三輪えり花の脳みそ The BRAIN of ELICA MIWA

演出家、三輪えり花の脳みそを覗きます。

TWELFTH NIGHT : CHARACTERS : FESTE

2008-03-09 22:19:28 | シェイクスピアって?
シェイクスピア作『十二夜』考

せっかく演出したので、この戯曲について様々な側面からアプローチしてみたい。

今回は登場人物考
《フェステ》

オリヴィア伯爵令嬢の父親にかわいがられていたという台詞から、年をとって時代遅れになってしまった哀れな道化として描かれることの多いフェステ。

名前の由来はFESTIVAL

そう。
お祭り人間なのである。

が、そこはシェイクスピアらしい遊び。
なにしろ、この作品のタイトルは、「十二夜=祭りの最終日」である。
つまり、フェステが用無しになる最後の日という意味になってしまうのだ。

よって、フェステは哀愁と悲哀を抱えて定年を迎え、まだ血迷ってお祭り騒ぎに加わろうとしてはみるけれど、誰からも相手にされず、ひとりぼっちで、寂しくラストソング『雨風吹いた、やれへいほう』を歌うことになっている。

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台本を表面的に読むと、彼は劇の筋に全くと言っていいほど関わっていない。
せいぜい、彼の言葉遊びが、ギャグの連発で、当時の観客はさぞ笑っただろうにという客寄せ程度の役どころ?
しかも、そのギャグ、現代日本では通用しません。
イギリス人なら、言葉遊びと語呂合わせが面白いので、まあ、日本語の東海道中膝栗毛とか、漫才みたいな感じで、ウケはします。
あとは、最後の最後に、追い詰められたマルヴォリオに向かってさらにいじめるような台詞を吐くところかなあ。いじわる。

だが、それでは演出していてもつまらない。
どんな意味を持って彼がここにいるのかを考えてみましょう。

そもそも、『十二夜』は片思いの劇である。
みーんなが誰かに片思いしていたら、どう?

すると、ある、ある。
フェステの台詞にも歌の歌詞にも、オリヴィアへの片思いを思わせるようなものが。

道化と伯爵令嬢なんて、絶対にありえない身分違いの恋。
フェステはそれを心得ているから、口には出さない。
でも、歌に出ちゃうんだな。

「何がおきるかなんてわからないじゃないか
~ 娘18、キスしてくれない?」

「私を殺すのは美女のつれなさ」

と歌ったかと思うと、
オリヴィアに求婚中のオルシーノ公爵の屋敷へ偵察に出かけていった挙句、セザリオに向かって、

「オリヴィア様は道化遊びはお嫌いだ。道化なんか抱えないんですよ、結婚するまではね。」と嫌味たっぷりに、オルシーノの悪口を言う有様。

そして、同じように身分違いの恋に泣く執事のマルヴォリオの前で歌う歌は

「お嬢様の意地悪、ほんとだよ。
 あらら、どうしてそうなんだい?
 別の人がお好きだからさ。」

ね?

そんな演出もありだなあと思っていると、Kenneth Branagh ケネス・ブラナーという現代イギリスきっての名優が演出した舞台(DVD)で、フェステを、これまた私の大好きな俳優 Anton Lesser アントン・レッサーが演じていて、それがオリヴィアに見事に片思いなのだ。
これ、めちゃくちゃシニカルでかっこいい片思い振りで、歌うときの微妙な表情とかすばらしい。

私が2008年に演出した『十二夜』では、若いバリトン歌手山中雅博を得たこともあり、オリヴィアを好きという心理をつけたら、大変深みのあるフェステになりました。

最後は、一人、寂しくここを去っていくのも、彼女が幸せになったら俺はほんとにお役御免、て感じです。

でも、道化としてでしか生きられないんですよね。

私の演出では、道化師の象徴としてのリンリン帽を、フェイビアンに渡してしまおうかという誘惑に駆られましたが、フェステは絶対に、生涯、道化としてでしか生きられない生き物なのだと、最後も帽子をかぶり続けて去る、ということにしました。

この戯曲で去るのは二人。
マルヴォリオとフェステ。

マルヴォリオは身分違いの恋の妄想に取り付かれ、それを表現したがゆえに気違い扱いされてしまいます。

フェステもやはり身分違いの恋に悩んでいるとすれば、彼はマルヴォリオの反面鏡となるわけです。

この反面鏡の方程式は、『十二夜』のいたるところに見られます。

たとえば、オルシーノ公爵は、ロマンチックにため息をつきながらオリヴィアに恋い焦がれています。
彼の言葉遣いは、詩的で、ともすると、「あたまおかしいんじゃない?」と言われそうなくらい、非現実的。
オリヴィアがそれらの派手派手しい愛情表現に辟易するのも、女の身になると納得できます。

このオルシーノのパロディがサー・アンドリュー。
身分は高く、ロマンチックで非現実的。
彼は一所懸命、ロマンチックで詩的な表現を使おうとしていますが、うまくいきません。みんなにあからさまに「ばか」といわれます。
明らかにオルシーノのパロディ版ダブル。

ヴァイオラを救った船長のダブルが、セバスチャンを救ったアントニオであるし、
まさに、戯曲内の台詞にあるとおり、この戯曲は
「不思議な合わせ鏡」で成り立っているのです。

というわけで、フェステはマルヴォリオのダブル。

だから、最後の意地悪な台詞も、「まあ、いいじゃん、俺もいじめられたんだからおあいこってことでさ、ほれ、笑え」的な、台詞ではないかしら。
よくあるでしょう、もうどうしようもない場を救うときって、まじめになるより、おちゃらけて、「あはは~」としちゃったほうが良いようなときが。
「なんちゃって」的な。

フェステは、すっごく、マルヴォリオを自分のもうひとつの姿のように見て、共感しているのではないかな。
だから、最後にマルヴォリオを救えるのはフェステしかいないのだな。

しかし、フェステはこれに失敗する。
マルヴォリオは、笑うどころか、復讐を誓って去っていく。
もうフェステには力がない。
祭りのパワーは尽きたことが証明される。

マルヴォリオとフェステにはハッピーエンドがない。
実は、アントニオとサー・アンドリューにも。

私の演出でも、そうです。
ただ、ラストソングを全員に歌わせて、みんなが仲直りしたように見せかけていただけ。
ラストソングがなかったら、置いてけぼりにされた人物たちは置いてけぼりにされていたまま。

全員にハッピーエンドがないこの戯曲は、シェイクスピア最後の喜劇でもある。
これを境に、シェイクスピアは、ハッピーエンドなんてありえない、オープンエンドな、約束のない未来、あいまいな未来、物事の両極面を描く方向へむかうのであります。

TWELFTH NIGHT : CHARACTERS INTRODUCTION

2008-03-09 20:39:02 | シェイクスピアって?
シェイクスピア作『十二夜』考

せっかく演出したので、この戯曲について様々な側面からアプローチしてみたい。

今回は登場人物紹介


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<4 LOVERS>

VIOLA 
ただし CESARIO という名前で劇中ずっと存在し、VIOLAという名前が発語されるのはラストシーンの一回のみ。
どうやら昔、父親に結婚相手候補としてOrsinoの名前があがっていたらしい。

ORSINO 
この海港観光都市をおさめる公爵 
同じ街のOlivia 伯爵令嬢に片思い中。

OLIVIA 
この海港都市に住まう伯爵 
父と兄をなくし、莫大な遺産を抱えて一人きりで伯爵家を継ぐ。
この莫大な財産を狙って、求婚者が後を絶たないだろうと思われるが、財産目当ての人間は嫌い、自分の美貌をほめる人間も信じられない、という男性不信。
自分には見向きもせず、自分の悪口をさえ言うCESARIO少年(VIOLA)に恋に落ちて、結婚してしまう
(が、実は結婚相手は下記のSEBASTIAN)。

SEBASTIAN 
VIOLAの双子の兄 
ずっと溺れ死んだものと思われているが、うまい具合に海賊ANTONIOに助けられた後、Orsinoの屋敷を訪ねにIlyliaにいく。
当然、妹のViolaはおぼれ死んだものと思っている。
Ilyliaについたら、皆にCesarioと話しかけられ、うんざりしているところへ、Olivia に出会い、一目ぼれ。結婚する。

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<3 DRUNKERS>

SIR TOBY BELCH
Olivia の親類縁者。
台本では、いとことか、おじとか書いてあって、実際の年齢や関係は演出によりさまざま。
Oliviaの兄が死んでからずっとここに入り浸っているというから、おそらく彼女の財産目当てで、後見人か、うまくすれば夫にか、を目論んでいるものと思われる。
が、うまくいかなかったようなので、小指で操れる馬鹿な騎士SIR ANDREW AGUECHEEK を連れてくる。
のん兵衛代表。

SIR ANDREW AGUECHEEK  
Oliviaの求婚者としてSIR TOBY に連れられてきた。
背が高く、年俸も高い。喧嘩っ早いくせに、ものすごい臆病者。
のせられやすい、きゃんきゃん吼えるだけの子犬を思い浮かべるといい。

FABIAN 
元オリヴィアの伯爵家に仕えていた人物。熊いじめという、イギリス独特の賭け事を街で楽しんだからという理由で、MALVOLIOという執事に解雇され、彼を恨んでいる。

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<2 SERVANTS for OLIVIA>

MALVOLIO
Oliviaに仕える中年以降の執事。
Oliviaに片思い。
いつか奇跡が起きて身分違いの恋が実り、未来の伯爵になれるのではないかという妄想に疲れ果てている。

MARIA
Oliviaに仕えるお部屋係。
Sir Tobyに片思い中。
いつか奇跡が起きて身分違いの恋が実り、Lady Maria となれるのではないかという淡い期待を抱いている。

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<2 SERVANTS for ORSINO>

CURIO 
Orsinoに仕える男。
おそらくOrsinoが恋煩いにかかる前は、狩り等、青年らしいスポーツをOrsinoと共に楽しんだであろうと思われる。

VALENTINE 
Orsinoに使える男。
おそらく公爵の寵愛をかつてCESARIOという小生意気な少年が来るまでは、受けていた。


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<1 FOOL>

FESTE 
Oliviaの父にかわいがられていた道化師。
歌がうまい。
楽器が弾ける。
原作では「太鼓」をたたいている。


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<2 SEAMEN>

CAPTAIN 
ViolaとSebastianの難破した船の船長。
Violaと共にこの街に漂着し、Violaが男装するのを極秘裏に手伝う。

ANTONIO  
おぼれかけていたSEBASTIANを嵐の波間から救い出した男。
Sebastianを心から慕うその様子は、ほとんど同性愛的。
Orsinoの海軍と戦になり、OrsinoのいとこTitusの片足を奪った人物。
そのためお尋ね者として、海賊と呼ばれる。
この街で見つかったら最後、首をはねられる運命。


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以上が全登場人物。
女が3人というシェイクスピアらしいスタイルで書かれています。
年齢に関しては、恋人たちは女の子が15歳くらい、男の子達が20代前半、飲兵衛たちは30代、ほかの人物たちは40~50、道化のFESTEは60歳以上というのが多いです。

が、それはあくまでも通例。
最近は、演出上、いろいろな年齢を配役します。

たとえば、有名な映画、Trevor Nunnが演出し、Helena Bohnam Carter がOliviaを演じている版では、公爵の周りの人物はいずれも恋愛に縁のなさそうな、中年以上の男ばかりでした。
道化のFESTEは50歳位だったでしょうか。

一方で、イギリスきっての名優Kenneth Branagh が上演し、のちにテレビ版映画としてDVDになった版では、公爵の周りは公爵とほぼ同じ年齢の若い青年たちで、公爵の遊び仲間として、一緒によく狩りにでも行ったであろうと思われる感じです。
道化のFESTEはやはり同世代で、Olivia への身分違いの恋に苦しんでいます。
私も同じようなことを演出で考えていたので、この作品を観たとき、我が意を得たり!という感じでした。

いろいろ探してみますと、SIR ANDREW AGUECHEEKがものすごいお年寄りで、Don Quixote みたいに描かれているものもあります。それもおもしろいですね。