もともと、私は「魔法」が使えるなんてこと知らなかった。
私はこの世の中には、とても多くの迷信があると思っていた。「魔法」もその一つだった。授業かなんかでは、昔の人が何かを正当化するために使うものだと言っていたような気がする。
私はその説に感銘を受けたわけでもなかったが、それ以上に日常に魔法がある事のほうが信じられなかったので、抵抗せずに受け入れた。ほとんどの人間がそうであるように、私もそうやって、魔法を迷信として全く相手にしなくなった。
時々、神頼みに似た感覚で魔法を渇望したことはあるにしても、その時に何かが変るなんて思わなかった。
私が「魔法」を知るきっかけとなったのは、とある午後に駅前のカフェの白いパラソルの下で、キンキンに冷えたカフェ・ラテをひたすら吸い込んでいた時だった。
全く暑い事この上ない。頼んだばかりのカフェ・ラテの氷がもう半分解けてしまっている。ノースリーブにしたところで、この暑さから逃れる事が出来ずに、逆に日焼け対策に追われる羽目になっただけだった。
こう暑いとムシャクシャしてくる。目の前に数学の遠藤がいたら、もはや氷も解けて温くなったお冷をかけてやりたい。よくも、追試にしやがって、断罪に値する。この私を追試にするなんて。NASAが許しても、この私が許さない。
ん?何故、NASAなんだ?
暑さで頭がおかしくなってきたみたいだ。このお冷は、寧ろ自分の頭にかけるべきかもしれない。
ふぅ。
頭の体にたまった湯気を吐き出そうと、私が上を向くと……。
「む」
☆▲■○▽□◎★
「む……し?」
血の気が一気に引いていくのをこの身体に感じた。
「ぎゃぁぁぁあああ」
あろうことか、私は夏の昼間っから、かわいそうなホラークイーンが斧に頭をかち割られる寸前のような声を出してしまった。
次に私に襲い掛かったのは、蝉の合唱つきの深い沈黙。ありがとうセミたち。あなたたちの事は、忘れないから。
自嘲気味にセミたちに賛辞を送っていると、近くに人の気配を感じた。
「大丈夫ですか?君」
安定感のある中低音が、蝉の大合唱の中から飛び出してきた。
というか、丁寧語を使っているくせに、「君」なんて代名詞使うか?どこの気障野郎だ。
「へ、平気でーす」
とぶりっ子で答える。これで、きっと私は劇画調で雄たけびを上げた若いくせにやたら顔の濃い女じゃなくて、さながら可愛い悲鳴を上げた萌えな女子高生に見えるはずだ。多分。
「そう、ならいいんだけど」
男は長身でストライプの入った青めのYシャツを着ていた。私が見上げると、長細い縁なし眼鏡を、中央のブリッジでくいと上げた。気障な……。でも、結構タイプかもしれない。
ここはちょっと弱みを見せて、なんとかかんとかでメアドでもゲットしといたほうがいいかもしれない。
よし、作戦変更といこうか参謀長。
「あの」
と、私が口を開く前に男はちょっと間の抜けた声を上げた。
「え?」
私もとっさに素に近い声で答えてしまった。
と、男は言葉を続けることなく、急に身を屈めて私に身体を接近させた。ゆっくりと光のようにまぶしい右手をゆっくりと私の方に伸ばした。
ちょ、ちょっと待った。それは急すぎる。まだ心の準備が……。
男の体が私のパーソナルスペースの奥に進むほどに、私の鼓動は早くなる。
いや、やっぱりだめだ。こんなところで……。それにまだ出会って間もない。もうちょっと、あなたの事を知る時間が欲しい。
この際私の心臓の音に驚いて、彼が後に飛び去ってくれたらいいのに。
いや、待て待て。こんなチャンスものにしなくてどうする。私にもついに来たんだチャンスが。
男はゆっくりと、手を私の後頭部のほうに回していく。目を瞑ろう。
ああ、なんか夢を見ているみたい。さっきまでの苛立ちが嘘のようだ。私が私じゃないみたいだ。研ぎ澄まされて、なんだか何でもできそうな気がする。
唇に僅かに力を加える。
そして、私は高鳴る鼓動を喉の奥に押しとどめながら、まだ触れぬ彼の唇の豊かな感触を待った。
……
…………
………………
まだ!?
私は目をかっと開いた。
枝豆?いやそれにしては毛が深い。
それにうねうね、うねうね………
「これで一安心です」
男は生きた毛虫を私の前でつまみながら、笑顔を送った。
「きぃゃぁぁぁぁぁ」
私は夢中で叫んだ。叫びまくった。他になにも覚えていないくらい叫んだ。
だから、私が目の前の眼鏡男の眼鏡が5メートル吹っ飛ぶほどの平手打ちをしていた事も覚えていない。
○ ○ ○ ○ ○ ○
「ごめんなさい」
心から謝った。本当に反省しています。ああ、殴り返されるかな……。
怖くて頭をあげられないよ。
「……」
ぽん、と頭の上に手を置かれた。何だろう。
「これでおあいこってことで」
顔を上げる。目の前には柔らかな笑顔をたたえる青年。この笑顔のどこが気障なのだろうか。私は間違っていた。後悔が押し寄せる。勝手に妄想して、勝手に彼という人間を曲解して……。
「ごめんなさい」
気づいたら、私はもう一度頭を下げていた。どうしてもこうしなければ、私は駄目な気がした。どうしてだろう、こんなに苦しいのは。
「だいじょうぶだから」
髪がゆっくりとなでられている。眼鏡の向こうの目には複雑な色が混じっていて、彼が何を考えているかは分からなかった。同情、慈悲、偽善、それとも別の何か。いや、それらが絡まりあっているような気がする。
夏の太陽に照らされた深い茶色の虹彩は、確かにありふれた「魔法」を放っていた。それは、私が今まで信じる事のなかった、ささやかな真実。たしかなる理由もないのに人を好きになる事、それは確かに素晴らしき夏の「魔法」だった。
ああ、なんかすごく照れくさいこと言ってない、私。もう今日はどうかしている。
今、私は何をすればいいのか。
目の前にいる「気障」な眼鏡のせいで、何にも出来ないかもしれないけど、とりあえず、まずはメアドから知っていこうと思う……。
私はこの世の中には、とても多くの迷信があると思っていた。「魔法」もその一つだった。授業かなんかでは、昔の人が何かを正当化するために使うものだと言っていたような気がする。
私はその説に感銘を受けたわけでもなかったが、それ以上に日常に魔法がある事のほうが信じられなかったので、抵抗せずに受け入れた。ほとんどの人間がそうであるように、私もそうやって、魔法を迷信として全く相手にしなくなった。
時々、神頼みに似た感覚で魔法を渇望したことはあるにしても、その時に何かが変るなんて思わなかった。
私が「魔法」を知るきっかけとなったのは、とある午後に駅前のカフェの白いパラソルの下で、キンキンに冷えたカフェ・ラテをひたすら吸い込んでいた時だった。
全く暑い事この上ない。頼んだばかりのカフェ・ラテの氷がもう半分解けてしまっている。ノースリーブにしたところで、この暑さから逃れる事が出来ずに、逆に日焼け対策に追われる羽目になっただけだった。
こう暑いとムシャクシャしてくる。目の前に数学の遠藤がいたら、もはや氷も解けて温くなったお冷をかけてやりたい。よくも、追試にしやがって、断罪に値する。この私を追試にするなんて。NASAが許しても、この私が許さない。
ん?何故、NASAなんだ?
暑さで頭がおかしくなってきたみたいだ。このお冷は、寧ろ自分の頭にかけるべきかもしれない。
ふぅ。
頭の体にたまった湯気を吐き出そうと、私が上を向くと……。
「む」
☆▲■○▽□◎★
「む……し?」
血の気が一気に引いていくのをこの身体に感じた。
「ぎゃぁぁぁあああ」
あろうことか、私は夏の昼間っから、かわいそうなホラークイーンが斧に頭をかち割られる寸前のような声を出してしまった。
次に私に襲い掛かったのは、蝉の合唱つきの深い沈黙。ありがとうセミたち。あなたたちの事は、忘れないから。
自嘲気味にセミたちに賛辞を送っていると、近くに人の気配を感じた。
「大丈夫ですか?君」
安定感のある中低音が、蝉の大合唱の中から飛び出してきた。
というか、丁寧語を使っているくせに、「君」なんて代名詞使うか?どこの気障野郎だ。
「へ、平気でーす」
とぶりっ子で答える。これで、きっと私は劇画調で雄たけびを上げた若いくせにやたら顔の濃い女じゃなくて、さながら可愛い悲鳴を上げた萌えな女子高生に見えるはずだ。多分。
「そう、ならいいんだけど」
男は長身でストライプの入った青めのYシャツを着ていた。私が見上げると、長細い縁なし眼鏡を、中央のブリッジでくいと上げた。気障な……。でも、結構タイプかもしれない。
ここはちょっと弱みを見せて、なんとかかんとかでメアドでもゲットしといたほうがいいかもしれない。
よし、作戦変更といこうか参謀長。
「あの」
と、私が口を開く前に男はちょっと間の抜けた声を上げた。
「え?」
私もとっさに素に近い声で答えてしまった。
と、男は言葉を続けることなく、急に身を屈めて私に身体を接近させた。ゆっくりと光のようにまぶしい右手をゆっくりと私の方に伸ばした。
ちょ、ちょっと待った。それは急すぎる。まだ心の準備が……。
男の体が私のパーソナルスペースの奥に進むほどに、私の鼓動は早くなる。
いや、やっぱりだめだ。こんなところで……。それにまだ出会って間もない。もうちょっと、あなたの事を知る時間が欲しい。
この際私の心臓の音に驚いて、彼が後に飛び去ってくれたらいいのに。
いや、待て待て。こんなチャンスものにしなくてどうする。私にもついに来たんだチャンスが。
男はゆっくりと、手を私の後頭部のほうに回していく。目を瞑ろう。
ああ、なんか夢を見ているみたい。さっきまでの苛立ちが嘘のようだ。私が私じゃないみたいだ。研ぎ澄まされて、なんだか何でもできそうな気がする。
唇に僅かに力を加える。
そして、私は高鳴る鼓動を喉の奥に押しとどめながら、まだ触れぬ彼の唇の豊かな感触を待った。
……
…………
………………
まだ!?
私は目をかっと開いた。
枝豆?いやそれにしては毛が深い。
それにうねうね、うねうね………
「これで一安心です」
男は生きた毛虫を私の前でつまみながら、笑顔を送った。
「きぃゃぁぁぁぁぁ」
私は夢中で叫んだ。叫びまくった。他になにも覚えていないくらい叫んだ。
だから、私が目の前の眼鏡男の眼鏡が5メートル吹っ飛ぶほどの平手打ちをしていた事も覚えていない。
○ ○ ○ ○ ○ ○
「ごめんなさい」
心から謝った。本当に反省しています。ああ、殴り返されるかな……。
怖くて頭をあげられないよ。
「……」
ぽん、と頭の上に手を置かれた。何だろう。
「これでおあいこってことで」
顔を上げる。目の前には柔らかな笑顔をたたえる青年。この笑顔のどこが気障なのだろうか。私は間違っていた。後悔が押し寄せる。勝手に妄想して、勝手に彼という人間を曲解して……。
「ごめんなさい」
気づいたら、私はもう一度頭を下げていた。どうしてもこうしなければ、私は駄目な気がした。どうしてだろう、こんなに苦しいのは。
「だいじょうぶだから」
髪がゆっくりとなでられている。眼鏡の向こうの目には複雑な色が混じっていて、彼が何を考えているかは分からなかった。同情、慈悲、偽善、それとも別の何か。いや、それらが絡まりあっているような気がする。
夏の太陽に照らされた深い茶色の虹彩は、確かにありふれた「魔法」を放っていた。それは、私が今まで信じる事のなかった、ささやかな真実。たしかなる理由もないのに人を好きになる事、それは確かに素晴らしき夏の「魔法」だった。
ああ、なんかすごく照れくさいこと言ってない、私。もう今日はどうかしている。
今、私は何をすればいいのか。
目の前にいる「気障」な眼鏡のせいで、何にも出来ないかもしれないけど、とりあえず、まずはメアドから知っていこうと思う……。
文章は二度同じものを書くのは、意外と難しい。一字一句間違えない事なんて不可能である。もし、それを克服した芸当を手に入れたのならば、私は広辞苑を頭の中に入れて他人が間違った言葉を使った時に厳密に揚げ足をとってやりたいと思う。
そんなこんなで、今日はなんとか上がりました。こんなブログでも見に来てくれる人がいるのは嬉しいです。そして、また書きたくなります。毎日見に来てくれている皆様の存在は、私にとって元気玉の「玉」の部分くらい重要です。
また、クリックしていただけると、ありがたいと思います。ではまた。
しかもツンデレ。
君がこういう話がすきなのはうすうす感じていたが、まさかここまでちゃんと書けるとは。
正直言って、すごく面白かった。
ギャグとしても恋愛としても、なんだか体がむずがゆくて身悶えてしまいました。
「魔法」の使い方もいいね。
いや、すごい。君の文才には参った。
書く文章の方向性が違うことにちょっとほっとしている今日この頃(笑)。
いや、そんなに言われてしまうと私も参ってしまいますね(照)
しかし、昨日「夏祭り」の作品を読んでましたけれど、あれはすごい。まだそんなに見てないけれど、もっと勉強しないとと思いました。
この娘、ツンデレというかデレツンという感じがしますが・・・。この後、男が尻に敷かれそうだし。