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Mo.の事件簿 A diary of Mo’s trips

事件簿などという大層なタイトルだが、実は単なる旅行記です。

18・アテネ国立考古学博物館その2。

2008-08-12 | ギリシャ/Greece:2008
これ以上博物館を続けてもバランスが悪いのだけれども、
……自分の気が済まないので、上げたい写真を全部上げる。
さくっと流して下さい、さくっと。




A statue of venus.

ヴィーナス像。




ミュージアムで作品を撮る時は全体像が基本だけど、全部そう撮ると並べた時につまらない。
時々は部分をアップにして撮るとアクセントになったりする。

そういえば、日本の美術館・博物館では展示物は写真に撮れませんが、外国だと大多数の
ミュージアムで写真撮影可です。フラッシュは禁止だけれども。
ただミュージアムとしては撮影可だけど、その中に撮影禁止な作品があることもある。
スケッチ、素描や羊皮紙の写本はダメですね。光に弱いからね。






A mask for festival.

祭りのお面らしい。角度によって色々な表情が出せるように作ってある。
最初見た時は「ナンジャコリャ?」的オドロキがあった。





I have forgotten the title.....

なんだっけかな。「仔山羊と少女」みたいなタイトルだったかな。
なんだかとっても佐藤忠良っぽい。




Portrait bust of a unknown man.


ワタシ好みの男。別に有名な人ではないらしい。
目がやぶにらみなのと、鼻がつぶれているのが惜しいが……




Golden cups.From Mycenae?


説明を見なかったのでさっぱりわからない。「お、きれいだ」と写真を撮って来ただけ。
前後の写真を見るに、ミケーネ遺跡からの出土物だろうか。




A jar of octpass.

けっこうお気に入りの「タコ壺」。
描いた本人は決してユーモラスを狙ったわけではないと思うんだけど、巧まずしてユーモラス。




Boxing children from Akrotiri.

「ボクシングをする少年」。これも有名な壁画。サントリーニ島のアクロティリ遺跡出土。
しかし復元するにしても、右側の少年の腰は曲がり過ぎだろう。


以上。これで気がすんだ。




17・アテネ国立考古学博物館。

2008-08-09 | ギリシャ/Greece:2008
途中で朝ごはんを買って、オモニア広場に座って食べる。
ピスタチオのアイスと街角の屋台のクルーリ。
クルーリというのはギリシャのパンで、太めの紐を丸く繋いだような直径20センチほどの輪っか型。
塩味のような少し甘味があるような、これという明確な味がない。明確な味がないだけに
飽きずに毎日食べられそうな気がする。値段も安い。0.5ユーロだから80円くらい。
ニューヨークのプレッツェルをもう少しソフトにしたようなもんか。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


アテネ国立考古学博物館に到着。開館時間を10分過ぎているのに
大きな鍵がかかっていて開く気配すらない。まったくもう、ギリシャときたら、また!
……と思ったら、わたしが立っていたのは考古学博物館の隣の、全然関係ない大学付属の建物だった。
ほんとの考古学博物館はその向こうで、すでに開館してました(^_^;)。
わたしは一体だれに向かって腹を立てていたのだ。




National Archaeological Museum of Athens.

アテネ国立考古学博物館。逆光ですが。



ここで最も感銘を受けたのは、アルテミシオンのポセイドン像。




The Poseidon of Artemision.

とは言っても、最初見た時は「はいはい、これね」としか思わなかった。
気合が入っていないのは、写真がわずかに傾いているところからもわかる。

が、他の展示を見ながら移動し、何の気なしに正面から見上げると。





うわ、と思う。この堂々たる上半身、伸ばした腕の力強さ。
真横から見るのとでは迫力が全く違う。基本、この彫像は真横から見るものだと看做されているけど、
なかなかどうして、正面から見るのもいいじゃないですか。

顔もいい。




手もいい。



(手フェチなもので……)


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次に良かったのが、墓碑群。墓地区域から美しい墓碑を選んで博物館に持ってきたらしい。





この光の入り方は博物館を設計した建築家がエライ。
訪れたのが午前中早くだったのも良かったのだろうが、光が白っぽくて大理石に映える。
墓碑のしんとした静けさに似合う。


墓碑もけっこうアレコレ撮って来たんだけど、冗漫になるので涙を呑んで2枚だけ。

tombstones.







去って行く者と見送る者。その瞬間はどちらが美しいだろう。


大きな足音を立てないように歩きながら、ゆっくりと展示室を廻る。
博物館に収められた墓碑は、もう墓碑ではなく美術品。
でも本来は死者のために作られたものだから。騒々しく見たくはない。
幸い他の見学者はほとんどおらず、行ったり来たりして自分の好きなように見られる。

墓碑の部屋を出る時、そこにいた美術館監視員が胸に手を当てて、恭しいと言えるほど丁寧に
会釈をして送ってくれた。きっと彼もあの部屋が好きなんだ。


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あとはこれも有名かな。「ヴィーナスとパン」




"A marble group of Aphrodite, Pan and Eros found on Delos"

しかしユーモラスな作品ですな。
左側はヴィーナスで美と愛の女神、右側はパンでスケベで陽気な牧羊神。
どっちも一応神様なんだけど、格はヴィーナスの方がずっと上。
「ねー彼女ー、お茶つきあってよー」「うるさいわね!その汚い手をお放し!」とか言ってるところ。
とは言っても、ヴィーナスが振り上げてるのがサンダルでは、エライ神様って感じもしませんなあ。
ヴィーナスは何しろ愛の女神だけあって、数えきれないほどの神様や美少年と深い仲になるんだけど、
さすがにパンあたりは相手にしないらしい。



うーん……アテネ国立考古学博物館は一回じゃ終わらないな。……続く。



16・本土上陸。

2008-08-06 | ギリシャ/Greece:2008
相部屋の人いるのかなー。ぐっすり眠っている時に酔っ払ってどやどや入って来られたら嫌だなー。
と思いながら寝入ったが、朝まで誰も来ず。それならそれでフェリーのチェックインの時に
教えて欲しいよ。そうすればリラックス度が全然違ったのに。


6時頃接岸したが、船内アナウンスはその直前に小さくあるだけ。寝過ごす人とかいないのかな。
船は止まっているんだけど、周りで人が動く気配が全くしない。
もう部屋を出るべきか。もう少し待ってみるべきか。迷う。
……6時半に部屋を出たら、他の客はもうほとんどいなかった。
そもそもフェリーのサイズに対して、客の数がすごく少なかった気がする。


ピレウス港はアテネ最寄の港町。アテネ中心部からだと十数キロ。
地下鉄なら一本なので迷いっこない。が、それは地下鉄の駅まで辿り着ければの話。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ピレウス港の地理は頭に入っているし、地下鉄駅まで楽勝さ♪と思っていたのだが甘かった。
地理が頭に入っていても、自分の現在地点がわからないと何の意味もないのですな。
現地で降り立つ前は、周りを見て判断できると何の疑問もなく考えていたのだが……




Big ferries.

周りを見回そうにも、でかいフェリーが何隻も停泊している状況では、視界がきかない。
自分がどっち側から入港してきたかすら定かではない。
とりあえず歩いてみよう、と歩き出したが、港なんて広いものだから、
もし正反対の方向へ歩きだしてしまうと、軽く2.3キロくらい歩くはめになりそうな……
大荷物を抱えての今の状況では、それはキケンだ。マリアの二の舞になってしまう。

ってゆーか、普通降りた所に何番埠頭とかの表示があるもんでしょう。
さらに言えば、「駅はこちら」という案内板くらいあってもいいでしょう。
だが降りた所にあるのはタクシー乗り場だけ。ここにアテネ中心までのタクシー料金の早見表が
あるのは気がきいてるが、もっと他に掲げるべきものがあるだろう。
やっぱり変だよ、ギリシャ。


何人かに訊いた。タクシー待ちの人には黙って首を振られ
(地元民か観光客かわからないのが不便なところ)
忙しそうなタクシーの運転手さんに訊くのははばかられ、
旅行客っぽい人に訊いたら「わからないよ」とにこにこ笑って去られてしまい。
……早朝の埠頭って、あんまり歩いている人いないんです。

タクシーに乗ってしまおうか、という誘惑。
アテネ市内まで25ユーロ。(←うろおぼえ)4100円か。出せない金額じゃないし……
しかしここでわたしはからくも踏みとどまる。
だって地下鉄なら、片道0.8ユーロ(130円)だもん!絶対地下鉄に乗ってやる!


結果として、次に訊いた人は英語も喋れば道もわかる人だったので、無事道を教えてもらい。
しかし彼は気の毒そうな顔をして、「遠いよ」と言う。
「どのくらい?」
「うーん……15分くらい」
まあ15分なら。スーツケースがあるとはいえ徒歩圏内だ。ありがとう、と言って別れる。
……実際は駅まで5分ちょっとでした。




Near metro station of Piraeus.

駅のそばまで来ると、さすがに人通りが多い。島から通勤してくる人もたくさんいそうだ。


地下鉄は旅行者にとって一番楽な交通手段だけど、切符の自販機の使い方を覚えるまでが少々面倒。
日本はお金を入れてから切符のボタンを押すけど、ギリシャは逆。
これに気づくまで「なぜ出ない!?」としばらく自販機と格闘した。

地下鉄とは言っても、アテネ中心部に入るまでは地上を走っているので周りの風景が見える。
次の街へ向かう時の移動は楽しい。旅をしているという実感がある。
アテネは――ごちゃごちゃした町。新幹線から見える、東京の下町を思い出させる。


木の向こうに、ギリシャ式神殿が一瞬姿を見せた。
「ギリシャだ」と思う間にすぐ見えなくなる。
ガイドブックを確認すると、今のはきっとヘファイストス神殿。
降りる駅はもうすぐ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ホテルはオモニア広場の地下鉄の駅から200メートルほど離れたところ。
ごくわかりやすい位置にあるので、一歩も迷わずに行けた。7:30到着。
さすがにクレタと違って、そのままチェックインは出来なかった。




I stayed here for 4 nights.

ホテルの名前は「ホテルエコノミー」。名は体を表す。


ここのフロントの人はとても親切だった。
持ち歩きに便利な小さい地図をくれて、ホテルの場所がここ、
アクロポリスがここで開館時間は何時まで、入場料がいくら、
このエリアにはレストランがたくさん集まっている、
王宮前では何時から衛兵交代が行われる……などなど、要領よく説明してくれる。
ついでに、翌日行くつもりのデルフィへの長距離バスの時間がわかるかどうか訊いたら、
てきぱきと調べてくれる。ちっちゃいホテルだけに、このサービスの良さにはかなり好印象を持った。

ここのホテルは予約した時も、ちゃんとホテルから(予約したサイトからではなく)メールが来た。
経験が少なくて断言は出来ないけど、こういうメールを送ってくるのは珍しいのではないか。
懇切丁寧な行き方の説明と地図、それに「ウチのホテルを選んでくれてありがとう。
気になることがあったら何でもメールしてね」と書いてあった。
英語の文面のニュアンスまで読み取る英語力はないが、わたしはその内容に
とてもあたたかなものを感じた。一所懸命やっているホテルなんだ、と思った。

……でもフロントの人も、やっぱり早口なんだけどね。


スーツケースを預けて出かける。
アテネの第一歩は国立考古学博物館から。



15・ともかくフェリー。

2008-08-03 | ギリシャ/Greece:2008
わたしのフェリー体験は、はるか昔に北海道へ行った時の苫小牧往復が唯一で……
二度目だ。わくわくする。
あ、いや、ドーバー海峡をフェリーで渡ったこともあったか。


まずは部屋。



4 beds,WC and shower in the room.

4人部屋で、わたしに割り当てられたのは写真には写っていない側のベッドの下の段。
(上か下かは予約時に選べる。部屋のタイプも選べ、当然運賃もタイプによって変わる。)

ビジネスホテル並みの洗面所・トイレ・シャワー付き。相部屋の可能性があるので、
誰も来ないうちにと慌ててシャワーを浴びる。



しばらく休んだ後、船内探検に旅立つ。




The lounge.

ラウンジ。客室辺りだと人の気配さえしないのに、ここには不思議なほど人がいっぱいいて華やか。






階段。フロアが6階か7階分あったかな。そのわりにはエレベーターの数がものすごく少ない……






椅子席もある。値段が安いので、予約時にこっちにしようか迷ったんだけど、
クレタ島までの移動のハードさを顧みて、そこまで自分を苛めることはなかろうと……






なんとプールもあった。が、網がかけられていて使用不可。
それほど新しいフェリーじゃないらしく、あちこちが多少古めかしい。


ついでに夕焼け。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


出港は21時。




I left Iraklion at 21:00.

汽笛が鳴り、船が島を離れる。
旅情が押し寄せる――ということも別になく、遠ざかるイラクリオンをごく冷静に見つめる。
クレタ島にいたのは約38時間(ということは往路の移動時間と同じだ)、
わたしとクレタの間には、離れていくのが寂しいというほどの愛着は生じなかったようだ。


さて、ごはん。
オナカは40%程度しか空いていない。でも明日の為になるべく早く寝たいし、
食べるとしたら今しかないよなー。フェリーでの食事も体験してみたいし。

セルフサービスのラウンジへ。レストランもあるけど、多分値段はセルフサービスよりは高い。






セルフサービス方式は、実物を見ながら頼めるのだが、便利なようで実はそうでもない。
すぐ後ろに並んでいる人がいるため、じっくり考えることが出来ないのだ。
もっと考えて決めたかったんだけど……すでにお皿に盛りつけてある横長のミートボール、
フライドポテト付をピックアップ。これの写真を撮るのを忘れたのが残念。
量はやはり多め。8ユーロ(≒1300円)。
後で調べるとスジュカキアというギリシャ料理らしい。ミートボールのトマトソース煮。
お皿の75%ほど食べてお腹いっぱい。


明日目が覚めたらアテネのピレウス港。おやすみなさい。



14・フェリー乗船の長い道のり。

2008-07-31 | ギリシャ/Greece:2008
思い返してもどうしても納得出来ないのが、フェリー乗船時のこと。


スーツケースをゴロゴロさせて、ホテルからフェリー乗り場へと向かう。
徒歩10分くらい。ホテルの場所の良さがものを言う。


これから乗り込むフェリー。でかい。



A ferry to Athens.

フェリーは楽しみだった。
だってエーゲ海ですよ!ホメロスの歌った「葡萄酒色の海」を船で渡る。
ああ、なんとロマンティックではないですか。とは言っても実際は夜に真っ暗な海を行くだけだけど。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


フェリー発着所の建物を出ると正面に巨大なフェリー。これに乗るのだ。……で、入口はどこ?

どう考えてもここが入口だろう、と思うようなところはある。
上の写真で言えば(見えにくいけど)フェリー右端の二つの開口部。
左側は車用、右側は人間が通るサイズの出入口。
でも、そこにはかなり目立つ「NO VISITORS」の看板が……
VISITORSは「客」の意味だから……ここは入口じゃないんだね?

だが右舷を見たり左舷を見たりしてうろうろしても、入口っぽい場所はない。
わたしのイメージだと、船にはタラップを上って入るような気がしていたんだけど、
(実際隣のフェリーではそういう形で出入りしていたようだ)それもなく。



スーツケースを引きずった人が首を傾げながらうろうろしていれば、
入口前でたむろしている係の人は声をかけてくれそうなもんじゃないですか。
少なくとも何らかの注意を払うのが職務的に当然だと思う。が、彼らは無反応。

十分にうろうろした後、やっぱりわからないので、係の人たちに「入口はどこ?」と遠くから訊く。
彼らの一人が間髪を入れず、右舷側を指さす。
そうか。わたしは見落としたけれども、やはりどこかに横から入る入口があるのか。
……ほっとして再び右舷側に移動しても、入口らしきところは見当たらない。

は? へ? ほ?

狐に化かされているようだ。


その時、狐が……もとい、さっき間髪を入れず右舷側を指さしてくれた人が、
見かねてようやく近づいて来てくれる。小さいおじいさん。狐というよりチワワ的。
他の人とは違って制服も着ていないので、今一つどういう立場の人かわからないのだが。

ついて来いという雰囲気なのでついていくと、彼はフェリーのそばに停まったトラックの方へ歩いた。
なんでトラック?
おじいさんはわたしのスーツケースを指さす。預けろということらしい。
ははー。わざわざここで一旦荷物を預けて、フェリー内部で受け取るのか。面倒なことするな。
でもサービスって言えばサービスか。
……おじいさんはトラックの人に何事か説明してくれる。トラックの人はわたしのスーツケースを
トラックに積んで、引き換え券をくれる。

その後おじいさんが連れて行ってくれたのは、「NO VISITORS」のあの入口。
なんだ、やっぱりここから入るのか。

入ってみれば、チケットを見せるチェックデスクはあるし、エスカレーターはあるし、
悩んだことがおかしいくらいの普通の出入り口。なんでNO VISITORSなんだろう。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


エスカレーターで昇った所は、小さなホール。フェリーの場合はクルーと呼べばいいのか、
接客担当のスタッフがここでも数人たむろしている。
……が、彼らはわたしに全く反応しない。まるで透明人間になったのではないかと思うほど。
普通「いらっしゃいませ」だろう。が、彼らはこちらに視線を向けることすらせずにお喋りを続けている。

結果としては実はここがレセプションでした。乗船手続きというか、部屋の鍵を受け取る所。
が、スタッフの態度で、この人たちはわたしに用はないのだと判断する。
ではわたしはどこへ行けばいい?どこで手続きをする?

フェリーの外でうろうろしたのと同じように、今度は船内でうろうろすることになる。
客室エリアへ行ったり、レストランに行ったり。でもそんな奥まったところに受付があるはずないし……。
館内図を見ても、FRONTやRECEPTIONなどの文字はない。
もう、何なんだよ、一体。

5分か10分うろうろした後、入って来た時とは別な方向からホールに入って、
わたしはようやく気付きました。……FRONTってプレートがある!ここなんじゃん!


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


多少むかっ腹を立てつつチェックイン。
ちゃんと入口から見える、目立つ位置にプレートを出しとけ!

部屋まではホテルのようにスタッフが同行してくれ、
鍵の開け方とベッドの場所を職業的に教えてくれる。
ああ、そうだ。さっき預けたスーツケース。早速取りに行かなければ。
「荷物はどこで受け取ればいいの?」
「へ?」
「さっき外でトラックにスーツケースを預けたんだけど」
「それは明日の朝、ピレウス港に着いてからピックアップすることになる」
「……へ?」
何でだ。
「……船内で必要なんだけど」
彼は肩をすくめて、
「出港前に取って来ないと、明日の朝まで戻って来ないよ」

しょーがないので、またフェリーの外に出てトラックまで戻りました。
さっきは他に誰もいなかったけど、今は荷物の積み込みを頼む人たちが4,5人。
彼らの頼む荷物を見ていると、段ボール箱とか、バッグにしても超巨大なものとか、
まさに「荷」といったもの。スーツケースとか旅行鞄を預けている人なんていない。

「わたしのスーツケース、返してくれる?」
せっかく重い思いをして持ち上げてくれたものを、すぐ返してもらうのは心苦しかったのだが、
戻してもらった。救いはトラックの人が嫌な顔をしなかったことだ。
荷物を預ける他の人がチップを渡していたのを見たが、とっさにはお金を取り出せず、
何も渡してないのが今でも多少気になる。

スーツケースを転がして先ほどのおじいさんの前を通る。
さすがに、笑いかける気にはなれなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


腹立たしいのは、

1.なぜ「NO VISITORS」なのか。
2.なぜおじいさんは私の意志を確認することもなくトラックに荷物を預けさせたのか。
3.なぜフロントはいらっしゃいませも言わないのか。


そしてわたしはNO VISITORSについて考える。

A.「NO VISITORS」は見間違いだった可能性もある。
B.あるいは……VISITORSは見送り客という意味?見送り客、乗船お断りってこと?
  (だったら「PASSENGERS ONLY」とか書いておいて欲しいぞ!)
C.または……以前はタラップで出入りし、あの出入口は本当にNO VISITORSだったけど、
  タラップでの出入りを止めた後でも、看板だけは外してないとか……

色々考えられるが、いずれにせよ、そこさえクリア出来れば実はストーリーは成立するのだ。


つまり、小さいおじいさんの立場に立ってみれば。
彼はまさかわたしが入口がわからなくてウロウロしているとは夢にも考えない。
だって彼にとって、フェリーの入口がどこかというのは迷うことすら考えられない自明のことだから。
ということは、この東洋人は何か他のことがしたいのだろう、
フェリーの周りですることと言ったら「荷」を積み込むことしか考えられない。
――という“推察”によって、迷わず右舷を指さし、更にトラックに案内した。


わたしがホールに入って行った時、フロントのスタッフは声もかけなかった。
が、フロントにしてみれば、手持ちのバッグしか持っておらず、近寄っても来ないコイツは、
すでにチェックインを済ませているのだろうと“推察”したのかもしれない。
見るからに旅行者だし、そうであれば旅行カバンなりスーツケースなりを持っているのが普通。


わたしにしてみれば、NO VISITORSとある以上それは入口ではなく、
入口がわかりにくければ、当然先方から何らかの声がけがあるだろう、という“推察”がある。
フロントの人なら、客が入って行った時には「いらっしゃいませ」くらい言うだろうという
“推察”(というより日本的常識)がある。


……まあ、今となっては何が正解なのかはわからないけど。
推察が重なりあっての不幸だったのかもしれないなあ。
最初にわたしが、フェリーの周りをうろうろせず、まっすぐに入口付近にたむろしている
係員の人に「入口はどこ?」と訊いたら、彼らは(変なことを訊く奴だ)と思いながらも、
「そこ」とすぐ後ろの入口を指さしてくれたかもしれない。
そうなっていれば、別に苦労せずに乗船出来た可能性もあるんだよね。
あくまで想像ですが。



で、この想像が正しいとしたら、その推察の働かせ方に、日本人とギリシャ人の
多少似たメンタリティを感じてしまったりする。
言外の部分を読むというか。どうだろうね?


とにかく、大変難儀なフェリー乗船でした。



13・ひとやすみ。

2008-07-28 | ギリシャ/Greece:2008
市内へ戻り、聖マルコ大聖堂前の広場。木陰のベンチに座り、茫然と鳩にエサをやる。
エサは、さっきのレストランで食べ残した例のパンです。

疲れた。ほんとに疲れた。湿度が低いので日陰にいれば特に辛くはないんだけれど、
日差しの中を歩く気になれない。今は16時。今夜のフェリーは21時発。
18時頃にはフェリー乗り場に行こうと思うけど、それまで2時間、何してようかなあ。
うーん。1キロ弱くらい離れた所に、聖ミナス大聖堂というギリシャ正教の教会があるそうだ。
がんばってそこまで行ってみようか。

ようやく心を決めた時、どこかのおねーさんがつつっと近づいてくる。
「これもあげてね」。……と彼女はかばんから食べかけのパンを出しこちらへ寄こす。
いや、もう行こうと思ったんですが……とは言えず。苦笑して受け取る。
しょーがないので、またしばらく鳩にエサ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


聖ミナス大聖堂。



The Cathedral of Agios Minas.

ごくごくちらほらと観光客が訪れるが、ほとんど全くと言っていいほど人通りがない。
多少中心部からは離れているとは言え、町のメイン教会の一つだろうに。夕方だからかな。
おばさんが1人でお掃除をしていた。



Inside of Cathedral.

やはり違う。
絵柄も色遣いも。カトリックと英国国教会の大教会と比べると、とてもエキゾチックに見える。
東方の香りがする。ギリシャを、何の疑問もなく西ヨーロッパに含めて考えていたけれど、
わたしのイメージよりも東方の文化が色濃い場所なのかもしれない。

……正直に言えば、あまりに金銀が多用されているので、逆にちゃちに感じてしまったのも否めない。
あまり派手すぎると冗談のような気がしてきてしまうでしょ。文化の違いってあるから。
聖画なんかも、銀板を打ち出して作ったような大きいのが飾られていて。
聖性とか神性を感じるより先に「あー、派手やなあ」と思ってしまう。



時間もよろしいようなので、ホテルへ、預けてあったスーツケースを取りに。
チップを多めに2ユーロ。ほら、何しろ一泊分の料金で前日の7:30~本日の11:20まで
24時間以上、部屋を占有したんだし。

18:00、フェリー乗り場へ。
……で、このフェリーがけっこう大変でした……


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


スペースが余ったので、旅行バッグのことを書きます。
今まで、ほんと困っていたのです。持ち歩きバッグにいいのが見つからなくて。

旅慣れた人は荷物が少ないそうだが、わたしはけっこう色々持ち歩く。
これとこれとこれは必要、と決まっているものがあるので、もう減らない。減らす努力はしない。
今まで数年持ち歩いたバッグは、ビジネス用のショルダーバッグだったのだが、
これが腰に実に良くなかった。必要なものを詰めて普通に肩から下げると、
2日目くらいからてきめんに腰に来る。仕方がないので、腕で抱えるようにして持ち歩くなどと
あほくさい努力をしていた。それでも腰に来るのが3日目になるくらいで、ほとんど変わりなかった。

いいバッグを探していたんだけど、でもこういう用途のバッグなんて、実際に所定の物を入れてみて
数日歩きまわってみないと、いいか悪いかわからないじゃないですか。
「誰かいいバッグを知らないか!」と訊ねてみたけれど、はかばかしい答えはなく。


だが、わたしはついに巡り合った。それはこれだ!

http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4945247309324
ほんとにいいです。3つくらい買いだめをしておこうかと思うくらいいい。

1.腰に来ない。
2.角ばっているので物の納まりが良い。(深さがもう5センチくらい浅い方が良かったが。)
3.数多いポケット。非常にいい感じで振り分けが出来る。
4.素材的に軽い。汚すのを気にせずに使える。
5.値段が安い。

自分がめぐりあうまですごく苦労したので、もし同じ悩みを持っている人がいたらと思い、
書き記しておきます。別に無印良品の回し者ではないけれども。
多めの荷物を持ち歩く方で、肩下げタイプをお探しの方。お薦めですよ。

……が、あまりにいいカンジなので調子に乗ってしまい、ミネラルウォーター1リットルボトルを
1日持ち歩いたら、さすがに腰に来ました(^_^;)。1リットルはやりすぎだ。

唯一の不満は、持ち手のプラスチックの調節部分が肩に当たって多少痛いこと。
わたしは持ち手を一番短い状態にして持ちたいので。
ここさえ何とかなれば最高です。無印良品は末永くこの商品を出し続けて欲しいものだ。


ただ、これだとスカートにはあまり合わない。
それから高級感のあるレストランには持って行きにくい。
どなたか、竹内海南江さんプロデュースの、

http://www.acebag.co.jp/kanana/ruck/index.html

これの使用感を教えてくれる方はいませんか。



12・クノッソス宮殿。

2008-07-25 | ギリシャ/Greece:2008
いやいや、レストランでの食事がメインイベントじゃありませんよ。
クレタ島へ来た最大の目的はクノッソス宮殿。


話が長くなるが、なぜクノッソス宮殿に来たかったかというと……きっかけはギリシャ神話。

(ウィキペディア・ミノタウロス再掲)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8E%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%AD%E3%82%B9

ミノタウロスがかわいそうなんだよ。
義憤を感じる。だってミノタウロスは悪くない。悪いのは牛の子を産んだお母さん。
というより、根本的にはミノス王がケチったのが悪いんじゃないか!
それなのに、異形の者として生まれてきただけのミノタウロスを迷宮に閉じ込めてしまうなんて……。
外見が醜ければ心も醜いと決めつけるのか。

それに、9年毎に14人の少年少女を生贄にって、なんなんだよ。
だいたい牛は草食動物だから、人間の生贄は要らん。
干し草の山でも貰った方がなんぼか嬉しかろう。(人間部分は雑食かもしれんが……)
気晴らしとしての生贄ならなんで9年毎かわからない。間があき過ぎ。
彼のためを思うのであれば、せいぜい隔年だろう。
9年なんて。残りの8年は、彼は一体何で遊んでいたらいいのだ。
……まあ、伝説の話にムキになっても仕方ないんですけどね。



それはさておき、クノッソス宮殿について書かれた本を読むと、
巨大な宮殿でとても部屋数が多かった、と説明をした後で、
「いわゆるミノタウロスの迷宮の伝説は、この宮殿の複雑な構造が影響して成立したのかもしれない」
などと書いてある。

ずっと昔から、この内容に違和感を持っていて。
――クノッソス宮殿が複雑な構造であるのはいいとして、それと迷宮はそう安易に結びつくもん?
宮殿と迷宮。迷いやすいという点では似たものに見えるけど、根本的な部分が違う。
宮殿は多数の人間が暮らす、あるいは利用するもの。
迷宮は、迷わせることを、あるいは閉じ込めることを目的にしたもの。
ある意味では相反する建造物ではないか。

いくら宮殿の構造が複雑でも、宮殿にアリアドネの糸はいらない。
伝説は史実をある程度反映しているという考え方に異論はないが、
そういう結びつけ方は安易なような……

この部分がクノッソス宮殿研究において重要ではないのは重々承知している。
(というか、どんな意味においても重要ではないのは承知している。)
が、わたしは行って自分で試してみたかった。
この宮殿遺跡に、迷宮を感じるどうか。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


というわけで、いよいよクノッソス宮殿に向かう。
イラクリオンのバスステーションから、バスで片道25分。
降りた場所はなんだかとても普通の道端。土産物屋が並び――日本みたいだなあ。定義山っぽいよ。
遺跡はちゃんと塀で囲まれて、それなりの構えなんだけれどね。





Knossos Palace.

残念ながら、遺跡全体の雰囲気をつかめる写真がない……








クレタ島屈指の観光地なだけに、ここには団体客が山ほど来ている。
入口の係員が「コンニチハ」などと言っていたので、日本人の団体さんもずいぶん来ているのだろう。




"Lily Prince"

壁画(復元)「百合の王子」。ガラスがあるため、反射が写りこんでしまっている。




He(she?) lives in restored house in Knossos ruins.

遺跡の中に巣を作る燕。クノッソスにはなぜか燕がよく似合う。





猿の復元壁画。物寂しげな青い猿。ただし実際に出土しているのは一部分で、あとは想像による加筆。





階段。この巨大な宮殿は、一部3階または4階として建てられた部分もあったらしいということだ。


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さて、わたしはここで何を感じたのか。
長年の疑問だった、「迷宮」をこの場所で感じられたのか。


……それどころじゃなかったんだよっ。
もうとにかく暑くて。遺跡なんて日陰はないし、石の照り返しはきついし、
朝から歩きまわって足は疲れてるし。ただひたすら「楽になりたい」と思うだけ。
いやこんなんじゃ駄目だ、せっかく来たんじゃないか、もう少ししっかりと見ないと。
しかし人間、暑さには勝てません。勝てる人もいるかもしれないけど(快川紹喜とかね)、
少なくともわたしは勝てませんでした。


というわけで、前振りが長かったわりには、クノッソス宮殿はとりとめなく終了。
そこはかとない敗北感を、花の写真を撮って癒す。









Flowers in Knossos Palace.

きれいだったな。


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ところでクノッソス宮殿ですけどねえ。
復元されている部分はあちこちにあるけれど、実はこの「復元」、まだまだ疑問アリという
段階らしい。ほんとにこんな感じだったかどうか、学問的にはまだ決定出来ないと。

今ある赤い柱とか壁画とか、写真に撮って“絵になる”ような感じの部分はみな復元。
本来の遺跡はただの石の積み重ね部分のみ。
復元部分は、クノッソスの最初の発掘者であるアーサー・エヴァンズが、
勇み足的に作ってしまったもののようだ。そうすることで一般人がより興味を持ち、
自分の発掘活動にも後援が得られるという狙いもあったのだろう。

それを考えるとあまり強く責めるのもかわいそうかと思うけど、
でも視覚情報ってけっこう強力な印象を残すから――
復元を目の前にしながら、「いや、実際はもっと別なものだったのかもしれない」と
自分に言い聞かせるのは少々徒労感がありました。始末が悪いのは、言い聞かせても
その映像が目にどうしても残ってしまうところ。
しかも本に「疑問アリ」と書いてあっても、わかるのは「疑問がある」ということだけで、
ではどういう感じだったのかという代案は出てないわけですから。

功罪で言ったら罪の方が大きいんじゃないでしょうか。
エヴァンズはシュリーマンと違って、どちらかといえばまともな部類の考古学者らしいが、
学者は慎重すぎるくらい慎重でもいいと思うよ。
でもあんまり慎重すぎても面白くないんだけどね。その兼ね合いが難しい。



11・初めてのちゃんとした食事。

2008-07-22 | ギリシャ/Greece:2008
ヴェネツイア砦を出た後は、お土産求めて中心部をうろうろ。
わたしは基本的にプレゼントを選ぶのがすごく下手で……みなさん、いつもカレンダーですみません。
それでもカレンダーに決定するまでは、それなりに悩んでいるのです。

バザール通りと言われる1866通りにも行ってみる。



1866 Street.It is called Bazaar street.

こういうとこ好きだな。縁日みたいで楽しい。奥の方には魚屋さんが並んでいる通りもあった。
ギリシャはトルコの支配も受けていたので、こういう形式のマーケットは、
イスラム圏のバザールの影響なんだとか。




Eleftherias Square.

ついでに(別に思い出もないけど)写真的にまあまあかと思われるので、エレフテリアス広場。
例えていえば勾当台公園のようなところ。いやー、それにしても空が青いね。


買い物を済ませ、ホテルに戻って荷造りをし、11:20チェックアウト。
夜のフェリーで出発するまでスーツケースはそのまま預かってもらう。
まだメインイベントが控えている。


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朝食を欲張って食べたしお腹はまったく空いていないんだけど、
イラクリオンでちゃんとした食事をするチャンスはこの昼ごはんしかない。
港町のシーフードも食べたいし、ここまで来てサンドイッチだけ食べているのもなんかくやしいし。
レストラン、レストラン。レストランに入ろう。

実はガイドブックで見て、入ってみたいタベルナもあったのだが、
そこは開店まで30分ほどあるらしい。時間が勿体ないので、別な店。
結局8月25日通りの海側のはじっこ、いかにも観光客向けという雰囲気の店に入る。




A restaurant for today's lunch.

各国語のメニューが揃っているのが観光客向けの店の証拠。
わたしには黙って英語のメニューを持って来てくれる。サンキュー。
おすすめセットの6つくらいから「トマトサラダ・太刀魚のグリル・フルーツサラダ」のセットを選ぶ。
16ユーロ。≒2600円。

……あ、やべ。
今ちゃんと辞書をひいたら、「Sword fish」って太刀魚じゃないな。メカジキだって。
「剣の魚」だからすっかり太刀魚だと思いこんでたよ。
すみません、以前写真を見せた皆さん。わたしは嘘をつきました。
太刀魚と説明したけどメカジキが正解です。


やがて出てくるのがこんなトマトサラダ。



A mountain of tomatos.

う。……そーでした。外国は一皿の量が多いんだった。
しかし最初の料理が目の前に出てくるまでいつも忘れてしまう。
普通日本でセットメニューのトマトサラダって言ったら、
トマトがせいぜい5,6切れ、それにレタスでサラダでござい、って感じでしょ?
こんな山盛りのトマトって……想像の5倍くらいあった。
トマト好きだけどさ。この山盛りをどうしろと……。
しかもパンは自動的に付くのかー。これもけっこうな塊だよー。日本で普通出てくる量の倍はある。
ちなみにミネラルウォーターのボトルは1リットル。



Grilled sword fish.

メカジキのグリル。まあ、こっちはびっくりするほどの大きさではなかった。
パンは最初から手をつけない。このパンは、のちに聖マルコ大聖堂前の鳩のエサとなりました。





よく考えてみれば、トマトは切っただけ(オリーブオイルがかかっていたけど全然感じない)、
メカジキのグリルはオリーブオイルで焼いただけ、フルーツ切っただけ。
あまり「料理」って感じじゃないな。材料そのまま。
目新しさもないかわりに、すんなり胃に収まる食べ物。
(味としては、ね。量としてという意味ではなく。)


こんな風景を見ながら。風が気持ちいい。



From my table.

……傍から見れば優雅に食事をしているように見えただろうが、わたしの頭の中は、
「オナカいっぱいだよー、オナカいっぱいだよー。トマト減らないよー」なんてことでいっぱい。
今さら気付いても遅いけれども、別にセットメニューを頼む必要はなかったんだよね。
ついついセットメニュー=お得という刷り込みが働いて……

家族経営の店らしく、10歳くらいの子供の姿も。
客が少ないうちは空いたテーブルで何か書きものをしていたんだけど、
12時を過ぎてテーブルが埋まってくると、途端に小さな店員に早変わり。料理運びに精を出す。
たとえば10年後。また同じ店の椅子に腰をかけたら、きっと彼がメニューを持ってくるんだろうな。


1時間ほどかけて食事をし、店を出る。パンとミネラルウォーターは貰って行く。
パンを貰って行くのは普通あまりやらないと思うけど、別に嫌な顔はされない。
「パン持って行っていい?」「パン?ああ、はいはい、どうぞ」ってな感じ。
チップ2ユーロ。


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チップについてですが。

何度海外に来ても、チップは慣れませんね。やっぱりめんどくさい。
でも、あまり構えても仕方ないから。元々チップの習慣がない我々が完璧にこなそうとしても無理。
チップをあげたからどう、あげなかったからどう、ということはほとんどないと思うし。
シチュエーションによって、事前に渡せば何がしかの便宜をはかってもらえることはあるだろうが。
そんな高等テクニックは知らん。

通常であれば「適当」で。その「適当」は自分が決めた適当で良い。
「普通どのくらいが適当なんだろう」と考えるから面倒になる。
「普通」を旅行者が体得する機会ってないですから、知らなくて当たり前なんです。

ただ、チップをやり取りする時のお互いの「ありがとう」の笑顔は、
ちょっといいもんかな、と思います。まあ、にこりともしない人も時にはいますけどね。


10・ヴェネツィア砦。

2008-07-19 | ギリシャ/Greece:2008
……はっ。

時計を見ると真夜中の1時。
ちょっとだけ休むつもりだったのに、8時間眠ってしまった。
まあ無理ないな。少ない睡眠時間で38時間の移動。イラクリオンの町を歩きまわり、
マリアで炎天下、3,4時間歩いたんだから。

部屋着に着替えて電気を消して、じゃあ再び……おやすみなさい。


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というわけで、目が覚めたのは早朝5:30。12時間寝て目覚めはすっきり。
すっきりついでにベランダに出て写真を撮る。
ヴェネツィアの砦。水平線近い空の薄桃色が美しいですね。




Venetian Fortress from my window in early morning.


顔を洗おうと鏡を見て「おおおっ!」驚愕。
わたしってば。すっごい焼けてる。
襟元がくっきり紅白。なんだか実にめでたい感じの人体になっている。
そりゃそーだよなー、あれだけの日差しの中を歩けば。


朝食まで甘栗を食べてしのぐ。よく考えると昨日食べたのはサンドイッチとジェラートだけか?




Breakfast was good for me,but J wouldn't be satisfied with it.It was not big buffet.
Ah....and tea was terrible.

おまちかねの朝食。地味にビュッフェ形式だったので、もちろん色々食べてみる。
こういう朝食のビュッフェで、小さいパイとかクッキーとかが並んでいるのは珍しい。
スクランブル・エッグにトマトとハムが入っているのも、ライスプディングも珍しい。


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イラクリオンは13~17世紀にヴェネツィアの支配を受けた。
ヴェネツィアの砦は16世紀前半に作られたもの。



Seaside of Venetian Fortress.

砦を海側から見たところ。白いレリーフは翼を持つ獅子で、ヴェネツィア共和国のシンボル。
こういう石造りの建物を見るとわくわくする。ふふふふふ。
しかしこんな朝から(9時頃)訪れる観光客は他にいないらしい。建物内にはわたし一人だ。
静かなのはいいけど、中はこんなんですから、



Inside of the fortress.

ちょっとコワイ。石で出来た、当時の大砲の弾がまだ保管庫に積んであったりする。



Rooftop.

砦の屋上。三角形のガラスはもちろん現代のものです。

マリア遺跡では思い描けなかったけれど、ここなら昔の姿を思い浮かべることが出来る。
ここには昔、脚長き洒落者の(あるいはむさくるしい髭面の)ヴェネツィア男が、
怠惰に勤勉に歩きまわっていたことだろう。
水平線に目を凝らす。敵の船が見えないか。本国からの船はまだ来ないか。
本国からの船が見えた時には、思わず歓声を上げただろう。
懐かしい故郷の香りを運ぶ船。家族や友人からの手紙や届け物も載せて来たかもしれない。
「船が来た!」
年若い船乗りが叫ぶ弾んだ声が聞えるような気がする。


ここからの眺めが良いとガイドブックに書いてあったので、調子に乗って四方八方撮りまくり。



A breakwater. So long.

防波堤。さすがに突端まで歩くという酔狂を実行する気にはなれなかった……




Old harbor of Iraklion.You can see the hotel I stayed,above the tunnel.
Small,pink coloured one.

中央の5つ6つ並んだアーチの左上にある、小さな薄ピンクの建物が泊まったホテル。


しばらくのんびり。海を見ながら。風に吹かれて。


9・マリア遺跡へ。

2008-07-16 | ギリシャ/Greece:2008
イラクリオンからマリア遺跡までバスで1時間。海のそばの道を走る。
ほんとに遠くまで遠くまで遠くまで来た。

結局、あのチケットでちゃんとマリア遺跡まで行けたんです。
マリア遺跡に着いたら教えてね、と車掌さんに頼んでおいたので、最寄バス停で無事下車。
(が、この車掌さんも「あー、はいはい」みたいな感じで、今一つ不安なんだよなあ……)
真っ直ぐな道路の脇で降ろされ、遺跡らしき場所が見えない。周囲は低木に囲まれ、何もない。
他に1組降りた人がいたから多少は心強かったけど、降りたのが自分だけだったら
取り残された気分になっただろう。しかも遺跡への案内板が目立たないのだ……


マリア遺跡の入口の道端で、買ってあったサンドイッチにかぶりつく。
さっきのジェラートの店で同時に買ったのだが(1.7ユーロ≒280円)今まで食いっぱぐれていた。
この時13:30ですからかなりオナカすいてます。もしかして深夜の機内食以来の食事か?
白いチーズに黒コショウが効いていて五臓六腑にしみわたる。
でもまあ、こんなところで物を食べてるのは怪しいよなー。
通行人はほとんどいないけど、たった1人通りかかった人が不審な眼差しでわたしを眺めて行った。




I don't know this flower's name.

サンドイッチを食べつつ撮影。


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Ruins of Maria Palace.

遺跡好きのわたしだが、うーん、彼我の間の3500年の時間が邪魔をするのか、
……なんかよくわかんない。往時の情景が全く思い描けず。
と思ったら、付属のちっちゃい資料館に復元模型があった。




A Maria Palace's miniature.


でも……この模型……遺跡とギャップがありすぎてイメージが繋がらない……
ここに生きていた人の気配が感じ取れない。


それに何より。
日差しが暑すぎるのだ!この状態で遺跡の雰囲気を味わおうとするのは至難の業。
わたしにしては準備良く、帽子と長袖シャツを持って行ったのは幸いだったが、
「もういい、遺跡よりも日陰」状態では帽子とシャツ程度では役に立たない。
木陰に置かれたベンチに座り、茫然と目の前の風景を眺める。暑さは人間の思考力を奪う。


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思考力を奪われた結果、マリア遺跡を見終わったわたしは誤った決断をする。
――バスに乗るにはマリアの町中まで歩いた方がいいのではないか。
町中なら、待つにしても時間をつぶすところは数多くあるだろう。
マリアの町まで3キロ。それほど大した距離ではない。そう思って歩き始めたのだが――

いや、今回でよくわかりました。
普通に3キロ歩くのと、炎天下の中3キロ歩くのでは、体力の消耗が全く違う。
既に視界に入っているマリアの町。あそこまで歩くのか。――遠い。あまりにも遠い。
仕方ないのでひたすら歩きましたけどね。選んだのがバス通りから離れたビーチ沿いの道で、
途中でバスやタクシーに拾ってもらう可能性もなかった。何とか自力で公共交通機関まで
辿りつかなければ行き倒れだ。

……ま、そこまで大袈裟な話ではないんだけれども。
ビーチ沿いの道は一応リゾートなので(といっても、パリっとしたリゾートではなくて……
大島の海水浴場辺りをもう少し派手にしたものを想像してくれるとちょうどいい)、
リゾート客はバギーで何人もわたしの横を通り過ぎて行くし、彼ら向けのレストランも並んでいる。
天涯孤独に死ぬことはなかろう。が、熱射病で倒れたらちょっとヤバイことになるだろうな。


でもいいんだ。歩いたお陰でこんな写真も撮れたし、




Beech near Maria Palace.
There are many restaurants along the beech,their signboards say "we have English breakfast".


エーゲ海にも入れたんだから。(靴下を脱いで足だけ浸して来ました。砂が熱かった。)




Aegean Sea.Beautiful blue.


水がきれいだ。


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マリアの町の方がバスに乗りやすいだろうと考えたのは結果として大ハズレ。

何しろ町中でバス停を探すのが一苦労。
町の入口で観光案内所を見つけ、道を訊けたのはいいんだけど(ここの人は丁寧に教えてくれた)、
「この細い道を行ってメインストリートにぶつかったら右へ」と言われ、
その通りに行ったつもりがバス停、見当たらず……
やっとの思いで町まで来たというのに、さらにウロウロすることになる。

その辺の誰かに訊こうにも、リゾート地で歩いているのはリゾート客ばっかりなんです!

つまり地元民らしき人になかなか出会わない。
ようやくバイク屋の親父さんがたまたま店先に出てきたのを捕まえ、道を尋ねる。
この人もウィンク付きで親切に教えてくれた。(親切な人ももちろんいたのです、ギリシャには。)
そうしたら、わたしがメインストリートだと思っていた道はメインストリートではなかった。
地元の人には自明でも、旅行者にわからないことは色々ある、という典型。

「この道をまっすぐ行って、大きな教会があったらそこがメインストリートだ。
右へ曲って、右側にすぐイラクリオン行きのバス停がある」
……ここまで言われたら、さすがに簡単に見つかると思うでしょ?
が、実際はさらにもう1人に訊いた。だって曲った所からバス停まで200メートルくらいあったよ!
200メートルを「すぐ」って言うの!?
しかもバス停の標識は淡い水色で小さく、遠くから見たらまったく目立たない。
バス停だ!という主張がない。もうちょっと主張してくれないと困る。

バスを待つこと15分。ようやく乗って、疲労困憊。すごい冒険をした気がする。
……なんだか大変だなあ。ギリシャ。


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17:00、ホテルに戻ってベッドに倒れこむ。
晩ごはん前に少し休もう……