三輪えり花の脳みそ The BRAIN of ELICA MIWA

演出家、三輪えり花の脳みそを覗きます。

登場人物は誰に何を報告しにきたのか?

2013-07-09 01:45:01 | 演技って?
ハムレットの母,ガートルードが,オフィーリアの死をオフィーリアの兄レアティーズに告げるところがあります。

多くの俳優が,これをさめざめと悲しく、ほとんど泣きながら,あるいは半狂乱になって喋ります。

もっと身近な例で考えてみよう。
あなたは,自分より年下の男性が,父親を殺されて打ち拉がれているところに,その妹も溺れて死んだよ,と言わなくてはなりません。
もっと身近に考えたら,落ち込んでいる友達に,彼がかわいがっている猫が,あそこで交通事故にあったと,伝えるようなものです。

大急ぎで駆け込んできて伝える方法もあるでしょう。
でも,あなたが思いやりのある人なら,落ち込んでいる相手に,さらに悪いニュースをどうやって伝えますか?
相手の顔を見るまでは、「言わなくちゃ」と思っていても,顔を見たら言えなくなる。でも,言わなくちゃ,どうやって言おう,どこから始めよう?

もしもそうではなくて,ただ自分の悲しみばかりが先行する半狂乱状態で報告をするなら,その場合,

「小川のほとりに柳の木が白い葉裏を流れに写して斜めにひっそり立っている。」

なんて文章から始まるはずがありません。

実際,半狂乱での報告をする場面の例があります。
ロミオとジュリエットの乳母は,ティボルトの死を告げる時,「死んだ,死んだ、死んでしまった!」という台詞を使います。
これこそ,半狂乱の演技を要求する台詞。
ガートルードの台詞とは全く違う書き方であることがわかります。

オフィーリアの死を告げにきたのに,なぜこの台詞から始まるの?

ガートルードが,自分の感じる悲しみよりも,レアティーズになにをどう伝えようか,言葉を選んで話そうとしていることがわかります。
しかも,彼女はまず,自分の目で見たことを先に述べますね。(小川、柳、枝,花輪)
目で見たものの印象が強いからです。

そのあと,人づてに聞いたことを述べます。(枝に掛けようとして流れに落ちたそうだ,人魚みたいだったそうだ,祈りの歌を口ずさんでいたそうだ、そのあと,沈んだそうだ)

自分の目で見たことと,聞いたことを告げる調子は,異ならなくてはなりません。

また,ガートルードの頭の中は「なぜ,そんなことに?オフィーリアは自殺?なぜオフィーリアはそんなことをした?」という質問が,ぐるぐる廻っているはずです。
「オフィーリアはその細枝に,草花を巻き付け」という描写のときも,「なぜそんなことを?」と自分に問いかけながら,話してみましょう。

友達とのシリアスな会話で「なんであの子,あんなことしたんだろうね・・・」と言っているとき,その子がなぜそんなことをしたのか考えながら言っているはずです。それと全く同じ。

最後にもうひとつ・
オフィーリアが細枝にかけた草花は,きんぽうげ,いらくさ,ひなぎく,紫蘭です。
紫蘭は,「口さがない羊飼いたちの間ではいやらしい呼び名で呼ばれている」花,つまり,オフィーリアのような女性がそれを手に持って遊ぶ,というのは,相当「えっ?」なことなのです。
純潔を絵に書いたような女の子が,実は部屋にポルノ雑誌を溜め込んでいると,あなたが知ったときのような,「えっ?」です。

ガートルードは,紫蘭が混じっているのを発見して,やだ,なにこれ,と思ったわけ。
で,なんでこんな卑猥なものを,とそれをついオフィーリアのお兄さんにそのまま言っちゃったんですね。

お兄さんに,「あなたの妹は死んだ時,ポルノ写真を握りしめていたわよ、卑猥ね」と言うようなものです。

言った瞬間にガートルードは,やべ,と思い,言い直します。

「無垢な娘たち(=オフィーリア)の間では、死人の指と言い習わされている,あの紫蘭」と。

卑猥ね,あ,いえいえ,オフィーリアみたいな無垢なお嬢さんはきっと卑猥な思いでその花を摘んだんじゃないわ,あれって,死人の指とも言われていて,女の子は卑猥というよりは不気味がって,手に取らないものでしょう,オフィーリアはもしかしたら,それを摘んだからしんだのかもしれないわ,

みたいな,そんな感じの「言い直し」です。

シェイクスピア,面白いでしょう?
なぜ,こんなこと言うの,この人。。。← これがシェイクスピアを演じるときのカギの全てです。


登場人物は何をしようとしているのか?

2013-07-09 01:29:48 | 演技って?
マクベスの「やってしまって、それでことが済むものなら、早くやってしまった方が良い」の独白。

マクベスはどれくらい、王を殺したいんでしょう?

多くの人が,「すごく殺したい」と答えてくれます。
でも,本当?
もしもそうなら,なぜ彼の台詞は「やるとも,もしも,それで済むなら」と仮定法をとるのでしょう?
「それですむわけないじゃん,だからやだよー」が心の中にあるからです。

その「あの世で罰を受けようとも,この世で大丈夫 なら あの世のことなどかまってられるか!」と大見得を切った後,

「だけど、この世でもこういうことって,罰を受けるよな」と怯えて,
あとは,罰を受けるにふさわしい理由をいくつもいくつも際限なく並べていきます。
それくらい,罰を受ける理由が並べられるということは,それくらい,やりたくない,ということです。

親に等しい、立派な人を殺す。権力を手にするために。

迷って当然です。

迷わないで殺人をやるのは,シェイクスピアの戯曲の中でもリチャード三世だけです。(しかもリチャードは自分の手で人を刺してはいない)

マクベスは,迷いをどうやって表現するか,なのであって,どうやってかっこ良くやるか、ではありません。

「軍人らしく」がベースの演技もダメです。
そんなところから人物を作れば,シーザーをやろうが,アントニーをやろうが,キャシアスをやろうが,マクベスをやろうが,ハムレットをやろうが,皆同じになってしまいます。

果たしてこの演技は,この登場人物のためのものだけなのかどうか,このやり方なら誰をやっても同じ,になっていないかどうか,少し自分に厳しく演技を見つめ直そう。