本日、妻が実家から戻ってきました(^^)施設入居に必要な診療情報提供書を主治医から貰い受けを終えたのです。昨日に実家で泊まり久しぶりに母と娘の会話をしたそうですが『あのな、、お母さん、話の途中で「あんた、K子やんな?」って私の名前を確認すんねん。(・・;)娘の名前やで?もう、大分と進行してるんかな?』そういえば年末年始に行ったときも義母から『この前、あんたんとこの娘とご飯行ってんけどいく道々、上の子の。ほら?なんて言うたかな?名前?早々A香と思った歩いて話てたらE香や!って言われてなぁ〜。もう一緒に歩いてる孫の顔までゴッチャになってしもうた。』義母の認識障害は、ここ半年で、かなり進行していたようです。孫どころか実の娘と面と向かって会話しながら『あんた、、K子やんな?』と確認するくらいですから(・・;)妻は『もう、認知症は受け入れてるから私は大丈夫。でも、お兄ちゃんの誕生日は覚えていて私の誕生日を忘れてるのは、ショックやワ(T ^ T)』仲良し母子であるがゆえにの妻の心境でした。
人生57年を振り返る想い出は楽しい想い出より辛かったこと。苦しかったことの方が多いような気がします(^^)でも、その苦しかったことや辛かったことが今となっては『あの時の事があったから今があるんだ。』と思えるようになり苦しかったことや辛かったを体験したからこそ『幸せ』を感じます。苦しいこと、辛い事、その時はホントに『なんで?こんなめに遭うねん!』など自分の不幸を嘆き世間を責め、周りを責めていた自分。俺は何も悪くない!と今、思えばホントに若かった。いくつかの困難に巡り会いましたが乗り越えたものもありますが逃げた時もあります。これは確実に言えるのですが『逃げきれた』と思うのは、その時だけ。必ず後になって同じような出来事が来ます。そして必ず利息がついてやってきます。必ず乗り越えないといけません。乗り越えず逃げて逃げていくと晩年はホントに悲惨な状態であり、その逃げた『ツケ』は来世に繰り越され、その利息は膨大となって来世の自分の前に立ちはだかるのだと私は思っています(^^)だから『苦労は買ってでもせよ。』という母の言葉が頭から離れない今日この頃です(^^)
何度となく『怒り』の感情について申し上げて来ました(^^)『怒る』時の内容でその人の『器』が見えるのかな?とも。大抵、自分に良くないことや都合の悪い事、良くない噂を立てられたり?仕事でも自分を手間取らせた相手に対してとかでは?最近、思うのは、この世には因果律という鏡のような法則が働いてます(^^)と?いうことは?自分に都合の悪いことや良くない噂、手間取る仕事は元を辿れば自分自身が蒔いた種(^^)であれば自分で蒔いた種を他人に対して『怒り』をぶつける事は出来ませんよね?だって?自分が悪いのですから。でも、つい?怒ってしまうのです。それが、また回り回って自分が上司や親などなどから怒られたり。その因果を解消するのに大切な心は『許す心』なのかな?怒る感情は人間として人間らしい感情(^^)これを抑える事は精神に影響します。だから許す心で曇った心を拭いてあげましょう。それと『チョット、言い過ぎたかな?』と振り返ってみるのも心の窓を拭いてくれます(^^)この世には幼い魂から成熟した魂まで、いろいろな人達がいる世界。人間関係で魂は磨かれていくのです。ゴツゴツした石のような魂の人も居れば水晶玉のような魂の人もいます。幼い魂は幼稚園児か小学生と思って接すれば『怒る』ことはなかなります。大の大人が真剣に幼稚園児に喧嘩を売りますか?身体や見た目はいい大人それも50歳前後の大人でも魂は幼稚園児の人もいるのです。偉そうに言ってる私も未だ未だ幼い魂なのかなぁと。『怒り』は百害あって一利なし。怒りの根っこは単に八つ当たりが多いのですから(^^)
時々、『死ぬときって?』どんな気持ちなのかな?とか。苦しいのかな?とか考えたり、あの世はあると信じていますが『死んだらどうなるのかな?』ホントに死んでも魂は生きてるのかな?とか(^^)いろいろな事を考えます。暇な奴だなぁと?そう。暇な奴なんです。『死』は、もしかしたら?神様からの最後の贈り物なのかもしれないのかな?この世が全てと思われる方には『は?何を言ってるの?』なのでしょう。でもあの世があると信じる者には贈り物なのかなぁ。『厳しい地上での修行、ご苦労様。』って感じで魂が身体から抜けるときは安らかな眠りを与えて下さり、疲れを癒す眠りが『肉体の死』この世で例えれば、仕事を終えて、やっと会社から解放される瞬間?社屋やオフィスから出たとき?(^^)とか病院から退院するときの気持ち?みたいな。この世で『生きる』だけでも大変な修行であると最近、思うのです。生きるために勉強したり家事や仕事を毎日続けること自体が、とても大変なのですから。仕事をせず自宅に引きこもっている人もです。引きこもっていたら?どうなるのか?を学んでいるのです。『あの人、ほんと学ばない人だなぁ。学習能力ゼロなんじゃないの?』と言いたくなるような人も学ばなければ?どうなるのか?を学んでいるんです。この世である地上世界はホントに厳しく魂の年齢が高い人ほど『生きづらい世界』なのかなぁ。反対に魂の年齢が若いは人ほどこの世が天国のように思えるのかなぁ(^^)魂の年齢が高い人にとって生きづらい『この世』からの解放である『死』は神様からのプレゼントと気づき、魂の年齢が若い人ほど天国であるこの世から去る事は死ぬことを恐怖と感じるのかな?と思う今日この頃です(^^)