しみじみ思うに、イラクリオンで泊まったホテルのロケーションは抜群だった。
小さい町だから、ある程度どこに泊ろうと中心部に近いことは近い。が、わたしのホテルは
バスステーションとフェリー乗り場と海に近かった。これはかなりのアドバンテージ。
そこまで考えて決めたホテルではなかったんだけどね。
マリア遺跡へ行くためにバスステーションへ向かう。小さな建物。

Bus station.
一応長距離バスなので、バスのチケットは事前に買う。
「マリア遺跡に行きたいんだけど?」
係の人はにこりともせずにチケットを発行してくれる。
だが気になるのは、チケットに「マリア」としか書いてないこと。
マリア遺跡は現代のマリアの町の向こうにあるとガイドブックには書いてある。
このチケットでは現代のマリアまでしか行けないのでは?
「マリア遺跡に行けるよね?」
マリアって書いてあるでしょ?ときついまなざしを返されて、引き下がるしかなくなる。
まあいいや、バスの運転手に訊けばわかるだろ。
マリア行きの表示が出ている場所にはバスが2台停まっている。
「これ、マリア行き?マリア遺跡に行きたいんだけど」
運転手は軽く頷いたように見えた。しかしそれだけ。目を見てはっきり答えない。
本当にこのバスでいいか不安になる。
これに先立って、アテネの空港でもこんなことがあった。
着いてすぐ、わたしはイラクリオン行きの飛行機のチェックインカウンターを探した。
その時点で離陸6時間前だから、普通であればチェックインには早すぎる。
が、表示には一応カウンターは開いていることになっているし、実際人も並んでいるようだ。
とりあえず行ってみて、早いと言われたらまた出なおせばいい。
そう考えてカウンターに行く。どうやら受け付けてくれるらしい。
そして係の女性はきっぱりと、「搭乗券を発行します」と言う。
チェックイン時に搭乗券を発行するのは当たり前。なぜわざわざそれを強調するんだろう。
搭乗券が出てくる。それだけ。
「荷物は預けられないの?」と訊くと、やはりきっぱりと、
「後で」
「後で?」
「後で」
……まあね。予想通りではあるのだ。
チェックインには早すぎる。まだ積み込む飛行機の準備も出来ないので、荷物も預かれないのだろう。
だが、ここでわたしとしては「まだ早すぎるから後で」とか、「だいたい何時頃から受け付ける」とか
そういう一言を添えて欲しいのだ。それだけで安心感が全然違う。
「後で」と切って捨てるように言われると、後で、はわかるけれど……と不安は去らない。
今回ギリシャで困ったのは、実はこういう部分です。
何か訊いても、根気良く教えてくれる人があまりいない。
「○○で××で□□だから、△△なの。OK?」という言い方をしてくれない。
「ない!」「こっち!」「そう!」……みんながみんなそういうわけではないけれど、
再度の質問がしにくいくらい、きっぱりと言い切る。
わたしが今まで旅をして来た場所は、外国からの旅行者と見れば、まるで5歳児に対するように
手取り足取り世話を焼いてくれる人が多かったので、違いに戸惑う。
旅行者を社会的弱者と捉える見方がない社会なのだろう。
大人なんだから普通にわかると思っているのかもしれない。
でもねー、わからない時は大人でもわからないんですよー。
実は、日本もこんな感じかも。
わたし自身も、自分が初めて海外旅行をしてその国の人に親切にされるまで、
旅行者を「手助けが必要な人」と見たことはなかった。
だが実際のところ、旅行者は基本的にはかなりの頻度で大なり小なり困っているし、
意識しているにせよ無意識にせよ、不安なものです。
たしかに、別に困ってない時に世話を焼かれるのもうざったい話ではあるが、
どちらがいいかと言えば、何かにつけ不安を感じるよりはお節介くらいのほうが有難い。
日本は(も)、表示やシステムが合理的とは言えないことが多い気がするので、
海外からの旅行者には難しいだろうなあと思います。英語表示も全然足りないし。
日本に来た外国人旅行者には(国内旅行者にも)、無理しない範囲で親切にしてあげましょう。
旅先での親切は身に沁みます。
“旅の方ならお茶など上がれ、私も旅することがある”
もう一つ、困ったこと。ギリシャの人は相当な早口……。
英語を喋ってるんだか、ギリシャ語を喋ってるんだか、実はよくわからない。
相手が喋り終わって、何とか耳に残った一つの単語が英語っぽいので、
今のは英語だったのかもしれない、という感じだ。
わからなければ何人にでも訊きまくる、というのが旅の基本だが、
訊いてもよくわからないので、「多分こっちでいいだろうけど、不安」という状態は多かった。
小さい町だから、ある程度どこに泊ろうと中心部に近いことは近い。が、わたしのホテルは
バスステーションとフェリー乗り場と海に近かった。これはかなりのアドバンテージ。
そこまで考えて決めたホテルではなかったんだけどね。
マリア遺跡へ行くためにバスステーションへ向かう。小さな建物。

Bus station.
一応長距離バスなので、バスのチケットは事前に買う。
「マリア遺跡に行きたいんだけど?」
係の人はにこりともせずにチケットを発行してくれる。
だが気になるのは、チケットに「マリア」としか書いてないこと。
マリア遺跡は現代のマリアの町の向こうにあるとガイドブックには書いてある。
このチケットでは現代のマリアまでしか行けないのでは?
「マリア遺跡に行けるよね?」
マリアって書いてあるでしょ?ときついまなざしを返されて、引き下がるしかなくなる。
まあいいや、バスの運転手に訊けばわかるだろ。
マリア行きの表示が出ている場所にはバスが2台停まっている。
「これ、マリア行き?マリア遺跡に行きたいんだけど」
運転手は軽く頷いたように見えた。しかしそれだけ。目を見てはっきり答えない。
本当にこのバスでいいか不安になる。
これに先立って、アテネの空港でもこんなことがあった。
着いてすぐ、わたしはイラクリオン行きの飛行機のチェックインカウンターを探した。
その時点で離陸6時間前だから、普通であればチェックインには早すぎる。
が、表示には一応カウンターは開いていることになっているし、実際人も並んでいるようだ。
とりあえず行ってみて、早いと言われたらまた出なおせばいい。
そう考えてカウンターに行く。どうやら受け付けてくれるらしい。
そして係の女性はきっぱりと、「搭乗券を発行します」と言う。
チェックイン時に搭乗券を発行するのは当たり前。なぜわざわざそれを強調するんだろう。
搭乗券が出てくる。それだけ。
「荷物は預けられないの?」と訊くと、やはりきっぱりと、
「後で」
「後で?」
「後で」
……まあね。予想通りではあるのだ。
チェックインには早すぎる。まだ積み込む飛行機の準備も出来ないので、荷物も預かれないのだろう。
だが、ここでわたしとしては「まだ早すぎるから後で」とか、「だいたい何時頃から受け付ける」とか
そういう一言を添えて欲しいのだ。それだけで安心感が全然違う。
「後で」と切って捨てるように言われると、後で、はわかるけれど……と不安は去らない。
今回ギリシャで困ったのは、実はこういう部分です。
何か訊いても、根気良く教えてくれる人があまりいない。
「○○で××で□□だから、△△なの。OK?」という言い方をしてくれない。
「ない!」「こっち!」「そう!」……みんながみんなそういうわけではないけれど、
再度の質問がしにくいくらい、きっぱりと言い切る。
わたしが今まで旅をして来た場所は、外国からの旅行者と見れば、まるで5歳児に対するように
手取り足取り世話を焼いてくれる人が多かったので、違いに戸惑う。
旅行者を社会的弱者と捉える見方がない社会なのだろう。
大人なんだから普通にわかると思っているのかもしれない。
でもねー、わからない時は大人でもわからないんですよー。
実は、日本もこんな感じかも。
わたし自身も、自分が初めて海外旅行をしてその国の人に親切にされるまで、
旅行者を「手助けが必要な人」と見たことはなかった。
だが実際のところ、旅行者は基本的にはかなりの頻度で大なり小なり困っているし、
意識しているにせよ無意識にせよ、不安なものです。
たしかに、別に困ってない時に世話を焼かれるのもうざったい話ではあるが、
どちらがいいかと言えば、何かにつけ不安を感じるよりはお節介くらいのほうが有難い。
日本は(も)、表示やシステムが合理的とは言えないことが多い気がするので、
海外からの旅行者には難しいだろうなあと思います。英語表示も全然足りないし。
日本に来た外国人旅行者には(国内旅行者にも)、無理しない範囲で親切にしてあげましょう。
旅先での親切は身に沁みます。
“旅の方ならお茶など上がれ、私も旅することがある”
もう一つ、困ったこと。ギリシャの人は相当な早口……。
英語を喋ってるんだか、ギリシャ語を喋ってるんだか、実はよくわからない。
相手が喋り終わって、何とか耳に残った一つの単語が英語っぽいので、
今のは英語だったのかもしれない、という感じだ。
わからなければ何人にでも訊きまくる、というのが旅の基本だが、
訊いてもよくわからないので、「多分こっちでいいだろうけど、不安」という状態は多かった。