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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語コラム(22)

2006年01月26日 | コラム
文法的な理解は簡単でも実際会話で使ってみると、案外難しい表現があります。初心者にとって過去形はその筆頭に上がる表現かも知れませんね。例えば、‘give’や‘drink’の過去形は‘gave’や‘drank’なんて普通は知ってますもんね。けど会話中に使ってない人をよく見かけます。‘I drink much milk yesterday.(×)’なんてやってたりして、なかなか‘I drank much milk yesterday.(〇)’が出てきません。

日本語で言う時は過去の事を言おうとするときに文が過去形になっていないと、かなりの違和感を覚えるはずです。「昨日は野球をするよ。(×)」とか「2年前に結婚するんだ。(×)」とか、かなり変です。同様に英語の場合もネイティヴの方々は違和感を感じるようです。

過去形がなかなか出てこない原因としては、やはり会話のリズム(スピード)が当人の英語処理能力からするとまだまだ速いからで、単語の並べ方に気を使ったり、適切な単語をひねり出す事でアタマがいっぱいだからです。そんな人にとっては会話中に過去形まで気を使う余裕なんて到底ありません。つまり英語は短時間に処理しなければならない事が想像以上に多いのです。

改善策は単純に治すべき箇所を1つずつ治していくよりありません。どんな事でもそうなんですが、これは意識の持ち方の問題で、普段から治そうと思って意識的に話していれば、ほぼ完璧に治ります。人間は1つの事ができるようになると、他の事を考えていても無意識のうちにその事をしっかり処理できるようになるものなのです。どんなにボケっとしていても、いつも通勤や通学で歩き慣れた道を間違うなんて事はないのと同じです。

とにかく一生懸命話そうとしている時には、なかなかアタマが回らない事が多いと思いますが、意識した分だけ確実に治りますので、そこは安心して、とにかく練習を「継続する」のが肝要ですね。

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英語コラム(21)

2006年01月26日 | コラム
「英語で考えよ。」、というコトバを、何度か聞いたことがあります。っても難しいんですよ、これが。

大半の人は、コトバを、他人とのコミュニケーション・ツールだと思っているわけで、それは、間違いじゃないと思うんですけど、それが唯一の在り方でもないんですね。自分の中で、漠然と思っていること、考えていることを、ハッキリと明示的に理解するために、心の中で整理整頓をつける、という意味でも、コトバは有効な手段だと思うんですよ。

つまり、一般的には、物事を理解する過程で、心の中で、一度、コトバにしてみて、自分内コミュニケーションを取って、うん、わかった、と理解を重ねていくようなことを、やっている、というわけですね。ですので、この場合、物事のわかり方自体が、コトバそのものに依存しているというわけです。

また、自分たちの母語でも、特に、抽象的なことを理解するために、母語内の、違った語彙を組み合わせるなどして、その概念を定義して、理解する、ということは、よくやってることですからね。

そこで、英語で考える、というのは、もちろん、母語という基盤を、一度、破壊してから、新しいわかり方の基盤を、心の中に構築する、ということなんですが、これは、容易なことではありません。英語で考えることの奨め、の背景にある、スピリットは、「日本語 → 英語」式の、あるコトバから、別のコトバを理解する、という学習方法は、邪道でしかない、という結論が、まず、始めにあるからなんですね。

でも、自分が未知の事柄に対して、理解を得るために使用しているツールが、絶対的に、母語であるわけだから、それを使わなければ、新しい基盤を構築する手段も奪われてしまう、ということになり、結局、袋小路にハマることになります。

元も子もない発想ですが、本来は、テレパシーで、コミュニケーションを取るのが、最も正確な (バイアス‘bias’のない) 意思伝達なのです。日本語を通して観た英語には、何らかのバイアスがかかっているだろうし、逆に、英語を通して観た日本語にも、当然、何らかのバイアスがかかっているでしょうから。

つまり、外国語を学ぶということは、もともと、常に、無意識のうちに、偏見をもって学んでいる可能性が、大きいわけだから、そのことには、細心の注意を払い、無理やり、日本語の側に固有の発想を、何とかして、いじくりまわして、他のコトバに転換する方法論を試みるより、他からの視点 (他の表現の在り方) を、発見していくつもりで、学ぶ姿勢の方が、肝要ということですかね。いくら理想の学習方法がある、なんて言われても、何事も、やはり、「程度」、ってものが、ありますからね。

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英語コラム(20)

2006年01月26日 | コラム
英語の学び方には、大きく分けると、2通りあるようです。①・とにかく、無差別的に、たくさんの英語に触れることで、次第に慣れていく方法。そして、②・文法学習を基礎に置く、要するに、多くの日本人が、学校で経験する様なやり方によって、学習する方法、というものです。

この、2つの立場からの論争も、メディアを通して、よく見かけます。でも、どちらの学習法にしても、一長一短があって、今後の見通しとしては、解決の糸口など、おそらく、見えてはこないでしょう。まあ、簡単に言ってしまえば、これは、どちらか一方の方法に、こだわっているのが悪いんだと思うんですけどね。

両方やればいいのに、と思ってるんですけど、でも、こんなの、言うだけなら、簡単なことで、実際に、実行するのは、難しいんじゃないでしょうか。と言うのも、いろんなヒトを見てる限り、個人レベルで、嗜好が、結構、キレイに分かれる傾向があるからです。

教師タイプの多くには、まず、②を、好むヒトが多いみたいです。一方で、漠然と、英語に興味を示し、何か別のカタチで、英語力を社会に役立てたい、と思うようなヒトは、①を、好む傾向があるようです。①と②の、どちらも半々くらいやらねば、と考えて、それを、しっかり実行に移せるヒトは、本当に、少ないと思います。

医学や法学のように、人権に関わる問題が、ほとんどない語学の世界では、簡単に、目的は手段を正当化してしまいます。つまり、目標設定によって、やり方が、どうとでも、変わるんですね。そこで、マークシート式の文法問題を解くためのやり方に向いているのは、①か、②か、そして、外国人と仲のよいお付き合いをするためには、①か、②か、と迷って、どちらかに決めてしまうのは、もったいない話だと思うんですけどね。

文法問題をやっていても、それを会話に利用してみたり、逆に聞き取った発話から、構文の中核となるような文法を、検証する、というのも、互いの能力を、伸張させる上では、相乗効果として、想像以上に、大きいものがあるんですけどね。おそらく、日本には、実体験として、そういうことが、分かる先生が少ないから、なかなか、教えられないんだ、とは思いますが。

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英語コラム(19)

2006年01月26日 | コラム
結構、大事なことなんですが、学校で習う英語としては、多分、なかなか、教えてもらえないようなことがあります。英語の解説本なんかでも、見かけることは皆無と言ってもいいようなことです。

1つの文中に、‘who’や、‘what’などの、いわゆる「疑問詞」が2つある場合です。例えば、日本語では、「そこで、誰が、何をやってたんだ?」、なんてよく言いますけど、これを、英語で言うには、どうしたらいいんだろうか?などと悩んだことのあるヒトはいるんじゃないんでしょうか。

答えから先に言うと、‘Who was doing what there ?’と表現するそうです。これは、一見、簡単そうなんだけど、逆の場合、つまり、‘What was who doing there ?’は不可能なんだそうです。

こういった疑問文を考えた場合、日本語の、「誰」や「何」と言った疑問詞は、文の先頭に移動しなければならない義務はありませんので、別に迷うことはないんですけど、しかし一方、英語では、疑問詞が文の先頭に移動する、ということが、ルールとして決まっています。

そこで、疑問詞が、2つある場合はどうするのって考えちゃうんですね。マジメに考えれば、2つとも、文の先頭に移動させるんだろうか、と想像してしまいます。でも、‘Who what was doing there ?’、などとやっても、やっぱりおかしいですもんね。だから、1つだけ移動させて、残りはもとの位置のままにしておきます。

しかし、ここで注意しなければならないのは、疑問詞の移動には、主に、「主語」に移動の優先権が存在するらしく、「目的語」は主語よりも立場が弱いんだそうです。ですので、「そこで、誰が、何をやってたんだ?」は、‘Who was doing what there ?’、とするわけですね。

‘who’や‘what’そのもの、つまり、「ヒト」か「モノ」といったこととは、関係なく、あくまでも、「主語」と「目的語」の関係で決まることなので、例えば、「何が、誰に落ちてきたんだ?」は、‘What fell on who ?’と表現します。

でも、上の例じゃ、主語が移動しているようには見えないんですけど、というヒトもいるかも知れませんので、もっとハッキリした例を出すと、例えば、‘Who do you think _ was doing what ? ’や、‘What do you think _ fell on who ? ’になります。(下線部が、文の先頭に移動した疑問詞の、もとの位置になります。)

ですので、‘What do you think who was doing _ ?’や、‘Who do you think what fell on _ ? ’は、もちろんアウトです。知っておいても損はないルールだと思いますよ。

ところで、学校で教える英文法って、どのくらい変わってきているんでしょうか。今回、例に出した、同一文の中で2つの疑問詞がある場合どうするかなんて、教わった記憶がないので、教科書には載っていそうもないんですけど、こういう表現は、日常的によくありがちなものだと思います。

EC04や、EC05で、とても使う機会なんてなさそうな構文のお話をしたんですが、逆に、今回のようなことは、何で教えないんだろうと思っているんですけど、そんなこと考えているのは自分だけなんでしょうか。「教養英文法」と、「実用英文法」の境目って、一体、どこら辺にあるんでしょうね。

● 関連 : EC04EC05

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英語コラム(18)

2006年01月26日 | コラム
今時のコトバを、英語で何と表現するんだろう、などと考えたことは誰でもあると思います。「て、ゆうか~、・・・」は、「と言うよりも、むしろ・・・」、だから、‘Rather、・・・.’くらいなんでしょうか?「テンパる」 (そんな若いうちから、麻雀やってるのか?)は、「躊躇する」だろうから、‘hesitate’ってな感じでしょうかね?

「コクる」は、「告白する」だから、‘confess’かな?でも、もうちょっとストレートに表現しても良さそうなので、“say ‘I love you’”ということで。「~ みたいな」は、‘something like ~’あたりなんですかね?でも、こんなの英語にしてもしょうがないんですけど、やっぱり、ごくたまに、つらつらと考えてしまうことがあります。

日本語を直接的に対応するような表現を探し出して英語にしようとすることは、学習過程において、心理的にも自然なバイアス (‘bias’「偏見」) なわけで、誰でも経験することだと思います。

外国人相手に夏の風物を話題にしているとき、知り合いの人が、とっさに「花火」を、‘flower fire’(本当は、‘firework(s)’) と言ってしまったことがあって、なるほど、そう言われてみればそういう発想もありますかいな、とは思ったんですけど、他の話題では、「貴族」を‘purple people’(本当は、‘aristocrat’) と表現した人もいました。

さすがにこのときばかりは、何でそんな表現になるんだ、とサッパリわからず、「????」、だったんですけど、紫色には何か高貴なイメージが漂うのか、あとでそれを辞書で調べてみたら、確かに何となく似たような意味もありました。

新造語というのは、ベースになっている表現を理解していることが前提になるから、そういった意味では、今時のコトバというものは、決して基となる表現の標準的な意味が理解されないままで勝手気ままに生み出されている、というわけではないんですね。

話している当人たちからすれば、‘flower fire’や、‘purple people’だって、日本語をベースにすればこそ、生み出された表現なわけで、ただそれが外国語となると、他の文化圏における土着の発想がベースとなることなど、もちろん考慮の対象にされないというだけのことです。

こんなことは、別に気付けばどうということはありません。こういう経験を通して、踏ん張って、土着民の発想を捨てていくというプロセスが、自然な英語を身に付けていく上で、次の段階に進むという1つの指針になるんでしょうね。

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英語コラム(17)

2006年01月26日 | コラム
あまりよくわからないことなのですが、記憶のメカニズムってどうなってるんでしょうね?

いくら集中的に覚えようと意識的に勉強していても、さっぱりアタマの中に入ってこないものもあれば、意識的に覚えようとしたつもりはなかったのに、何故か、ス~っとアタマに浮かんでくるものもあります。

恐らくは何度もどこかで耳にしているんでしょうけど、経験上、時間の感覚を空けてリズミカルに覚えたものの方が記憶しやすいようです。

テレビのCMも心理的な効果を計算して製作されているから、一見、しょうもないダジャレを使っているCM等でも、記憶という点からは刷り込み効果は大きく、毎日のように流れていれば、無意識のうちに脳内に浸透していきます。

語彙やフレーズも、自然な状況で発話されれば鮮明に記憶しやすく、だから目と耳が同時にはたらいている時の方が効率良く吸収できるんでしょうね。

でも、同じ回数を聞くのなら感覚を空けた方が良く、例えば、合計で10回聞くのなら、1日に10回聞くよりも、1日1回ずつ10日間かけて聞いた方が良いと思います。それは、ヒトの脳は休み休み記憶という作業が行われているからということなんでしょうね。

短期間で覚えた事はなかなかアタマに残らないんですけど、長期間にわたって記憶した事はそう簡単には忘れませんから。

短期間で英語をマスターできる教材というのが、ネットや通販で売られているみたいですけど、本当なら夢の教材ですよね。どなたか効果テキメンだったという人がいたら教えてくれませんか?

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英語コラム(16)

2006年01月26日 | コラム
文法の解説って、同じことを説明するのでも、言い方がいろいろあります。よく見かける初心者向けの説明に出てくる例としては、以下のようなものがあります。

(1)Who kicked Tom? (誰がトムを蹴っとばしたの?)
(2)Who do you think kicked Tom ? (誰がトムを蹴っとばしたと思う?)

(1)に対して、「~ だと思う?」のような表現を加えたい場合は、(2)のようになりますけど、(1)と(2)を比較すると、ちょうど‘who’と、‘kicked Tom?’の部分に切れ目をつくって、そこに‘do you think’を割り込ませたような感じになっていますね。ここから、(1)を(2)にするための説明方法の1つとして、以下のようなものがあります。

(3)Who (do you think) kicked Tom? (訳同(2))

(3)は、(2)の‘do you think’を、カッコで括っただけなんですけど、このカッコ内の表現‘do you think’が、(1)に、いわゆる「挿入」されたもの、と言って説明するとわかりやすいと思います。そして、こういった説明は、本当によく見かけるものです。

ただ、ここまでの説明で終わってしまうと、あたかも「挿入」が全てである、というような誤解が氾濫する原因となってしまうので、ここら辺は、もっと慎重に考えて説明して欲しいところです。

(4)Who did Mary kick? (〇) (メアリーは、誰を蹴っとばしたの?)
(5)Who (do you think) did Mary kick ? (×) (メアリーは、誰を蹴っとばしたと思う?)

今度は、(4)に、‘do you think’を「挿入」して、(5)をつくってみたんですけど、何とアウトになってしまいました。そこで、どうしてアウト話になるのかという以前に、もちろん、ただ「挿入」とだけ説明していることに誤りがあるだけのことですから、ここで、考えを改めないと仕方ありません。

(6)Who (do you think) Mary kicked? (〇) (訳同(5))

そこで、(6)のようにすると、OKになりますが、(5)の‘did Mary kick’が、(6)では‘Mary kicked’になっているわけですね。そこで、この場合、必要な知識としては、まず、‘did’と‘kick’が合体すると、過去形‘kicked’になる、ということです。そして、この逆を言えば、過去形‘kicked’は、‘did’と‘kick’に、分離可能ということなんですね。

そこで、「主語」以外の要素が、疑問詞になっているような‘do you think’の「挿入」は、‘did’と‘kick’が、合体したままである過去形、‘kicked’にしておかないといけない、ということなんです。ですので、よくある、「挿入」でOK式の説明は、(4)のように、‘kicked’の目的語が、疑問詞‘who’になる場合、つまり、「主語」以外の要素が疑問詞になる文に対しては全く無力で、そのことを補足説明しておかないと、わかりやすい説明どころか誤っている説明になりかねないわけです。

とりあえず、疑問詞 (who、what、when、where、how、など) を用いた疑問文では、‘do you think’を挿入したら、後続する表現は肯定文の姿のままにしておく、くらいの説明はあった方がよいということになります。

あまり難解な文法用語などを使ってゴチャゴチャと説明するのはよくないものですが、逆に、その場限りしか通用しないような過度の簡素化による説明も同罪ということになります。押さえておくべきポイントからは逃げないようにしておかないと、巨視的に見たとき、結局、英語が不得意な人が増える結果になりますから。

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英語コラム(15)

2006年01月26日 | コラム
動詞の‘seem’は、話し手が、あることに対してどんな印象をもっているのか、その様子を述べる述語として使えますね。例えば、‘It seems that John loves Mary.’「ジョンは、メアリーが好きみたいだね。」、という風にです。

そこで、学校で文法を教わる際に、よく、「‘it’=‘that’節」、とかいう構文を習ったなあなんて、ずっと以前にふと思い出しました。 (‘it’が、仮主語とか形式主語とか呼ばれるアレですよね。) そこで、この‘seem’の構文は、きっと、「‘it’=‘that’節」なんだろうと思っていたんですけど、ある日、よく考えてみるとちょっと変かな、と思い始めたんですね。

‘seem’の主語になっている‘it’が、仮主語とか形式主語とか呼ばれるものだったら、‘that John loves Mary’は、主語の位置に帰してやって、例えば、‘That John loves Mary seems.’なんて、言えるかな、と思って、知り合いで、英語を母語とするヒトに訊いてみたら、全くダメで言えないということでした。

何でだろうと考えてみても、結局、妥当な説明が見あたらないから、例外扱いということなんでしょうか。と言うよりも、ある意味、うまく説明することにこだわってもしょうがないとも言えるし。結局、正しく使える限りにおいては、マルっと、「暗記」してしまうのも有効な方法であることに異論はないわけですからね。英文法にその辺の選別基準をどう考えているのか、ハッキリしたものがあるとよいんですけどね。

学校で習った構文では、こんな感じのものは、他にもよくあります。‘John is said to be honest.’「ジョンは、正直者だと言われている。」の場合、‘John’は、受身文の主語なんだから、能動文にもどしたら目的語になるはずだよな、とか考えて、‘They say John to be honest.’なんて言えるかな、と思っていても、やっぱり、言えない、ということです。

その一方で、似たような受身文の構文として、‘John is believed to be honest.’「ジョンは、正直者だと、信じられている。」なんてのもありますが、これは、‘They believe John to be honest.’なんてやっても、OKなんです。

学校で習う英文法って、役に立つなとは思っている一方で、結構、例外扱いになっているような構文も意外に多いから、だったら暗記してしまった方が早いのではないか、と思うことが多かった記憶があるんですけど、実際、そうやってひいひい言いながら暗記してきたのは自分だけでしょうか。

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英語コラム(14)

2006年01月26日 | コラム
「完了形」は、上手く使えれば、それに越したことはないんですけど、意外と、なかなか使う機会がなかったりする表現です。

‘I know him.’と言えば、ただ単に、「彼を知ってる。」、になるけど、どのくらいの付き合いがある上で、「知っている」、なんてことになるのか、その程度は定かではないんですね。でも、一方で、‘I have known him.’と言えば、「彼とは、以前からの知り合いだ。」、という、よく英文法の解説本なんかで説明される、「時間の長さ・幅」、という概念が盛り込まれるわけですね。

しかし、やっぱり、英語を母語とする方も、‘I know him.’で済ませてしまうことが多いような気がします。そこで、何で、完了形にしないの、と訊いても、言われてみりゃ、そうだね、程度のことで終わってしまう場合が多いんで、だったら、ま、いいか、という感じで、自分も、あまり完了形なんて使ってないなと、最近になって気付いたわけです。

‘I know him.’の方が好んで使われるひとつの理由として考えられるのは、実は、それが、別に「時間の長さ・幅」をもたせるのが不可能な表現というわけではないからなんですね。‘I know him for a long time.’は、全くOKな表現です。ですので、‘I know him.’は、長い付き合いを表現するには、十分ではないけど、逆に、短い付き合いを断定するものでもなく、ただ単に不十分な言い方という程度のもの。

日本語の場合でも、「彼、知ってるよ。」という表現からは、付き合いの程度が、どのくらいかなんて、わかりませんからね。でも、不都合なく使えると思えば、誰だって使うわけですし。これは、文法の話、うんぬん以前の問題で、コミュニケーションにおいて、不都合がない限り、余計なことなどは言わなくてよく、何も、わざわざ複雑な表現は使わないということです。これは、どちらかと言えば、可能な選択肢からの表現の選び方、つまり、「言語運用」に対する姿勢の表れ方の問題だと思ってもいいんじゃないでしょうか。

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英語コラム(13)

2006年01月26日 | コラム
面白いもんですね ~。文法用語が好きな人って、世の中どのくらいいるんだろう。文法と読解ばかりやってる人をたまに (よく・・・かな?) 見かけます。

概して教師系の人に多いんですけど、そういう方たちの口からは、流暢に文法用語がスラスラ~っと出てきます(当たり前か)。「第5文型!」とか「ネクサス構文!」とかよく言ってます。

とても頭の良い人に教えたり、そういう人と議論したりするなら、それで良いんですけど、苦手意識を持っている人にも、となると自分はちょっとゾッとして引いてしまいます。別に文法用語アレルギーといったような持病は持ってないんですが、何だかやたらそういうコトバが多いというか何と言うか・・・。

文法用語って、ひとつの記号なんですよね。それを聞くと、ある文法事項がパッとアタマに浮かんでくる。システマティックに学ぶのには必要だから覚えなさいって。

でも、最初に学び始めるときには、ゴチャゴチャしてよくわからないときがあるのも事実でして、もうちょっと工夫してくれても良いんじゃないって思うのは、結構、重複的な用語が多いからなんですよ、きっと。

上で出した、①・「ネクサス構文」や、②・「第5文型」の他、③・「SVOC」、④・「意味上主語・述語の関係」なんてのがあって、微妙に違いはあっても、どれも大ざっぱには似たような概念を表しているんですね。

実用英語の文法に関する限り、独断と偏見で言わせてもらえば、ズバリ、④だけありゃぁいいんです。③はもしかして必要かも・・・くらいで、①と②は、とりあえず要らんでしょう。こういうちょっとした無駄コトバを減らす努力をするだけで文法に対する偏見はかなり解消されるはずなのに、何故かインテリな識者たちはこのことに気付かんのです。というのは、文法用語を使うと、どこかIQが高くてカッコ良く見えるからです。

でも本当は違います。できるだけ平たいコトバだけで説明して理解させようと努力している人の方が何倍もアタマを使っているのです。文法用語って、どのくらいミニマムに押さえ込むことが可能なんでしょうか。

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英語コラム(12)

2006年01月26日 | コラム
言い間違いや聞こえ違いが、トンデモない事態を引き起こしてしまうことがあります。結構、有名な話ですが、昔、アメリカでのハロウィンの日、扮装をしていた日本人の子供が、他人の家に、‘Trick or treat.’「お菓子くれなきゃ、いたずらするよ。」というハロウィンの慣例で、入っていこうとしたらば、家の住人が、‘Freeze!’「動くな、止まれ!」と言いながら、ライフル銃を向けてきたということがありました。

ハロウィンの日だから、家宅侵入に問われるようなことはない特別な日です。その子供は、‘Please!「どうぞ!」と言ったのだと聞き間違えて、動いた瞬間、射殺されてしまったという惨劇が起こりました。

何でもない普通の日ならともかく、ハロウィンなのにどうしてだろうと思っていたんですけど、ちょっと事情はよくわかりません。もう状況が悪かったとしか言えないようなことです。ハロウィンの日だから、余計に‘Please!’に聞こえてしまったのだと思います。

リスニングは解釈上、どうしても不自然な選択肢よりも、自然な選択肢を優先するから、こんな日にライフル銃なんて冗談だろうと思ってしまえば、やはり、‘Please!’に取ってしまうことは、十分あり得ると思います。 (ここで、L音とR音の違いがどうの、なんて話は、とにかく置いておくとして)

自分もトンデモ発言したことがあって、カナダ人相手に、「あんたもバッカだね~(笑)。」くらいの気持ちで、‘You are an idiot.’なんて言ったら、ムッとされてしまったことがありまして、そのときは、「????」だったんですけど、運良く相手が冷静になって、後で気付いてくれたらしく、‘idiot’「愚か者」なんて冗談で使うコトバじゃないよ、って教えてくれました。 (反省しとります。)

英語は度胸も大事ですが、コトバに慎重にならねばならんときもあります。

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英語コラム(11)

2006年01月26日 | コラム
日本語の文法には、直接的に該当するものがないと思われる英語の文法現象ですが、前置詞が、後に名詞を伴わずに単独で使われる、ということがあります。しかも、結構、重要なことで、学び始めたばかりだからと言って、あまり後まわしにしておくこともできないものです。

例えば、日本語の、「笑われた。」は、とっさに英語でしゃべろうとすると、「受身文」だな、となって、‘I was laughed.’と、やってしまうんですが、これだけでは不十分で、前置詞の‘at’が、最後に付いていないと、文法的ではない、とされています。だから、 ‘I was laughed at.’まで言い切って、ようやく正解となります。

実は、これは、もとの文とされる、「能動文」 を考えて初めてわかることだから、どうしても、「能動文・受動文」、の関係を学ぶことは避けては通れないようですね。‘Everyone laughed at me.’「みんなが、ボクを笑ったんだ。」は、前置詞を省いて、‘Everyone laughed me.’とは言えないんですね。

つまり、まず最初に、‘laugh’「笑う」は、後に‘at ~’を補ってやらないと、目的語である‘me’「ボク」が取れない、ということなんですね。このように、前置詞の助けを借りて目的語が取れるようになる動詞、「自動詞」があって、このとき、例えば、‘laugh at ~’全体を、1つの動詞として考えると、目的語が取れる動詞、「他動詞」になると考えることができますね。

そして、次の考え方として、もとの文である「能動文」が、「目的語」をもつときのみ、その目的語を主語位置まで移動してやると、「受身文」がつくれるという理解が必要なわけですね。これを、言いかえると、目的語をもたない文が能動文の場合、そこからは絶対に受身文はつくれない、ということです。

こういったことは、日本語と英語の文法における成り立ちが、根本的に異なる部分ですから、日本語の感覚では、「~を」、という印で、目的語であるか否かを判断するんですが、一方、英語では、この発想は捨てなければならないんですね。

例えば、‘John gave me a present.’「ジョンは、私にプレゼントをくれた。」’の‘me’「私に」の部分を主語にした受身文だってつくれますしね。‘I was given a present.’とすれば、OKですから。

初心者の方たちがやるような文法にも、こういった、ちょっと細心の注意が必要な箇所はあるようで、今回の例などは、初歩的でありながらも、日本語との違いが、結構、大きい上に、また、それに気付きにくいということもあります。

しかし、一方で、かなり英文法の中核的な部分に相当することも確かなことなので、こういうところは、あまりいい加減にはやらない方がよいみたいですね。 (EG35、参照。)

●関連 :EG35

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英語コラム(10)

2006年01月26日 | コラム
英語をしゃべっているときに、名詞の前に付ける、「冠詞」‘a’、‘an’、‘the’、ですが、どうも、判断に迷うことが多いですね。でも、結論から言うと、そんなに気にすることはありません。何なら、全く付けないでしゃべり通しても、何らコミュニケーション上問題はありません。

英語を母語とするヒトたちも、そう言っているし、また、そういったヒトたちでも、よく間違うそうだから (助かるな~)。まあ、単に、日常、しゃべっていて、通じるかどうか、といった観点からの話なんですけど、それでいいんだと思います。名詞にまつわる、細かい概念、例えば、「種類」、「固有性」、「定性」、なんてことを、考えながら、完璧に会話するなんて、どうせできっこないんだから、この際、開き直ることも大事ですね。一旦、この開き直りの精神を身に付けてしまった者は強いです。

大体、大文字で始まるから、ということは、固有名詞の理由にはならないんですね。‘There are two Yamadas in my office.’「うちの事務所に、山田 (という名前の者) は、2名おります。」、というように、名詞のある側面に一方的に、スポットを当てたり、状況が変われば、固有物ではなく種類をもつものに変わる、なんてことは、よくあることです。「イチローが2人いたらなぁ、日本でも活躍できるのに。」、という想像上の話では、‘If we had two Ichiros、either of the two could play baseball in Japan.’なんて言えますしね。

要は、自然な発想で考えていれば、何となく身に付いてくることもあるので、当面は、小さな文法よりも、大きな文法の方を、優先させて勉強して、まずは、会話中のストレスをなくすことを、目標にすればよいのだと思います。

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英語コラム(09)

2006年01月26日 | コラム
英語を、話していても、書いていても、「関係節」 (関係代名詞や、関係副詞による節) には、よくお世話になります。

関係節は、英語を習う者にとって、苦手意識が芽生える切っ掛けを与える文法項目の筆頭としてよく上がるものですが、そんなに難しいものではないんですよ (って、ホントですか?)。味方に付けるべく何とかマスターすれば、関係節は、本当によく話し手の語彙力不足を補ってくれる便利な道具になってくれます。

例えば、「電子レンジ」を、英語でどう言うかなんて知らないときに、辞書で調べながら会話するというのは、ちょっと不自然です。

そういうときは、‘a cooking machine which cooks almost every food without fire.’「火が無くても、たいがいの食べ物は調理してしまう料理用の機械」とか、‘a cooking box which is often used for foods in a convenient store.’「コンビニでよく使われる箱型の調理機」とか、ちょっと強引でも、‘a daily machine without which we college students living alone cannot do anything for cooking dinner.’「オレたち一人暮らしの大学生が晩飯つくるにゃ、ないと何もできない日用品の機械」とか言えば、相手は、‘You are talking about a microwave oven.’「‘microwave oven’のことを、言ってるんだな。」などと、教えてくれるものです。

これで、語彙力が多少低くても、辞書なしで会話することが可能になります。何しろ、相手からその場で教えてもらえるんだから。そして、何よりも、こういう流れが自然な会話だと思うんですよ。だって、日本人同士で、日本語を使って会話しているときだって、やっぱり、こんなものでしょう。

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英語コラム(08)

2006年01月26日 | コラム
やはり、電子辞書は便利だと思います。あれほど、軽量コンパクトなボディに、何冊もの辞書と同等の情報が入っているし、パッと知りたい単語が出てくるし、費用対効果の面を考えれば、グッと割安なのだから、皆がワッと跳びつくのも無理のない話だと思います。

知り合いの学校の先生で、電子辞書を生徒が使うことを禁止してるらしいけど、何でだろう?と思いました。若いときに電卓を使って計算していると、算数の力が身に付かないから、という理由と同じ次元なんでしょうか。苦労して本の辞書で単語を引くと、やはり、よく身に付くんでしょうかね。

確かに、そんな気もしないでもないんですが、今ひとつ根拠は不明なんですね。電池切れで使えなくなるなんてことは、予備の電池を携帯すれば簡単に対処できるし。そんな疑問をもって尋ねてみたところ、やる気のない生徒が全く予習してなくても、授業中に当てられたら、その場で単語を瞬時に調べてしまうからだ、と言うことだそうです。

なるほど、わかるような気もするんですが、でも、積極的に英語を学びたいヒトは、知らない単語をどんどん調べたいだろうから、逆にかわいそうな気もするんですよ。家で使用することで我慢しろ、ということなんでしょうか。

単なる私見になりますが、英語にあまり興味のないヒトにも勉強させようと考えているなら、電子辞書の使用は禁止するべきではないと思います。そもそも単語なんてタダでさえ憶えるだけでも苦労するのに、これが調べるプロセスでまで労苦を伴うと、もうそれだけでイヤになってしまいます。瞬時に単語を調べられて困るというなら、授業毎に単語テストでもすればよいだけのことだと思うんですけどね。

つまり、合理的に対処する方法があると思われるときに、あえて、それを差し置いて他の方法を選ぶからには、それ相応の理由ってものが必要になることくらい、すぐにわかると思うんですよ。あまり説得力に欠ける理由で、禁止事項を増やすと、生徒の心理面で不要な敵対心を植え付けることになるから、よく考えてから決めた方がよいと思いますが。

しかし、電子辞書の最大の欠点は、いつかは必ず壊れてしまうということです。だから、財産にはならないし、壊れるときは全ての種類の辞書が、一度に全部失われるから、パソコンと同じで、オール・イン・ワンの欠点を内包しているということですね。

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