深キ眠リニ現ヲミル

放浪の凡人、中庸の雑記です。
SSなど綴る事アリ。

ひなたの日常⑥(後)

2006年08月10日 | 小説/SS
八月十日晴。

 今日は、この夏始まって以来の猛暑になった。僕はいつものように、朝飯をまだ涼しいうちにほおばり、まだ日が浅いのに、げんき一杯のおひさまは、すでに恐ろしくらいの直射日光を放っていた。
 そのはた迷惑な光から逃げるようにして、影伝いで僕は東光寺に急いだ。
 まだ、誰も来ていなかった。お陰でゆっくり昼寝が出来る……

 おっと、そうだった。昨日の話の続きをするのだったか。ひかるの話は、前後不覚だった。いろいろ整理してみたが、やっぱりわからないことが多い。

 はじまりはこうだ。

「海に行かないか」
 例のテスト勉強会の時にコウスケがキョウコに言った。丁度、キョウコの差し入れのシュークリィムを平らげた後だ。
「え?」
 キョウコはほどほどに熱い紅茶を飲みかけて動きを止めた。
 結構な長い事時間が止まったらしい。ツクツク法師が一フレーズ鳴き終わるくらいの間だろうか。紅茶が冷めてしまうくらい長い事ではなかった筈だ。
「海?」
 キョウコは普段滅多に見せないような表情をして聞き返した。まぁ、それがどんなもんか僕にはわからない。ひかるによれば珍しいものだったらしい。僕は日本足の連中に興味なんてないので、その表情を説明されても分かったかどうかはわからない。
「ああ」
 コウスケはややあって、頷いた。キョウコの反応を変に思ったのだろう。
 キョウコは色んなことが頭にあったのかもしれない、というのはひかるの言葉だ。それがどんな事なのかは、詳しくわからない。
「あ、んーそんな時期だね」
「そうそう、テスト明けだしさっぱり泳ぎたいじゃん」
 コウスケはクリームがついた口の端っこを拭きながら、テストのことなんて忘れて、太陽の光で一杯の海岸を想像してたような顔つきをしてた、……ってよくわかるよなぁ。
「ふーん」
「トオルにマサシ、それにカオリも行くってさ」
「ま、コウスケがちゃんとテストを乗り切れたらの事だけど。補習でもあったら、そんな暇ないでしょ」
 キョウコは立ち上がって、カップを片付けに勉強部屋の裏手にある台所に向かった。
「大丈夫だって、その為に優秀な家庭教師もいるし」
「それなら、それなりの時給をちょうだい」
 キョウコはさあ続きをはじめよう、といわんばかりに戻ってくるなり、参考書を手に取った。
「だから、その代わりにってことでさ」
 コウスケもキョウコに促されるようにして、カップを片付けに行った。
「なんにせよ、期待は禁物な気がする。なにせ前期は赤手前だったコウスケのことだし」
 そう答えたキョウコは、視線を下に落とし、聞こえないくらいの小さな溜息を漏らした。この日は、そんな風にして、結局その話は立ち消えになった。

 その後、丁度テストの終わった頃の話だ。僕は、避暑地めぐりで、放蕩を続けていたし、もともとコウスケの行動の十分の一も知らない程度の付き合いなので、その話も全てひかるに聞いたものだ。
 その頃、改めてコウスケはキョウコを海に誘う事を考えていたらしい。その日、昼を過ぎた頃にやってきた。
「なんとか赤点は免れたよ」
 コウスケはキョウコに会うなり挨拶代わりに、自慢げにそういった。自慢にならない気もするが。
「優秀な家庭教師のお陰でね」
「そうそう、だからそのお礼も兼ねて海水浴&BBQ大会なんてどうかな」
 コウスケは長く暖めてきた卵から生まれたひよこでも、見せるような嬉しそうな声だった。
「メンバーはこの前の連中とかな。費用は俺が持つ事になったんだよ」
 コウスケは相変わらず嬉しそうに喋り続けた。
「ふうーん」
 キョウコの声は変らなかった。コウスケも少しするとその様子に気づいて、自分の期待していた反応を見せないキョウコを不思議に思った風に首を捻った。
「なんか興味なさそー」
「ん、いや、そんなことないよ」
 キョウコはいつもの明るい表情で返した。でも、それはどこか不自然だった、とひかるは言う。
「そっか。じゃあ……」
 それでも、キョウコは曖昧に返した。コウスケはどうも納得がいかなかった。
「あ、ひょっとして都合がわるかったか」
「ごめん」
 キョウコは短く答えた。このとき既にキョウコは夏風邪だった。僕は知っていた。コウスケは知らなかった。ひかるが主張するには二足の連中のオスも、我々のオスも自分ばかりしか見ていないということだ。なんのことか分からない。たまにひかるの言う事は意図をつかめない。誰か丁寧に解説して欲しい。

 ここまでの話は、単なる日常ありうることなのだが、僕を不安にさせるにはまだまだだ。そうなると、ここから先が一番「不安」にさせるもので、僕にとって一番不明な点が多い話の流れになる。
 予定では海に行く事になっていた日のことだ。この日は昼から雨になり、キョウコは相変わらず風邪だった。
 その朝はキョウコはまだだいぶ体調が悪く、くしゃみを繰り返したり、鼻を気にしたりしていた。かと思えば、ベッドに寝転がって、お腹が痛いのか、何度も繰り返しさすっていた。そのたびに小さく溜息をついていた。
 ひかるは気の毒に思って、キョウコのお腹の上に乗って暖めてやった。
 僕から言わせれば、そっちのがよっぽど気の毒だろうな。
 二足歩行類はどういうわけか、嘘が嫌いらしい。それが必要なものであろうと、どうしようもないものだろうと嫌いらしい。僕らにはその点は、賛同しない。結局、僕たちはどうあっても誰かと騙しあいをして、生き抜いていかなきゃならない。その為には騙す事も正しい。だけれども、彼らは彼らだ。でも、薬と毒の区別くらいはもうちょっとした方がよいと思う。
 キョウコはその日、一人きりだった。昼に料理する気力も起きず、冷蔵庫にも何もなかったため、コンビニに行った。それが、まずかった。いや体調が悪くなったとかではなく、気持ちが。
 コンビニの帰り道でキョウコは、コウスケに出くわした。
 キョウコは薄ピンク色のカーデ重風のカットソーに深い色のジーンズといった格好だった。髪の毛も普段と変らず、おしゃれに梳かしてあった。
 それが、逆に災いした。
「キョウコ?」
 コウスケの声は強張っていた。
 振り向いたキョウコはとっさに反応できなかった。
「今日って」
 キョウコは答えを持っていなかった。生まれつき正直だったから。
「あ、今日はね」
 そのまま、何も言えずに目を泳がせていた。
「……」
 今度はコウスケの方が黙ってしまった。一体どうしたのだ。
「ごめん」
 キョウコは溜めていたものを、吐き出すみたいに言った。
「どうして」
 コウスケは真っ直ぐにキョウコを見た。ひかるは目を細めてそれを見ていた。そのひかるにも痛いほど真っ直ぐな目だった。
「ごめん」
 キョウコはやはり短く言った。キョウコの中にどういうものがあったかは、僕にはまるで想像できないが、その場から逃げ出したいと思っていたと思う。
「やっぱさ」
 とコウスケ。今度はコウスケの方も目を背けていた。キョウコを真っ直ぐ見ることは出来なかった。
「俺、嫌われてんのかぁ」
 コウスケはあっけらかんと言った。でも、これはコウスケらしくないな、と僕は思う。
「そうじゃない」
 キョウコは、強く否定した。
「いいよ。別に」
 コウスケはいつもは無条件で受け入れるキョウコの言葉を、遠ざけた。なるほど、二足歩行類は厄介だ。本当にそう思う。
「コウスケ……」
 キョウコはそれ以上何も言わなかった。
 コウスケもキョウコに何も聞こうとはしなかった。
「俺、帰るよ」
 コウスケは足早に去った。ひかるはやはり細い目で、見送った。

 僕がひかるの家にいったのが、次の日だ。コウスケが、妙な嘘をついた日で、僕が初めて「不安」を尻尾に感じた日だった。
 僕はこの話を聞いて、ほとんどが不明のことだけど、「不安」がどういうものかは薄っすらと感じた。
 何れにしてもあまり気持ちのいいものではない。

 ここまで整理したら、あの日の「不安」は大体説明がついたように思う。けれど、その後は、どうなったのか。ひかるはその事は喋らなかった。お陰で、一時忘れていた「不安」が俄かに僕の喉に引っかかって気持ち悪い。

「ひなた、お前は気楽だな」
 コウスケは嘘をつく前の晩にそんな風にいいながら、僕の毛並みを手でなでた。はっきりいって余計なお世話だ。どうしてそんなことを言われなきゃならないんだ。いくらコウスケが命の恩人だとしても、僕をまるでその辺の白猫のやつと一緒にされるのはなんだか、嫌だ。
「あーあ。なにやってんだ俺」
 知るか。
「お前もキョウコの猫も仲いいよな。全くいいよな」
 ひかるという名だ。それに仲がいいというのは、お前の目は節穴か?
 ああ、確かにひかるがいっていたように、二足の連中のオスはどうやら自分の事しか見えていないらしいな。
「にゃー」
 僕はとりあえず鳴いてやった。これが二足の大半が僕に求める答えである。それ以上は何も求めない。僕も答えるつもりはない。
「気楽なやつめ」
 僕は目いっぱいコウスケの胸板に殴りかかる。さほど利いていない。くすぐったがっている程度だろうか。
 しばらく、コウスケは僕と徹底的に遊んだ。何も言わずにひたすらに。
「なぁ、ひなた」
 なんだよ。
「キョウコのシュークリームまた食べたいよな」
 コウスケは一言一言ゆっくりと言った。
「にゃー」
 どんな問いだろうと僕はこう答える。それが、僕に求められている答えだから。
 この言葉には、嘘も本当もない。肯定でも否定でもない。
 もちろん、僕はシュークリームは食べたいわけだが。
 コウスケはわずかに笑った。
 おい、ハクに似たか?だいぶ気障にみえるぞ、やめとけ、似合わない。
「そうか」
 何を納得したか知らないが、とりあえずシュークリームがもらえればいい。
 今思えば、このやりとりも今回聞いた一件のなかで、何か一つの部分なのかもしれない。今更僕は思い出した。あのときは別に気にならなかったが、今になるとなんとなく分かる。
 コウスケは答えを見つけたんだ。

 その後どうなったかは、まだ判明しないがそろそろ東光寺も暗くなってきた。夕飯を食べに帰ろう。
 僕は砂利の坂道を下っていった。いい香りがした。動物の肉の香だ。僕の大好物である。特にあの皮のついた棒状のやつはなかなかいける。
 匂いに誘われて垣根の隙間を抜けていくと、いつの間にかひかるの家にたどり着いた。僕はお構いもなく、家にお邪魔した。たまにはここでご馳走になってもいいだろう。
 板張りの廊下を曲がって、奥の土間に降りると、声が聞こえた。
「……ああ……も変ら……これじゃ……」
 声が反響して聞き取りづらい。近づいてみる。
「はぁ、あと500グラム落ちないかなぁ……ふぅ」
 なんの話だ?隙間から覗いてみる。キョウコだ。四角い板状のものに乗っている。確か、体の重量をはかるものだったか。
 キョウコは、近くの棚においてある何かを手に取った。
 貝殻だ。きれいに白だけの貝殻だ。ギザギザも規則的できれいだ。
 キョウコはそれをじっと眺めている。
「コウスケ」
 どうして、そこであいつの名前が?
「あーあ。なに意地張ってんだろ私」
 なんのことかさっぱりわからない。
「にゃー」
 ちなみにこれは僕の声ではない。
 ひかるがのっそりと背後から現れた。
「あれは、コウスケが持ってきた貝殻よ」
 とひかるはキョウコの近くに進み出ながら言った。
「コウスケが?」
「よっぽど仲直りしたかったんのね」
「……」
「コウスケがもっとキョウコをちゃんと見ていれば、こんないざこざもなかったのに、つくづくオスってば……」
 おいおい、それは僕も含まれているような気がするのは、僕の考えすぎなのだろうか。
「キョウコもキョウコね。なんでも意地を張ったりするから……体重なんて気にしないが一番いいわ」
 ひかるは悟り切ったような顔つきだ。……というかひかるは気にした方がいいだろ。というのはあまりに僕にとって不利益になる言葉なので腹の中に収めておこう。
 それはともかく、正直に言おう。僕にはこの一件はどうにもさっぱりだ。これが二足歩行類の複雑なところなのか。嬉しがったり、不安だったり、恥ずかしがったり、誇らしかったり、信じたり、疑ったり、全く忙しいことこの上ない。