深キ眠リニ現ヲミル

放浪の凡人、中庸の雑記です。
SSなど綴る事アリ。

あの彼方へ

2006年05月19日 | 小説/SS
 彼はもう何度も、この古びたコンクリートの舞台に上がった。ところどころひびの入ったその舞台はあの彼方へ続いていた。
 一歩前に進むだけで、彼はあの彼方へ行ける。今日こそは、進むつもりだった。こんな所に留まっていられない。それは決して絶望ではなく、希望すら抱いた思いだった。でも、どうしてか、彼の目からは決まって涙が出てしまう。その一歩はもう決して引き返すことの出来ない一歩。たくさんの柵が彼にまとわりついていた。それはお皿について、なかなか落ちることを知らない油のようにベタベタと彼のあちこちにくっついていた。それが、彼の足に強い摩擦力を与えた。引っ掛かりの少ない木のサンダルが、まるで強靭なスパイクのようである。
 大きく息を吸う。息を吐く――震えている。腹の底も、喉も、唇も。どうしてか、彼は自問する。唇は段々かさかさに乾いてくる。
「お前が自分でいかないなら、俺が手伝ってやるよ」
 後ろにいた男がその存在を突然露にして、無表情に彼を見据える。その目からには、怒りも、哀れみも、恐怖も、軽蔑も映っていなかった。ただ無機質な表情。舞台の最前線に立つ彼は、急に恐怖が芽生えた。思わず後ずさる。
「どうしたんだ。行きたくないのか」
 今度、後ろの男は気味の悪い微笑を浮かべた。口角が左右に急に引っ張られ、口が裂けているようにも見える。彼は、徐々に怯える男に近づいた。

「ほうら」
 ただ、遊戯を楽しむ子供のような笑いをたたえていた男は、不意に恐怖の芽生えた男の背中を押す。
 ―――――!!!
 声にならない悲鳴が木霊する。しかし、悲鳴はどこまでの世界に届いたであろうか。ほとんど誰もいない、この空間だけなのだろうか。それとも少しは彼の身体に染み付いていた油の所有者に届いたであろうか。彼の最後の言葉は。

「大げさ過ぎるんだよ」
 突き落とした男はくっく、と笑った。
「ただのバンジージャンプだろ」
 
 あの彼方へ。彼は何度も繰り返し呟いたその世界を、垣間見ることができたろうか。ただ、言葉を失ってぶらさっがっている男は、見開いた目をやがて穏やかな色に戻して、ふっと息を吐いた。
――――――――――――――――
誰しも「死」というものを考えたことがあるだろう。
私は重い病気に苦しんだ事もないし、大きな死というものを知っているか、と言われれば否であろう。しかし、そんな私でも、一瞬なりともそういった問題を考えてしまう時がある。真夜中の街道は、店の光も殆どなくて真っ暗だった。でも、何故かとても落ち着いた。静かな闇だった。この中に私はふっと消えてしまうのだろうか、なんてことを考えながら、だーれもいない夜道を歩いていました。
 難しい、三人称ももっとかかきゃならんな。
 

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