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Mo.の事件簿 A diary of Mo’s trips

事件簿などという大層なタイトルだが、実は単なる旅行記です。

16.オペラ「椿姫」。

2011-01-24 | イタリア/Italy:2010
さて、そしてオペラです。

船から降りて、まず会場であるスクオーラ・グランデ・ディ・サン・テオドーロを確認し、
その建物に今晩の催し物のポスターが貼ってあるのを見るまでは、
「本当にオペラはあるんだろーな?」という一抹の不安はあったけれども。
まあ大丈夫でした。詐欺じゃなかった。
詐欺じゃなかったが……30分前に着いてこの行列はむしろ予想外。




A queue to enter the hall for the opera of LA TRAVIATA.








夜なんだし、ちょっと寒いんですけどねえ。
よほど並ばずにどこかで座って待とうかと思ったのだが、席は自由席だし、
座るといってもその辺の教会の石段だと、立っているよりも下手すると寒い。
諦めて並びました。長い。建物に入るまでと、建物に入ってから会場が開くまでと。
けっこう苛々しました。混むのも行列もイヤな、こらえ性のないワタクシ。


前の方の席が1つだけ開いていたのを見つけて座る。隣の人はイギリス人の老夫婦。
わたしが旅行メモを書いているのを見て、日本の文字について質問をしてきた。
ええと、日本の文字は主に3種類あり、これが漢字で、これがカタカナで、これがひらがな……
カタカナは外来語を書き表すのに主に使われる、などということを説明する。
いかにもイギリス!というアクセントが懐かしかった。


30分ほど開演が遅れ、さらにイライラ……





でも始まったら、なかなか楽しめました。

主役のヴィオレッタは、外見的には単に「派手なおばさん」だったがだんだん惹きこまれた。
ジェルモン(アルフレードのお父さん)との二重唱とか、泣いてしまった。

しかしそれに対してアルフレードがすごいツラかった……。
歌の部分ではそれほどひどくないんだろうけど、外見と演技力がツライ。
何しろアルフレードは、役柄としてはいいところのお坊ちゃんで悲恋の主人公ですよ。
イメージ的には優男で伊達男。線の細いハンサム。
それが、演じた歌い手が、体型がころっころしたおっさんで……
顔自体は別に不細工とかいうわけじゃないんだけど、髭を生やしてもっさりとした感じ、
……どうしたって悲恋の主人公には見えません。
わたしのイメージでいえば、テキサスの田舎の雑貨店店主。

彼の演技部分も悲惨だった……。
オペラって、歌の上手さと演技力と体型(年齢)は、常にどこかに妥協を求められるものでは
あるけれど、彼は演技が非常に大根で。
前の方で見ていたせいもあるのだろう。アルフレードに見えなくて苦労した。
アルフレードと一緒に出て来ると、ヴィオレッタもひきずられて何だかすごく下手に見える。
もうちょっと誰かいなかったのか。

さらにいえば、狭い会場でオーケストラが生演奏、というのはがんばってたが、
オーケストラはまあ、下手でしたね。人数が少なすぎたのが敗因だと思う。
20人くらい?フルートなんか一人だけだったもんなあ。
クラリネットあたりの人が時々、ぴぃ、とかいって音を外す。

でもまあ値段が安いからね。それでも特に不満はなかった。




Ticket and theatre are both cheap. I enjoyed the opera.







芝居がはねた後で、みんな帰るところなので、気の抜けた写真になっているが。
舞台美術は、むしろ前半部の方ががんばっていた。



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その後、真夜中のリアルト橋からヴァポレットに乗ってホテルへ帰る。




The Realt bridge in midnight.



0:20、ホテル帰着。長い一日でした。




15.オペラの前に。

2011-01-21 | イタリア/Italy:2010
今晩は20:00からオペラ「椿姫」。
だがそれまでに相当時間があるので、その前に、

サンタマリア・デッラ・サルーテ教会(前日昼休み中で中に入れなかった教会)
リアルト橋近辺撮影
軽く晩ごはん

という予定で16:45にホテルを出る。
この頃にはもうずいぶん暗い。





Souvenir shops near the hotel.


運河沿いの道に出ているお土産屋台。
ヴェネツィアの風景がプリントされている傘には多少食指が動いたのだが、
荷物になるので止めておいた。日本で実際使うとしたらだいぶ派手だろうし。


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ホテル前から船に乗ると、サルーテまでは2駅分であっという間。
前日に徒歩1時間くらいかけたことを思えば、ずいぶんあっけないですな。
(あ、島めぐりの間にヴァポレットの48時間券≒3300円を買ったので、以後船には乗り放題)





The church of Santa Maria della Salute.


3度目(4度目?)の正直でようやく内部に入れる運びに。
中は……ああそうか、ここは集中式(多角形)だったか。予想よりもこじんまりしている。









Inside.




どーでもいい話だが、わたしは個人的にカノーヴァに謝っておきたい。
誰やねん、カノーヴァ?と言えば18世紀から19世紀にかけて活動していたイタリアの彫刻家。
詳細はwikiをどうぞ。

カノーヴァについてほぼ何も知らないくせに、わたしはつい昨日(これを書いている日の昨日)まで、
この彫刻をなぜかカノーヴァ作だと思い込み、「時代が若いせいか若干俗味がね……」
などという感想を持っていた。だが実はこの彫刻は全くカノーヴァには関係ない。
関係ない作品を見て俗呼ばわりされてはカノーヴァも地下で浮かばれまい。

さらに言えば、Wikiを見て愕然としたのだが、「ペルセウスとメデューサの首」って
カノーヴァだったのか!?わたしはてっきり……古代ローマの彫刻だと思っていたっ。
もう二重三重にマチガっている感じですよ。ほんと自分が信用ならん。
すまん、カノーヴァ。

ちなみに翌日、カノーヴァ自身によって作られたカノーヴァの墓(記念碑)を
サンタマリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ教会で見た。
やはり俗という偏見には囚われたままなのだが、それでもその滑らかな線と静けさは
なかなか品がいいものだと感じました。



ちなみに、ほんとーはこのサルーテ教会、聖具室を見なければお話にならないようなのです……
(ティツィアーノやティントレットの絵がある)
でもわたしはそんなことは何も知らず、祭壇部分だけ見てさっさと終了してしまう。
4度目の正直でこれでは、行った意味があるんだかないんだか。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


そこから再度船でリアルト橋へ向かう。オペラの会場がリアルト橋付近なので。

だが帰宅ラッシュの時間帯のせいか、船が激混み。
ただでさえ人混みがキライなのに、それが船なんて最悪ですよ。逃げ場がない。
停留所が7つ目だったかな?リアルト橋で降りる頃には、もう相当にイライラしていた。

そしたら、船を下りても……普通の道も人でいっぱいだったんですよねー。
いやまあ、考えてみればリアルト橋付近は聖マルコ広場と並ぶヴェネツィアの中心部だし。
特に時間は食事時。そりゃ混みますよ、この辺は。
例えていえば、午後18時のフォーラス前の混み具合に文句を言っているようなもん。
人混みにイライラするならヴェネツィアなんか来ちゃあかんっちゅうねん。

でもイヤなものはイヤなんだもんっ。
この辺りの夜景を撮ってしばらく過ごそうと思っていたのに、そんな気分ではなくなった。
さらに軽く夕食をとるつもりだったが、何しろこの混み具合では居心地の良さそうな
静かな店を探すのも苦労しそうだ。もう、どーしろっつーんだよ。


ホテルに帰ろうかな、とも思った。直線距離ならたった6、700メートルくらい。
オペラが始まるまであと2時間もこの人混みをうろうろするのはぞっとしない。

が、ここでヴェネツィアの迷宮性へのオソレがとりつく。
直線距離では600メートルでも、入り組んだ道だから距離は少なくとも倍にはなるだろう。
迷ったら、かかる時間はさらに3倍。
そしたらホテルまで往復して1時間、何か食べて30分。
席が自由席だから早めに会場入りしていた方はいい席が取れるだろうし……
間に合うか間に合わないか微妙なところ。


結局わたしは、実に中途半端なことをしました。
その辺で量り売りのピザを買い、リアルト橋とホテルの間くらいにある教会前の広場で
暗いベンチに座って食べるという。

わびしー。季節がいい時なら全然アリだけどさあ、冬のすっかり真っ暗なところでは
あんまり楽しくありませんよ。
しかも隣のベンチには家族連れが座っていて(暗いベンチで彼らの存在は救いだったが)、
連れていた2匹の犬がわたしのピザを食べたがって。
「そりゃそーだよねー。ごめんねー」と思わず日本語で謝る。
なぜイタリアくんだりまで来て、犬に気を使いながら夜空の下でピザを食べなならん……




I ate mushroom pizza.


食べたのはキノコのピザ。まん中の茶色っぽいやつ。
……今更だが、少しずつ2種類買えばもっと楽しかったのではないか?


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さらに、わたしはヴェネツィアのトイレ事情について一言言いたい。

リアルト橋付近でトイレを探したんです。これだけ人がいるんだから、
やっぱりどこかにはトイレが必要じゃないですか。周りを見回すと、公衆トイレの案内表示がある。
ガイドブックに“案内表示から実際のトイレまではけっこう遠い”と書いてあったので、
そういうもんだとカクゴして歩いた。……ほんと遠いですね。
えーかげんにせい。と思うほど遠い。

し・か・も。
そんな思いをして辿りついたトイレは……閉まっている。

は?

入口に紙が貼ってある。曰く「18時で閉まります」。
……その時18時5分か10分過ぎ。人通りは今が佳境。

この状態で閉めてどうする!!

わたしの他に何人もが、貼り紙を見ては眉をしかめて去って行く。
コンビニもない。公共の建物もない。マクドナルドもない。
レストランならトイレはもちろんあるだろうが、わざわざその為に食べたくもない料理を
食べる気にもならない。手ごろなバールも見当たらない。
一体何を考えているのだ、ヴェネツィア当局は。

そういえば、この近くにデパートがあった。個人商店が主流のイタリアでは、
デパートというのはあまり勢力が強くないと思われるが、それでもデパートなんだから、
客が使えるトイレくらいはあるはず。


……そしたらこのデパートでほとほと呆れた。
床面積的には、うーん、多分141の半分か3分の1くらいの建物だと思うんですよ。
大きくはないが……それでも日本だったらちゃんとトイレを作りますよね?
いや、トイレがなかったわけではない。あったことはあった。
しかしそれが……1フロア当たりたった2つ!男女合わせて!しかも1つはスタッフオンリー!

ふざけるなー!と心の中で叫ぶ。

トイレの場所もひどいんだよ。ものすごくわかりにくいところにあるの。
何しろフロア地図を何度見ても見つからなかったんだから。
(多分階によってはトイレを改装して倉庫にしている所もあったと思う。)
ぐるぐるぐるぐる5、6度回って、諦めた頃にすごく地味な案内表示を発見。
あ、あったと思ったが、客用のトイレが1つという衝撃の事実。

間違っているぞ、ヴェネツィア!!


さらに、この後行ったオペラ会場であるスクオーラ・ディ・テオドーロも、
オペラの客が、最低300人、もしかしたら500人近くいるかもしれないのに
トイレの個室が男女合わせて3つしかないという……


なんなんでしょうねえ。この状況は。
意地でも余所者にはトイレを使わせないぞ!という強固な意志さえ感じる。
島だから下水道設備関連の料金が高いんだろうか?
わたしもあちこち行っているけど、ここまで不自由な状況は経験したことがない気がする。
観光地ヴェネツィア。…………………………………………絶対おかしいと思う。






14.ところで、ヴェネツィアのホテルについて。

2011-01-18 | イタリア/Italy:2010
本島帰着は15:45。
最初にすべきことはホテル移り。パガネッリのフロントに預けていたスーツケースを引き取る。
さっき教えてもらった、ホテル・カンピエッロへ向かってスーツケースゴロゴロ。
徒歩3分。脇道を一本入るだけなのでほんとに近い。

さて、わたしはなぜこのタイミングでホテルを移っているのでしょうか?
そこには長い物語があります。――別にたいした話ではないんだけれども(^_^;)。



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旅行においてどの程度のホテルを求めるかは、まさに十人十色。
ある人はホテルに大きな期待を抱き、そうでもない人は泊まれさえすればいいと考える。
ちなみに、複数で旅行をする時にはすごく大事な部分。
選択によってはその後の人間関係にヒビを入れかねない。


わたしは安宿派なので、比較的ホテルを重視しない方に属する。
とは言っても同じ金を出すなら快適な方がいい。快適な方がいいが、金も安い方がいい。
一番確実なのは現地で部屋を見てから決めること。
だがその方法は、贅沢に時間を使える旅じゃないと、宿を決めるのにかかる時間がもったいない。

というわけで、わたしはここ数年、もっぱらネットで予約をしています。
今の時代、ホテルの予約サイトはいっぱいある。

booking.com
Hotel Club
ホテルズドットコム
エクスペディア

わたしが今まで使ったことのあるサイトはこんな感じ。
これだけを見て決めるのではなく、他に散々比較対照する。
(まとまっているという意味ではここが一番役に立つかな。)



ホテルを決めるのは、面倒だけれどももちろん楽しい。
これ!と決めるまで、何度も何度もいろいろなサイトを飽きずに訪れ、
最終的に「よし!ここだ!」つって、勇気をふるって決定する。

ただし注意点がある。ネット上のホテルの写真は実際と比べて3割から5割増しです。
ホテルって、やっぱり行ってみないとわからないんですよ。



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しかし今回は、ヴェネツィアの宿がなかなか決断出来なかった。
ヴェネツィアは4泊の予定。4泊だとホテルがハズレだった時にちとツライ。
なので、いやが上にも慎重にならざるを得ない。

最終的に候補に残ったのは、パガネッリとカンピエッロでした。
パガネッリもカンピエッロもホテルクラスとしては安宿よりはちょっと上の中級クラス。
場所はほぼ同じエリアで、すごく便利な場所。
ホテルサイトに載っているユーザーレビューも似たりよったり。

だが値段がけっこう違ったんです。どちらもそれぞれのホテルの最安値の部屋なのだが、
パガネッリは一泊5500円程度。カンピエッロは8000円近く。
……ここですごく悩んだ。どちらも「ハズレ」の時のことを考えて。

パガネッリを選んで外れた場合→あー、ケチケチしないでカンピエッロを選べば良かった!
カンピエッロを選んで外れた場合→8000円も出してハズレかー!
(わたしはホテル代は、平均7000円を基本としている。)

なんかどっちにしても後悔しそうな気が。
どーしよーかなー、とさんざん考え、ふと思いつく。――2泊ずつにしてみたらどうだろう?
おお、良い考えではないですか!コペルニクス的転回。

――そういうわけで、今回はホテル移りがあるわけです。



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ここまでが前振り。話の本題はこれから。しかし本題は短い(^_^;)。


やー、こんなに悩んで決断したホテルなんですけどねえ。
一泊目、パガネッリの洗面所に入った途端「……ほ?」と思う。
洗面台の所の石鹸のパッケージ。いっちょ前にホテルオリジナルなのはいいのだが。
そこにパガネッリとカンピエッロの名前が並べて書いてある。
なに?これって?……もしかして……………………


系列ホテルなのかーっ!!


何か……ねえ。裏切られた気分。まあ予約サイトには系列かどうかなんて情報は特にないし。
でもパガネッリの部屋にテンションが下がっている時だけに、なんかがっかり。
まあでも、カンピエッロの方は値段が高い分、少しはここよりましなはずだ。
朝食も多少はグレードアップするかもしれないし。


で、パガネッリに2泊してカンピエッロに移ったでしょ。




Hotel:Campiello.I stayed at 2 hotels in Venice.




部屋は……暗めで狭いが、外国のホテルは一般的に暗めだし、部屋自体は許容範囲。
でも、この部屋に8000円近くも出すのは勿体ない気がする。
まあホテルの値段はその土地の物価をダイレクトに反映しますから、
面積の狭い、しかも世界的な観光地のヴェネツィアでホテル代が高いのは仕方ないんだけど。

片や値段は安いが基準に達しない部屋。
片や許容範囲だがコストパフォーマンス的に納得の出来ない部屋。




結論。
今回のヴェネツィアのホテルはどっちもハズレでした。
再度訪れることがあったら別なホテルを選びます。




そして、さらにおまけ。

若干期待していたカンピエッロの朝食だが、翌朝目覚めた瞬間に気付いた。
――パガネッリ別館とカンピエッロは、入口は別の脇道にあるけど、立地的には背中合わせなのだ。
つまり……



朝食はもしかして同じ場所ではないだろうか。



……たしかに朝食の部屋の奥に別なドアがあったもの。
あれはカンピエッロに繋がるドアだったのだ……

案の定、朝食を食べに行ったらまさに同じ部屋。顔見知りになったスタッフの人が
「あれ?戻ってきたの?」とかなんとかイタリア語で問いかける。
あんなに元気よく、バイバイ!と言って出て来たというのに。
非常に微妙な気分でいつもの席に着き、いつものホットチョコレートを出してもらう。



我ながら、情けないやら笑えるやら、ですよ。
狙ったってこうは出来ません。まるでマンガだ。
ヴェネツィアのホテルについては、今思い出しても微妙な笑みが浮かびます……







13.ブラーノ島 e ムラーノ島

2011-01-15 | イタリア/Italy:2010
イタリア語の“e”は“&”っていう意味なんだよ。

トルチェッロ島からブラーノ島へ戻り、改めてブラーノ島観光。とはいっても、
ここはなんというほどのことはなく、……カラフルな家並みと特産のヴェネツィア・レース、
漁師町なので魚介類が売り、という普通の観光島です。土曜日のせいか観光客がどっさり。

初イタリアの時もここまでは来た。その時は、1月半ばだったせいか、ほとんど観光客も
いなかった気がするなあ。レースのお土産店も少なくて、寂しい島だと思った記憶が。
その時シーフードフライを食べたレストランも、もうどこだったか思い出せない。
我々の他には客もいなくて、店主と近所のおっさんが店のテーブルでカードゲームをしていた。





Burano island is famous for seafood.(And venezian lace.)



過去の思い出に敬意を表し、お昼ごはんは今回もシーフードフライ。
船着き場近くの安直なスタンドで。
カラッと揚がっていて軽い。スナック感覚。まあ量はあるのでオナカはいっぱいになる。

食べ終わった後はさっくりと島内散策。









Colourful houses.(It says for finding easy their own houses in the mist.)


家並みのカラフルさは、漁に出た旦那が遠くからでも自分の家がわかるようにと始められたものだと
聞くが……でも、島の内側の運河沿いの家もみんなカラフルなんだよね。
(霧が出ている時に自宅を間違わないように塗り分けたという説もあり。
それならまあ、運河沿いもあり得るか。)







Look at the colour coordination of washings!


この洗濯物と壁の色の見事な調和を見よ!
この家の人は全てを黄色系で統一しているんだろうか?



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



ブラーノ島からまた船に乗ってムラーノ島。こちらはヴェネツィアガラスで有名な観光島。
探せばガラス工房見学が出来るところもあるはずだが、前に見たので割愛。
ガラス博物館も同じ理由で割愛。……でも博物館には入っておけばよかった。
後から調べると、わたしが行った頃と比べて、展示物がずいぶん充実したようだったので。

この島には美しい教会がある。




The church of Ss.Maria e Donate in Murano island.



サンティ・マリア・エ・ドナート教会。
こういうレンガ作りで後背部のアーチやベランダ使いはあまり見ない気がするけどどうだろう?










Details.

この建物は細部もいい。





Very simple facade.Too simple,isn't it?


しかし正面はすっごい手抜きな感じ。なんで?




中に入って愕然とする。なぜかというと、内部のモザイクが、
……さっきあんなに感動して眺めたアッスンタ聖堂の聖母子像と激似じゃないですか!
ええーっ、そんなあっ。あの造型は世界でたった一つであって欲しかった。

この二つ、全く何の関係もないとは思えない。どちらかが真似をしたのか、
あるいは同一の職人集団が行った仕事だと思う。
その経緯を知りたい!と思ったのだが、この教会のパンフレットは見当たらず、
入口付近に座っていた女の人もイタリア語しか話さないそうで。両者の関係は謎。
誰かこの辺の事情を知らないか。

こちらの聖母はいかにも娘々とした雰囲気。キリストは抱いておらず、祈りのポーズ。
叡智や威厳ではなく、清純さがある。
様式としてはほとんど同じといっていいのに(プロポーションや衣の表現など)、
出来あがったものにここまで違いが出るのも面白いものだな。
こちらはこちらで美しかった。心を奪われるまでではないけれども。


ムラーノ島にはもう一つ、見るべき教会があったようなのだが、
ガイドブックを漫然と読んでいて見過ごしてしまった。
あまり遅くならないうちにホテルへ帰りたかったので、ムラーノ島はドナート教会のみで終了。
14:45、本島行きの船へ乗ります。



12.サンタ・マリア・アッスンタ教会。

2011-01-12 | イタリア/Italy:2010
トルチェッロ島、唯一の見どころはサンタ・マリア・アッスンタ聖堂。
船着き場からアッスンタ聖堂までは一本道であるに加えて、
工事中の鐘楼がずっと見えているので、道に迷う心配はない。
(道に迷うのは本島内だけでたくさんである。)

徒歩5分。ゆっくり歩いて10分。同じ船で着いた観光客も何人かいたはずなのに、
聖堂まで来ても全く人の気配はなく。かろうじてお土産屋さんの屋台が1つ出ているけれども、
品物が一応並んでいるのにもかかわらず無人。
……それはどうなんだ、トルチェッロ島。
あまりの無人ぶりに内心つっこむ。いかに侘しい島とはいえ、現時点で出会った人間の数より、
猫(そして鶏)の数の方がはるかに多いんですが。




Church of Santa Fosca in Torcello island.


聖堂に入っても誰もいない。いや、いくらなんでもおかしいやろ。みんなまとめて神隠しか?
そもそもここにはけっこう立派なモザイクがあるはずなのに……
それらしきものがないぞ。
……と思ったら、わたしが入ったのはサンタ・フォスカ教会という別の建物で、アッスンタは隣。
ここはさすがに係員が存在していた。神隠しじゃなかった。

入場料を払ってアッスンタに入る。


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わたしはこの場所で大変感動したのだが、どれだけ言葉を費やしても
ここを上手く説明することは出来そうにない……
(そして内部の撮影が禁止だったので、「言葉では伝わらないので写真を見て下さい」と
逃げることも出来ない……)




Cathedral Santa Maria Assunta.There are beautiful mosaics.
They were so moving.


聖堂内は古い時代の創建らしい素朴な佇まい。
所々崩れたレンガの壁。剥落のある聖人たちの板絵――しかし多分これは時代がだいぶ下がる――、
大理石の床は、色は鮮やかなままだが小さく波打ってデコボコしている。
教会建築が装飾に埋め尽くされる前の時代の、簡素な内部。穏やかな教会だ。

だがこの聖堂を唯一無二のものとしているのは、そこにあるモザイク。
至聖所を覆う後陣の半ドームの地は全て黄金色。その金色は天国を感じさせる。
微細な乱反射を繰り返した光は柔らかに降りて来る。まるで祝福のように。

その金色の天には濃い藍色の衣をまとった美しい聖母像が浮かんでいる。
幼児キリストを抱きかかえた細身の姿。若々しさとともに長く生きた叡智と威厳がある。
祈る者を受け入れ、赦し、その願いをかなえる。全宇宙の聖母。

目を離せなかった。これは単に造型の美しさではなく――存在の美しさ。
そう感じられることはそれほど多くはない。
わたしはここで出会った。灰色の潟を船に乗り、遠い小さな島で。


聖母像

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聖母があまりにも圧倒的なせいか、その反対側の壁――ファサードの裏側の壁にある
モザイクが、どうしても二の次になってしまう。
こちらのモザイクも相当に見事なものでした。かけた手間でいうなら、聖母像より
こっちの方が上だろう。こちらも負けずにキラキラ。むしろ若干派手。
テーマは「最後の審判」。当時作った人は特にユーモラスな線を狙ってはいないんだろうが、
今から見ると、まだ稚拙な線がどことなくユーモラスで可愛らしい。
子供が無心に描いた絵のような素直さがある。


最後の審判。


結局わたしはここに1時間ほどいて、帰り際には小さいガイドブックと絵はがきを
(写真が撮れなかったので)良心と物欲のバランスが取れる程度にたっぷり買い込んだ。



聖堂を出て、夢から覚めたような気分。竜宮城から帰ったウラシマタロウも
こんな気分だったに違いない。
では故郷に帰る亀――もとい、船に乗るために船着き場に戻ろうか。
ブラーノ島への船は30分に1本ある。ここからゆっくり歩いても間に合う。
来る時にはなかったお土産屋台が新しく3つほど店を開けている。
周辺の写真を取りながらぶらぶらと。




実にテキトーな感じの雰囲気ですな。特にやる気は感じられない。






博物館もあったそうなんだけど、その存在は全く意識にのぼってこなかった。






こじゃれたレストランが3軒くらいある。こんな場所でもヘミングウェイが滞在したというホテルもある。
次回があったら泊まってみたい気もするが……遠い。




先刻の悪魔の橋のところで写真を撮っているカップルに出会う。
わたしもシャッターを押してもらい、お返しにこちらでもシャッターを押す。
すごく可愛い白人の女の子と(ハンサムではないが)優しそうな黒人のおにーちゃん。
特にこれといった話はしなかったが、感じの良い人たちだった。


……が、こんなことをしているせいで、ついうっかり船の時間を忘れ、
船着き場に着いた時はまさに船が岸を離れる瞬間。
おおう。30分待ちぼうけです。




11.トルチェッロ島へ。

2011-01-08 | イタリア/Italy:2010
ヴェネツィア観光2日目。今日は島めぐりです。
でも朝4時に目が覚めてしまってちょっと困っている。
今日は夜に「椿姫」なので、夜遅いんだよなー。長丁場なのに大丈夫だろうか。





Santa Maria in the corner.


朝のお散歩の時に撮影。
ヴェネツィアには路地の突き当たりなどのちょっとしたスペースに聖マリアの絵や彫像が
飾ってあることが多い。日本で言えば路地裏のお稲荷さんといった感じ。


今晩からは別のホテルで2泊するので、そのホテルを探しながら歩く。
(このホテルの件については、長い話になるので後日。)
でも……あれ?見当たらないなあ。
実は次のホテルの地図を持ってくるのを忘れてしまっていたんだよねー。
この近辺だというのは確実なのだが、記憶にある辺りを探しても見当たらず……

まあいいや。とりあえず、ホテルに帰って朝ごはんを食べる。
何度か顔を合わせ、愛想良く接してくれたスタッフの人にバイバイと言ってチェックアウト。
この時点で朝の8時。本島に帰ってくるのは夕方になる予定なので、早めに。
スーツケースは預かってもらう。
ちなみにフロントの人に次のホテルの場所を訊いたら、探していた場所とは反対の方角でした……



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ホテルのすぐ前の船着き場から、まずはトルチェッロ島へ向かう。

一般的にヴェネツィアで島めぐりといったら、ムラーノ島、ブラーノ島が有名で、
トルチェッロ島まで足を延ばす人はあまりいない。わたしが初めてヴェネツィアに来た時も、
ブラーノ島までは行ったけれども、トルチェッロ島には行っていない。

すごく寂しい島なんだそうです。昔は2万人もの人が住んでいた、この辺りでも最初に
開けた島そうだが、今は忘れ去られて唯一残る教会が栄華の跡を留めるばかり……という。
そんなところに行って一体何をするのかと訊かれると、
……まあ自分でもよくわからないわけだが、遺跡好きなもので。
うーん、遺跡か?違う気がするなあ。でも何か惹かれるものがあったんです。


トルチェッロ島へはブラーノ島で乗り換えなければならない。
ブラーノ島への船旅。いや、正味1時間前後くらいなんですけど。
何ヶ所か、バス停ならぬヴァポレット停に寄りながら。




The vaporetto to torcello.

曇天の下、海の色も暗い。その海を眺めながらぼうっと船に揺られて行く――

今はモーター付きの船で1時間で行けるようにはなってるが、昔は一体どうしていたのだろう。
例えばブラーノ島から本島まで。ガレー船のような大きな船を出すはずはないし、
かといって手漕ぎの小さな船では、一体どれほどの時間がかかっていたのか。
ヴェネツィアの人々は誇り高き海洋国家の一員として、遠くコンスタンチノープルや
アレキサンドリアを駆け巡り、アドリア海を「ヴェネツィアの海」としていた。
――だがその強大な海の帝国の足元には、ささやかな小島の暮らしもあった。

その小さな島から一歩も出ることなく一生を終えた人もいるだろう。
あるいは生涯一度の晴れがましい贅沢として、本島の聖マルコ寺院へ詣で、
その思い出を何度も語り続けた老婆もいたかもしれない。

それとも、それは陸の人間の想像でしかなくて、当時の人々はわたしがあまりに遠いと感じる
この距離を、鼻歌交じりに往復していたのだろうか。
何しろ彼らは海の民だ。ヴェネツィア近辺のこの海は――長靴のかかとの先までを
「我らが海」と誇った彼らにとってみれば、目の前の庭のようなものだったのか。



ブラーノ島が見えて来る。





Brano island in grey.


灰色の海に浮かぶブラーノ島。海面に並んだ三角っぽいのは澪つくし。
これに沿って行けば、潟の浅瀬に乗り上げずに航行出来るという道標。
何百年も昔、敵が攻めて来た時には、この澪つくしを引き抜いて相手を撹乱したそうだ。







Gas stand for the boat,right?


ボート用のガソリンスタンド。……ですよね?



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Torcello island from Brano.


ブラーノ島に着いて、そこからトルチェッロ島遠望。
あれが多分、島の唯一の見どころである教会。鐘楼はどうやら修復工事の最中のようだ。
もわもわっと覆われているのが見える。あれはきっと工事の足場かなんかです。

トルチェッロ島へは船で10分位。小さな島に船はゆっくり近づいて行く。


島は。……聞きしに勝る侘しさ。
船着き場から歩きだして、え。と思う。道が一本しかない……。
運河沿いの、たしかレンガ作りの道。歩いていて気持ちいい道ではあるけれど、
生活感がなく遊園地の小道みたい。道端に妙にこじゃれたレストランがあるだけ。
そのレストランにも人気がなく。観光シーズンになら、なんぼか人が来るんだろうけど。


船着き場からしばらく行くと、小さな橋がある。





Devil's bridge.


この橋は「悪魔の橋」。おどろおどろしい名前だが、名前に似合わず可愛らしいですね。












Centre of Torcello.


島の一番中心部でこんな感じ。




だが人はいなくても猫はいる。














Island of cats.




わたしの前方を、同じ船で着いた見すぼらしげな身なりのおじいさんが歩いていた。
ふと立ち止まると、手に持った袋から何かをばらばらと道端に撒いている。
不穏な感じがしたが、近づいてみると、









魚の骨やアラでした。餌を運んであげたんだね。

そして猫がいるにもかかわらず、鶏もいる。






Fowl live next to cats.
I hope they can spend a long life in peace......


お互いに末永く仲良くやって下さい……











10.スクオーラについて。

2011-01-04 | イタリア/Italy:2010
14時頃、ホテルの“テンションの下がる部屋”に戻って1時間ほど休む。
まあこのホテルにも今晩ガマンすればいいだけだし。
15時、再度外出。前述の通り腰がアヤシイので近場をまわることにする。


まず向かうのはスクオーラ・ダルマータ・サン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ。
……こんな長ったらしい名前が覚えられるかっちゅうねん!!
ここは直線距離でホテルから300メートルほどなのだが、
それでも迷わずに行こうと思えば、ひたすら地図に鼻をつっこんで歩くしかない。
体感的には1キロ以上に感じられる。実際歩いた距離は600メートルくらいだろうか。

もう少し後のことになるが、この実際の歩行距離と体感距離のギャップがだんだん怖くなってくる。
このくらいで着くという予想が全く裏切られるわけだから、自分が信用出来なくなるんですね。
迷宮の迷宮たる所以。ヴェネツィアはこれで3回目だが、こんな風に感じたことは初めてだ。
過去2回はメジャーな道だけしか通ってなかったんだろう。
(だがメジャーな道でも、やはり幅は大抵3、4メートルしかなく、
しかも折れ曲がりまくっており、メインストリートにはどうしたって見えないんです……)


ところで“スクオーラ”とは何でしょう?
実はわたしもはっきりとはわからない。英語で言えばSCHOOLなので、
「学校」「学派」「集団」というような意味の筈だが、ヴェネツィアのガイドブックに
載っているスクオーラは「同信会」あるいは「信者会」と訳されている。
信仰を同じくするものの集団?……なんか新興宗教団体っぽいけど。

要は教会の類なんでしょ?と思いつつ、スクオーラ・ダルマータ(以下略)へ。






Scuola Dalmata San Giorgio degli Schiavoni.


教会とは微妙に建物の雰囲気が違うような……
だが中に入ると、腑に落ちるものがある。ああ、なるほど。スクオーラってもしかして、

仲間内の集会所。じゃありませんか。

建物の中は意外に狭い。内部の写真が撮れなかったので記憶があまり定かではないが、
10メートル四方……もう少し大きいか。
正面にはキリスト教の祭壇もあるけど、教会と違って祭壇はあまり存在を主張していない。
ベンチ型の椅子が並び、天井も低いせいか、雰囲気は小学校の教室っぽい。
宗教儀式より何かの討論会の方が似合いそうだ。

「ダルマータ」というのは、ダルマツィア地方の、という意味らしい。
小さな島の都市国家であるヴェネツィアは、人口の絶対的な不足を補うために、
交易船の乗組員を外国から多数雇い入れていたそうで、
そういった船乗りはアドリア海沿岸のダルマツィア地方から募集することが多かった。
つまりここは、そういう出稼ぎ者が集まる場所として(宗教を理由としながら)
機能していたのではないですか。ということは言わば、……県人会?
そう思って見るせいか、内部の雰囲気がとても親密な感じだ。

壁の上部をぐるりとカルパッチョの「聖ジョルジョ伝説」の連作が取り巻く。
(ちなみにここのカルパッチョというのは料理名ではなく、画家の名前です。
料理のカルパッチョは画家のカルパッチョから来ているという説もあるらしい。)

いやー、がんばってるねえ。当時の一流画家に連作を描いてもらうとは。
ここに集う人たちは、決して金持ちではなかった(?)ろうに。
自分たちの居場所を美しく飾りたかったのか。

勝手にそんな想像をし、故郷を同じくする人々が日曜ごとにこの場所へ集まる情景を想う。
どれほど長くヴェネツィアに住んだとしても、移植された根はやはり故郷の土を懐かしむ。
母国語を喋れることが救いであることもあったに違いない。
この親密さはおそらくきっと、――そういうことなんだろう。


この建物には2階もあって、2階の方がさらに雰囲気が良い。
しばらくただ座っている。なんか好きだ、ここ。
ここでは今も時々結婚式などが行われているそうだ。まだ生きている場所なんだね。



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スクオーラ・ダルマータを出て、近くの――本来であれば近いはずの
(しかしミルフィーユのヴェネツィアでは実際歩いてみないと近いとは言い切れない)
サンティッシマ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会へ行く。




Santissima Giovanni e Paolo.

地図を見ながら辿りついてみれば、……あ、ここか。
昨晩彷徨っている時に、確かにここの前を通ったわ。
ここから道がわからないままホテルへ行くのは……うん。絶対無理。辿りつけない。

かなり大きな教会だが、あまり思い入れもなく。さくっと見終わる。




The nave.





The ceiling.

天井です。





? Tomb?

うーん、よくわからない……。墓だろうか。




隣接して、ここにもスクオーラがある。スクオーラ・ディ・サン・マルコ。





Scuola di San Marco.

美しい建物で、現在も市民病院として使われているそう。
観光客向けではないようだ。





The relief of lion on the side of entrance.


入口には獅子のだまし絵風レリーフ。
聖マルコはヴェネツィアの守護聖人で、翼を持つ獅子がそのシンボルなんです。



その後やはり近場のサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会。









Santa Maria dei Miracoli.


ここもあまり思い入れなく……。イタリアはどこもかしこも(?)教会だらけだが、
ヴェネツィアの教会密度はその中でも相当なので、けっこう飽きる……。
ガイドブックに載っている(観光向きの)教会でも、わりと普通の作りなんだよなあ。
絵はわりと有名なものを置いている所が多いようだけど。


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一旦ホテルに帰った後、また出て夕食。ものすごくテキトーな……
場末の英国風パブのような店でキノコのパスタを食べました。
店員さんは東南アジア系で優しげ。味は普通の美味さ。


……その後聖マルコ広場を回って帰った。だが、これがマチガイの元でした。
聖マルコの小広場の方のカフェでバイオリンとピアノの生演奏をしていたので、
食後のデザートでもと思い、席についたらたったケーキ1ピースで11.2ユーロだって!!
約1300円ですよ!サービス料込だろうし、そりゃ場所的に高めだろうとは思ったけれども、
まさかここまでとは。

しかも座った途端に演奏は終わるし、味も全然大したことないし、踏んだり蹴ったり。
黙々とケーキを食べてとっとと席を立つ。
どこの店かというとグラン・カフェ・キ○ッジャ。
不幸な出会いでした。お金と気持ちに余裕がある人が行って下さい。


観光一日目、終了。



なんで写真がこんなにでかいんだろう……。

9.リュート弾き。The lute player.

2011-01-01 | イタリア/Italy:2010
アカデミア橋の方へ歩いていくと、何かの音が聞こえて来る。

何だろう?

音に呼ばれるようにして建物の角を曲がる。
小広場。ここは位置的にはダリオ宮の裏くらいに当たるのかな。
音の源は弦楽器を抱えたストリートミュージシャン。








He is a Hungarian musician.He compose and play the lute.
The music was "serenissima" wind.



静かな、優しい風のような音楽。
チェンバロに少し音色の似た、線の震えがちりちりと微かに華やかさを添える。
古風でどことなく異国的。小広場の古井戸の近くに座り込んで音楽に聴きいる。
周りの石造りの建物がよく音を響かせ、心地よく耳に運ぶ。風が吹きすぎる。



この楽器は何だろう。何曲目かの演奏が終わった後、近づいて行って訊いてみる。
「リュートっていうんだよ」とリュート弾きは教えてくれる。
ああ、これがリュートか。名前は聞いたことはあった。これがそれなんですねえ。
アラビアから何百年も前に伝わった楽器で、中世イタリアでも盛んに使われたらしい。


ここらへんが多分リュート。

ロッソ・フィオレンティーノの「奏楽の天使」

Salvastyleさんよりメロッツォ・ダ・フォルリの「奏楽の天使」

琵琶(biwa:Japanese lute)の面影がある。同じ楽器の、何百年かを経た東と西の姿だろう。



彼が弾いていたのは自分で作曲したルネサンス風音楽だそうだ。
シンプルな旋律を何度も繰り返す、哀調を帯びた曲。
それは、夕暮れの草原に座って草が揺れるのを見ているような曲だったり、
遠くで鳴っている祭りの楽隊の音楽であったりする。

ハンガリー人だと言っていた。Boka Benceさん。
「知ってる?ハンガリー人は日本人と同じで先に苗字がくるんだよ」
この話題でひとしきり盛り上がる。
中央アジアの遊牧民を遠い祖の一つに持つハンガリー人は、東との繋がりを
他のヨーロッパの国の人より強く感じているのかもしれない。


CDを売っていたので、買いました。
2枚あって、ピンクの方は彼の独奏、ブルーの方は他の楽器との合奏だそうだ。
独奏の方だけで、と思ったのだが2枚でお安くしてくれるというので結局どちらも。

ピンクのアルバムタイトルは「Dances」。多分こちらがオリジナル楽曲。
ブルーは16~17世紀のハンガリー音楽。「I take the lute」。
ブルーの方は曲によってボーカルも入る。少しメロディに動きがある。
でも根本の雰囲気は共通している。哀調を帯びた曲。

帰国後CDを聞いたが、わたしのてきとーなAV環境では、現地で聴いた時の
10分の1くらいしか良さが出ない……。湿度とか、石の建物の反響も関係しているのかな。
もちろんライブの方が良いというのは当然のことなんだけれども。
Bokaさん、今後も良い演奏を。

いい出会いだった。



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ちょっと幸せな気分になって、ホテルまで歩いて帰る。
途中お土産屋さんに寄って、お土産の3分の1くらいを買えたし。
若干ほっとする。買物が苦手なので、常にお土産は懸案事項なんです。

……まあ、相変わらず腰はアブナイんですけどね。







Gondolas gathered for song.
Only one singer stood in a gondola,and the others came to listen free.


ゴンドラ集結風景。なぜかというと、1艘のゴンドラに歌い手さんが乗っており、
その歌をタダで聴こうと他のゴンドラが寄ってきているから(~o~)。
多分歌い手は左奥のゴンドラで立っている3人のうち、1人だけオール?を持っていない人。
「サンタルチア」かなんか歌ってたな。
ゴンドリエーレも人によっては歌うんだろうけど、基本的には漕ぐだけみたいです。



8.ザッテレ散策。

2010-12-29 | イタリア/Italy:2010
この頃になるとようやく晴れて来た。光が水面に反射してまぶしい。
……結局、この時が唯一の貴重な晴れ間だったのだが、この時点ではそんなこと知らない。





Zattere area.


ザッテレ河岸。

ザッテレ河岸はレニエが偏愛し、自らも住んだ辺りらしい。
今回イタリアに来るにあたって読んだ本の中に矢島翠という人の「ヴェネツィア暮し」
という本もあって、これがなかなか良かった。彼女もこの辺りに住んでいたそうだ。


この地区の東の端は昔、税関だったところ。
ここからの眺めはヴェネツィアならではと感じさせる。





S.Giorgio Maggiore from punta della Dogana.

サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。






The bell tower in S.Marco squere.

聖マルコ広場の鐘楼。


旧税関の前のスペース(広場ともいえず、空き地とも言えない空間……)に
現代彫刻が置いてある。等身大以上の大きさで、目の高さに魚をぶら下げた真っ白い少年。
これはどーなんでしょーね。周りとのミスマッチが面白くないこともないが……
微妙な気がする。わざわざここに置かなくても。置くのなら、もう少し別なものがありそうな。
ちなみに夜に行くと、この少年は鍵をかけられたガラスの箱に入っている。
まあ、夜な夜な歩きまわられても困りますしね。


そこから折り返して、今度は北側の岸をアカデミア美術館方向に戻ると、
すぐにサンタマリア・デッラ・サルーテ教会が見えて来る。




S.Maria della Salute.So beautiful archtecture.



美しい教会でしょう?
ここは、過去ヴェネツィアに来る度に行ってみたいと思いながら今まで来られなかった場所。
聖マルコ広場のすぐ対岸にあって、大変目を惹く美しい教会なんだけれども、
歩いて行こうと思えば橋を渡って1キロくらい歩かなければならないし、
船だと1つか2つ目の停留所だが、あまりに近すぎてそこを目当てに行こうという流れにならず。
今回やっと入れる運びに……





……え?入場不可?……12時から15時まで休み?
今12時半ですがな。どうせーっちゅうねん。

教会前の石段に座り込む。よくよくわたしはこの教会に縁がないらしい。



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座り込んでいるのは、入れずにがっかりしたということもあるが、
それよりさらに重大な問題が発生しているからだった。

腰が痛い。ぐきぐきしている。

……これは昨晩の迷宮体験のせいだと思われる。スーツケースを引っ張る体勢は
どうしても腰が変な風にひねられるし、いかに荷物が少なめとはいえスーツケース自体も重い。
さらにヴェネツィアの橋は、下を頻繁に船が通る都合上、みんな階段を上って降りる太鼓橋型。
道と同じ高さの橋はほぼ皆無。そこを速足でスーツケースを引っ張り上げ、
ガラガラガッシャンと(下りは重力に任せるのですごい音がする)下って通るのだから、
そりゃ腰にも響きますわ。

1日目からこんな腰でこの旅行を乗りきれるのだろうか。
しかしここにずっと座り込んでいるわけにも行かないので、ぎっくり腰にならないように
そろそろと立ちあがる。それこそ対岸の聖マルコ広場に船で戻ってホテルで休むという
選択肢もあったのだが、このヴァポレットが、市民の足のわりにかなり高いんですよねえ。
1回6.5ユーロ(≒780円)。他に12時間券とか24時間券とか、
だんだん割安になるチケットもあるんだけど、翌日島へ渡ろうとしていたので、
この時点でチケットを買う気はなかった。
とりあえず歩いてホテルまで帰ることにする。来る時に見たお土産屋さんにも寄りたいし。


結果的に、この時歩いて帰ったのが吉と出る。
それは何故かというと……





7.アカデミア美術館。

2010-12-26 | イタリア/Italy:2010
旅行の初日、しかも最初の訪問場所ですから、わりとじっくり見た。
やっぱり何を見るにも体力気力が万全じゃないと、集中力が続きません。
でも感動までする作品にはぶつからなかったかなー。


アカデミア美術館と言えば、ジョルジオーネの「嵐」だろうなと個人的には思うが、
今回はなぜか見ていない。ま、そんなに大好きな絵でもない。
ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼも、ヴェネツィアをそれぞれ代表する
画家ではあるが、何しろここでは数が多すぎてあまり感動を呼ばない。
粒は揃っているが、突出したものが感じられないんですよね。あくまで平均点の良さというか。
ティツィアーノにはかなり好きな作品もあるんだけれど。



そんな中で今回の見どころは、おそらくジョヴァンニ・ベリーニだろう。








Madonna and Child,Saint Catherine,Maria Magdalena by Jovanni Belini.

「聖母子と聖カタリナ、マグダラのマリア」(通称「聖会話」)











Madonna and Child,Saint Paolo,Saint George by Jovanni Belini.

「聖母子、聖パオロ、聖ジョルジョ」
このマリア様は美人ですよねえ。実際イタリアでは、こういう人がたまに街を歩いている。



あとこの絵も好きだった。画家はあんまりメジャーじゃないけど、
アントネッロ・デ・サリバ?ですかね。




Annunciation by Antnello de Saliba.

「受胎告知」

受胎告知のわりには聖母マリアのみのバストショットというところが珍しい気がする。
普通は大天使ガブリエルが出て来て受胎告知ですからね。
静かで理知的。これももう完全に実在の人。








面白く思ったのはこれ。画家はジョヴァンニ・マンスエティというのかな。





By Jovanni Mansueti.

タイトルはイタリア語で「Episodi della vita di san Marco」らしい。
聖マルコという聖人(ヴェネツィアの守護聖人)の生涯の一場面を描いた絵か?





多分格子の向こうにいるのが聖マルコとキリストではないだろうかと思うのだが。
でも画家がこの絵で書きたいのは、絶対建物と群像ですよね。






主役は彼らだろう。この立派なターバンを見よ。

ここはどこなのかな。聖マルコであれば、エジプトのアレクサンドリアにいた人らしいから、
(想像上の)アレクサンドリアということになりそうだが。



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美術館の前に、舞台衣装らしきドレスを来たおねーちゃんがいて、入る前から気になっていた。
どうやら演奏会のチケット売りらしい。
出て来てもまだいたので詳しい話を聞いてみる。ちょっとよくわからないけど、
コンサート形式のオペラと、コンサートと、オペラ「椿姫」を日替わりで上演しているようだ。

ほほう。椿姫か。
一番好きなオペラだ。――というより好きだと言える唯一のオペラだ。
アリアなら好きな曲はいくつもあるんだけど、……けっこう退屈ですよね、オペラって。
一作が全部名曲ってわけでもないじゃないですか。
その点「椿姫」はかなり名曲揃いだと思う。曲もいいし、ストーリーもオペラに相応しい。
行こうかな。40ユーロ(≒4800円)。オペラとしてはかなり安いし。
翌日20:00開演のチケットを買う。

ついでにチケット売りの彼女たちの写真も撮らせてもらったんだけど、
肖像権をクリアしてないので残念ながら割愛。


しかしこういう路上のゲリラ的なチケット売買方法は、買う方としては若干不安ですな。
チケットだけ売って、実は詐欺でしたってこともあり得るんだもの。
まあ詐欺なら、わざわざバイトをやとってこんな衣装を着せないだろうし、
チラシにも金がかかっていたしね。この元手をかけて、捕まるまで数日なら。
……うん、この犯罪は割に合わない。
バイトの彼らはその後あちこちで見かけたんだけど、暗くなるまで路上に立って大変そうでした。



チケットを買った後は、南のジュデッカ運河に向かってぶらぶら。
アカデミア美術館のそばには、今はもう珍しくなった昔ながらのゴンドラ造船所があり、
ちょっとした撮影スポットになっている。








Old dockyard.

懐かしげな佇まい。昔の日本の民家っぽいね。




……ちょっと間違って巨大サイズの写真になっていますが、
物が絵だから、今回はそのままにしておきます。