
話は逸れましたが
サラ金サラ金と差別もされましたが
その会社が
昭和の頃から従業員が働く環境を整えていたのに
平成の現代、
あの電通にしろ大企業がブラックとなっていて
政府が、今頃になって働き方改革?
遅すぎ
企業はトップの考え方1つで文化はきまります。
私が2度目に勤めた消費者金融会社。
たまたま管理部門の食事会の席に支社長と創業者である社長が出席されたときのこと。
たまたま私と同僚の前に支社長と創業社長が座ったのです。
今でも覚えています。
支社長が社長に
『とにかく社員が辞めていきます。やはりサラ金イメージで親に反対されたり督促業務が嫌なのだそうです。』
その支社長の一言に社員は寂しそうな顔をされました。
支社長は『今、人事部に毎月、これくらいの社員証が返っています。』
人差し指と親指で社員証の厚さを表すと
『魅力がないんだ。消費者金融でも、ちゃんとしている会社にしないとなぁ。魅力を持たないと。会社として。』社長は、その一言を言ったあと
『君たち、今度、私の部屋に来ないか?』
思いもかけない一言。
私は遠慮したのですが隣にいた同僚は
『え?いいんですか?是非、行きたいです。』
と、まぁこんな会話も覚えています。
その同僚は翌日、本社の社長室へと本当に行って来たのです。
当時、全国400支店、融資残高も1500億円くらいだったかなぁ
会社としては大きい方だと思います。
世間では悪評高い消費者金融。
でも、ちゃんとした会社もあったんです。
当時、武富士さんやプロミスさんからは
『お宅の会社はいいですね。早く帰れて。』と言われたり。でも早く帰れるだけではないんだよー(^^)って心の中で思っていた昔々の話でした。