三輪えり花の脳みそ The BRAIN of ELICA MIWA

演出家、三輪えり花の脳みそを覗きます。

RADA 英国王立演劇学校の成り立ち

2007-06-22 16:05:34 | 演技って?
RADA、ラダ。
英国王立演劇学校すなわちロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマチック・アートの頭文字である。

ラダ出身の俳優は英国でもトップクラス、ということは世界でもトップクラスの俳優である。
舞台は勿論、映画にテレビにラジオに声優にと実に幅広く活躍している。
それも、どの俳優もがすべてのジャンルをこなせるのである! 

これはすごい。

普通、舞台訓練を受けた俳優はカメラの前での演技が苦手なものだし、映像用の訓練を受けた者は舞台では何をしているのかわからないくらい演技が小さくなってしまったり、逆にがんばりすぎてただ大げさになってしまったりする。
ハリウッド映画のトップスターだって舞台に立つと酷評を浴びて挫折したりする。ところがラダ出身の俳優は、いやラダばかりではない、イギリスのトップレベルの演劇学校出身の俳優は、さもあたりまえのように舞台も映像もこなしてしまうのである。

なぜだ! 

この疑問を解くべく私はイギリスへ出かけ、実際に二年間ラダに身を置いて学生たちと共にラダの演技教育を体験した。

『三輪えり花の脳みそ』<演技って?>の項目で、このラダの演技教育について、テーマごとに、述べてみようと思う。

≪RADAの成り立ちと姿勢≫ 
そもそもラダは二十世紀の始まりとほぼ同時に、一人の俳優によって設立された。
時代はイプセンやチェーホフなどのいわゆるリアリズム演劇が登場して十年余り。
イギリスではジョージ・バーナード・ショーらの新しい劇作家が登場し、ショーは自分の劇作のリズムで喋ることのできる俳優を欲していた。
その友人の俳優ビヤボンツリーが、それなら俳優を特別に訓練しようと一念発起して、ある劇場の屋根裏部屋を借りて演技と台詞のワークショップを始めたのがラダの発端であった。

ビヤボンツリーがシェイクスピア俳優としても名優であったこと、それでいて新しい台詞を書くバーナード・ショーの作品を演じたかったことが、先ず基本的な柱としてあったが故に、古典から同時代の劇まで自由にこなせる俳優を育てるためのラダができたのである。

≪愛されるRADAの秘密≫
さて、この自主練サークルの噂はあっという間に口コミで広まり、我も我もと有名無名を問わずプロの俳優たちが押し寄せたため、しばらくして大英博物館の北、ロンドン大学本部校に隣接した場所に居を移すことになる。
これが現在でもラダのあるガワー通りだ。

当時の建物は第二次大戦中のドイツ軍の空襲に遭い、跡形も無くなったが、卒業生たちは貧しい中から資金を出し合い、また、ショーらは自分の貯金の多くを投じて、終戦後驚くべき速さで立派な額縁劇場つきの建物を復興した。
ラダに行くと、一九四〇年代の戦時服に身を包み、瓦礫の山と化したラダ跡に、復興への強い意志を瞳に湛えた十数名の俳優が立っているモノクロの写真を見ることができる。

二十一世紀を迎えてラダは、その由緒ある建物を老朽化のためやむなく取り壊し、新品の校舎を建てた。
三つの劇場も、オフィスや稽古場も大きくし、衣裳・小道具・装置等各製作室も、照明や音響等諸設備も立派に整えた。
今回の改築にも実に多くの演劇人が協力した。
ラダがいかにイギリス中から愛され、尊敬され、大切にされているかがわかる。

伝統と現実と実験を三つ巴で大切にして俳優を育てることで社会に貢献しようというラダの姿勢が多くの共感と賛同を呼ぶのであろう。

つづく。


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2 コメント

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ショーなんだぁー (牛頭)
2007-06-25 00:50:14
いや、駄洒落じゃなく。「笑う哲人」と呼ばれる(←もし記憶が確かなら)バーナード・ショーに興味があり、彼の戯曲集を読んだことがあります。ピグマリオンしか覚えてないけど。それもずっと前だからマイフェアレディーとはぜんぜん違うという印象だけしか残ってないけど。そんなこともしてたんですねー。>ショー
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イギリス文化によせて (kimio Hirasaka International)
2008-06-22 11:24:52
シェークスピアの劇作は、確かに永遠性があると思います。ただ現代においては、映像文化、音響に主流を奪われ、リアリズムの本来性が操作されている傾向があります。やはり、基本は、見識の
高度な、観衆が、劇作を批評していく中に、芸術のエターニテイがあると思います。そして、その重責を担うのは、英国王立演劇学校ではないか、と思う次第です。
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