ステイタスを学ぶときはまず、ステイタス番号のものさしを身につけます。
1番から10番のものさしで、1番が低く、10番が高い。
ステイタスがレベル1(最低限)しかない、
ステイタスがレベル10(最大限)もある。
というふうに考えてください。
受からなくてはならない面接の部屋にはいる直前の心臓が引っくり返りそうなとき、あなたのステイタスは往往にして#2
部屋に入ってからは、なんとか相手にプラスの印象を持って貰おうと、低いステイタスを外からみれば#7くらいになるよう、持ち上げたいと試みますが、なにしろ内面が#2ですからうまく行きません。
が、試験官があなたの苦し紛れの冗談に笑ってくれたり、共通の趣味があったり、同郷だったりがわかると、もう#2のままではいません。一気に#4か#5、人によっては#7か#8という、十分に自信をもって自分を表現できるステイタスの高さを得ます。
ゴルフのスコアがあなたの方が上なことで、思わず#9を演じてしまうと、試験官は自分のステイタスが脅かされたと感じ、あなたに厳しい視線を送ったり、明らかに不快な顔をして、あなたのステイタスを下げようとしてきます。
あなたは高くなりすぎたことが失敗だったと知り、慌てて自分を下げ、試験官を上げようとします。
~という具合。
ただし、まずは、ステイタスの各番号において、人はどのように振舞うかの、大まかなものさしを体験してみます。
部屋の中央に椅子を置き、戸口の外を#1
入ってくる最初の一歩を#2とします。
1から2への一歩は、とってもとっても難しい。
2になったとしても、まだその先が怖くて、1だった自分を振り返る始末。
戸口から手を離せずに、いつでも1へ戻る準備ができていますし、1へ戻りたいとも思います。
しかし、2は3へ進めと指令を受けています。
がんばって3へ進んでも、まだ1だった頃の自分がやや懐かしい。
しかし、もう戸口に手は掛けていません。一人で立っています。
4へ進むと、少しだけ、肩の力が抜けます。
呼吸が楽にできる気がしてきます。
5へ踏み出すのもあまり怖くありません。
部屋の中を観察する勇気が出てきます。
5になると、その空間に馴染み、もう怖くはありません。
肩の力はすっかり抜けています。
6に上がりたいと思いはじめます。
6になると椅子に気がつきます。
興味が湧き、それがステイタスを7に上げるでしょう。
7では、椅子を観察します。
が、まだ、ちょっと近づけません。
が、なんだかあれをものにしたら、嬉しいかも、と思います。
8に上がると、それをものにしようという意志が強く働き、観察をしながら、作戦を立てるために、椅子の周りを動きながら回ることができます。
9になると、椅子に触れます。
そして、10で座れます。
このエキササイズは、どのステイタス番号において、大雑把に、それはこのようなもの、というのを理解するために行なわれます。
あまり難しく考えずに、そのステイタスにいる自分、を体験することに意味があります。
日常生活では、私たちは、5~7を行き来しています。
4や8を経験するのは、かなりドラマチックな体験をするときです。
誕生日とか、プロジェクトの失敗とか、上司に怒られた、とか。
2や3は、さらにドラマチックで、振られた、とか、解雇された、とか、逮捕された、くらいまで含まれるかも知れません。
が、1となると、誘拐されて命が危ういとか、人質にとられて命が危ういとか、痴話げんかでも夜道の一人歩きでも、ナイフを突きつけられている状態とか、命の危険を感じるレベルではないかと思われます。
ね。
演劇ではこういう場面を扱うわけだから、そういう、非日常なステイタス1とは、どんなものか、も視野に入れねばならぬのですよ。
高いステイタス10は、国王、大統領クラスです。
最近なら、相撲協会の理事とか。
しかし彼の場合は、社会的ステイタスに固執するあまり、周りからはステイタス2くらいに見下げはてられましたね。
ステイタスは、人間関係のシーソーを理解するために、有効かもしれないから、演劇では使うのであって、それを理解するために苦しむのなら、忘れてくれて構わないのです。
技術は、使い方を学ぶためにあるのではなく、簡単な使いかただと自分が納得できるものを簡単に使って、本質的な目的を解決するためにあるのですから。
1番から10番のものさしで、1番が低く、10番が高い。
ステイタスがレベル1(最低限)しかない、
ステイタスがレベル10(最大限)もある。
というふうに考えてください。
受からなくてはならない面接の部屋にはいる直前の心臓が引っくり返りそうなとき、あなたのステイタスは往往にして#2
部屋に入ってからは、なんとか相手にプラスの印象を持って貰おうと、低いステイタスを外からみれば#7くらいになるよう、持ち上げたいと試みますが、なにしろ内面が#2ですからうまく行きません。
が、試験官があなたの苦し紛れの冗談に笑ってくれたり、共通の趣味があったり、同郷だったりがわかると、もう#2のままではいません。一気に#4か#5、人によっては#7か#8という、十分に自信をもって自分を表現できるステイタスの高さを得ます。
ゴルフのスコアがあなたの方が上なことで、思わず#9を演じてしまうと、試験官は自分のステイタスが脅かされたと感じ、あなたに厳しい視線を送ったり、明らかに不快な顔をして、あなたのステイタスを下げようとしてきます。
あなたは高くなりすぎたことが失敗だったと知り、慌てて自分を下げ、試験官を上げようとします。
~という具合。
ただし、まずは、ステイタスの各番号において、人はどのように振舞うかの、大まかなものさしを体験してみます。
部屋の中央に椅子を置き、戸口の外を#1
入ってくる最初の一歩を#2とします。
1から2への一歩は、とってもとっても難しい。
2になったとしても、まだその先が怖くて、1だった自分を振り返る始末。
戸口から手を離せずに、いつでも1へ戻る準備ができていますし、1へ戻りたいとも思います。
しかし、2は3へ進めと指令を受けています。
がんばって3へ進んでも、まだ1だった頃の自分がやや懐かしい。
しかし、もう戸口に手は掛けていません。一人で立っています。
4へ進むと、少しだけ、肩の力が抜けます。
呼吸が楽にできる気がしてきます。
5へ踏み出すのもあまり怖くありません。
部屋の中を観察する勇気が出てきます。
5になると、その空間に馴染み、もう怖くはありません。
肩の力はすっかり抜けています。
6に上がりたいと思いはじめます。
6になると椅子に気がつきます。
興味が湧き、それがステイタスを7に上げるでしょう。
7では、椅子を観察します。
が、まだ、ちょっと近づけません。
が、なんだかあれをものにしたら、嬉しいかも、と思います。
8に上がると、それをものにしようという意志が強く働き、観察をしながら、作戦を立てるために、椅子の周りを動きながら回ることができます。
9になると、椅子に触れます。
そして、10で座れます。
このエキササイズは、どのステイタス番号において、大雑把に、それはこのようなもの、というのを理解するために行なわれます。
あまり難しく考えずに、そのステイタスにいる自分、を体験することに意味があります。
日常生活では、私たちは、5~7を行き来しています。
4や8を経験するのは、かなりドラマチックな体験をするときです。
誕生日とか、プロジェクトの失敗とか、上司に怒られた、とか。
2や3は、さらにドラマチックで、振られた、とか、解雇された、とか、逮捕された、くらいまで含まれるかも知れません。
が、1となると、誘拐されて命が危ういとか、人質にとられて命が危ういとか、痴話げんかでも夜道の一人歩きでも、ナイフを突きつけられている状態とか、命の危険を感じるレベルではないかと思われます。
ね。
演劇ではこういう場面を扱うわけだから、そういう、非日常なステイタス1とは、どんなものか、も視野に入れねばならぬのですよ。
高いステイタス10は、国王、大統領クラスです。
最近なら、相撲協会の理事とか。
しかし彼の場合は、社会的ステイタスに固執するあまり、周りからはステイタス2くらいに見下げはてられましたね。
ステイタスは、人間関係のシーソーを理解するために、有効かもしれないから、演劇では使うのであって、それを理解するために苦しむのなら、忘れてくれて構わないのです。
技術は、使い方を学ぶためにあるのではなく、簡単な使いかただと自分が納得できるものを簡単に使って、本質的な目的を解決するためにあるのですから。