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Mo.の事件簿 A diary of Mo’s trips

事件簿などという大層なタイトルだが、実は単なる旅行記です。

28・野良ガメ。

2008-09-12 | ギリシャ/Greece:2008
さて、この旅も終りが見えてきました。
ギリシャにいるのは今日一日と、明日の夕方まで。夕方には帰りの飛行機に乗ってしまう。



本日、まずはケラミコスへ。

ここは墓地の遺跡で、アテネ国立考古学博物館で見た墓碑群も大方はここにあったもの。
しかし実際に行ってみると、むしろ城壁の遺跡という部分が重要かな?




The ruins of ancient walls in Kerameikos.

城壁の遺跡部分。日本と違い、外国の古代都市は外敵に備えて周りをぐるりと
城壁で囲む作りが一般的。
古代の墓地は、城壁のすぐ外側に置かれることが多かったらしい。たしかそう。


墓地遺跡としてはこんな感じ。

Ancient graveyard.







馬に乗った墓碑を捧げられた人物は、馬術の名手だったのだそうだ。
日本の墓石はみんな似たような直方体だけど、ユニークな形の墓石があったりしたら面白いな。


ところで前々からちょっと疑問なのだが、西洋の墓地って散歩コースになったりしてるよね?
「赤毛のアン」でも、大学生になったアンが「ちょっと散歩に行きましょう」と言って
向かう場所が墓地だったりするし。「素敵な墓地を見つけたの」とか言っていたような。
それに対して日本の墓地は、どう考えても散歩コースにはならん。
家族の人が毎日お墓参りして、あたかも散歩のようになっているというようなことはあるだろうが。
この感覚の違いってなんだろう。


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そしてここに衝撃的な出会いが!

朝早かったので(8:30頃着いた)ケラミコスにはほとんど人がいない。
わたしはゆっくりのんびりそこら辺を歩き回っていたのだが……
すぐそこからアヤシゲな物音がする。人はいないはずなのに。
音の方に目を向けると、





a tortoise?Why are you here?

……カメ?
なぜこんなところにカメがいるのだ?ギリシャには野良ガメがいるんかい!
道の端っこ、草が生えた所をズサズサと微かな音を立てつつ進んで行く。
甲羅の大きさは長径20センチ、短径13,4センチくらいだろうか。
思わず近づくと奴は歩みを止めて警戒する。こちらも暇な旅人の身の上、根競べなら負けないぞ。

しばらく動かないでいると、奴は大丈夫と見たのか再びそろそろと動き出す。
途中、たんぽぽに似た小さな花をぱっくりと食べる。
ほほう、それが好物か。では協力してやろう。
茎が長く、奴には届かなさそうな花を折って鼻先に突きつける。
すぐにばくっと食べるかと思いきや、……カメも結構脳みそのある生物っぽい。
突然目の前に現れた花がどうもアヤシイと思っているようで、じっと様子を窺う。
が、食欲に負けたのか、やはりぱくっと。……しかし半分くらいかじって気を変えたらしく、
「ふん!」という感じで顔をそむけ、今度は急いで歩き出す。カメのくせにけっこう早い。
すぐそばの岩の下の穴に逃げられた。巣かな?






実はこの後、もう一匹別の野良ガメに遭遇。



Another tortoise.

しかしこちらはさっきのよりちょっと小さく、そして数段臆病なヤツだったらしく、
わたしが近付くと頭と足をひっこめてもう本当に動かない。
ものすごく怖がっている感じが伝わって来たので、あまりちょっかいを出さずに解放してやった。
(でも、1,2度甲羅をつついたりはしたかも……虐待か?)




ケラミコスには小さな小さな博物館があって、そこには墓碑のオリジナルが保存されている。
(つまり戸外にあるのはコピー。外に置いておくと劣化するからだろう。)
それなりに色々あるのだが、良いものは考古学博物館の方へ運んだというのをどこかで読んだので、
あまりちゃんと見なかったかもしれない。展示方法もちょっと雑っぽかったな。




Greek sphinx.

スフィンクス。これも墓碑だったかな。ギリシャのスフィンクスは上半身は女性で
体は獅子で、翼がある。道を行く旅人に謎をかけて、答えられない人間をかっ食らう。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9


ケミラコスを出て。次はアイギナ島へ。


27・プラカ地区へ。

2008-09-09 | ギリシャ/Greece:2008
ミケーネからホテルへ帰って17:10。1時間ほど休んでからプラカ地区へ。

プラカ地区はアクロポリスの北側に広がる、観光客向けのレストランやお土産屋さんが多いところ。
ご飯も食べたいし、そろそろお土産も確保しなければならないし、
ここはリキ入れて?町をうろうろしよう。

プラカ地区付近の中でも、エルムー通りは別名「女物通り」というほど
服、靴、バッグなどの店が立ち並んでいるところ。地元で言えばズバリ一番町。
わたしはここをずーっと歩いて、母親へのお土産を探したのだが……
母親には、餞別をくれる分少々他と差をつけることになっている(^_^;)。

いつもだいたい服飾関係に落ち着くんだけど。
たとえば革製品が有名な町ではバッグとか。あるいは通りすがりの個人商店の
ショーウィンドーに飾ってあるのを見てわたしが一目ぼれしたセーターとか。
(で、お土産といって渡して、時々借りる。)
「これだ!」と思えるものをゲット出来た時は大層幸せ。大袈裟ではなく肩の荷が下りる。

でも今回は、探しても探してもこれというものが見当たらなかった。
あちこちでバーゲンしているのはいいんだけど、
「シックで上品」とか「落ち着いていてちょっと可愛い」とかそういうのはない。
多分ヨーロッパ共通だと思うんだけど、日本より洋服のデザインはかなり派手。
派手でピラピラ。さすがに母親にこういうのは……
かといって、ブランドものってのもアホらしいしなあ。うーん。

何本かの通りを端から端まで歩いてもダメでした。かなり歩き回ったのだが……
翌日自宅へ電話をした時に「お土産ないから」ととりあえず言っておく。
だからといって文句を言われたりはしないけど、自分が悔しいんですよね。






お土産求めて歩き回っている途中の風景。
うっ。教会の名前がわからない。とても小さな教会でした。繁華街のどまんなかにある。


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さんざん歩き回ったから。夕食。

わたしは、海外で日本食を食べたくなることはあまりない。
だがやっぱりずっと洋食の味付けだと飽きる。
そんな時は中国料理を食べることにしている。中国料理なら世界中のどこででも?あるし、
日本料理より概ね安い。それに「わざわざ海外で何で日本料理を食べているんだろう……」という
何とはなしの敗北感も抱かずにすむ。
(といいながら、海外で回転寿司を見つけるとついついトライしてしまうんだけど)

でも、アテネはあまり中国料理店が多い町ではなかった。
時々見かけても長いこと閉まっている雰囲気だったり。
漢字の看板があがっている雑貨屋のようなところも、閉まっているところが多かったなあ。
しかし反面、コジア広場近くの立派なビルに中国系雑貨の少し高いもの(置物とか)を扱う、
何とかいう店が入っていて、羽振りがよさそうだった。ゴールデン・ドラゴンとかいったかな。

町を歩いていてもアジア系の顔はそれほど多くない。
まあ、ロンドンやニューヨークと比べてはいけないけれど。このくらいの規模の都市なら
こんなものかも。わりあい意外だったのは、アフリカ系が予想より少ない。
アフリカ大陸はすぐそばなんだし、もう少し多くてもいいと思ったが。
でも、稼ぎに行くならアテネはあまり魅力的ではないかもね。ギリシャは小国だし、
経済力もあまりない。同じ行くならロンドンやパリの方が何かとチャンスは多いかも。

あ、そうそう、数日前、夕食か何かを買いにKFCへ行った時。
そこはハンバーガーショップのチェーン店であるGoody’sというところと
KFCが隣接している場所だった。最初わたしは間違ってGoody’sへ入り、
ちがうちがう、と出て来た。
その後KFCへ入ったら、店の客のほとんどが有色人種。アジア系、アフリカ系。
Goody’sは白人ばっかりだったのに。
たまたまだったのかもしれないけれど、この見事な分裂ぶりは大層印象深かった。


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話を戻そう。本日の夕食。
この日はアジアの料理、と決めていた。町にあまり中国レストランが見当たらないので、
ガイドブックに載っている店に行ってみる。候補は2軒。
韓国料理&日本料理の「ドシラック」か、あるいは麺類の「ヌードル・バー」か。

「ドシラック」の前に出ているメニューをじっくり見たんだけど、あまり食指が動かず。
「ヌードル・バー」はすぐそば。そちらへ行ってみると、店の中から店員さんに
声をかけられてしまった。まあいいか。こっちで。




Noodle Bar.I wanted to eat Asian food.

店名から予想したよりオシャレ。赤いグラスに入っているのはアルコール飲料ではなく、
ジンジャーエール。麺になぜジンジャーエール、という疑問はナシで。

「RAMEN」を頼んだんだけど、日本のいわゆるラーメンとは違います。
コリアンダーが入っている。辛くはないがスパイスがけっこう使われている感じ。
美味しいかどうかと訊かれれば……うーん、珍しい味ですな。

しかし自分でも意外なほど、食べていてほっとする。
やっぱりアジアの味覚は共通するものがあるのか。決して食べなれた味ではないのに、
今まで食べたギリシャ料理には感じない親近感を持つ。
ギリシャ料理だと「食べるぞ!」と自分を奮い立たせないとあかんというか……
そんなことを思うのは、もしかして単に量が多すぎるだけだったりして。


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食事後、さらにうろうろ。(各種お土産はこの時にゲット出来ました!)

工事中だけれどもミトロポレオス大聖堂。多分アテネの主聖堂だと思う。
しかしギリシャの名前は難しい……

Athens Cathedral Mitropoleos.So beautiful hymn.







ふらりと入口から入ってみると、夕べのミサをやっていた。
ギリシャ正教の典礼は音楽重視なんですねえ。
聖職者はささやかに3,4人しかいないんだけど、彼らが歌うんです。その声が美しい。
みな、おっさん……もとい、中年男性なので、ボーイソプラノではないが、
なんというか充実した声。聖堂内に美しく反響する。耳に満ちる歌声。

宗教はこういう仕掛けをして、宗教的感情を盛り上げるわけだね。つまりノセるわけだ。
その手にはのるかい、と思いつつもやはり歌声に感動する。
美しいものは神に近いよ。



レストランは陽が落ちてからが書き入れ時。





暮れかかった町も雰囲気がありますね。
だがわたしは町が一番盛り上がる深夜は外にはいられない。
一人旅だとこういう部分はちょっと損かなあ。





ホテル着、21:20。


26・ミケーネ黄金遺跡。

2008-09-06 | ギリシャ/Greece:2008
日陰のない一本道。ゆるやかな上り坂。アスファルトの照り返しがきつい。
道の両側にきれいな花樹があるのは実に目に優しいのだけれど、……それでも暑い……。
歩き続け、ようやく遺跡が見えた時はほっとした。



Mycenae ruins.

見えにくいけど、写真中央に遺跡部分がある。やっと着いたよお。


観光客はそこそこいた。駐車場には観光バスが何台も止まっている。
そーだよねー、普通の人はツアーで来るんですよ、こんなとこには。
自力で歩いて来ているのはもしかしてわたしくらいかもしれない。


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ミケーネ遺跡とは、トロイ戦争のギリシア側総大将であるアガメムノン王の城だった場所。
古代において強い勢力をもった都市で、ギリシアを支配下におさめていた。
当時の文化はこの都市の名をとってミケーネ文明と呼ばれる。
トロイ遺跡を発見したシュリーマンが、続いてこの遺跡の発掘にもあたり、
数々の黄金製品を掘り出している。

王であるアガメムノンは。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%83%A0%E3%83%8E%E3%83%B3

以前、テレビで蜷川幸雄演出の「アガメムノーン」を見たことがありましてね。
これが面白かった。それまでの「ギリシア神話は面白いけど古代ギリシア悲劇はもう退屈で
見てられないだろう」という思い込みが崩れた。
朗々した台詞回しが気持ちいい。荘重に歌い上げる、悲劇にはその調子がふさわしい。





Treasury of Atreus.

アトレウスの宝庫。と言われているが、宝物庫ではなく陵墓の可能性もあるらしい。





内部の天井。ドーム型になっている。全体の形状は円形で、高さ13.4メートル、
直径14.5メートルだそうだ。中はがらんとしていて何もない。
夜、一人でここに入るのはイヤだ。




Lion Gate.

獅子門。出入り口の上の三角形の部分に二頭の獅子が彫られている。




From top of ruins.

遺跡のてっぺんから。
観光バスがいるわりには、てっぺんまで来る人は少ない。
多分暑いから、みんな登ってくるの嫌なんだよ。もっと根性出さんかい!


この眺めであれば敵が攻めてきたとしても相手の動きは手に取るようにわかるな。
遺跡が作られた位置にしても壁や門の堅牢な作りにしても、軍事に比重がおかれていたことは
よくわかる。が、防御には良いとして、周辺都市ににらみを効かせるには、場所的に
少し辺鄙すぎないか?けっこう山の奥だもの。
ここにトロイ戦争に参加した何百人もの領主たちが集まったことが想像出来ない。
まあ「イリアス」はあくまで物語だけど。しかし似たようなことはあっただろうと思うし。


てっぺんに一人でいる時。そばを揚羽蝶が飛んでいった。
ギリシア語では蝶をプシュケという。そしてその単語には魂という意味もあるらしい。
昔ここにいた魂が飛んで行く。


何しろ「黄金に富むミケーネ」(by ホメロス)ですから、こんなものが出土していたりする。



The golden mask.It was believed Agamemnon's.

発掘者であるシュリーマンは、これがアガメムノンのマスクだと信じていたそうだ。
が、時代的にはもっと前のものらしい。……って、アガメムノンって伝説の人なのに、
時代がわかっているのかね?
王様にしてはちょっと貧相っぽい顔だなーとわたしは思う。

ちなみにこの写真は復元で、本物はアテネ考古学博物館にある。
そっちの写真も撮ったけどピントがボケたので、こちらの偽物を代理で。


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1時間ほどいて帰る。……帰る時もやっぱり歩くんだろうか。
駐車場にはタクシーが何台か止まっている。でもこれは多分貸切だろうなー。
絶対そうに決まっているけど、万が一のために訊いてみる。
「予約されてるんだよね?」
運転手のおじさんたちは頷く。ああ、わたしはやっぱり歩くのね。
彼らの一人は、タクシー会社に電話をかけて空きを確認してくれたんだけど、
やっぱりないんだそうです。わかりました、歩きます。歩けばいいんです。

「2キロだから!」
歩き出したわたしに彼らはそう声をかけてくれる。……また2キロか……。
ギリシャ人にとっては、A地点からB地点は常に2キロなんだろうか。

途中で、車に乗せてくれた人の店の前を通ったら、彼女が窓ふきをしていた。
笑って手を振った。



がんばって歩いて、キフィティアの集落に戻って来る。
ほぼ1時間かかったから、やっぱりミケーネまでの距離は4キロ程度はあるよ。
日本のガイドブックが正しい。

1時間弱待って、14:45に時間どおりに来たバスに乗りアテネへ戻る。



25・ミケーネへ。

2008-09-02 | ギリシャ/Greece:2008
本日の行先はミケーネ遺跡。これもアテネ中心部から長距離バスに乗る。
昨日と似たような経緯をたどる。

ミケーネに行くには、昨日とは別の、キフィスウ・ターミナルへ行かなければならない。
でもこっちはわかりにくいとは書いてなかったし、
実際にも、地図を見ながら迷わず乗り場バス停に着いて、バスの運転手さんに
「キフィスウ・ターミナル?」と訊いて頷かれ、そのまま乗って行ったら、
終点がキフィスウ・ターミナルだったんだから、全然問題なかったんだけど、
……しかしこの乗り場バス停がなぜかごちゃごちゃした裏通りにある。
なぜこんなところをバス停にするのかさっぱりわからないよ。


もう一つ、わからないこと。
キフィスウ・ターミナルの建物に入って行って、切符を買う。その後バスプールに出る。
バスの発着所はそれぞれナンバーは付けられているものの、30か所か40か所のバス停があって、
そこからミケーネ行きのバスを探さなければならない。

普通「××行きは何番」という表示は、建物を出た正面にあるものでしょう。
しかし建物を出てもそういった表示は見当たらず。いやー、こういう表示がないってのは
やっぱりギリシャだよなー、と思いつつ一つ一つの場所を確認し。
しかしさすがに30か所を見て歩くのはあまりにも大変なので、
チケット売り場の人に訊こうと思い建物に戻りかけると。……あった。

……建物の出口の上の壁にこういう表示を貼っておくのは間違ってないか。
ってことは、建物から出た途端、後ろを見上げて確認しろってことだよね?
いや、知らなきゃ気づかないよ。どうしてこんなわかりにくい場所に表示しておくのだ。
やっぱりおかしいよ、ギリシャ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ミケーネ遺跡の最寄のバス停まで、2時間とガイドブックにはあったのだが、
実際に乗っていたのは1時間40分。キフィティアというバス停で降りる。

……ミケーネ遺跡なんて有名どころなんだから、同じバスから降りる人がもっといると思っていた。
が、わたしの他には一組しか降りない。あれ?
降りたところにも大したものはない。個人商店をちょっと大きくした感じのスーパー?と、
他に数軒の建物。町では全然なく、集落というにも建物が少ない。
えー、例えて言えば、菅生辺りの田舎道によく似ている。まあ多少こっちの方が人はいそうだが。

ガイドブックには、ここから遺跡まで4キロと書いてある。
タクシーがあったら迷わずタクシーに乗ろう、と決めていたのだけれど、
菅生の田舎道のバス停に、タクシーが待機していると思いますか。
タクシーなんて絶対通りそうもない道路。

やっぱりなー、やっぱりなー。そういうことにはなると思ったけど。……歩くのか、4キロ。
まあ出たとこ勝負で玉砕するのはいつものことだ。他に方法がないというなら、
歩こうじゃないですか、4キロ。この激しい直射日光の下。

……少々未練がましく、小型スーパーに入って行って遺跡までの交通手段を尋ねてみる。
やっぱり歩くしかないようだ。店のおねーさんはにっこり笑って、
「この道をまっすぐ行って2キロくらいよ、がんばって!」……ううう。

でも2キロか。ガイドブックには4キロとあったが、実際はもう少し近いのかもしれない。
何といっても現地の人が言っているのだし。少し希望を持つ。
意を決して歩き始め、その道に書いてあった表示を見ても、やはり遺跡までは2キロ。
2キロなら。何とかなるだろう。多分。



A road to Mycenae.

歩き始めて5分くらいだろうか。
ほとんど車が通らないまっすぐな道で、珍しく一台横を通り過ぎて行ったと思ったら、
しばらく行ったところで停車する。運転席から女性が顔を出し、何事か大声で言っている。
急いで近づくと、どうやら乗せてあげると言っているらしい。

こういう時、乗りますか?乗りませんか?

わたしは乗ります。親切を受け入れていい人かどうか、という判断は自分で出来ると思いたい。
まあこの場合、男性一人だったらやっぱり断るだろうな。


しかし本当に天の助けでした。
女性は買い物帰りらしく、スーパーのビニール袋をたくさん乗せている。
車は普通のセダンで、……正直に言えばけっこう古く、ぼろぼろ。
乗っている間はお互い無言だった。わたしは話しかけてもらうことに慣れていて、
あまり他人に話しかけるのは苦手だし、相手が英語を喋るかどうかもわからない。

多分10分かそこら乗せてもらったと思う。距離で言えば2キロ前後。
女性は道路沿いの、とある店の前で車を止め、ここでホテルをやっていると言っているらしい。
ホテルというより民宿という感じの建物。ちょっと軽食堂的な佇まいでもある。
一瞬「客引きの一環として乗せて来てくれたのかな」という思いもよぎる。
お茶の一杯でも飲んで行った方がいいのだろうか。でも、これから先も長いしな……

結局「どうもありがとう」と言ってわたしはまた歩き出すんだけど、
彼女は気持ちよく手を振ってくれた。「じゃあね。遺跡までは2キロくらいだから」
……え?まだ2キロ?



Near Mycenae.

乗せてくれた人の民宿は写ってないのだけれど、町のたたずまいはこんな感じ。
道路沿いはレストランとお土産屋さん、民宿がほとんどを占めている。
ただ、人は歩いていなかった。暑いから外に出てないだけか、客そのものがいないのか。
この季節、客がいなかったらいつ来るのだ。
がらんとした印象の場所。

ところでレストランや民宿の名前に、アガメムノンやクリュタイムネストラ、
オレステスなんてのがごろごろあるんだが、いいのか。
呪われたアトレウス家の不吉な名前じゃないか。

ちなみにアガメムノンはトロイ戦争から帰ってきたら、その間に妃であるクリュタイムネストラに
不倫をされており、我が家に帰った途端に妻の愛人に殺されてしまうカワイソウな王様。
そのためクリュタイムネストラは実の息子オレステスに殺される。
しかしオレステスも母殺しの罪のため、狂人となって放浪する。
どう考えてもレストランの名前にふさわしいとは思えないのだが……

まあでもミケーネは彼らのお膝元。仕方ないのか。




24・バスの裏切り。

2008-08-30 | ギリシャ/Greece:2008
21時、アテネ・リナシオン・ターミナル着。まだかろうじて陽が残っている。

だが、そこからアテネの中心部へ戻るバスをだいぶ待つ破目になった。
24番のバスに乗らなきゃいけなかったんだけど、バス停が見えた瞬間、24番バスは発車するところで。
まあ中心部行きのバスなんだから、10分程度で次が来るだろうと思いきや、
夜の時間帯のせいか、次が来たのが30分くらい経ってから。もう完全に暗い。
待ってる間、わりとイライラしてました。全く土地鑑がないところで、ただひたすら
バスを待つしかないという状況はあまり嬉しくない。


ようやく来たバスに乗り、これですんなりホテルに帰れる……はずだったのが。
また一難あるわけです。

リナシオン・ターミナルからアテネ中心部まではバスで20分くらい。
来る時乗ったバス停で降りればいいんだし、その手前でオモニア広場も通るはずだから、
そっちで降りた方がホテルに近いかも。でもオモニア広場は、夜は治安が良くないと
ガイドブックに書いてあったから、少し遠くてもその次まで行った方がいいかな。

などと考えつつ、バスに乗っていったのだが……なかなかオモニア広場に着かない。
来る時、こんなに時間かかったっけ?でも時間帯によって交通量も違うしな。

が、ふと通り過ぎるバス停の表示を見て愕然とする。
シンタグマ広場?ここがシンタグマ広場だとすると、
オモニア広場も、来る時乗ったバス停も、とっくに過ぎてる!

オモニア広場を見逃したはずはない。けっこう特徴的な広場だし、わたしは気をつけて
窓の外を見ていた。来る時乗ったバス停も、アテネ大学とか国立図書館とかの、
えらく大きな目立つ建物の前だったんだから、あれを見逃すはずはないのに。


とにかく降りなければ。ホテルが遠くなるばかり。
だが、全く知らない場所で降りても帰り路がわかるか?
すぐ降りるべきか様子をみるべきか。どうしよう。

……ここで、天からの救いが。バスの窓の外にハドリアヌスの門が見えたのだ!



Hadrian's Arch.Again.

昨日、アクロポリスへ行った帰りにこの門の写真を撮った。
この近くには地下鉄の駅があり、ここからなら道もわかる。
ここで降りなかったら、あとはほんとに迷子になるしかないよ。

バスから降りて心からほっとする。
その後地下鉄に乗り、無事に22:10にホテル着。はー、着いた着いた。良かった良かった。
ハドリアヌス門のおかげだよ。あれがなかったら、どうなったかわからなかった。






Kotzia Square near the hotel.

ホテルのそばのコジア広場。ライトアップがきれいでしょ。


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ところで、バスがなぜこうなったかというとですねえ。

正解は実ははっきりしないけど、多分……行きと帰りでは別な道を通るのではないかと。
もしそうなら、「先に言ってよ!」と心から言いたいぞ。誰に対して文句を言えばいいんでしょうね。
うーん、まあねえ……たしかに行きと帰りの道が違うバス路線ってのはたまにある。
だからそのことを責めるわけにはいかないが……
でもこの路線は観光客が使う割合も高いはずだから、ぜひバスの車内にでも書いておいて欲しい。
英語で。しっかり目立つように。

やはりバスは旅行者にはキケンな乗り物だ。どこに連れていかれるかわからない。




23・溺れる!

2008-08-27 | ギリシャ/Greece:2008
デルフォイの基本情報。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%9D%E3%82%A4

無理やり日本で例えれば、伊勢神宮とか出雲大社のような存在になるのではないかと思う。


入場券を買おうとしてびっくり。
遺跡付属の博物館が、なんと14:45で閉館なんだって。
「は?」ですよ。遺跡自体は19:30までやっているというのに、その付属博物館が
14:45閉館ってなんでだ。人件費を考えたって、せめて17時だろう。

……わたしが遺跡に着いた時点で14:30。つまり博物館は見られませんでした。
おかしいぞ、ギリシャ。





チケット売り場のそばにいた猫。この猫はちょっと触らせてくれた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





デルフォイ遺跡へ入ってすぐの所。これは“直前”の写真です。


何の直前かというと……雨。大豪雨。





写真じゃ見えないかなあ。まるでスコールのような雨が突然襲来。
慌てて木の下に避難する。しかし風向きが悪くあまり雨を防げない(^_^;)。
しばらく木の下にいた後見切りをつけ、今度は遺跡の壁に避難する。
壁は単に壁で、屋根とかはないんだけど、風が強かったので壁にぴったりと身を寄せていれば
木の下よりも雨はしのげた。でもホント、木の下から壁へ向かって走ってる時なんか
「溺れる!」と思ったほどの雨でしたよ。息を吸うと雨が鼻に入ってくるので呼吸も出来ない。
命の危険を感じた。


わたしを救ってくれた壁。写真を撮ったのは帰りですが、雨の痕跡もないですね。




雨は15分か20分続いたと思う。わたしは遺跡の入口にいたんだけど、
遺跡の奥から戻ってくる人々は、みんなぐしょ濡れ。パンツまで濡れてそうでした。
遺跡内は雨宿りする所もないしねー。山沿いで天気が変わりやすいのか……

雨が止んで「ふえ~……」へとへと。何しろ命の危険を乗り越えたわけですから。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


デルフォイ遺跡は……思ったより狭い。思ったより観光客がいない。思ったより急斜面。

なんかもっとひらけた所にある、ばーん!とした遺跡を想像していた。
古代、ものすごく栄えた神殿のはずだ。数多の都市国家が、神殿への奉納物を保管するため
それぞれ宝物庫を建て、それがずらりと立ち並んでいたくらい。
急斜面を登る道はつづら折りの坂道。しかしその道幅はせいぜい3メートルといったところ、
大勢の人が集まる場所にしては狭い。古代ギリシャ世界第一の神域にしては、
意外にこじんまりとした場所だ。





手前の半円形の部分は古代劇場跡、その向こうの何となく四角っぽい石組が、
デルフォイの中心であったアポロン神殿。
右側に小さく見える壁のある建物は、都市国家アテネの宝物庫の復元。
これより上には古代競技場跡がある。


静か。観光客は数えるほどしかいない。





アポロン神殿。昔はパルテノン神殿と同じような姿だったはず。
ここに仕える巫女が神託を伝えた……のだが、実際はトランス状態に陥った巫女の
うわ言のような言葉を、正気の神官が何とか通じる文章に変換して、人々に伝えたらしい。
しかも、その文章もどうとでもとれるような曖昧至極なものだったとか……
ま、予言なんてそんなものでしょうねー。


古代劇場。





ここで行われたのは、神への奉納としての演劇の上演なんだろうな。
神域のど真ん中にあるからには、単に一般人の楽しみのための娯楽施設だとも思い難いし。
日本の神社にも、神社によっては舞楽殿とか舞台があったりするが。
しかし規模は相当違いますな。


ちょっと全体像がわかりにくいけど古代競技場。




オリンピックだって、元はと言えば神事ですから、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

デルフォイに古代競技場があるのはよくわかる。オリンピックより規模は小さかったが、
ピュティア大祭という同じような競技会が行われたそうだ。


この遺跡は好きだったなあ。
何しろ静かだし。昔の姿も想像出来る。バスに3時間乗っても来る価値はある。
……博物館も見たかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ここから徒歩10分くらい離れて別の神域がある。こちらの祭神はアポロンではなくアテナ女神。
けっこう疲れていたので行こうかどうしようか迷った。
結局、行って写真を撮っただけ。ほんのちょっとしかいなかった。

中央部分は円形神殿。柱が3本だけ復元されている。




遺跡を17時頃出て、デルフォイの街へ戻りました。バスは18時発だけど遅れると大変だし。
……街へ戻る途中、また雨。あまり時間がなかったが、疲れていたし、店に入って一服。

18:10、バスにてデルフォイを離れる。また3時間かけてアテネへ。



そうそう、ここで買った本が、今回の買い物の中でわたしの一番のお気に入り。
文庫本ほどの大きさの、デルフォイのガイドブックの一種で
「デルフォイの昔と今」というようなタイトル。
面白いのは、今の遺跡の写真の上に、イラストが描かれた透明シートを重ねると昔の姿が見られる、
という仕掛けになっていること。なかなか良く出来ている。

今は真白な大理石のイメージしかないギリシャ神殿だが、当時は部分的に、鮮やかな赤や青などの
彩色がなされていたらしい。うーん、白一色だからこそ究極を感じるのだが……
まあ、侘び寂び的イメージが強い日本の神社仏閣も、奈良・平安時代の創建当時は
真赤な柱と緑色の瓦、という派手な色の組み合わせだったらしいしね。
でも、ついつい残っているもののイメージで固定しちゃうよなあ。


22・デルフォイへ。

2008-08-24 | ギリシャ/Greece:2008
ところで、デルフォイへ行くにはちょっと心配な部分があったのです。

バスの発車時間は前日にホテルのフロントの人に教えてもらっていたんだけど、
実はこれ、リナシオン・ターミナルというバス停における発車時間。
リナシオン・ターミナルというのは、アテネ中心部から少し離れた場所にある
長距離バス用のバス発着場で、まずは普通の路線バスに乗ってそこまで行かなくてはならない。

が、ガイドブックにはこんなことが書いてある。

「リオシオン・ターミナルへ行く場合、降りるバス停がわかりにくく、
英語を話す運転手も多くない。そのため下記に“リオシオン・ターミナルで降ろして欲しい”
というギリシャ語の文面を掲げるので、乗車時に運転手に見せるように」

いやー、これは有難い。ガイドブック、いい仕事だよー。
……でもさ。ターミナルって普通終点とかじゃない?リオシオン・ターミナル行きという
バスがあってもいいと思うが。そうじゃなくても、多くのバスが集まる場所なんだから、
人がたくさん乗り降りするはずだよね?
降りるバス停がわかりにくいってどういうこと?

さらにガイドブックの注意書きはまだ続く。

「また、バスを降りてからまだ迷うようなことがあれば通行人に尋ねてみよう」

……そこまでわかりにくいの?だって……ターミナルでしょ?


アテネ中心部からリオシオン・ターミナルまでのバスには問題なく乗れた。
乗ってすぐ運転手さんに例の文面を見せたので、降りるところもちゃんと教えてくれた。
が、バス停で降りて。……リオシオン・ターミナル、どこ?
ごくごく普通の、郊外の片側一車線道路。両側にはタイヤ屋さんとかアパートらしきところとか
しかなく、ターミナルっぽい建物なんて見えないぞ。ほんとにここか?


乗って来たバスの運転手さんが、わたしが降りる時に、何か言いながら
後方を指さしてくれていたのを思い出す。半信半疑で、その指さした方向へ行ってみる。
そこは車1台しか通れないような細い道。いや、こんなところにターミナルがあるわけが……

……あった。
タイヤ屋さんと雑貨屋?の間から、バスがたくさん停まった建物が見えた時には、
「間違ってるぞ、ギリシャ!」と心の底から叫んだよ。
バス停に対して、この位置関係に普通作るか?この佇まいでターミナルがあると思えるか!?
おかしい!おかしいぞ、ギリシャ!


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デルフォイへの片道チケットは13.6ユーロ。2230円。
10:30出発、13:30にデルフォイの町到着。片道3時間。ほとんど寝ていた。

デルフォイはいかにも観光地、といった小さな町。レストランや土産物屋がほとんど。
クレタのクノッソス宮殿並の混み具合を想像していたんだけど静か。
着いてすぐ帰りのバスのチケットをゲットした。なにしろ一日6便しかない帰りのバス、
逃したらアテネへ帰る手段がない。18:00のバスを予約する。

その後、昼ご飯を食べにレストランへ。




A restauranut for the day's lunch.

時間が遅いせいか、お客さんがほとんどいない。デルフォイは斜面にくっついて町が
形成されていて眺めがいい。店の窓からはこんな景色が見える。




A view from the restaurant's window.

遠くに見えるのは海だそうだ。……え、海?
「ほんとに海?」って訊いたら、お店のきれいなおねーさんは「そうよ~」。
アテネからバスに乗って、ものすごく山の中まで来たつもりだったのだが、
意外に海のすぐそばなのか。




Taramo salada and mossaka.

中央のピンク色のはギリシャ料理のタラモサラダ(パンにつけて食べる)、
左のメインはムサカといって茄子と挽き肉の重ね焼き。茄子が茄子とは思えないほどふわふわ。
10ユーロとチップ1ユーロ。1800円。


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レストランを出て、デルフォイの遺跡へ。
レストランのおねーさんによれば、遺跡まで徒歩15分くらいらしい。




町から遺跡へ向かう間の渓谷。
荒涼とは少し違うけど、しかし非常に厳しい風景だ。日本にはない。
ちなみに奥の海は、店から見た海と同じ。




Rock hill.It was very impressive for me,because it was very different from hills in Japan.

岩山も厳しい表情を見せる。何と言うか、見ていると胃が痛むような。
柔らかい緑に包まれた優しい日本の山とは全く違う。
こういう風土が育てた気質は、確実に日本人の気質とは違うはずだ。



ところで、土地の呼称について一言。

わたしはギリシア神話を通って来ているので、どうしてもここをデルフォイと呼びたいのだが、
実は現代ギリシャ語ではデルフィと呼ばれている。
「デルフォイ」が長い年月を経るうちに、より言いやすい「デルフィ」になったんですね。
わたしはデルフォイで通すが、一般的にはデルフィです。


14:30、デルフォイ遺跡到着。



21・ゼウス神殿が好き。

2008-08-21 | ギリシャ/Greece:2008
本日はデルフォイへ。
しかしその前にあちこち行く。バスの時間が10:30発で、時間があるので。


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まずは昨日行きそびれたゼウス神殿へ。



Temple of Zeus.

ここがすごく良かった。着いたのが8時過ぎであまり人がおらず、
さらに日差しもまだ強くない。ゆえにわたしもまだ正気。神殿をじっと見る。

パルテノン神殿は――工事機械もあったし、観光客もいたし、何より日差しの強さが邪魔をして、
目の半分でしか見られなかった。目の半分ということは、心も半分ということ。
だが今、目の前のゼウス神殿は一対一で対峙出来る。耳をすますことが出来る。

きれいだ。


嬉しくて、ここでは写真を撮りまくり。












本来の規模としては、パルテノン神殿よりも大きかったらしい。
ちなみにゼウスというのはギリシャ神話中の一番えらい神様だから……一番大きくて当然ではある。




Acropolis from temple of Zeus.

アクロポリスを見上げる。なんか石切り場のようですね、こっちから見ると。
昨日アクロポリスからゼウス神殿を見下ろす写真を撮ったけど、これは丁度正反対の写真。





柱の輪切り。これがまともに立っているとあの柱になる。

外国の雑草は日本のものと比べて花が派手で、これなら花摘みも楽しかろうといつも思う。
「赤毛のアン」とか、よく野原で花を摘んでいるじゃないですか。
日本だと、花を摘もうと思っても、タンポポとかシロツメクサがせいぜいなのに、
外国だと真赤なポピーとか、花瓶に飾ってもおかしくないようなきれいな花が多い。






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次に、アテネで一番大きいと思われる本屋さんへ。

ギリシャに来る前、ニコス・カザンザキスというギリシャの国民的作家(多分)の小説を読んだ。
小説そのものは「まあまあ」という程度だったんだけど、このカザンザキスは旅行が好きで、
一度日本に来たこともあり、その旅行記を書いているらしい。
1938年に出版されたギリシャ人作家による日本旅行記。何かちょっと面白そうではないですか。

が、邦訳は無し。
英語なら読めるかなあ、と思ったので、ギリシャで英語版を探してみようと思っていた。
読み終わるまで何年かかるかは別にして(^_^;)、良い記念にもなりそうだったし。

本屋さんはビル7階建ての大きなところで、店員さんに訊いて探してもらったんだけど
英訳は置いてないとのこと。ギリシャ語版はあるようだが、それはゼッタイに読めない。
ここで無ければどこでも無いだろう。ちょっと残念だが諦める。

……でも、わたしが書いたたどたどしいギリシャ文字が
(旅行記のタイトルがギリシャ語でしかわからなかった)
店員さんにちゃんと伝わったことにささやかなシアワセを感じた。


本屋を出たあたりで、こんなショーウィンドー。



SONY、がんばってるね。


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それから、アテネ・フェスティバル2008のチケットを買いに行く。
これは6月から8月にわたって毎年行われる舞台芸術のお祭り。演劇・ダンス・音楽・
パフォーマンスなど、演目も色々、場所もあちこち。

その、開催場所のなかにヘロド・アティクス音楽堂がある。
ヘロド・アティクス音楽堂とはあれですよ。アクロポリスに登る途中にあったヤツ。
今も残っている古代劇場。そこで実際に何かを見てみたかった。


今回の主目的は演目そのものではなく「その場所で」見ること。なので、演目はまあ何でもいい。
本当はギリシア悲劇とか見られたらすごく嬉しいのだが……
ヘロド・アティクス劇場で行われる演目を確認した所、わたしが行ける日程の範囲では
ポール・テイラー・ダンスカンパニーというところの創作ダンスが唯一らしい。

うーん。創作ダンスは苦手っぽいなあ……。
わたしは基本的に舞台芸術は好きなのだが、それは伝統的なもの限定で前衛はイヤなんだよね。
でもまー、しょーがないかー。他に選択肢ないわけだし。
安い席を選んで20ユーロ(≒3300円)。まさに場所代ですね。



以上3ヶ所を回った後、デルフォイへ向かいます。



20・パルテノン神殿。

2008-08-18 | ギリシャ/Greece:2008


どーん。

パルテノン神殿は、建築史における究極。人類が最短距離で辿り着いてしまった理想。
そういう刷り込みがあったもんだから、完成されたものが持つ隙のない冷たさが
パルテノン神殿にはあるだろうと思いこんでいた。

思っていたよりずっと“柔らかな”建物だった。
冷たさはない。古い建築に共通の、地面から生えたような存在感がある。
造られたものではある。しかし歳月を重ねた道具が魂を持つ、という昔話のように、
ここには血が通っている。パルテノン神殿はわたしの想像よりずっと生きていた。

……ま、工事機械が邪魔ですが。





Erechtheion.

エレクテイオン神殿。プロピライアから入ると、右側にパルテノン神殿がどーんと、
左側のちょっと遠くにエレクテイオン神殿があるという位置関係。

この神殿はわたしに親しい。というのは、わが愛のロンドン・大英博物館に、



Caryatids.I have seen one of them at British Museum.

この女人柱のうちの一体があるから。つまり現地にあるものの一体は復元。



ちなみに大英博物館はねえ……世界各地から美術品をがんがん略奪して成立しているミュージアムで、
実はアクロポリスからはカリアティードよりももっと大物が持っていかれている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB

パルテノン神殿を飾っていたレリーフや彫像。
出来栄えが素晴らしい。ギリシャが返還を要求しているのはものすごくよくわかる。
だが……イギリスが持ち去った時、アテネ・アクロポリスの状況は最悪で、トルコに占領され
弾薬庫として使われていたらしい。砲撃も受けたりしていたわけで……
イギリスが持っていったおかげでレリーフも無事に残り、入場無料の大英博物館で
ちゃんとした展示室を作って、今までずっと、訪れる数多くの人の閲覧に供していたのだから……

それに免じて、許して。
(わたしはとにかくイギリスびいき)

でもまあ、ほんとはね。遺物はそれが生まれた風土の中で見るのが正しいと思うよ。
空気感ってあるから。光の強さや湿度、制作された場所でこそ十全の魅力を発揮するものだと思う。
全部が全部と言わないけれども、各地のミュージアムにある異国生まれの展示物は、
場合によっては恐ろしく白々しく見えることがある。


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高いところから下界を見下ろす快感。

Photos from Acropolis.



右手の三角の丘はリカヴィトスの丘。いやいや、行きませんよ。
アクロポリスでもひーひー言ってるのに、あんなところに登れると思いますか。
(標高277メートル。でも実はケーブルカーがあるらしい)




反対側を見下ろす。真中にあるのは翌日訪れることになるゼウス神殿の遺跡。






ギリシャ国旗の色遣いは実にギリシャ的だなあ。


本当はここにはアクロポリス博物館があるのだが、現在新アクロポリス博物館へ移動のため閉鎖中。
って言ってもね。新アクロポリス博物館はガイドブックによれば今年2月に完成予定だったんだよ。
建物が予定通りに出来上がらないのはわりあいあることだとはいえ、もう6月なのに。
しかも、出来上がらないなら出来上がらないで、古い方の博物館は開けておくべきではないのか。
普通そうするでしょ、と思うけど閉鎖している。これがギリシャなんだよなあ……


白い大理石の照り返しがきつい。
まずいことに、水を持ってくるのを忘れたので干上がる寸前。
木陰でしばらく休み、下界まで降りられる体力を蓄える。


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気力を奮い起こして、降ります。



Mind the column!

この柱、ずれ方が怖い。


アクロポリスの南側へ降りる。



Dionysus Theatre.

デュオニソス劇場の遺跡。




This is the new Acropolis Museum.But it is closed under Constraction.

噂の?新アクロポリス博物館。建物の外観は出来上がっているようだが……

デュオニソス劇場の所にいた係の人が、毎日10時~12時の間、新アクロポリス博物館を
ちょっとだけ無料で開放しているんだよと教えてくれた。
ほほー。お得な情報。時間に都合がついたら行ってみよう。


下まで降りて「もう動けねえ!」
何とか飲み物を売っている売店までたどり着き、飲み物を買う。
しかしここで何を間違ったがペプシコーラを買ってしまった。
ごくごくごく、と飲みたい時に炭酸はいけません。……咳きこんでえらい目に遭いました。

その後動けず、しばらく魂の抜け切った顔をして座り込んでいた。


ハドリアヌスの門。この門が実は翌日、わたしを救うのだ。



Hadrian's Arch.


本当はこの後にゼウス神殿に行きたかった。
で、実際入口までは行ったんだけど、……閉まってる。ガイドブックでは19時までって書いてあるのに!
こんなに疲れていてやっとここまで来たのにー。泣くぞ。


その後、地下鉄に乗って帰りました。



Underground of Athens.It's new.

アテネの地下鉄は2004年のオリンピックの時に整備されたらしいので、まだぴかぴか。


部屋へ帰って、こてっと寝た。



19・た、高い……

2008-08-15 | ギリシャ/Greece:2008
考古学博物館を出た後、まずはホテルにチェックインして、しばらく部屋で休む。


部屋はこんな感じ。どうしても漂う古っぽさを、がんばってカバーしているという印象。



My room.

ベッドに寝転がりテレビを見る。ギリシャ語なので当然さっぱりわからないのだが、
CMだけ見ててもけっこう面白い。トヨタ、三菱、日産のCMは頻繁に流れる。
エアコンのCMだったような気がしたけど、「トヨトミ」という会社のものも時々流れた。
ゴン中山似の日本人の役者がタキシードを着て出て来る、007のパロディ。
日本からこんな遠いところでこんなCMが流れているのか……。しかもトヨトミって。

それから日本(?)を舞台にしたファイティングファンタジー系のアニメもちょっと流れた。
テレビをつけたらやっていて、それからすぐ終わってしまったので、
実際どんな話だったかわからないのが残念なところ。


正直、もう部屋でずっとゴロゴロしていたい……
すでにどっぷり疲れている。クレタ島でも歩きまくったし、今日だってけっこう歩いてるし。
でも部屋で寝っ転がってテレビを見ているだけでは、何しにギリシャまで来たかわからないのだ!

わが身に鞭打って、ベッドから体を引き剥がす。
まるで修行だよ。
自分の旅行を顧みて、時々そう思います。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


目指すのはアクロポリスの丘。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B9

やっぱりギリシャと言ったらここ!ここへ行かないうちは、ギリシャに行ったと言えない。
何しろユネスコのマークだってパルテノン神殿がモチーフになっているくらいだから(だよね?)
ある意味「世界遺産の中の世界遺産」だ。テレビでは何度も見ているけれど、
これからわたしはその前に立つ。

ホテルからアクロポリスの丘までは、アスィナス大通りを一路南下。
街並みは雑然としている。一応首都の目抜き通りであるはずなのだが……
受ける印象は地方都市的。やはりギリシャは整然とした調和が好きな西欧ではなく東方文化なのか。

10分弱歩くと、アクロポリスの丘が見えて来る。



Acropolis of Athens.

うっ。た、高い……
写真で見るとそれほど感じないかもしれないけど、かなり見上げる感じです。
しかも岩山なので垂直に持ち上がっている感じ。
ほんとに登るんですか?ワタシ。登れるんですか?こんな直射日光を浴びながら。
足の裏はすでに水ぶくれなんだぞ。

ホテルからだと丘の北側へのアプローチになるため、岩山の西側のアクロポリス入口まで
行かなければならない。観光客向けの、かなり入り組んだ道を通る。



Adorianu Street.Many shops for tourists.


やはりバザールっぽい。両脇が全てお土産屋さん。
アクロポリスへ向かう前に、ついつい寄り道してちょっと歩いてみる。
Tシャツとかかばんとか、いっぱい売ってるなあ。どの店もみな同じようなものを売っており、
店それぞれの魅力はあまりないけれど……でもこういう場所は外国の感じがする。
その人の多さも含めて、歩いて楽しいところ。あとでお土産をあさりに来よう。



曲がり道。坂道。暑い。階段。坂道。細道。暑い。また坂道。また階段。暑い。

――アクロポリスに登るのは、最初に思ったよりは大変ではなかった。
(だからといって楽だったわけではないぞ!)
道が入り組んでいたのが幸いしたのだと思う。迷いながら、少しずつ進んだことで、
結果的にゆっくり登れた。これがまっすぐ一本の坂道だったりしたらと思うと……
想像するとコワイ。きっと途中でぱったり倒れていたに違いない。

登るにつれて、こんな景色が広がる。




Ancient Agora area.You can see the temple of Hephaistos.


正面のギリシャ神殿は、地下鉄に乗っている時にちらりと見えたヘファイストス神殿。
(写真だと小さくて見えないかな……)
緑の区域は古代アゴラと呼ばれる遺跡地域。


そしてようやくアクロポリスの入口までたどり着く。ここまで来るとさすがに人が多い。
チケットを買って入場。チケット12ユーロ(≒2000円)は一瞬高いが、
合計5ヶ所か6ヶ所の遺跡に入場出来る共通券だと聞いて納得。




Herod Atticus Odeon.The day's performance was Turandot.

ヘロド・アティクス音楽堂。昔々ヘロド・アティクスという大変なお金持ちがいて、
死んだ妻の思い出のために音楽堂を建て、それを都市国家アテネに寄付したそうな。
今から1850年前の話。建物は残り、建てた人の名もまだ消えない。

現在も現役の舞台として使われています。
黒いごちゃごちゃはオーケストラが座る椅子。
後で知ったが、その夜はここでオペラ「トゥーランドット」が行われたらしい。
荒川静香がトリノで滑った「誰も寝てはならぬ」はトゥーランドットからの楽曲。




Propylaea.

プロピライア(前門)。ここが頂上部分の入口。……チケット売り場からここまでもけっこう登る。
ガイドブックに「雨の後は滑りやすいので注意」と書いてあったが、
たしかに足元はつるつるした大理石で、こんな晴天に歩いてもちょっと怖い気がする。
こんなところで転んだ日にはどこまで落ちて行くんだか。



……ところで、なぜ君はここにいるのだ?



This is not "Cat On A Hot Tin Roof".Dog On A hot Marble.It would be a hot dog......

プロピライアの手前、係の人の飼い犬なんだかそれとも観光客が連れて来たのか、
大理石の上に真っ黒な犬が。いや、彼が好きでここに来ているならいいんだけどさ、
日差しを遮るもののない大理石の上は、この黒い生き物にとってあまりに過酷な環境ではないのか。
他人事ながら、「君は帰れっ!死ぬぞ!」と思ったよ。
犬だって熱中症にかかるでしょう?そんな命をかけた我慢大会のような真似をしなくても……
ギリシャの暑さに慣れているから平気なのかなあ。


犬を横目で見ながらプロピライアの門をくぐる。